1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

何を教えようか、どう教えようか

なかまくらです。

音楽性の違い ⇒ 解散! のごとく、

教育の方向性の違い・・・、みたいなことが起こったりもするわけです。

先生によって教えたいことが違う・・・。

教育の機会は均等に与えられていますし、

同じ基準で作られた教科書を使って、教えているはずなのに、

教える人によって、異なってくるから面白いといっていいのか、何というのか。

物理という科目は、残念ながら進学校でもなければ不人気な科目なんですね。

あまり生徒が選択履修しないわけです。

目の前のありとあらゆる現象が実は、いくつかの簡単な法則で起こっているという、ただただ単純なその面白さを伝えることの難しさを感じます。

それどころか、物理基礎という、入門編(これはみんな履修することになっている)でも、

どうもかなり大変らしい。

さて、彼らに何を残すことができるのだろう、と考えるのです。

知識として、運動とか、エネルギーとか、力とか、

そういうことを教えておくことはもちろんですが、

それを通して何かを教えることが大事かな、と思います。

分からなくても投げ出さずにジッと考えることや、

どうやったら困難を脱出できるのか・・・その方法を模索したり(例えば、人に聞いたり、インターネットで情報を集めたり)

あるいは、なんだ、諦めずにやれば案外できるじゃない、ということに気づかせたり。

物理基礎の授業は、その先に進まない人にとって、技能を学ぶ場なのだと思います。

暗記は多分、これからの時代、これからの時代に比べて価値が下がります。

知らないのは駄目です。覚えていなくても知っていることが大事。

これをどう活用するのか。

物理量同士の関係性(比例や反比例)について、式から考えたり、

困ったときに定義に戻る大切さを学んだり・・・。

いろいろ考えるのですが、結局は、目の前の生徒を見てそれで決めるのですから、

なんでしょうね。





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先を行く人2:探究とPBLの話

なかまくらです。

先週は勉強&勉強の週でした。

土曜日は、テスト前ということもあり、部活動をお休みにして、

第6回学びのイノベーションフォーラムに参加してきました。

・・・えーーと、まずですね、圧倒的でした。

世の中には、こんなにすごい先生が、こんなにたくさんいるんだと。

ここにいる皆さんで、日本の教育を変えようという、情熱も持っていらっしゃる。

そんな熱に溢れたフォーラムでした。

その中でも、私が印象に残ったのは、2つのことです。

1つは、探究活動です。

現在、経済産業省とZ会が協力して、

”「未来の教室」実証事業” というものをやっているそうです。

いったい何をするのか。

コンセプトが非常に興味を惹かれるものでした。

コンセプトは、ワクワクするところから始めよう、ということ。

しかも、 

 ワクワク ⇒ 教科学習  ⇒ 探究的学習 ではなくて、
 ワクワク ⇒ 探究的学習 ⇒ (困ったら)教科学習

という手順を目指していることです。

実際には、まず、iPadを使って、知識は個々にアプリで速習します。

そのあと、速習することによってできた時間で、探究的学習に取り組むというもの。

そして、困ったら、教科の学習に立ち戻るというシステムで、

ただただ、AIを用いて効率的に学んで終わりではなくて、

探究こそが学習の本番なのだ、というある意味当たり前の発想なのですが、

結構目からうろこでした。

それから、溝上先生のお話でも、探究のお話が出てきました。

こちらは、理数探求という探究をするための授業を飛び出して、

普通の授業中に、探究活動をしてしまおう、という内容でした。

探究活動から始まる学習があってもいいのではないか、というのは、

確かにそうなのですが、なかなかうまくできそうになくて及び腰になっている・・・

・・・そんな自分に気づかされるのです。

学問としての体系性が気になるんですよね・・・。

そこの課題をどうするか、春まで考えたいな、と思うのでした。


2つ目は、PBLです。

PBLとは何か。

PBLとは、Project Based Learningの略で、課題を解決することを目的として、

学んでいく方法です。

発表をされた先生は、インドネシアとのインターネットを介したグループワークと

