1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「HERO」 観てきました。

なかまくらです。

「HERO」 観てきました。2015年劇場公開作品です。



あらすじ。

1人の女性が、大使館の前で車に引かれる。

その女性は、大阪のヤクザの組の取り潰しのために証言をする予定の女性であった。

交通事故を巡って、一人の検事が、城西支部を久しぶりに訪れることになる。

雨宮検事は、久利生公平と再会することになる。

事件を追うふたりと、そのそれぞれの事務官。

その事件の中で浮かび上がってきたのは、大使館の存在であった。

日本が貿易交渉を進めるその国の門の前で、雨宮検事は、諦める。

一方久利生は、国境を超えるものを探す。

国境を超えるもの・・・例えば、食べ物、音楽、スポーツ・・・

久利生は、その国の文化に触れ、また、その国の人たちと出会う。

その久利生の姿に、雨宮は思わず、こんなことを叫んでいた。

「どうせ諦めるんだって、思ってるんでしょう!」


大使館に勤めるコールマンという男が怪しいとにらんで捜査を進める久利生は、命を狙われる。

ダンプカーに轢かれた久利生は、病室で、検事としての思いを雨宮に語る。

そして動き出す城西支部の同僚たち。

久利生と麻木事務官は、大使館で開かれたパーティに潜入し、

交通事故で亡くなった女性が、確かに死の直前に大使館の中にいたことを

突き止めたのだった。


まあ、そんな話でした。

えー、まあ、ドラマですからね。

治外法権のある大使館の中で勝手なことしたら、捕まりますよ!

