1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「無伴奏ソナタ the Musical」観ました。

なかまくらです。

「無伴奏ソナタ the Musical」観ました。



大阪WWホールでの観劇です。

結論から言いますと、ちょっと微妙な劇でした。

ところが、この劇なんですが、何度も再演されていて、Twitterでも、絶賛なんですね。

うーーん、何か、根本的な見落としがあるのかな・・・?


とりあえず、いつもの通り、あらすじです。


クリスチャン・ハロルドセンは、音楽の天才であった。

アメリカでは2才のときに、その才能によって、職業が決められ、

決められた職業で、人々は一生働いていく。

クリスチャン・ハロルドセンは、メイカー(作曲家)として、

世のあらゆる音楽と隔絶され、28年間を生きてきた。


ところが、歪んだ主義趣向を持つ一人のリスナー(評論家)によって、

クリスチャンは、バッハの「無伴奏ソナタ」の録音を聞いてしまう。


これによって、クリスチャンの音楽は変わってしまう。

それは、国の法律に違反する行為だった。

ウォッチャー(監察官)は、その罪を処罰しに来る。


クリスチャンは、メイカーの資格をはく奪され、別の職業(ドライバー)を与えられる。

そして、二度と音楽を作ることも、演奏することも許されない、と告げられる。


ドライバーとして働き始めたクリスは、やがてバー&グリルに通い始める。

それは、そこに、古びたピアノがあったからだ。

そのピアノを、クリスは、やがて我慢がならなくなって、弾いてしまう。

その並々ならぬ力量に、バー&グリルには上流階級のマダムたちが集まる。

彼女らは、ドリンクを頼むばかりで、いつまでも店に留まり、店の経営は追い詰められていく。


その果てに、店主のジョーは、アルコールにおぼれ、そして、

クリスが再び音楽を演奏していることを国家に通報してしまうのだった。


クリスは、その罰として、手の指をすべて切り落とされてしまう。

そして、今度は、クリスはクリスチャン・ハロルドセンのイニシャルを取って、

シュガ―と呼ばれる果樹農園の労働者となった。


シュガーは、そこで出会った同僚と静かに暮らしていたが、

あるとき、ギレルモという男が同僚に加わる。彼は、休憩時間のたびに歌い、

同僚たちも歌った。そして、やがて、シュガーも歌うようになった。


シュガーが作った歌は、国に広く伝わっていき、ウォッチャーの耳にも入ってしまう。

ウォッチャーは言う。シュガーの音楽は悲しく、人々に絶望をもたらす音楽だと。


そんな音楽を作り続けずにはいられなかったシュガーは、

最後に声すらも奪われてしまうのだった。


そんなシュガーに、最後に与えられた職業は、ウォッチャーだった。

ウォッチャーは、皆、元はメイカーだったのだ。


最も大切なものを奪われる悲しみを最も知るものだけが、それを奪っていくことを

許されるのだろうか・・・。

ウォッチャーとなったシュガーは、38年、ウォッチャーを勤め上げ、

そして、街に出る。すると、そこには、かつて、果樹農園で作曲した

「シュガーの歌」を知らない誰かが口ずさんでいる姿があった。


それを誰が作ったのかは知らない。けれども、その曲は生き残り、

そして、多くの人が、拍手喝さいを送るのだった。


というお話でした。


どこから書けばよいのか、ということなのですが、

とりあえず、ラストシーンは良く分からない感動があったんですよ。

歌で盛り上がっていたし、これまでにクリスチャンが出会ってきたみんなが、

クリスチャンに拍手を送りに集まってくるわけです。

なんか、勢いで感動させられたと言いますか、そんな感じ。


でも、ちょっと待って! ツッコミどころだらけなんですけど!?

というところで、もやもやが多すぎたんですよ、このお芝居。


まず、メキシコから来たと言いますが、アメリカの中の法律だったのか、国際的な法律だったのか良く分からない制度でした。でも、序盤で世界中のリスナーが集まってきた、と言っていたような?

