1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

からくり時計博物館へ行ってきました。

なかまくらです。

少し前ですが、

シルバーウィークに、伊豆高原のからくり時計博物館へ行ってきました。



11月に演劇部で上演する予定のお芝居の題材が時計職人なので、

イメージを膨らめようと思い、行ってきました。



1900年ごろからの世界のいろいろなところの時計が展示されていました。

振り子時計に置き時計・・・。

振り子がカチカチとそれぞれが音を立てて時を刻んでいる様子は、

なかなかいい物でした。

松ぼっくり型のおもりで、振り子の振れを調節して、

定時になると、趣向を凝らしたギミックが動く・・・。

先人たちが、時計にいかにこだわっていたかを見せてくれました。


ついでに、近くのオートマタ博物館も行ってきました。

こちらも繊細なギミックで、レバーを回す単純な動きで

人間らしい複雑な所作を再現するために、手足や表情、瞼の開き具合まで、

歯車の数回転ごとに、針金で少しずつ動かしていく。

そんな職人技を見ました。

もともとは、1900年ごろに、機械時計職人が自分たちの技術を

世に知らしめるために始めた機械人形制作だったそうです。

やがて、電動オートマタとなり、大型化が進み、今のようなものに

なったそうです。

楽しめました。


ついでに、伊東で温泉も入ってきました。ゆっくりできました。





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「寿町のシューベルト」観てきました。

なかまくらです。

カンムリプロデュースVol.16「寿町のシューベルト」

観てきました。

浜松市の鴨江アートセンターの2階の普通の会議室みたいなところにて上演でした。

段ボールで作られた壁の前で、お芝居が繰り広げられました。


あらすじ。

修一は、三河工務店の社長。52才。

5年前に癌になって、余命半年を宣告される。それから手術を3回。

何とか生き残って、楽しく生きてきた。

ある日、修一は、行きつけのスナックで、なんと26歳の看護師の女性(おとはさん)に一目ぼれしてしまう。

残された人生もどれくらいあるか分からないなら、

やりたいことは全部やっておきたい。

修一はプロポーズを決意する。

修一には、良い雰囲気になっていた少し年下の女性がいたが、

会社の仲間が先にプロポーズをして結婚していた。

そして、高齢ながら、子供ができるという。

修一は、それを心から祝福する。その女性、エミは、修一の腹違いの妹だったのだ。

エミは、修一がそれを知っていることをまだ知らない。

修一は、公園で会社の仲間とバンドを結成して、歌うようになる。

おとはさんは、一度は断った修一からのプロポーズだったが、

駄目なインディーズのバンドマンにフラれ続けてきたことも相まって、

価値がある人間だと断言してくれた修一に少しずつ惹かれていく。

そこで、修一に癌が再発していることが発覚する。

母親は、修一に、親より先に逝くな、と願いを伝える。


修一は、エミのスナックでライブコンサートを開き、それを景気づけに、

望みの薄い、4度目の手術に向かうのだった。

けれども、彼らは輝いていた。


という感じのお話でした。


ハートフルコメディと言う感じで、長く役者をやられている方々だけあって、

会話がとにかく軽妙で自然で、あっという間に登場人物たちに惹かれていきました。

人のいい感じの修一は、おじさんだけど、すごく魅力あるキャラクターで、

その社長の修一を大切に思っている周りの人々もすごく素敵でした。

悪い人が出てくることなく、笑えて、感動できる、人間賛歌のあったかいお芝居でした。


修一とお母さんのシーンや、おとはさんとお別れしようと修一が呼ぶシーンなどは、

役者さんの熱演も相まって、こちらもうるっと来ました。


普段は東京で活動している方々のようで、全国へ公演に回っているそうで、今回はそれが浜松だったみたいです。偶然知って、観に行けてよかったです。

おわり。





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演出の記録

なかまくらです。

最近、演劇の演出をする機会に恵まれまして。


エラそうに、演技をこんな感じに、とかいいますが、

そういえば、何本演出したんだっけ??

