1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)」 観ました。

 
なかまくらです。

仕事終わりの新幹線に飛び乗って、日帰りの弾丸ツアー。

東京都世田谷区のシアタートラムにて、2013年5月25日観劇。

劇団イキウメ「獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)」 を観ました。




あらすじ

アマチュア天文学者は不思議な隕石を拾う。

その隕石は人を幸福感で満たし、死ぬまでとらえて離さない。

東京では、看板が幸福感で人々を満たし、幸福のうちに車に引かれて大勢死んだ。

唯一、死の原因に近づいていたアマチュア天文学者とその仲間は、

事実を知らせようと、四国の片田舎から東京を目指す。

それから一年が経ったとき、世界中の大都市に柱が降り注いだ。

柱は人々を次々ととらえ、殺していった。

人々は避難を繰り返すものの、人口密度がある一定値を超えると、

柱は降ってきた。人々はなんとか柱を見ないで避難をしようとするが、

見れば幸福になる、という本能的な部分が、柱から逃れることを拒む。

大阪の男と女は、隕石の存在を知っていた。

女は病に倒れ、苦痛と戦っていた。男と共に戦っていたが、

「柱は最高の安楽死を与えてくれる」と死を選んだ。


事実を知らせようとしたアマチュア天文学者は行方不明となり、

その仲間は四国で農業を営み、集落を作っていた。

どうすれば、人類は生き残ることができるのか?

そう考え、農業を広げていた。


100年後の世界では、柱を見ても平気な人間があちこちに出現していた。

人類は彼らを使い、かつての文明を復興させようとしていた。

それに反対していたのは、かつて農業を広げた”彼”の子孫であった。

そこにアマチュア天文学者が、”柱の使い”と名乗り、不意に現れる。

”彼”は言う。

我々の社会に構うことはない。選ばれたのは君たちなのだ。自由に生きなさい。

そう言って、自ら死を選ぶ。

人類は許されなかったのだ。無垢なる子供たちを除いては。

頑張ってきたことを、”柱の使い”は慰労してくれるのだった。


そんなお話でした。

”死” とはなんだろう、 ”生” とはなんだろう、と訴えてきたお話でした。

自ら死を選ぶことは難しい。けれども、それが幸福のうちに行われるのであればどうだろう?

死というのはそうやって費やされるべきものなのか。

”彼”のように誰かのために死を選ぶことができるのだろうか?

どういった生き方をすれば、そんなことができるのだろう?


少し怖いお話だったように思いました。

しばらくは柱の存在におびえていそう。

神様と言う絶対的な何かに対して人間はなすすべなどないのかもしれません。

許しを乞うて生きることは容易にできませんが、

自分が許せる自分に、せめてなりたい、

そう思いました。


おわり。





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プランクトンの踊り場(録画)を観ました。

なかまくらです。

イキウメ「プランクトンの踊り場」の録画を観ました。

TV放映されたやつです。

あらすじ。

とある飲食店はオープンの間際、コックの気が狂って開店できずにいた。
話によると、ドッペルゲンガーにあったらしい。

あるお金持ちの娘は実家に帰ってきていた。
夫が貯金を使い込んでキャバクラに通っていたのを知って、離婚を決意していた。
ところが謝りに来た夫の様子が何かおかしい。今どうしてここにいるのかが分からないという。

お金持ちの息子(兄)は、喫茶店が思い込みを現実に顕現させるのではないかという仮説を立て、
それを証明する。つまり、喫茶店を介して、夫2は生み出されてしまったのだ。

一方、生み出された夫2の影響で、一部の記憶を失った夫1のほうは、妻の実家に会いに来るという。

ふたりが出会えば、同じ時間に別の場所にいたという事実が夫の精神に支障をきたしてしまう、

と考えた金持ちの息子(兄)は、夫2の記憶を、「分裂直後」(夫2′)と「分裂してから数日が経ったもの」(夫3)に分け、夫1と夫2′を出会わせて合体させることを考え、実行する。

残された夫3をどうするのか・・・。

これを処分しなければならない。

金持ちの息子(兄)は包丁を持つが、金持ちの娘(妹)がとめる。

「これは私の記憶から生まれたものだから、、私が忘れれば消えてなくなるよ。」

「忘れられるのか?」と問う兄に、

「忘れなきゃ。こんなにでっかい荷物」と妹は笑った。


というお話でした。

いやあ、面白かったです。イキウメさんのお芝居は面白い。

パズルみたいに情報が増えていって、起こっている出来事が複雑になっていきます。

その出来事は登場人物たちによる合理的な判断が繰り返されて発展していく。

ところが、最後の最後にちょっと待って、とストップがかかる。それを合理的な判断で処理していいの?

