なかまくらです。
広島大学演劇団平成22年度入学生卒業公演
劇団はたふた 『 ロッカールームに眠る 僕の知らない戦争 』
を観てきました。
脚本:なるせゆうせい 演出:山田めい(総合科学部4年)
公演日時:2014年3月29日~30日
場所:東広島市民文化センター 3階 アザレアホール
あらすじ日暮タモツは、なんと東京大学に進学する。そのバイタリティーは、女の子にモテたいこと!大学へ行ってみると、早速可愛い女子に囲まれる。ところがそのサークルは、表の顔はボランティアサークル、裏の顔は政治体制への反対を叫ぶアカの団体であった!タモツは、その団体の一員純子さんに一目惚れをしてしまう。夜。プレゼントと称して届けるように頼まれた小包が爆発して、タモツは一人の大学生を殺してしまう。タモツは寮の自室に閉じこもる。そんな折に、妹が訪ねてくる。妹は人のために自分を犠牲にしようとするような優しい子であった。妹は、東京で好きだった人に会おうとしていたのだが、連絡がつかないという。一方のタモツは、団体を抜け出せないまま、アカの団体のリーダー七曲(ななまがり)の信頼を得ていく。同時に、警察の手が伸びてきていた。刑事ジャノメは、言う。「疑念の種を蒔くだけでいいんだ。罪の意識は次第に大きくなるから」タモツは、アカの団体の関西本部へ純子さんとともに乗り込み、国会を占拠するデモの協力約束を取り付ける。さらには、その先導役を任されてしまう。そのとき、タモツに樺(かんば)さんが近づいてくる。「逃げるなら今だよ」と。樺もタモツと同じであった。タモツが純子を好いていたように、樺もリーダーの七曲を好いていた。それだけのために、学生運動をしていた。そして、タモツと樺、デモの中で、樺は死んだ。刑事ジャノメの手がタモツに迫っていた。妹の好きだった人を殺したのが自分だと知ったタモツは、出頭する。ジャノメは言う。リーダー七曲を殺せばチャラにしてやる、と。タモツはそして、七曲を殺しに向かうのだが・・・というようなお話。
まず、最初の数分で思ったのは、「あ、これキャラメルっぽい!」ってことでした。
スポットであたる照明の中、ふたりの男女が正面を向いて電話をする。
そして、ダンス?みたいなもの。
調べてみると、このお芝居の初演の情報ページに、
客演で、キャラメルボックスの畑中智行さんが出ていることから、
キャラメルボックスにゆかりのあるヒトなのかな?と。
また、
>ロッカールームに眠る僕の知らない戦争
>ドフトエフスキーの『罪と罰』を安保の時代に置き換え理想と現実の間で揺れた
>若者たちを描いた切なくも儚い青春群像劇!!!
という紹介文が。
ふむ。
さて。
まず思うのは、なんで(台本)これかなぁ~??
ということでした。みんな悲劇がお好きね。とにかく救いがなくてつらかった。
妹の好きだった人が連絡がつかなくって・・・、と最初の30分ぐらいのところで言った時には、
私には、ほとんど最後の結末が読めちゃいました。
だからこそ、その袋小路の結末に向かって突き進んでいく物語を観ているのが辛かったです。
もちろん、主演のタモツ、妹のふたりが本当に好演で、追い詰められていく様子をリアリティをもって体感させられたわけです。
でも、なんだろう、このお芝居って結局何が伝えたいお芝居で、
どうして、今の大学生のみんながこれを上演したかったんだろう?
という意味的な側面を考えてしまいます。「罪と罰」は、崇高な信念や理念は人殺しや悪を許容するのか?
というようなテーマだったのと対照的に、彼らは愛や恋のために人殺しや悪を行おうとする。それが正義だと信じて。
けれども、主人公のタモツが言うように、ただ一秒でも長く居たい為だけに、悪と思っていることをなしているこの物語はなんだろう?
それがテーマだとしたら、ちょっとごちゃごちゃしすぎている気がする。
政治の右翼左翼に対する考え方だとか、そういうちょっと繊細な話題は観客を無駄に冷や冷やさせてしまうと思うんです。
あるいは、これは自分の近くでどこにでも起こる物語なんだと、それがテーマだと考えてみると、(タイトルはなんとなくそれを示唆しているのかもなぁなんて思わ
せぶりだ)
確かに、人間模様としては、本当にごく当たり前に人のことを好きになって、その全部が好きになるから、間違いを犯してしまう。
そんなどこにでもありそうなお話で、もしかしたら、いつも開けない職場の自分の隣の人のロッカーで繰り広げられているのかもしれない。
そんなことを知らずに生きている私たちに対するメッセージなのかもしれない。そんな風にも考えてみましたが、
ちょっとやっぱりしっくりこないのは、一回しか観ていないからだけなのかな・・・? 誰か教えてください。
<長くなったので後半へ続く>