と思ってみると・・・、


① ワンダーエッグ

② 吟遊詩人に会えるまで。

③ ふきだしパズル

④ レンズ
ーーーーーーーーーーーー
⑤ (助演)退職!ブラック企業!
⑥ (助演)LOVEの方で!
⑦ (助演)気にしすぎ戦線
⑧ (助演)世の狭間で

こうして数えてみると、たった、8本目。

それでも、それぞれのお芝居は、丁寧に丁寧にみんなで作ってきましたし、

その経験が、いまの私を支えているんだなあと思うと、

なんだか温かいような気がします。


出来ることは勉強をしたいし、

なるべく、演劇をやってよかったな、このお芝居に参加してよかったな、

と思ってもらえる演出でありたいですね。


不断の努力・・・。引き続き頑張ります。





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「無伴奏ソナタ the Musical」観ました。

なかまくらです。

「無伴奏ソナタ the Musical」観ました。



大阪WWホールでの観劇です。

結論から言いますと、ちょっと微妙な劇でした。

ところが、この劇なんですが、何度も再演されていて、Twitterでも、絶賛なんですね。

うーーん、何か、根本的な見落としがあるのかな・・・?


とりあえず、いつもの通り、あらすじです。


クリスチャン・ハロルドセンは、音楽の天才であった。

アメリカでは2才のときに、その才能によって、職業が決められ、

決められた職業で、人々は一生働いていく。

クリスチャン・ハロルドセンは、メイカー(作曲家)として、

世のあらゆる音楽と隔絶され、28年間を生きてきた。


ところが、歪んだ主義趣向を持つ一人のリスナー(評論家)によって、

クリスチャンは、バッハの「無伴奏ソナタ」の録音を聞いてしまう。


これによって、クリスチャンの音楽は変わってしまう。

それは、国の法律に違反する行為だった。

ウォッチャー(監察官)は、その罪を処罰しに来る。


クリスチャンは、メイカーの資格をはく奪され、別の職業(ドライバー)を与えられる。

そして、二度と音楽を作ることも、演奏することも許されない、と告げられる。


ドライバーとして働き始めたクリスは、やがてバー&グリルに通い始める。

それは、そこに、古びたピアノがあったからだ。

そのピアノを、クリスは、やがて我慢がならなくなって、弾いてしまう。

その並々ならぬ力量に、バー&グリルには上流階級のマダムたちが集まる。

彼女らは、ドリンクを頼むばかりで、いつまでも店に留まり、店の経営は追い詰められていく。


その果てに、店主のジョーは、アルコールにおぼれ、そして、

クリスが再び音楽を演奏していることを国家に通報してしまうのだった。


クリスは、その罰として、手の指をすべて切り落とされてしまう。

そして、今度は、クリスはクリスチャン・ハロルドセンのイニシャルを取って、

シュガ―と呼ばれる果樹農園の労働者となった。


シュガーは、そこで出会った同僚と静かに暮らしていたが、

あるとき、ギレルモという男が同僚に加わる。彼は、休憩時間のたびに歌い、

同僚たちも歌った。そして、やがて、シュガーも歌うようになった。


シュガーが作った歌は、国に広く伝わっていき、ウォッチャーの耳にも入ってしまう。

ウォッチャーは言う。シュガーの音楽は悲しく、人々に絶望をもたらす音楽だと。


そんな音楽を作り続けずにはいられなかったシュガーは、

最後に声すらも奪われてしまうのだった。


そんなシュガーに、最後に与えられた職業は、ウォッチャーだった。

ウォッチャーは、皆、元はメイカーだったのだ。


最も大切なものを奪われる悲しみを最も知るものだけが、それを奪っていくことを

許されるのだろうか・・・。

ウォッチャーとなったシュガーは、38年、ウォッチャーを勤め上げ、

そして、街に出る。すると、そこには、かつて、果樹農園で作曲した

「シュガーの歌」を知らない誰かが口ずさんでいる姿があった。


それを誰が作ったのかは知らない。けれども、その曲は生き残り、

そして、多くの人が、拍手喝さいを送るのだった。


というお話でした。


どこから書けばよいのか、ということなのですが、

とりあえず、ラストシーンは良く分からない感動があったんですよ。

歌で盛り上がっていたし、これまでにクリスチャンが出会ってきたみんなが、

クリスチャンに拍手を送りに集まってくるわけです。

なんか、勢いで感動させられたと言いますか、そんな感じ。


でも、ちょっと待って! ツッコミどころだらけなんですけど!?

というところで、もやもやが多すぎたんですよ、このお芝居。


まず、メキシコから来たと言いますが、アメリカの中の法律だったのか、国際的な法律だったのか良く分からない制度でした。でも、序盤で世界中のリスナーが集まってきた、と言っていたような?

