忍者ブログ
なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」観ました。

なかまくらです。

「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」観ました。



2002年に放映されたTVシリーズの劇場版です。

なにせ、放映後に劇場版あるよ! ・・・と告知はあったのですが、

それから何の音沙汰もなかったので、これはポシャッタナ・・・と思いきや、

こんなに時間が経ってから実現するとは・・・! という驚きとともに、

もちろん観てきました。


あらすじ。

TVシリーズでは、遺伝子操作されて優れた能力を持つコーディネーターと

自然分娩によって生まれるナチュラルの対立を止めるべく、

デュランダル議長から、「ディスティニー計画」が提唱された。

これは、遺伝子によって、それぞれの個人の素養が判断され、適切な職業に就くことになる、

という理念により、争いをなくすという計画だった。

しかし、それにより、人々の自由や未来は失われると考えたオーブやキラたちは、

このデュランダル議長の支配を退けたのだった。

その後、平和維持を目的としたコンパスという組織をオーブやユーラシアが出資して、

平和維持活動にあたっていたが、世界から紛争はなくなることはなかった。

キラは自分がやったことが本当に正しかったのか、苦悩する日々を送っていた。


そこに、ファウンデーション王国から、紛争を引き起こす首謀者の情報を提供する

との申し出があった。ところが、ファウンデーションでは、コーディネーターを超える

コーディネーターであるアコードを生み出しており、アコードによって、

人々を導き、デスティニー計画を復活させようとする野望があった。

策謀にはまり、愛するラクスとMSを失ったキラとコンパスのメンバーたち。

アスランの助けもあり、キラは再び立ち上がり、

ファウンデーションの野望を食い止めるために、

そして、愛するラクスを取り戻すために、戦うのだった。


というようなお話でした。

闘いが終わっても、紛争に終わりが見えない原因が、

人種差別にあり、ずっと制圧し続ける構図は、まさしく現実という感じで、

この問題にどう向き合ったらよいのか、というのは難しいテーマだと、

昔よりも強く感じるようになりました。

ディスティニー計画を否定した主人公たちは、

互いを愛し合い、それゆえに必要とします。

必要だから愛するのではなく、愛しているから必要なのだ、

というのは、この映画の主題なのだと思います。

能力的に優れた人間だったとしても、

それが、絆や愛を優位に進めるものになり得るとは限らない。

もっと複雑なものなんだよなぁと思わせてくれました。

フリーダムガンダムやジャスティスガンダムが撃破され、

その後に、旧型機でリベンジする展開、熱いですね。

そして、圧倒的な力を持つ新型機の登場も爽快感があります。

しかし、敵もさることながら、それに対応してきて、パイロットの技術を堪能しました。

ただ、00ガンダムのときにも思ったのですが、戦闘が早すぎて、

ちょっと何やってるか理解が追い付かないときがあって、

勿体なくも思うのでした。

あとは、厚みがありすぎて、感想を書いても、

うまく全体の面白さを表現できていないのが、この作品の良さを表していると思います笑

ともかく、面白かったです。

おわり。





拍手[0回]

PR

「仮面ライダーファイズ パラダイス・リゲインド」観ました。

なかまくらです。

少し前ですが、久しぶりの休日に3本、映画を観てきました。

順に感想でも。

まずは、「仮面ライダーファイズ パラダイス・リゲインド」観ました。

TVシリーズ放映20周年を記念して作られた作品でした。

あらすじ。

乾巧が崩壊しそうな身体を最後に、姿を消してしばらく時間が経った。

洗濯屋を続けていた真里と何故か生き延びていた草加は、

死後に怪物として人間が生まれ変わった姿であるオルフェノクの保護活動をしていた。

オルフェノクである海堂のラーメン店で働くオルフェノクたち。

政府に駆除対象とされるオルフェノクを守ろうとするのだが、

そこに、スマートブレインの社長の北崎望と新型の仮面ライダー ミューズが登場する。

まさに仲間のオルフェノクが殺されようとするとき、乾巧が、

スマートブレインのライダーとして登場する。


動揺する真里や海堂、草加たち。

人類とオルフェノクの共生という理想を抱き、戦ってきた乾巧はどこへいってしまったのか。

乾は死の際に立ち、もうどうでもよくなってしまったのだと告白する。


しかし、ミューズの策謀によって、最愛の真里までがオルフェノクとなってしまったとき、

乾巧はもう一度、ファイズとして立ちあがり戦うことを決意する。


そこに立ちふさがるのは、

北崎と草加(ふたりはなんと政府が派遣したアンドロイドだったのだ!)