ウォッチャーは、なぜそこまでして、法律を頑なに守ったのか? にもっと説得力が欲しかったです。「人々を絶望させる音楽を奏でるから」と、最後に理由のようなことを言いますが、それを最初にクリスチャン・ハロルドセンに言っていればよかったのでは? 駄目だから駄目です、みたいな理由だから何度も繰り返してしまうのでは? と思ってしまいますし、ウォッチャーも元メイカーなら、なおさらではないかと。

それから、ウォッチャーの言うことをなんでみんなそんなに従順に聞いてしまうのか・・・? 明らかにおかしいことが、目の前で行われているというのに、幸福な人々は、幸福を人質にされていて、そんなにも行動を起こせないものなのか? メタ的なことを言いますと、2部で、畑中さんが、あるいは最初にクリスチャン・ハロルドセンの友人であったポールが、班長として、労働者をまとめる働きをする人物として出てくるので、レ・ミゼラブルみたいに、ここから革命が始まったりするのかな? と思ったら、ただただ、何をすることもなく、シュガーは、声帯を焼かれて終わってしまいました。もうね、どう見てもバッドエンドなんですよ、これは。なんだか、救われた風に終わっていますが、クリスチャン・ハロルドセンの人生は戻ってこないですし、曲が生き残ったとしても、何せ、シュガー本人が、「なぜそんなに悲しい曲を演奏するのか・・・?」と見知らぬ市民に問いかける場面などは、完全にウォッチャーの思想に洗脳されてしまっているように感じられて、果たして、「シュガーの歌」を聞いたときに、生き残ってくれた、と思うかどうかさえ、疑問に思う展開なのでした。

この「無伴奏ソナタ」の原作ですが、1980年ごろに書かれたもののようです。戦争も終わり、革命のような終わり方をしても、表現として許される時代になっていたと思います。ちなみに、先ほど挙げた「レ・ミゼラブル」もおおよそ近しい年代の作品のようです。


もう少し、そのあたりが描かれていれば印象も変わってきたのかもしれませんが、

うまく、登場人物に感情移入できずに終わった作品になってしまいました。


この規則や社会の理不尽さというのは、もしかすると、

いま平和な時代に生きている私たちには、理解できないものなのかもしれませんね。

戦争の時代には、そういうものが当たり前にあったのかも。

なんてことを思いました。



おわり。





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『ガリレオ~ENDLESS TURN~』 観ました。

なかまくらです。

『ガリレオ~ENDLESS TURN~』観ました。



あらすじ。

ガリレオガリレイは、天体を研究していた。

その研究は教会に疎まれるものであり、婚約者をふいにしてまでも、

続けてしまうものであった。

しかし、その天文に惹かれた門下生とともに、ガリレオは研究をつづけた。

ヴェネチアからフィレンツェの大学に移動したことで、ガリレオの運命は変わる。

地動説を提唱するガリレオとそれに扇動される民衆。それは教会の耳に当然入ることになる。

裁判にかけられたガリレオは、軟禁状態になる。死刑を免れたのだ。

それは、ガリレオが、地動説を撤回したからだ。

それは、ガリレオの弟子たちにとっては、英雄の失墜だった。


しかし、ガリレオは、両目を失明したのちに、自身の研究についてまとめた本を

もと弟子に、託す。それは自身の人生を犠牲にして、地動説という科学を守る行為だったのだ。


というお話でした。

演出は、多田淳之介。原作は、ベルトルトブレヒト。第二次世界大戦の頃のドイツの劇作家です。

ブレヒトは、第二次世界大戦を経て、ガリレオの脚本のラストシーンを何度も書き換えたそうです。

自身を犠牲にして、科学を守るという選択は、原子爆弾という大量破壊兵器を生み出した人類を見て、ブレヒトがガリレオの最後の決断を変えたのかもしれませんね。


作中のガリレイは、決して、尊敬できる偉人といった人物ではなく、

ズルく、意地汚い、自分のことしか考えてないような男でした。

実際のガリレイには、兄妹の世話や妻のことなど、大変なこともあったようです。

傍若無人なふるまいをするガリレイでしたが、もし、ガリレイが、

自由な学問の都であったヴェネチアを離れることなく、研究を続けていたら・・・。

もし、学説を撤回することなく処刑されていたら・・・。

そういったひとつずつの判断が、今に向かって延びているこの事実を作り上げていったのだと感じました。

その中で、彼を信じる弟子たち、献身的にん支える娘など、多くのおもりを引き摺るように、ガリレイは判断を求められるようになっていくのです。その判断は息を呑むようなものに感じられ、終局へ向かって、彼が何を考えているのか、より多くを受け取りたいと思い、引き込まれました。