掛川城のプロジェクションマッピングをした実践例を出されていて、

協賛企業を募り、社長の前でプレゼンテーションをしたり、

チラシを考えたり、映像を考えたり、ととにかく、実際に、

社会の人と会議をしたり、支えてもらったり、と交流を体験したことに大きな意味があると

感じました。

そういう体験をすると、もっと学ばなければとか、こういう知識が足りなかったな、

ということが生まれてくると思うのでした。




さて、どちらにも共通して言えることは、

体系的な学び方だけがすべてではないな、ということでした。

これから求められているのは、

1.何を学ぶか
2.何ができるようになるか
3.どのようにして学ぶか

この3つだと言っています。

どのようにして学ぶのか、そして、何ができるようになるか。

学ぶだけではなくて、何ができるようになるか・・・

すなわち、実践的な学びが必要なのかな、と思わされる文面です。

その方法をいま、模索中なのだな、と思う私なのでした。

あとですね、同期で、同じタイミングで先生になった方が、

スタッフとして動いていました。4年目ですでにスタッフ。運営側ですか。

どこで差がついたのか・・・負けてられぬ。

おわり。





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先を行く人:アクティブラーニングのお話

なかまくらです。

先週は、お勉強&お勉強でした。

木曜日は、理科の研修会で、静岡サレジオ高校へ。

私がアクティブラーニング型授業を始めるきっかけとなった、

産業能率大学の小林昭文先生の講話を聴いてきました。

生徒が主体的で深い学びができるように、教育を改革しなさい。

でも、今まで通り、知識・技能もつけなさい。

・・・というのが、今度から始まる、新しい学習指導要領なのです。

とにかくてんこ盛りなわけです。

さて、主体的で・・・というわけですが、いま、学校の教育は随分と変わってきています。

私が小林先生の方法を学んでやっている授業は、

講義(15~20分) ⇒ グループワークで演習(25~20分)
⇒ 小テスト(6分) ⇒ 答え合わせ&振り返り(4分)

こんな感じの構成です。

そして、演習が始まると、私はほとんど何も教えません。

「小テストまで、あと○○分だよ~~」
「その答え? あー・・・誰誰さんができてたかな」
「あー、ちょっと、○○くん、助けてあげて!」

こんな感じです。

あとは、ときどき、「もっとザワザワしていいよ~~」とまで言います。

私の授業は、たぶん、学校でもっともうるさいと思います(笑)。

けれども、その中で、生徒は問題をガンガン解いています。

わからない生徒も、「わからん!」を連発しています。

「わからんから、教えろ~~!」「え、今のよくわからんわ!」こんな感じです。

わからん! といえるクラスがうまく形成されているのです。

そして、最後に小テストをやるときには、しーんとして、カリカリとペンが動くのです。

そんな教室。

・・・3年前に、そんな授業を始めたときには、うまくいかないことも多々ありましたが、

だいぶ、上手にできるようになったかな、と思ってはいました。

でも、限界・・・というか、壁も感じているのでした。

壁① ・・・ 物理基礎の受講者が、物理を選択しないこと。

 まあ、もともと大学進学する生徒が少ないので、仕方ない部分もあるのでしょうが、
 もっと増えてもいいはずなのです。

壁② ・・・ 成績上位の伸ばし方がいまいち確立していないこと。

 賢い生徒は、開始5分で、解き終わって、残りの時間は教えに回ってくれる子すらいます。
 「ならば・・・」と、難しい問題を一問、用意してみると、「あ、無理っすね」となる。
 どうしたものか。

壁③ ・・・ マンネリ化し始める。

 恐るべき問題は、この方法だと、私があまり授業をしないことなのです。
 意識すべきは、できるだけ簡潔な説明です。余分なことを言わないことが、
 わからない生徒でも、理解できるポイントだと思います。
 なので、説明の時には、「一言一句を聞き漏らすな」と言います。
 聞き逃したら、プリントがわからないことも分かっているので、
 講義中はとても静かです。・・・が、そもそも、物理の面白さを語りたい。
 それをグッとこらえて、毎年同じことをしていると、辛くなるわけです(苦笑)。
 生徒が、「あ、わかったぞ!」と、言っている姿はとても好きなんですけどね。
 それでも。


というわけで、ヒントがほしい・・・と思い、研修会(しかも小林先生が来る!)