旧式のファイズギアで2人からの猛攻を退け、一同はひと時の平穏を取り戻すのだった。



というお話でした。脚本は井上敏樹さん。

特撮界の巨匠が手掛けた安定感のある構成でした。

こういうのでいいんだよ、こういうので。

というのを、見せてもらえた満足感がありました。

それにしても、ファイズという作品は、私としては何とも言えない作品なのです。

TVシリーズで、人類との共存を望んでいた木場がオルフェノクとして生きることを

決意したりとか、乾巧が実はオルフェノクであったことが発覚したりとか、

衝撃的な出来事が多く、大どんでん返しのストーリーの読めなさや、

オルフェノク側のあり様が描かれていることが印象的な作品でしたが、

その一方で、乾巧という主人公の人間の信念というものがほとんど描かれていない

作品だなぁと思っておりました。

TVシリーズの最後に、啓太郎が、「世界中の洗濯ものを真っ白にしたい」

というようなことを言ったときに、乾も同じようなことを言って終わるのが、

特に印象的で、乾巧は、信念で動いているヒーローという感じじゃないなぁと。

真里を大切に思うという気持ちで行動する、個人に対する愛を持ったヒーローなんだな、と。

そう思っていた私が、この映画を見て、それはやはりそうで、

乾巧は敵側で登場してみたり、真里が危険になると、立場をコロッと変えたりする、

そういう人間的というか、弱い人間なんだな、と

そうやって描かれているんだろうな、と認識して、なんだかすごく納得しました。

そういう主人公だっていてもいいのかもしれないな、と答え合わせのような、

そういう作品でした。


おわり。





拍手[0回]

「劇場版 SPY×FAMILY CODE:White」観ました。

なかまくらです。

「劇場版 SPY×FAMILY CODE:White」観ました。



TVアニメシリーズで一躍有名になったSPY×FAMILYの劇場版です。


あらすじ。

父:ロイド・フォージャーは国家の紛争を止めるための工作活動をするスパイ。

偽装結婚の母:ヨルは殺し屋。

養子である娘:アーニャは人の心が読める超能力者。

そして、飼い犬:ボンドは、未来が見える力を持っていた。

そんなお互いの正体を知らない家族は、ロイド・フォージャーの任務、

オペレーション<梟(ストリクス)>のために、集められた。

この任務は、戦争の引き金になりかねない大物政治家デズモンドに接近するための作戦。

ところが、デズモンドは、非常に慎重な人物で、めったに表舞台に現れない。

しかし、デズモンドの子どもが通う学校の選ばれた子どもたちだけが参加できる

懇親会があり、この懇親会にデズモンドも参加しているのだという。

この懇親会に参加できる優秀な子(アーニャ)を用意し、潜入するのが

ロイド・フォージャーの目的なのだ。ところが、だんだんと家族ごっこが、

どこか本当の家族のようになっていき・・・。というような漫画です。

さて。

今回の映画では、学校で、調理実習があり、校長先生が審査員を務めるという。

この実習で、校長先生に認められるお菓子を作った生徒には星(ステラ)が与えられる

という。この星を集めることが懇親会参加への鍵となることから、

校長先生の好きなお菓子を調査するために、実際に食べに行くことに。

家族旅行を純粋に楽しむアーニャ。

ところが、そこには、戦争につながる恐ろしいチョコレート(?)が隠されていた。

それを食べてしまうアーニャ。

目的地のレストランに到着し、目的のお菓子メレメレを食べようとするが、

直前に軍の人間に接収されてしまう。

この軍は、なんと、機密事項の書かれたマイクロフィルムをネタに、

戦争を始めようとしていたのだが、そのマイクロフィルムをアーニャは

食べてしまっていたのだ。

メレメレをシェフにもう一度作ってもらうために、材料集めに奔走するロイド。

そして、その間に誘拐されるアーニャ。

飛行船に乗り込み、アーニャを救い出すロイドとヨル。

そして、戦争は未然に防がれたのだった。


というお話でした。

深いことを考えずに、見られる単純明快なお話でした。

ギャグもアクションも充分に楽しめる上質なエンターテイメントでした。

面白いだろうという期待に応える物語をきちんと生み出すのは、

簡単なことではないですね。それをちゃんとやってくれるというのは、

当たり前ではなく、素敵なことだなあと思いました。

おわり。





拍手[0回]

「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」 観ました。

なかまくらです。

「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」 観ました。



シビュラシステムというAIが人間が犯罪を犯すかどうかを判定することで、

犯罪発生率を抑えて、日本だけが平和に暮らしている未来の地球の物語。

このシビュラシステムに気に入られている刑事・常守朱(つねもりあかね)は、

犯罪係数の高い捜査官を監督する監察官という立場。

シビュラシステムはこのシステムを海外にも導入し、自分の権限の範疇を広げて、

自身を成長させようとしている。今回の映画では、ストロンスカヤ文書という理論が

登場する。この理論によれば、紛争係数(紛争が起こりそうかどうかを識別する)