面白いお芝居でした。おわり。





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「うなぎの回遊」観ました。

なかまくらです。

SPACの「うなぎの回遊 Eel Migration」を観てきました。


あらすじ

ブラジルで生まれて、日本で暮らすブラジル人たち。

劇場に役をもらってやってきたはずだった女性は、たまごを見つけた。

それを見つける人々。

ブラジル人の女性は、子供を産むか迷っていた。

幼いころから、父はいなかった。覚えているのは、故郷のキャロットケーキの味。


うなぎを研究する博士は、うなぎの養殖をしていた養鰻家と出会う。

ニホンウナギは、マリアナ海溝(日本の南、フィリピンの辺り)へと行き、産卵をするのだという。

ウナギは旅をしながら、身体を変化させていく。その体内はほとんどが卵になっていく。餌も食べない。それは、産卵したら、あとは死ぬだけだからだ。

劇場で見つけた卵は何の卵なのか。誰かの子供になるのか、それとも、誰かになるのか・・・。

ブラジル人の女性は子供を産むか、迷っていた。

ブラジルに戻って子供を産むことも考えていた。

ブラジル人のラジオDJの配信に、キャロットケーキを作るブラジルの女性・マリアがいた。

キャロットケーキを作ったマリアは、出産を決めたブラジル人の女性と出会う。

出掛けようとしていたブラジル人の女性は、自身のルーツを思い出していた。

出掛けるのはやめて、キャロットケーキをみんなで食べるのだ。

劇場に来ていた、役者の日本人も、ウナギ博士も、みんなで。。


というお話でした。

物語の筋書きがはっきりしているほうのお芝居ではなかったですが、

いろいろなメッセージが強く語られるお話でした。

ちょっと直接的すぎるところもあって、もう少し余白が多いほうが良かったかなと

思いましたが、全体としては、好きな作風でした。

ラストシーンは、ブラジル人の女性がウナギが産卵するように、死へ向かうという結末を回避したと解釈すればいいのかなと思います。

作演出は石神夏希さん。


卵を模した風船をまとめたもの(4mくらい)を使った演出が印象的でした。

卵は舞台のあちこちへ運ばれて、もごもごと動いたりしていました。

また、加速度センサだと思うのですが、キャッチボールをすると、風船が強く弱く明滅する様子も非常に幻想的でした。

いろいろと工夫されていたと思います。

台詞が日本語で話されたり、ポルトガル語で話されたりするのですが、

それは大きなスクリーンに映されていました。

「人間は間違えるけれど、ウナギは間違えない。」

言葉と、文字による訳が異なる場所が一つありました。

人間は間違える・・・、それが、良いことかどうかは、物語の中では

肯定も否定もされていなかったように思いました。


感想おわり。





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INAGO-DX『埋まれ、故郷』観ました。

なかまくらです。

INAGO-DX始動20周年記念公演『埋まれ、故郷』を配信にて観劇しました。


あらすじ

土木課の公務員の男は、実家の神社を継がず、宮司とならなかったことで、

両親とはぎくしゃくしていた。妻のお腹の中には、赤ちゃんがいたけれど、

妻は、病気になってしまい、赤ちゃんを諦めないと治療ができない。

立てるはずだった新居は、地盤再調査で、立てられなくなる。


幼馴染の女性も神社の娘で、宮司を務める男性と結婚した。

子供は授からなかった。男性は失踪して、1年後にふいに帰ってきた。


老人ホームを抜け出すお婆さんは、おじいさんを待っている。


公務員の男は、神社によく祈りに来ていた。


ジャッキアップ。関西の空港では、地盤沈下に応じて、常に地面を持ち上げ続けている。

気持ちが沈んだ時にも、気持ちを持ち上げるのだ。


携帯電話に、頻繁に地面の陥没の連絡が入る。

携帯電話に、頻繁に何か良く分からない警報発令の連絡が入る。


最近、この付近では、地面が陥没しているらしい。

神社に縛り付けられた幼馴染の女性と、

神社から飛び出して両親にも妻にも気を振りまく公務員の男。

宮司の男性は、陥没した道を見て、1年間失踪したのだ。


そんなある日、宮司の男性の妻は陥没に巻き込まれる。公務員の男の妻も、分からない。


いなくなったら、ほっとしてしまうのかもしれないのに、心配に思ってしまう、

面倒くさいものなのだ、という話。



というお芝居でした。

ううーーーん、という作品でした。

劇は重層的に作られていて、よく編み込まれているのですが、その割に、

言っていることはちゃんと分かるし、言いたいことも、やりたいことも、

分かるのですが、全然共感できなかった、というのが正直なところでした。

そして、役者さんも、めっちゃ上手で、それゆえに、すごく苦しさが伝わってくる。


たぶん、作者さんは、なんだかんだいって、そういうしがらみだらけの世の中が

それでも好きで、故郷をテーマに描いたんじゃないかなと思ったのですが、