そういうときに、なんかうまく言えないけど、人間ってそうじゃないっていう、

そういう核心の部分に触れて、観客は触れられて、かきまぜられるような、

そんな感覚を味わえました。

舞台は、椅子とか机とかが少しばかりおいてあるシンプルな舞台でしたが、

後ろの壁が回転して、舞台を分ける役割を果たしていました。

なんかすごかった。

おわり。


記事作成にあたって観たページ:http://www.shinobu-review.jp/mt/archives/2010/0511235923.html





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磐田市高等学校演劇祭「南へ」

なかまくらです。

磐田市高等学校演劇祭「南へ」を観てきました。

磐田市の高校、東、西、南の合同公演なのだそうです。

11年目ってすごいな。私が高校在学中にもやっていたんですねぇ。

で、今年の演目は、野田秀樹の「南へ」なのだそうで。

チラシを見て、「えっ」となる。「これやんの・・・?」という。

このお芝居、本で読んだことがありまして、「ううーーむ、わからぬ」

となったものでした。

あらすじ

南のり平は、火山観測所に赴任しにやってくる。
そこには火口に飛び込もうとしていた女がおり、
女に南のり平という名を奪われてしまう。
女は言う「あなたが南のり平であることをどうやって証明するの?」
火山は噴火しようとしていたが、データを読める人間は観測所にはいなかった。

そのとき、麓の宿には天皇の先触れを名乗る3人組が訪れていた。
この山に天皇がくる! ということを知った村人たちは大騒ぎになる。
この村も観光名所になって豊かになる! 人々は集まってくる。
南のり平という男は「火山が噴火する」ことを伝えるが、
火口に飛び込もうとしていた女(南のり平? あまね?)の問いかけをきっかけに、
本当に自分が南のり平ではないことに気付いてしまう。
一体自分は何者なのか。日本人であること以外に自分の何が曖昧ではないのか。
女は言う「私は記憶を学んだの」
女の話は誰かからの受け売りばかりだったのだ。
誰かの言葉を自分の言葉としてもう一度言うだけ。

女は300年前の古文書をまことしやかに読み上げる。
現在と同じような天皇の行幸の先触れ、南のり平というオオカミ少年の話。
ついに300年前と同じように噴火が起こると思われたその時、
火山活動は急速に鎮静化する。人々は村を離れ、元の静寂が戻ってくる。

女はテレビに映ってしまっていた。注目を浴びてしまっていた。
女は「連れ戻されてしまう」と叫ぶ。
どこから来たのか、と問われると「北から来た」と答える。
謎の男たちは女を連れて行ってしまう。

南のり平はしばらくして目を覚ます。
何も変わりのない観測所の風景。河口に飛び込もうとしていた女はどこへいったのか?
さっきまでそこにいたのに・・・、と、
一番最初、南のり平が観測所に赴任してきた時間のようだった。

おわり。


というお話で、
え、夢落ち? っていう(笑)。

この物語の気に入らないところは、「日本人である」ということを言うところ。

なんでこんなにストレートな物言いにしたんだろう。北から来たということは、

ん? 中国・・・というよりは北朝鮮のスパイかなんかなのかな? と思うわけですが、

そういうことを匂わせてもいいけれど、「日本人」とさえ言わなければ、

どこかそういう平衡世界があって、その世界からのスパイ

・・・とかそういうぐらいの感情で観れるのになぁって。

それと同時に、これを高校生がやっていいのか(笑)、とは非常に強く感じました。

戦争の頃の思想を感じて、現代の教育を受けてきた人間としては、

ひどく居心地の悪い気分になりました。伝えたい部分が別にあったとしても、

決して無視できない部分だ・・・。

ただ、露わに書くことで、代わりに伝わることもあります。

戦争の時、朝鮮人が井戸に毒を入れるのではないか、そう疑われて無実の朝鮮人が多く殺されたそうです。

あなたが疑われた時、あなたは自分が何者なのか、証明することはできるでしょうか?