ウォッチャーは、なぜそこまでして、法律を頑なに守ったのか? にもっと説得力が欲しかったです。「人々を絶望させる音楽を奏でるから」と、最後に理由のようなことを言いますが、それを最初にクリスチャン・ハロルドセンに言っていればよかったのでは? 駄目だから駄目です、みたいな理由だから何度も繰り返してしまうのでは? と思ってしまいますし、ウォッチャーも元メイカーなら、なおさらではないかと。

それから、ウォッチャーの言うことをなんでみんなそんなに従順に聞いてしまうのか・・・? 明らかにおかしいことが、目の前で行われているというのに、幸福な人々は、幸福を人質にされていて、そんなにも行動を起こせないものなのか? メタ的なことを言いますと、2部で、畑中さんが、あるいは最初にクリスチャン・ハロルドセンの友人であったポールが、班長として、労働者をまとめる働きをする人物として出てくるので、レ・ミゼラブルみたいに、ここから革命が始まったりするのかな? と思ったら、ただただ、何をすることもなく、シュガーは、声帯を焼かれて終わってしまいました。もうね、どう見てもバッドエンドなんですよ、これは。なんだか、救われた風に終わっていますが、クリスチャン・ハロルドセンの人生は戻ってこないですし、曲が生き残ったとしても、何せ、シュガー本人が、「なぜそんなに悲しい曲を演奏するのか・・・?」と見知らぬ市民に問いかける場面などは、完全にウォッチャーの思想に洗脳されてしまっているように感じられて、果たして、「シュガーの歌」を聞いたときに、生き残ってくれた、と思うかどうかさえ、疑問に思う展開なのでした。

この「無伴奏ソナタ」の原作ですが、1980年ごろに書かれたもののようです。戦争も終わり、革命のような終わり方をしても、表現として許される時代になっていたと思います。ちなみに、先ほど挙げた「レ・ミゼラブル」もおおよそ近しい年代の作品のようです。


もう少し、そのあたりが描かれていれば印象も変わってきたのかもしれませんが、

うまく、登場人物に感情移入できずに終わった作品になってしまいました。


この規則や社会の理不尽さというのは、もしかすると、

いま平和な時代に生きている私たちには、理解できないものなのかもしれませんね。

戦争の時代には、そういうものが当たり前にあったのかも。

なんてことを思いました。



おわり。





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『ガリレオ~ENDLESS TURN~』 観ました。

なかまくらです。

『ガリレオ~ENDLESS TURN~』観ました。



あらすじ。

ガリレオガリレイは、天体を研究していた。

その研究は教会に疎まれるものであり、婚約者をふいにしてまでも、

続けてしまうものであった。

しかし、その天文に惹かれた門下生とともに、ガリレオは研究をつづけた。

ヴェネチアからフィレンツェの大学に移動したことで、ガリレオの運命は変わる。

地動説を提唱するガリレオとそれに扇動される民衆。それは教会の耳に当然入ることになる。

裁判にかけられたガリレオは、軟禁状態になる。死刑を免れたのだ。

それは、ガリレオが、地動説を撤回したからだ。

それは、ガリレオの弟子たちにとっては、英雄の失墜だった。


しかし、ガリレオは、両目を失明したのちに、自身の研究についてまとめた本を

もと弟子に、託す。それは自身の人生を犠牲にして、地動説という科学を守る行為だったのだ。


というお話でした。

演出は、多田淳之介。原作は、ベルトルトブレヒト。第二次世界大戦の頃のドイツの劇作家です。

ブレヒトは、第二次世界大戦を経て、ガリレオの脚本のラストシーンを何度も書き換えたそうです。

自身を犠牲にして、科学を守るという選択は、原子爆弾という大量破壊兵器を生み出した人類を見て、ブレヒトがガリレオの最後の決断を変えたのかもしれませんね。


作中のガリレイは、決して、尊敬できる偉人といった人物ではなく、

ズルく、意地汚い、自分のことしか考えてないような男でした。

実際のガリレイには、兄妹の世話や妻のことなど、大変なこともあったようです。

傍若無人なふるまいをするガリレイでしたが、もし、ガリレイが、

自由な学問の都であったヴェネチアを離れることなく、研究を続けていたら・・・。

もし、学説を撤回することなく処刑されていたら・・・。

そういったひとつずつの判断が、今に向かって延びているこの事実を作り上げていったのだと感じました。

その中で、彼を信じる弟子たち、献身的にん支える娘など、多くのおもりを引き摺るように、ガリレイは判断を求められるようになっていくのです。その判断は息を呑むようなものに感じられ、終局へ向かって、彼が何を考えているのか、より多くを受け取りたいと思い、引き込まれました。

面白いお芝居でした。おわり。





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