どちらかというと、私はそういうのは面倒くさくて、嫌いで、

あまり関わりたくない若者側の人間なせいで、

ぜんぜん共感できなかったというところに、この感想の理由がある気がします。


言葉遊びとか、ジャッキアップで心を持ち上げる! みたいな演出や発想は、

すごく面白かったのですが、とにかく、見ていて辛いお芝居でした。


繰り返し鳴り響く緊急警報の音や、交通整理の人が鳴らす笛の音も甲高くて、

どんどん息苦しくなるのでした。

野田秀樹さんの『THE BEE』というお芝居を観たときと似ているのかもしれません。


演劇でこんなに苦しくなるとは・・・と、あの時は感心したものです。

そう、これは感心なのかもしれないな、と思う作品でした。


あるいは、いつか未来にやってくるかもしれないしがらみに対する恐怖心のような

ものなのかもしれない、という感想でした。


昔、大学生のときに、広島で見た劇王に参加されていたINAGO-DXさんの作品は、

こんな面白い劇団が広島にあるんだ!!!

と思ったものですが、それぞれ、年齢を重ねて、変わること、変わらないことが

それぞれあって、それゆえに、あの時みたいには、面白く見れなかったのかな、

と思うと少し、寂しい思いになりました。


なお、この脚本は、

一般社団法人日本演出者協会主催「若手演出家コンクール2024」最優秀賞 を受賞

しているそうです。確かに、よくできているんですよ。良くできているんですけど・・・

世の中で面白いと言われるものって、難しいところにあるんだな、

と思ったのでした。おわり。





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SPAC「ハムレット」観ました。

なかまくらです。

静岡県民劇団SPACの「ハムレット」を見ました。


あらすじ。

ハムレットは、父が叔父のクローディアスによって殺されたことを知る。

ハムレットはクローディアスを殺すことを決意する。

これまで人柄も良い人物であったが、ハムレットは豹変する。

恋人であったオフィーリアとも距離をとる。

ハムレットは母に父の死の真相を伝えるが、その際、見えた影をクローディアスと勘違いして

刺してしまう。これが、オフィーリアの父であるポローニアスで、誤って殺してしまう。

クローディアスによってハムレットは、イングランドへ送られることになる。

この船の中で、ハムレットは叔父がイングランド王にハムレットを殺すように依頼している

ことに気付く。海賊に襲われた際に、機転を利かせて、脱出したハムレットは、

デンマークへ戻ってくる。

しかしその間に、元恋人であったオフィーリアは自殺し、兄レイアティーズは、

ハムレットとの決闘を申し込む。王クローディアスは毒酒を用意し、

決闘で疲労したハムレットに飲ませようと狙っていた。

また、王はレイアティーズの剣にも毒を塗っていた。

毒酒を母が飲み、レイアティーズの剣は戦いの最中でハムレットのものと入れ替わっていた。

レイアティーズは死に、母も死んだ。ハムレットはクローディアスを毒の剣で殺し、

そして、ハムレットも決闘の途中で受けた傷から毒が回って死んだのだった。

オフィーリアは、それを見ていた。

オフィーリアは、舞台を包むビニールの向こうから見ていたのだ。

ラストシーンで、すべての人が死んでしまったとき、ビニールが客席を覆って通り過ぎていく。

それを立ち上がったハムレットは見送るのだった。


少し前に、細田守の「果てしなきスカーレット」を観に行ったのですが、

これも「ハムレット」を原案にしていました。


この演劇「ハムレット」もかなり、解釈が入っていて、オフィーリアが11人登場し、

このオフィーリアたちが、それぞれの登場人物を演じる形で進んでいきました。

こちらの「ハムレット」は、物語のあらすじをオフィーリアの視点で解釈したものでした。

オフィーリアの亡霊たちが、精霊のように漂う不思議空間の中で物語が語られていく、

という形式でした。

SPACのハムレットは復讐はかなり淡泊に扱われていました。

代わりにオフィーリアが大きく扱われていて、

だからハムレットが復讐に至った心情などはうまくとらえられなくて、

代わりに死んでしまったオフィーリアや、オフィーリアを気にかけない男たちと、

死んでしまったら、みんな一緒なのに、、、

みたいなところに焦点が当てられていたように思いました。

また、ハムレットが言葉と理性で行動するのに対して、

オフィーリアは人ならざる者としてダンスをし、非言語的な存在として立ち現れます。

そのビニールが観客をラストシーンで覆い、なんとなく観客は無口になりました。

死に覆われる仕掛けは観客を巻き込む恐ろしい仕掛けでした。


思索に富んだ作品であった一方で、

「ハムレット」という題材である必要があったのだろうか、

という疑問が残るお芝居でもありました。

演出は上田久美子さんという方で、ちょっと合わなかったかな~という感じでした。





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