また、この戯曲は奇しくも(なのか?)東日本大震災と時を同じくして書かれた作品でした。

人々は刺激を求めている。平穏な日常に変化が欲しいという。

変化に飛びつく。その渦中になった人間は、夢中になってしまう。

嘘も交えてまことしやかに話してしまう。

他人から次の発言を期待されることほど、恐ろしいことはない。破滅するだけだ。

人々はすぐにそれを忘れる。今の私たちが、もはや地震の事をああ、そんなこともあったねと、

思うようになってきているように。

ひとつ次元を上げようと思う。

このお芝居を観て、まず、結局何が本当なのかほとんど分からなかったわけです。

後ろで見ていた人も、感想・・・なにをかいたらいいのだろうか

・・・などと呟いておりました。

で、最後は元に戻るのですが、とりあえず、追ってみていくと、

嘘をそれぞれが持ち寄る。

火口に身投げをしようとした女の嘘に乗っかる。

するとまるでひとつの出来事が着々と進んでいるように見えて、

しかも、便乗してあっちこっちから嘘が噴出してきて、嘘の世界は固められていく。

ところが、どこかの段階から気付き始める。

というか、観客席では、最初から分かった上で見ている。

「これは嘘の世界の物語なんだ」

そういう約束で劇場に足を運んでいるわけで。ところが、このお芝居はもう一段、

観客を裏切りに来る。

「はい、さっきまでの物語は全部嘘です。適当に作ったものです。切り捨てて構いません」

オオカミ少年の一連の話で、すっかり嘘が露呈してしまってもう駄目だ、と、

観客は見切りをつける。まだ、一生懸命舞台上ではそれぞれの役が生きているのにも関わらずだ。

けれども、私にはそれは作者の狙いのように見えました。

醒めた目で事の成り行きを見ていました。あれ、演技をしているのは誰なんだっけ?

そんなことを考えさせられる物語でした。





さて、ここからはスタッフとかその他の話。

役者さんは、全体的に実に上手でした。よく練習されていました。

ただし、「上手だけど面白くない」という感じでした。

笑いを取る技術が未熟なのか? とかそういう問題というよりは、

んー、観にくい、という印象。どうしたらいいのかは・・・分からないです。

でも、最近そういうのばかり見ていたなぁ、となんだか今日ふと得心が行きました。

滑舌とか声量は一部の生徒さんはもう一歩、と言う感じでした。

個人的にMVPは道理(ミチスジ)さんの人か、VIP(伝書鳩)の人かなぁ。

綺麗に溶け込んでいて好きな感じでした。道理さんの人みたいな自然な感じで演技できる人って好きです。動きのバリエーション増えるといいですねぇ。VIPの人はダイナミックな(?)演技が滑らかでなんか実に楽しく見れました。ほかの役も見てみたい演技でした。

あまねさんとか南のり平とかずっと舞台に立っていた人も上手でしたよ。

はい。

スタッフの事。

まず舞台。ちょっと奥行きを使いすぎていて、遠い気がしました。

会場の前のほうの席、席の位置が低すぎて首疲れそうで座らないので、

役者さんが結構遠かったです。あと、平台が客席に完全に平行においてあって、

面白みがなく感じました。

それから、音響。・・・なぜ音響はなかったのでしょうか。

音響なしで、2時間保(も)たせるのは至難の業ではないかなぁと思います。

足踏みが音響効果の役目をしていたのかもしれませんが、それでもつらかったです。


さて、締めます。

今年初めて見に行きましたが、また来年も続いていくといいですね。

高校生が高校生活の中でお芝居をするというのは正直すごいことだな、と感心します。

自分は芝居するたびに情緒が不安定になっていた人間でしたので(笑)。

それでも、その時にしか出来ない貴重な経験だと思います。

またの活躍を期待しています。

(あ、公演情報とかってもらえないのかなぁ・・・)


以下、検索したら出てきた情報。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130321-00000018-at_s-l22

http://karakoro.hamazo.tv/e4302413.html

http://urazacho.eshizuoka.jp/





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早口言葉ばばーん


3回は嗜(たしな)み程度。5回言えてこそいっちょまえじゃぁああああ!