とか、まあ思いますけども、ドラマですからね。

この「HERO」という作品は、熱いところがいいんですよね。

久利生公平という、一人の男は、正しいと思ったことを曲げない。

その正しさっていうものは、社会においてうまく生きていくためにある程度

みんな口にしなくなってしまっていくような正義に対する信念。

それを決して曲げない男に、熱に浮かされたように大胆な行動をしてしまう。

その情熱に、私たち観客も心動かされずにはいられない。

そんな茶番かもしれないけれども、その迸るような信念、情熱を観たくて来ている。

だから、この映画は文句なしに良かったと思います。


・・・とはいえ、

まあ、観に来たきっかけは、松たか子が出るっていうことでした(笑)。

まあ、ゲスト出演的な感じかな?? と思っていたんですが、

案外最初から最後までわりと出ていました。

前回の劇場版のHEROのラストシーン。あれは痺れましたねぇ。

ふたりが互いの思いに気付いてキスをかわして終わるんですよねぇ。

それから、しばらくして始まった第2シリーズでは、なんとまあ、

出てこないんですもの。雨宮さん。

お前は、骨折して出れなくなった仮面ライダーですか、って思いましたよね。

じゃあ、ふたりの関係が、この映画でどうなるのかなって、観てみると、


憧れの存在というのが、一番近い印象。そこに、落としどころをもってきましたか。

まあ、いいんですよ。前回の劇場版HEROが、二人の関係を描いた感じだったので、

またそれをやってもね。「HERO」で魅せたいのはそこじゃない。それは分かるんですが、

いいじゃん、もう、ふたりくっつけちゃえよ! って、すごく思います(笑)。

ハリウッド的な、あるいは、少女マンガ的な引き延ばしを感じますね。

ともかく、なかなか面白かったですよ。





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「バケモノの子」観ました(ネタバレ注意)。

なかまくらです。

「バケモノの子」、観てきました。ネタバレ注意。



あらすじ。

離婚した母と母子二人で暮らしていた蓮は、ひとりぼっちになってしまう。

親戚には馴染めず、家出をした。

普通なら、連れ戻されるだけのはずだった。

ところが、渋谷の裏側、妖怪の世界では、熊徹(くまてつ)という暴れん坊が、

街の代表者になるため、弟子を探して人間界に来ていた。

熊徹は嫌われ者で、一人で戦っていて、蓮のようだった。

蓮は、バケモノの弟子になった。九太という名前ももらった。

ふたりはいがみ合いながらも強くなっていった。


17才になった九太は、ひょんなことから、人間界へと戻る道を見つけ、

二つの世界を行き来しながら生活するようになる。

その中で、九太は楓と出会い、「蓮」と自分の名を名乗る。

楓は進学校に通う高校生で、けれども、自分らしさってものに悩んでいた。

九太は、どんどん勉強し、そして、楓のススメもあって、

大学に行きたいと考えるようになった。

しかし、熊徹は、自分の言うことなんて聞いてはくれない。

九太は熊徹に愛想を尽かして、家出する。

そして、本当の父親とも再会し、

いろいろなことが上手くいきそうになってきたときに、

熊徹の顔がどうしようもなく思い出された。

熊徹は、いよいよバケモノの街の代表者になる戦いに挑んでいた。

ふがいない熊徹に、九太は思わず声をかける。

熊徹が勝利をつかんだとき、ライバルだったヨウセンの息子・・・

・・・として育てられていた人間が、突如、闇に飲み込まれた。

人間は闇を心にもっており、その闇は、九太も持っているのだ。

闇に飲み込まれそうな九太を救ったのは、

これまでいろいろなことを教えてくれた人たち。

九太は、渋谷の街を救いに行く。

同じバケモノの子として育てられた二人が、最後の決戦に挑む。



+++++++


そんな感じでした。

結構面白いお話でしたが、一般受けはしないかも?

登場人物の半分以上が、妖怪(動物)だし。

でも、この物語はそこじゃない。

親と子とは、どんな関係を築いていけばいいのか。

師匠と弟子とは、どんな関係を築いていけばいいのか。

そんなことを教えてくれるような、そんな物語のように感じました。

新しい職場で、分からないことばかりの私は、どんなふうに強くなればいいのだろう?

そんな風に、九太に自分を重ねたりもしました。


映画の中で、

ああ、うまいなあと感じたのは、楓と出会ったときに、

人間の世界の名前”蓮”を、8年ぶりに言うというのに、すっと名乗ったことです。

ずっと九太だったのに、人間の世界ではやっぱり、人間の名前を名乗り、

世界をはっきりと区別しているのです。千と千尋の神隠しでもそうでしたよね。

こういう気遣いってすごいなあって、思いました。

ああ、あと、熊徹が、九太のために自らの犠牲を顧みないシーン。

若干の急な展開でしたが、おおかみこどものときといい、

こう、毎回あると、もはや作為的にそうしているんじゃないかって思えてきますね。

分かりやすければ味わい深いかと言われれば、それはまた難しい問題ですから。


まあ、ともかく、めちゃめちゃ面白かったかと言われると、

まあ、映画館で観て良かったかなー、というくらいには面白かったです。

次は何をみようかな。





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「博士と彼女のセオリー」観ました。

なかまくらです。

「博士と彼女のセオリー」観ました。



所謂ビッグバン理論を提唱した天才・スティーブン・ホーキング博士の半生を描いた映画です。

あらすじ。

スティーブン・ホーキングは、勉強は大してしなかったが、

成績はきわめてよかった。

そんな彼は、あるパーティで、ジェーンという女性に出会う。

二人は惹かれあい、恋に落ちるが、

スティーブンは大学構内で不意に転ぶ。

精密検査の結果、筋萎縮性側索硬化症という病で、次第に身体の筋肉が動かなくなり、

死に至るという病であった。余命は2年。

スティーブンは、失意に沈んだ。それを支えたのがジェーンであった。

ジェーンはよくスティーブンを支えたが、二人の間に子供ができ、

限界が見えてくる。それを支えるために、妻を亡くした男・ジョナサンに手伝いを頼む。

身体が動かず、車いすのスティーブン。子どもたちと遊ぶジョナサンとジェーン。

スティーブンは、そして、ついに声を失う。この事件を境に、ジョナサンは離れていく。

声を失った、スティーブンは、目の動きとわずかに動く指先で、本を書くことにした。

「BRIEF HISTORY OF TIME」

苦心の末、書き上げたこの本は売れに売れる。

そして、スティーブンは、ジェーンに離婚を告げるのだった。

二人の間には、3人の子供ができていた。

「見ろよ、これが二人の作ったものだ」



そう言って、この映画は終わります。

うーーん、なんというか、納得できない映画でした。

主人公のジェーンが報われない。。

スティーブンは、離婚を告げるとき、乏しい表情で、その言葉を告げるかどうか、

しばし、悩む・・・(これをお芝居でやるわけだから、役者さんは天才的であるわけですが)

そして、悩んだ末に、その言葉を告げる。

それはきっと、ジェーンの幸せを願ってのものでもあったのだろうって、

そう思うんですよ。でもね、そんな簡単には割り切れないでしょう。

これまで愛しているからこそ、尽くしてきたのに、別れようっていうのだから。

事実がそうだったのだとしても、うーーーん。


映画の雰囲気はいいし、人物同士の関係性もとてもよく描かれていると思いました。

けれども、スティーブンの行動、ジェーンの行動になんとなく、違和感を感じてしまいました。

なんだか、大事なことを知らされていないような・・・。


参考ページ
おわり。





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「ビリギャル」観ました。

なかまくらです。

「ビリギャル(学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話)」観ました。

 

