1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

かえっておいで、そうさくのー

なかまくらです。

最近、思ったことが上手く言葉にできない体験を繰り返しています。

ひとつには、音楽。部活動でね、みていて、思ったことを口にしようとして、

ああ、違うな、そういうことじゃないんだと、

口から出ようとした言葉をもう一回飲み込んで味わう。

牛だ。

そうか、牛になりたいんだ! うーん、別に牛になりたいわけじゃないんだモ。

物語を書く練習って、描写の練習をするといいねってやるんですよ。

わかりますよ、わかります。

テンプレートって大事ですものね。

私たちは、あるテンプレートの上で物語を大抵は転がすんですよ。

でもね、その代わりにできなくなってしまうこともあるのですよ。

うまく言えないってこと。

上手く表現できないってこと。

それが、物語を書かせる原動力なんですよ。

もうね、忘れてしまった人もきっと多いだろうし、

そもそも、初めから、そんな風には生きてこなかったのかもしれませんが、

かっこつけないといけなかったり、

かっこつけることができなかったり、

いろいろなそれぞれを、うまく一言でなんて言えない。

そんなことが、高校生の時には自然にできていたなぁ、と。

そんな私の創作脳が、また私を少し困らせているみたいで、

ちょっとだけ嬉しいんですねこれが。





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物語って難しい。

なかまくらです。

約束事があるんですよね。

約束事通りにやらないと、分かってもらえないんですよね。

でも、それってすごい力不足を露呈している。

たぶん、初めのシーンがちゃんと書かれていて、

それを読んでいく中で、新しい約束を身につけて、それで

約束じゃないことを、約束にしていく。

その上で初めて登場人物がいることを見てくれる・・・。

でも、短編だから・・・じゃあなくて。短編しか書けないんだから、

短編だけども、表す。表現する。これしかない。きっとそうなのに。


Eテレ・青春舞台2012の最初のほうだけ観ていました。

高校演劇の練習をしている高校生を取材していました。

どんな話かな・・・? と観ていると、うん、なんだろう。

どうしてその2校を選んだのかな。

物語のことを思う。物語には、二つの要素がありますよね。

文が面白いものと、世界が面白いもの。

・ 世界はあるあるだけれども、会話が面白いから見れるものと、

・ そもそも世界が面白い。けども、説明に力が裂かれちゃう。

両方最高に面白いことだってきっとある。でも、両方は難しい。

優先順位をつけるなら、どっちを優先する?

気持ちを表現するなら、会話で勝負したほうがいいと思う。

気持ちをぶつけて、それが観客の共感を得られるところまで持っていくなら、

特殊な状況じゃないほうが、絶対に簡単だ。

でも、私はやっぱり、そういう物語じゃあ満足できない。

どこかで聞いたことのある物語じゃあ、嫌だ。

どこかにありそうな物語じゃあ、嫌だ。

未知との遭遇こそが、物語との出会いを求める私の最大のモチベーション。


譲らない苦しみがあるけれど、それも私のモチベーションなんだと思う。












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忘れていたよ・・・。

なかまくらです。

そうそうそうそう。忘れていました。

最近すっかり、書いたものを文字にして読んでみるってことを忘れていました。

セブンイレブンに、PDFファイルをUSBファイルで持っていくと、

コピー機のところで印刷できるんですね!

知って早速やってみました。

さーて、どれどれどれみ・・・。

 
(写真は一部)

おおおー!

もうね、いろいろ、思うところがあふれ出してきて、真っ赤に。

いろいろツッコミどころがありすぎな物語ですが、ここから煮詰めて、

コクを出していきたいですね~。





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インプットに努めます。

なかまくらです。

物語を書くには、その数十倍、数百倍の知識が必要ですね。

しばらく、物語をたくさん吸収しようと思っています。

たぶん、起承転結が身体に馴染むことが、

物語をうまく完結させる方法だと思うので。





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面白いものが多ければ、人は想像力を失っていくのかもしれない。

なかまくらです。

ゴールデンウィークには、是非とも、今書いてる戯曲を仕上げようと思っていたわけですが、

うまくいかず。

何故だろう・・・と考えてみると、

アニメが面白いし、小説が面白いし、映画が面白いからじゃあないかってことに

気付いたわけです。

何故作るかって?

それは、乾いた土を湿らせるように、

飢えや乾きを感じるからなんですよ。

自分を満たしてくれない物語に、ちょい足ししてみるところから、

物語を作るということ、想像力をはたらかせるということは、

始まると思うのです。

だから、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのドット絵で、

昔の人は、いくらでも冒険ができた。

ところがどうだろう。

グラフィックが進化して、幻想的な世界は私たちの前に現れたわけですが、

そのかわりに、想像の世界を冒険することはなんだかひどく難しくなってしまった。

そんな気がします。なぜなら、想像の世界は、知識によって支えられるものですが、

写真でしか見たことのない風景を、ドット絵に重ね合せることはできても、

すでに見たことのない映像風景がゲームの中で顕現していたら、

それを超える映像体験が、想像の中でなかなかなしえなくなっているのだと思うのです。

だから、面白い物語がすぐそこにあって、

私が面白い面白い思っているうちは、

なかなか新しい物語を生み出そうと思えないんですよね。

知識を蓄えて、映画の内容+αを見出さない限りは。





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