いうわけで。



思いついたら随時更新していきます^^!



コメントくださったら、反映していこうと思います!! これはどうじゃ~~と言うのがあれば是非~~



 



 



【か行】



数あるカジュアル 加護あるカジュアル(×3)



この引き抜きにくいネコの挽き肉(×3)



急遽今日皇居京都移居(×3)



 



【さ行】



マサチューセッツ隣接駐車施設(×3)



上海の社員の3才のシャイなサンシャイン(×3)








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広島大学演劇団21生卒業公演「ダブリンの鐘つきカビ人間」 観ました。

なかまくらです。

広島大学演劇団21生卒業公演「ダブリンの鐘つきカビ人間」 観ました。





あらすじ
ある霧の深い森、その近くにある一軒の家。
家には一人の老人と、旅行で村を訪れていた若い夫婦がいた。
霧の中からは誰がついているともわからない鐘の音が聞こえる。
老人は話し始める。
霧の中にかつてあったその村で流行った疫病にまつわる顛末を、
カビ人間になった男と思ったことと逆さのことしか喋れなくなった女の悲劇を。

村は疫病の蔓延を防ぐために封鎖された。
村人は羽が生えたり、電気人間になったり、目が異常に大きくなったり、といろいろな症状に苦しんでいた。そんな中、元々強欲で傲慢であった男はカビ人間として村じゅうから蔑まれるようになっていた。
村人を救うため、若い夫婦はボーグマホーンという何でも願いが叶うという剣を探しに出ることにする。
反対のことしか言えなくなっしまった娘のフィアンセである戦士も途中で仲間に加わり、一行はボーグマホーンをついに手に入れる。
村では反対のことしか言えなくなった娘をカビ人間がかばったことをきっかけに2人が心を通わせていた。
ところが、市長の計略によりカビ人間は村人によって処刑されようとしていた。
ボーグマホーンを手に戻ってきた戦士は1000人の人間を切ると願いが叶うという剣に悪党の血を吸わせていく。ところが、あと一人、というところで反対のことしか言えなくなった娘がフィアンセから剣を奪っていく。
娘は、凶弾に倒れるカビ人間をみる。
「おまえは何よりも醜い!村人の誰もがおまえを素敵だと言うが、私だけはおまえのことを憎んでいる!」
反対のことしか言えない娘はそう言って、自分に剣を突き立てた。
2人は死に、疫病は治った。
娘は、自分たちの命を救うことよりも、村人を救うことを選んだのだった。そうすることで、自分たちの幸せを得ようとしたのだ。

話は終わり、若い夫婦は涙を流しお互いに寄り添っていた。老人の手には1000人の人間を切ると願いが叶うというボーグマホーンがあり、若い夫婦の血がついていた。


というお話でした。




はい。
うん。
よくできていました。
笑いあり、涙あり。
ダンスもよく練習されていたし、SEも楽しげに配置されていて。
役者は何人か練習不足を感じる浮き方をしていましたが、主役級の方々はよく頑張っておりました。

ただ、童話のような世界観を演劇らしくしている部分が薄っぺらく感じました。演劇のファンタジーはなぜこうも難しいのか(笑)。なぜこの本を選んだのか。今伝えたいことはこれだったのか?
娘が村を救ったところ、戦士のその後を描かないところ、夫婦が別れるために旅行にきていたのに最後には絆を深めるところ、などがなんだかうーん・・・です。また、舞台の転換が多く、場転に工夫がなかったためしんどく感じました。場所が切り替わるというのはもっと演出が意識した方がよかったかな、と。剣の入手のクイズ番組もなんだか、世界観をぶちこわしているように見えて、なんか好きになれなかったです。

スタッフワーク:
大道具ですが、二階が両側にあり、頑張ってたなという感じはしましたが、高さが左右対称なのとか、鐘つき台より高いところが舞台上にあるとか、段差が前にせり出しすぎていてなんか窮屈に見えるとか、手摺りが不安定すぎて冷や汗ものとか、気になるところが多数ありました。階段の簀の子状になっているのとか、よかったけどね。