に、参加したわけです。

まず、同じ志をもつ先生がたが集まったことに感銘を受けました。

そして、小林先生がいらした学校で、AL型授業が広まったこと、そして、

新しいことを始めた先生が、その新しいことを3年以内にやめたこと

などもおっしゃっていて、内心ドキリとしました(笑)。

小林先生のクラスは、模試の成績も、センター試験の平均点もあがり、

驚いたのは、生徒たちが放課後に自主的に物理室に集まり、

毎日のように、学習会が開かれたということです。

しかも、先生はいなくてもいいということ。

自分たちで、勉強する場があればいいのだ、というのです。

つまり、自ら学ぶところまでもっていけば、あとは勝手に学んで賢くなっていくのです。

主体的で、深い学びとは・・・という答えはとても難しいものです。

けれども、深い学びとは、ただ学ぶだけでなく、

アクティブラーニングによって、高度な対話のできる生徒を育てること、

そうした潜在的カリキュラムをこなすことであり、

それらによって、主体的な生徒を育てることにあるんだな、と思いました。

もっと学びたい・・・という生徒を育ててみたい、と強く思うのでした。

研修会が終わった後に、サインもいただきました。

(「これからが本番です! 一緒に頑張りましょう」といただきました)。

ありがとうございました。


長くなってしまったので、土曜日のことは、次の記事で。先を行く人2:探究とPBLの話





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授業を考えて

なかまくらです。
授業を考える方法はおそらく、先生ごとに違うのかな、と思っています。

私の中にも、いくつかパターンがある気がします。

オーソドックスな方法は、生徒が書くノートを最初に考える。

同時に、これは私が黒板に書く内容にもなる。

どんな問題が解けるようになるかな、ということも忘れずに。

できるようになるという達成感が得られる授業にしたい。

今日やった授業のノート。

これを書きながら、何をしゃべろうかなぁ、と説明を考えます。

生物は特にそう思うのですが、なるべく絵をたくさん描くようにしています。

文字ばかりだと辛い。絵を描いたほうが楽しいですよね。

同時に、覚えるだけにならないように、絵からいろいろなことを読み取るようになってほしい。

グループワークとか、できてもいいのかもしれませんが、

理想なのは、グループワークという仕組みを使わなくても、

生徒が能動的に考えながら授業を受けてくれる、そんな生徒が育つことだと思いますね。





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高校生をどんな大人にするべきか。

なかまくらです。

最近、すごく悩んでいることがありまして・・・。

それは、どうも、私の先生としての教育観が、

他の大部分の先生とズレている気がしてならない・・・ということ。

我々教員は、どんな大人を世に輩出していけば良いのでしょうか。


私が思うのは、とにかく一生懸命、何かに取り組める人を育てること。

また、その自信をつける成功体験をさせてやりたい。

それから、素直な大人になってほしい。

建前ありきで、こういえば、世の中上手くまわるでしょ?

みたいなことばかり言う大人にはなってほしくない。

自分の言葉で、自分の思っていることを表現できる大人になってほしい。


・・・そう思う一方で、いま、そうやって仕事をしようとして、

毎日生きづらい自分がいます。

真っ直ぐ、正直に当たると、なすすべもなく跳ね返される。

私、世渡りが下手なんですね。

「言葉の裏をちゃんと読みなさい。言葉の裏が読めるように子どもを育てなさい」

と、頼りにしている先輩教員から言われ、

(・・・と言っても、それも、最初やんわりと言われて、
「よく分からない」と言ったので、そう言われたのですが・・・)

世の中は悪意とか、だまそうとする人たちに満ちているよ。

気をつけないといけないよ・・・と教えていかないといけないのか、

自分を開いて、真っ直ぐな気持ちで生きようよ、とするのか、

ううーーん、前者が正しいのでしょうか?


最近、本当にそういうことが多いのですよね。

「君の気持ちは分からないでもないが、ちょっと私の気持ちもくんでほしい」

といわれて、「あなたの気持ちも理解できなくはない。でも、それでもやってほしい」

と言ったら、「やらないってことなんだよ! そんなことも分からないか!」と

怒られたり、

「君の頼み方の手順が悪い。そうやって頼まれたら、私はもう引き受けられない」

といわれて、「じゃあ、いいです。自分でなんとかします」と言ったら、

「そういうことじゃない。私が悪者みたいだけど、やらないわけじゃない」

と言われたり・・・。


あー世の中ってなんでこんなにもややこしいのだろう。

こんなに、上手に生きられない人間が、先生でいいのだろうか?

なんて、しょーもないことを考えてしまいますね。

でも、それも含めて、生き方を教える職業だと思うのです。





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