1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

授業を考えて

なかまくらです。
授業を考える方法はおそらく、先生ごとに違うのかな、と思っています。

私の中にも、いくつかパターンがある気がします。

オーソドックスな方法は、生徒が書くノートを最初に考える。

同時に、これは私が黒板に書く内容にもなる。

どんな問題が解けるようになるかな、ということも忘れずに。

できるようになるという達成感が得られる授業にしたい。

今日やった授業のノート。

これを書きながら、何をしゃべろうかなぁ、と説明を考えます。

生物は特にそう思うのですが、なるべく絵をたくさん描くようにしています。

文字ばかりだと辛い。絵を描いたほうが楽しいですよね。

同時に、覚えるだけにならないように、絵からいろいろなことを読み取るようになってほしい。

グループワークとか、できてもいいのかもしれませんが、

理想なのは、グループワークという仕組みを使わなくても、

生徒が能動的に考えながら授業を受けてくれる、そんな生徒が育つことだと思いますね。





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高校生をどんな大人にするべきか。

なかまくらです。

最近、すごく悩んでいることがありまして・・・。

それは、どうも、私の先生としての教育観が、

他の大部分の先生とズレている気がしてならない・・・ということ。

我々教員は、どんな大人を世に輩出していけば良いのでしょうか。


私が思うのは、とにかく一生懸命、何かに取り組める人を育てること。

また、その自信をつける成功体験をさせてやりたい。

それから、素直な大人になってほしい。

建前ありきで、こういえば、世の中上手くまわるでしょ?

みたいなことばかり言う大人にはなってほしくない。

自分の言葉で、自分の思っていることを表現できる大人になってほしい。


・・・そう思う一方で、いま、そうやって仕事をしようとして、

毎日生きづらい自分がいます。

真っ直ぐ、正直に当たると、なすすべもなく跳ね返される。

私、世渡りが下手なんですね。

「言葉の裏をちゃんと読みなさい。言葉の裏が読めるように子どもを育てなさい」

と、頼りにしている先輩教員から言われ、

(・・・と言っても、それも、最初やんわりと言われて、
「よく分からない」と言ったので、そう言われたのですが・・・)

世の中は悪意とか、だまそうとする人たちに満ちているよ。

気をつけないといけないよ・・・と教えていかないといけないのか、

自分を開いて、真っ直ぐな気持ちで生きようよ、とするのか、

ううーーん、前者が正しいのでしょうか?


最近、本当にそういうことが多いのですよね。

「君の気持ちは分からないでもないが、ちょっと私の気持ちもくんでほしい」

といわれて、「あなたの気持ちも理解できなくはない。でも、それでもやってほしい」

と言ったら、「やらないってことなんだよ! そんなことも分からないか!」と

怒られたり、

「君の頼み方の手順が悪い。そうやって頼まれたら、私はもう引き受けられない」

といわれて、「じゃあ、いいです。自分でなんとかします」と言ったら、

「そういうことじゃない。私が悪者みたいだけど、やらないわけじゃない」

と言われたり・・・。


あー世の中ってなんでこんなにもややこしいのだろう。

こんなに、上手に生きられない人間が、先生でいいのだろうか?

なんて、しょーもないことを考えてしまいますね。

でも、それも含めて、生き方を教える職業だと思うのです。





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人を見る目はまだなくて

なかまくらです。

試験の面接官でした。2回目の面接官。

ん~~~、これでいいのかなぁ~~??

と思いつつ、去年よりは、思ったようにやれた印象。

何事も経験ですな。

その人ごとに違う質問をするわけですが、

何を質問するべきなのか、

難しいこと難しいこと。

パッとそこで初めて会う人。

面接カードとか、調査書とかはあるわけですが、

「失礼します」と入ってきて、お辞儀とか作法を見て、

最初の質問をする。「志望動機は何ですか」

この辺りまでに、次の質問を考えながらやらないといけない。

合格したらどんなことをしたいのか聞くのか、

それとも、友人関係に心配があるから、その辺で上手くやってきたのか聞くのか、

勉強面が心配だから、それをどう思っているのか聞くのか・・・

この質問が上手くはまると、その受験者の人物像がたった7分位で

浮かび上がってくる。・・・これはすごい!

私、自分が試験を受けたとき、たった10分の面接で、いったい何が分かるんだ!?

と思っていましたが、なるほど、これは思ったよりもいろいろ分かるぞ!

ということに気付いたのでした。

けれども、じゃあ、その結果とこちらの求めるものを照らし合わせて、

合格者を決めていくわけで、

人物像がちょっと見えただけじゃ、まだまだ。

モーニング娘。を見いだしたつんく♂さんみたいに、

何年後かを予見する、そんな力が必要だなぁと改めて思いました。

おわり。





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目的地までの歩き方

なかまくらです。来週から授業が始まります。

今年度は3年ぶりに化学基礎を教えることになりまして、

悩みに悩んでおります。どうやって授業をしたらいいんだ・・・?

なかまくらは、昨年度の1年間、文部科学省が推進する新しい形の授業・・・

・・・アクティブラーニング型授業というものに取り組んでおりました。

これについては、また元気なときにレポートしますが、

ともかく、

生徒は座って、前を向いて、
私が黒板に知識を書いて、説明して、

という形式の授業をやめよう。あるいはできるだけ少なくしようという試みをしたのです。

じゃあ、化学基礎はどうするの? ということで、方法を考えているわけですが、

物理に比べて、化学は覚えることがどうしても多い。

それをどうやって、教えずに、教えるのか・・・。

最早哲学の問いの様相です。

ところが、目的地はわりとはっきりとしていて、

これを理解できれば今日の授業はOKみたいな。

これはブレてはいけない。けれども、そこに至る道は無数にあって、

どの道を通ることが、生徒にとって最も後から活きてくる道になるのか。

これを考えることが授業作りであり、ひいては教育というものだなぁと感じています。

朧気に姿は見えているのですが、ピントが合わないそれに目を凝らしている日々です。

授業は来週から・・・うーーん、うーん、うん。まだ悩めるね。





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新しい時代の教科を想像する

なかまくらです。

今って、5教科で、それぞれ勉強する内容が、

びっくりするほど、被らないように作られていると思うんですよね。

でも、現実には、それぞれの分野の内容が融合したような問題が起こる。

つまり、分野横断的な学問体系を脳に構築できているかが重要なんだと

そう思うのですよ。ところが、今の教科のシステムだとそれは正直難しい。

生徒に勝手に考えろってことになっている気がします。

でも、その統合が出来る生徒は、本当にごく一握りの人間だと思います。

だったら、教科を買えてしまえばいいと思うんですけど、

なかなかそうはいかないんですかね?


人間って、繰り返しやったことって、

重要なことだと認識する傾向があると思うんですよ。

国語でも言われて、英語でも言われれば、これは大事っぽいぞと。

数学で言われて、理科でも言われれば、これは大事っぽいぞと。

逆に、その場でしか出てこない言葉は、まあ、そんなにここは大事じゃないかな、と

棄てることを我々は普段当たり前のようにしているように思います。

そうすると、これからの教科は、基礎科目の単位数を減らして、

分野横断的な、学際的な科目をどんどん増やしていった方がいいのではないでしょうか。

そんな風に思うのですが、どうですかね?? たとえば、こんな風に。








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