あらすじ

3人兄弟の一番上のさやかは、学校に馴染めず、私立中学を受験する。

エスカレーター式の学校で、勝手に大学まで入れる予定で、全然勉強しない。

その結果、偏差値は30。学年でダントツのビリ。

ところが、タバコで停学になって、少し風向きが変わってくる。

母が別の大学を受けることを勧め、行ってみた塾で、坪田先生と運命の出会いをする。

坪田先生に乗せられて、慶応大学を目指すことになったさやかは、

小学校4年生のドリルからスタートを切った。高2の夏のこと。

それから、さやかは、いろんなところで「さやかは慶応に行く」と言い、

あきれられながらも頑張り続ける。

一度言ったことを不器用にも曲げないのは、さやかのいいところなのだ。

しかし、順調に進んでいたかに見えた勉強も、模試の結果に打ちのめされる。

全学部E判定。2回目も、3回目も・・・。さやかは勉強に打ち込めなくなる。

さやかの弟は、中学で活躍し、名門野球部に進学していた。

けれども、周りの実力に圧倒され、逃げるように野球を辞めてしまう。

その背中に、さやかは叫んだ。「私は、お前とは違うんだからな!」

弟にすべてを掛けて、家族のことを顧みなかった父親は、ようやく大切なことに気付く。

そして、慶応義塾大学の入試。坪田先生にお守りをもらい、2学部を受ける。

文学部はダメだったが、総合政策学部に見事合格するのだった。

「意思あるところに道は開ける」




そんなお話でした。

うん、有村架純、かわいい。一生懸命やってるのがまたかわいい。



お話も勉強に関してそんなうまくいかねぇよ・・・って思わされることも少なくて、

それくらいに勉強していました。恋愛とか、そういうことにうつつを抜かさないで、

とにかくとにかくがんばっている姿を、応援したくなって、

受験の合格を拳を握って願いたくなるような、そういう青春を感じる良い映画でした。

やっぱり、がんばっている姿というのは、その周りの人の心を動かすものなのですね。

自分も何かに打ち込んで、人の心を動かせる人間になりたいなぁ。

結構おもしろかったです。

それにしても、「意思あるところに道は開ける」っていい言葉ですね。

調べてみると、リンカーンの言葉なのだそうです。

おわり。






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「ドラゴンボールZ 復活の「F」」観ました。

なかまくらです。

「ドラゴンボールZ 復活の「F」」観ました。



あらすじ。

フリーザの部下の生き残りが、ドラゴンボールを使ってフリーザを復活させた!

フリーザは復讐を誓い、生まれて初めてトレーニングをする!

戦闘の天才がトレーニングをしたらどうなるか・・・!

地球に迫りくる脅威。それを伝えに、銀河パトロール隊員のジャコがやってくる!

おい、ジャコ、あんた、作品違いまっせ(笑)。

そして、現れるフリーザと、1000人の戦闘員。

立ち向かう孫悟飯、天津飯、クリリン、ジャコ、亀仙人。

・・・え、亀仙人?笑 老師さまも、頑張ってました。

そして、雑魚を蹴散らしたものの、パワーアップしたフリーザに対して、

鍛錬をサボっていた孫悟飯では、勝負にならない・・・!

そこに、破壊神ビルス様の所で修業していた孫悟空とベジータが帰ってくる。

悟空は、スーパーサイヤ人ゴッドの力を応用したスーパーサイヤ人の力を身につけていた。

しかし、フリーザも、更なる進化”ゴールデンフリーザ”となって戦いは激化する。

やや勝るゴールデンフリーザ。ところが、ベジータと悟空は協力しない。

”弱点”を見つけたと悟空は言う。そして、まあ、勝っちゃうわけです。


そんなお話でした。

ベジータもスーパーサイヤ人ゴッドの力を応用したスーパーサイヤ人になっちゃったし、

なんじゃこりゃ(笑)。

とにかく、なんというか、悟空強くなりすぎやな、という印象。

うん。なんか、もう、悟空って、ずっと本気で戦ってない気がする・・・。

本気で戦えなくなっちゃったんじゃないかなぁって、そんな風に思いました。

ソード・アート・オンラインのキリトさんみたいに・・・。

なんだか、そんな寂しさを感じました。

まあ、もうちょっと苦戦してもいいなって、そう思いますね。

昔のドラゴンボールはもっと、熱かったぜ! というのが、正直な感想。

もっとボロボロになって、それで、みんなの力を集めて、悟空がそれでもって、

敵と一騎打ちする。そういうお約束が見たいな~と思うのでした。


おわり。










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