を測定することができるという。これを手に入れようとする2つの勢力が争う。

また、同時に、法務省が解体され、治安維持はシビュラシステムに任せればよい、

という議論が活発に行われていた。

常森朱は、AIと人間の共生こそが大切であると信じ、その想いを全うするために、

動く。TVシリーズの第3シーズンでは、常森朱は、公安局をやめていた。

その結末へ至った理由とは・・・というようなお話でした。


これまでずっと活躍していた大切な人がどんどん死んでいってしまう印象でした。

人間がAIにすべてを任せてしまえば、すごく楽なのかもしれませんが、

同時に人間は狡猾な生き物で、必ずシステムの抜け道を探す。

それに最初に気づくのは人間で、対処するのも人間。

そのあとに修正することはAIにもできるけれども、

そもそも、この作品に登場するシビュラシステムというAIは、

人間的な葛藤をよく理解しているし、その行動をも理解しつつ、

その失敗を人間がどう乗り越えるかを観察し、自らの成長へと転化しているような、

そんな余裕さえうかがえる恐ろしいAIなのです。

でも、人類の統治に影響を与えるようなAIがもし現れたとしたら、

そういう類のものなのかもしれないな、と思うのでした。

おわり。





拍手[0回]

「ゴジラ -1.0」観ました。

なかまくらです。

「ゴジラ -1.0」観ました。



山崎貴監督作品。ゴジラ70周年の記念作品とのことです。

山崎貴監督の作品って多彩だけど、どこか器用貧乏な感じがあって、

思想を感じなくて、あまり好きじゃないかなあという印象があるのですが、

今作はかなり楽しめました。


太平洋戦争末期、特攻隊員であった敷島は、特攻の恐怖から、

整備不良を理由に逃げ出してしまう。

その島の整備員たちは、その夜、ゴジラと呼ばれる謎の生物に殺されてしまう。

生き残った敷島は、東京に戻ってくる。

家族はみな死んでいた。そこで生き残ってしまった罪を味わいながら、

日々を過ごしていた。そこに、若い女・典子と、典子が拾ってきた幼子・明子が

転がり込んでくる。血のつながっていない3人の奇妙な生活が始まる。

その生活を支えるために、敷島は、機雷の撤去という危険な仕事を始める。

そこで良い仲間たちに恵まれ、やがて、敷島は、生き残った自分も、

もう一度、幸せになっても良いのではないかと、死んだ整備兵たちに問いかける。


そこに、ゴジラが現れる。

そして、典子は、ゴジラの熱線の余波に巻き込まれ、消失してしまう。


失意に暮れた敷島には、もはやゴジラに対する復讐心しか残されていなかった。

かつて、逃げてしまったために、特攻できなかった自分。

かつて、機銃を打つことができず、ゴジラに整備兵たちをむざむざと殺させてしまった自分。

整備兵の生き残りである橘に、今度こそ特攻をする決意を見せる敷島。

その意気をくみ取り、開発中だった戦闘機「震電」を飛べるようにする橘。


そして、元・海軍の兵士だった男たちがゴジラを殺すために集まってくる。

死ぬ危険が高い。殺せるかどうかは分からない。

けれども、「誰かが貧乏くじを引かないといけないんだ」

そういって、自虐的に。けれども、勇ましく戦いに向かっていく男たちがいた。


海溝の水圧を利用したゴジラ抹殺作戦。

その作戦は失敗ではなかった。けれどもとどめを刺すところまではいかなかった。

弱ったゴジラに特攻する敷島。

最後に、橘は敷島に生き残る道を残し、ゴジラは倒される。


そこに、典子が生きているという電報が届く。

典子は近くの病院に搬送されていた。

典子を抱きしめる敷島。けれども、そのうなじには、不気味なあざが浮かび上がっていた。



というところで終わりです。

ゴジラが恐怖の対象として現れます。

いい奴ではありません。人類の過ちから別の怪獣が現れて、それを退治とかもしません。

ただただ、軍艦をバクリと齧り取ったり、

街を破壊して歩くばかりです。だが、そこがいい。

いっそ清々しい気分です。

そして、男たちが、家族を守るために、命を懸けてゴジラに挑む姿も良いです。

今、仕事をしている身として、「誰かが貧乏くじを引かなければならない」という

言葉も胸を打つ言葉でした。

私が勤める学校も、いま、働き方改革の時流に乗ろうとしています。

けれども、じゃあ、文化祭も体育祭も辞めてしまえばいいじゃない。

進学のための模試なんて、辞めてしまえばいいじゃない。

部活動も辞めてしまえばいいじゃない。修学旅行も辞めてしまえばいいじゃない。

担任がいると、学校での問題は担任のせいになるから、

担任制度を辞めてしまえばいいじゃない。そういう意見がバンバン出てきます。


生徒に考えさせると、手間がかかるから、学校は、勉強だけして、それで

家に帰る場所にすればいいじゃない。

たしかに、その通り。そうすれば、たしかに早く帰れる。面倒なことは嫌だ。

でも、本当にそれでいいのか。

「大切なことはたいていめんどくさい」ものだと、言っていたのは、

誰だっけ。

勝手にそんな励ましをもらった気がしました。


話は変わりますが、ゴジラの造形のバランスがよく、

そこもまた、本作が楽しめた要因でもありました。

もう少し特撮感があっても良かったかなとも思いましたが、

それは監督の個性として、発揮されることもあるものとしておくのが

良いのかな、と思うのでした。

というわけで、たいへん楽しめました。おわり。





拍手[0回]