なかまくらです。
今日、ふと、私の中に物語のテーマが生まれました。
このテーマを大切にしたい。
これはきっと、物語であると同時に、
私の生き方や、在り方に対するテーマなんだと思います。
このテーマを誰かに話したい!
このテーマを伝える物語を通して、誰かに話したい!
物語を書くということは、そういう奥ゆかしい話し方なんだと思う瞬間でした。
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なかまくらです。
今日から泊まりの研修です。
最近、そういうのが多い。
感動的なんだけど、他人事。
共感的な物語ではない。その感情を共有できない。
良い物語だということは分かる。よくできているし、よく作り込まれている。
でも、その線の一本一本が見えてしまう。
その琴線の振動数がfで表されて、波長がλであることもわかる。
そして、伝わる速度がv=f× λであることもわかる。
そうするともう駄目だ。ほら、このタイミング出来ましたよ。感動できない。
それでも感動できる人って何故だかいるんですよね。
そういう人はきっと、誰かのために涙することのできる人なんでしょうね。
私はダメだ。そういうのじゃない。
だから、自分のことじゃないとダメだ。
そして、私が面白いと思って生み出す物語は、自分のことじゃないとダメだ。
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なかまくらです。
私には、書けない物語がまだまだあるんですねぇ。
書かないんじゃなくて、書けない。
これはダメだ。失格だ。
書けるけど、書かない。
これは構わない。
でも、書かないんじゃなくて、書けない。
これはダメだ。失格ぷーだ。
例えば、高校生が演じる様な、高校演劇らしい脚本。
あるいは、クラスの出し物で演じる様な、
あるいは、地域の出し物で演じる様な、
そういう多くの共感を生むような物語。
そういう物語って、私は決して好きじゃないから、映画とかも見に行かないけども、
でも、書けないっていうのは、書かないってこととは随分と違う地平にある状態なのだ。
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