衣装と小道具はよくできていました。特に小道具は光っていました。ボーグマホーンが光ったり、柿の木とか、ほかにも多数。あ、でも電気人間は蛍光色で無駄に目立ちすぎです。電気人間って言う設定なんて後半どうでもよくなっていたと思うので、もっと地味にしておくべきでした。全体的に村人の服も白じゃなくてもう少しくすんだ色の方がよかったかなと思います。衣装が照明で綺麗な色になりすぎた気がしました。


演技の良し悪しはよく分からない私ですが、
押目さんは、押目侍の押目さんでした。剣士姿が勇ましい。走ったりすると「あ、押目さんだ」、っていう。あと、ドヤ顔ね(笑)。いや、勇ましかったです。
戦士の伸哉くんは年とってました(笑)。抜群の安定感が現れだして、どこか危うさがなくなって、まとめてきた感じ。小池君にキャラとられ始めています(笑)。落ち着いてるので安心して見られるし、構えに貫禄はありました。
和俊君は今回悪役市長として登場。そうか、その手があったか!と配役した演出の三村さん、木邨さんには拍手。だけども、なんかもうちょっと悪っぽくできたような気がする。いや、実に楽しませてくれましたが。
侍従長の藤井くんは、鉄砲の件がいらないよね。流れが異常に悪くなっていた気がします。誠実な男と後半のギャップ。よく出ていたと思います。
王様がよかった。上手でした。
村人たちは多すぎ(笑)。目立ってやろうという野心がありすぎてやっぱりこれも流れが悪く、物語全体としてこの部分が大事なのか大事でないのか分からなくて、見づらかったです。後半は盛り上がっていて、よかったです。

斉藤さんはマイクもてて良かったですな。でも、全体的に斉藤さんでした。高木さんも高木さんでした。ゲロッパ生き生きしすぎ(笑)。まあ、ふたりとも実に楽しそうだったので良かったです。

森くんは悪神父として登場でした。前半苦しいところに颯爽と登場して舞台を暖めるところはさすがでした。19の卒業公演の「レンズ」のミゾベ的な、お父さん的なポジションで安定感抜群でした。

藤田くん好きだわ~。目デカ男似合ってました。ちょっとわくわくさんぽかった。

さて、21にはだいたい書いたかな?


さてさて。

このお話ですが、童話の体をとっていますが、なんだか何が伝えたいのだろう、というお話でして。

ものすごくシンプルにとらえれば、
カビ人間と、カビ人間を愛する娘が村を救う話。

付け加えるなら、カビ人間は反対のことしか言えなくなった娘の「あなたが素敵だ!」と言われたことを勘違いして、人の温かさを知ったせいかもしれない・・・。

カビ人間は、鐘をつくことにどうしてこだわったんだろう。カビ人間が鐘をつきにくると、村人たちが信じ集まるのはどこか滑稽です。彼らはカビ人間の何を信じていたのか。
カビ人間は村人が手に手に武器を取り集まっている鐘つき台にやってきます。彼にとって、鐘をつくことは誇りであり、神様はその行いをきっと見ている。彼にとっての救いとは何だったのだろう、と考えてしまいます。カビ人間は「自分は村じゅうから嫌われている」と言う度にどこか傷ついているのを隠して笑うように言っていました。本当は愛されたいと思っていたのでしょう。でも、彼にはどうしてそこにいることしかできなかったのか。彼には彼を愛する娘ができて、居場所を守ろうと思ったのか、それともほかの生き方を知らなかったのか。ただ、私にはカビ人間も村人たちもひどく滑稽に見えました。それはほかに居場所を知らずに自殺していく子供たちのようだ、と。私はそんなひねくれてしまっていますが、後ろの席で見ていた高校生はぐすんぐすんしていました。誰かに好かれたいという気持ちで動くのではなく、神様がきっと良いようにしてくれる、という気持ちで動くカビ人間の純粋さが心を打つのでしょうね。


さて。

私が一番多く一緒にお芝居をしたのは21生であったと思います。彼らは個性豊かでまとまって何かをすると言うのは苦手なメンツ、という印象でした。しかし、まあ、途中で離れてしまった人が多くいたのは非常に残念でしたが、最後に無事卒業公演を行ったこと、卒業公演にふさわしい素敵なお芝居を作り上げたこと、大変なことであったと思います。

何はともあれ、楽しかったならよいのです。学生のサークルなのですから。


お疲れさまでした。

おわり。

 









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