1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」観ました。

なかまくらです。

「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」観ました。



あらすじ。

突然、レインボーブリッジが爆破される。

近くで空撮をしていた企業からの映像提供によって、

爆破に使われたのはミサイル。ミサイルを積んでいたのは、

自衛隊で極秘裏に開発し、そして消息を絶っていた最新ヘリであることが分かった。

最新ヘリの特徴・・・

それは、機体表面に液晶パネルをとりつけ、そこに周囲の映像を映し出すことによって、

光学的に消えるように見えると言うものだった。

レーダーにはうつる。けれども、肉眼では見えない。

都市の上空を飛び回るヘリを撃墜し、市街地に落とすわけにも行かず、

手をこまねいていた。機関銃による撃墜は、肉眼で見えないために不可能。


そんなこととは関係なさそうな、特車2課。

・・・ところが、外事3課の高畑は、

「”超法規的”というのは、特車2課のよき伝統でしょ?」

と、そんなことを言い、事件を持ち込んでくる。

事件の首謀者は、柘植という男の新派であった。

柘植は、2002年、東京にてやはり幻のクーデターを起こした男であった。その再現をやろうというのだ。

柘植の行動を止めたのは、先代の特車2課・・・後藤隊長、南雲隊長であった。

2代目の隊長、後藤田隊長は結局同じような道を辿っていた。

政治犯として収監されている柘植に「今でも正義を信じているか」と尋ねる。

柘植は答える。「それを信じているから、私は今もここにいる(自殺していない)のだ」


そして、後藤田は、消息不明のはずの南雲から連絡を受ける。

強奪するときに殺害したヘリの同乗者から足が付き、格納庫の見当をつける。この格納庫に突入する特車2課。

銃撃戦の果てにヘリは飛び立つ。

そして、特車2課の工場を破壊。続いて警視庁本部を破壊。

最期の給油を済ませ、最期の目的地に進んでいく・・・。

特車2課の破壊したはずのレイバーが、そこに立ちはだかる。

ただし、旧式なので、動くのは3分くらい。

3代目特車2課のメンバーは、このヘリを止めることが出来るのか!?



そんな物語でした。

うん。

うん。うん。

なにから話そうか(笑)。


まずね、パンフレットが手には入らなかったです。くそぅ・・・。

公開わずか1週間くらいしか経っていないし、しかも、

・・・正直あんまりお客さんは言っていなかったわけですが(心配)、

だが、パンフレットはない! くそぅ・・・。

なにを表しているかというと、一人一人の観客が、濃いってことですね(苦笑

見に来た人はみんな欲しいというね。

映画としては、そう、なかなかよかったわけです。

まあ、既に公開されていた1~7章の作品を観れば分かりますが、

アニメ風に落とし込まれた演出・映像は、圧巻。

こんな場所がまだ日本にあったんだな。そんな映像でした。

それって、実は、今の日本にはない映画がなんですよね。

都市というものの複雑さ、そして閉じた空間の果てしなさを魅せられました。

ストーリーは、まあ、劇場版パトレイバー2とだいたい同じ感じでした。

それを登場人物が変わったから、それに併せてちょっと脚本に絡ませて変えた感じ。

だから、なんだろう。それはすごい違和感だったんですよ。

つまりね、首謀者がいないんです。どちらにも。

味方にも、敵にも。

テロリストたちが何をしようとしたのか分からなかった・・・。

彼らは何がしたかったのか? そして、彼らを束ねていたのは誰だったのか・・・?

その姿は見えなかったのです。

荒川さん(竹中直人)がきっと出てくるだろう、と踏んでいたんですが、

彼は出てこなかった。彼は単にゲームの達人のおっちゃんでした。むー。

じゃあ、敵さんは、そうだとして、味方はどうだろう。

平和ボケした3代目特車2課の面々が、

公務員の地位を危険にさらしてまでミッションに臨んだ理由は何だったのか。

それが分からない。

それは、まるでシナリオがそう言うように仕組まれているから、そうしたんだと言わんばかり。

でも、メタ的な意味があるんじゃないかって、そんなことも思うのです。

つまり、今の行動を起こすリーダー不在の社会を反映しているんじゃないかって。

ある特定の強い人間がいるわけでもない。そんな中で、なんとなく動いていく・・・。

そんなことを暗示しているんじゃないかって、そんな風に思ってしまいました。


・・・でも、個人的には、もうちょっと2課の面々のシーンを増やして、

彼らの事件に対する想いを描いて欲しかったなぁと、思いますけどね。

だってどんなものにせよ、彼らには彼らなりの理由がきっとあったはずですよ。

それが、現代人特有のものかどうかは定かではありませんが。


さて。

実写化すると言ったときは、どうなるかと思いましたし、

しかも、ふたを開けてみれば、なんと、全くの新キャラクターで、

3代目の特車2課を描くと言うことで、最初はどうなることやら・・・

と思いましたが、それぞれのエピソードを観るなかで、

彼らにもちゃんと愛着がわきまして、「なんだいいじゃん、こいつら」

そんな風に思えるようになりました。
あとは、音楽がいいですね。OPが、今回の劇場版では流れませんでしたが、

1~7章で流れたOP、とっても良いので、機会があったら、聞いてみそ。

最後、劇場版も観れて満足でした。

おわり。





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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」観ました。

なかまくらです。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」観ました。



あらすじ。

リーガン・トムソンは、今はすっかり落ちぶれてしまったが、

20年前は、ハリウッド超大作「バードマン3」で主役をしていた。

そのリーガンはレイモンド・カーヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」

のブロードウェイでの上演に役者人生にかけていた。

その上演の直前、役者が1人、怪我で降板する。

かわりに見つけてきたマイク・シャイナーはとんでもない男。

役者としては一流だが、性格は最悪。空気ってものが読めない。

あるいは、読めないふりをしている。自分のことしか考えていない。

そんなまま、プレビュー公演を迎えてしまう。

この芝居のラストシーンは、リーガン扮する男が、

妻を寝取られ、自殺するシーンで終わる。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

そう言い残して。

プレビュー公演は回数を繰り返していく。

リーガンは妻に見捨てられていた。

リーガンの娘は、ドラッグ中毒のリハビリをしていた。

リーガンは、娘とうまく話せないでいた。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

リーガンの奥に潜むバードマンが囁く。

「お前がバードマン4をやれば、大ヒット間違いない」

リーガンの娘は、自分勝手なマイク・シャイナーとキスをしていた。

リーガンは、ネットをやらない。

だから、インターネットの普及した現代において、

彼は、とっくに忘れ去られた存在となってしまっていたのだ。

ところが、トラブルで街をパンツ一丁で闊歩したリーガンは動画サイトに登場する。

そんな中、プレビュー公演が終わり、初日を迎える。

初日。

1幕の評判は上々。

それを知らずに最後の幕の出番を待つリーガンの元に、別れた妻が訪ねてくる。

リーガンは、妻と別れた後に入水自殺をしようとしていたことを元妻に打ち明ける。

そして、リーガンは、銃を手に、最後の幕を引きに舞台へと上がる。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

そう言って、銃の引き金を引く。

その銃は本物であり、リーガンは鼻を吹き飛ばされる。

そして、世間の話題をかっさらうことになる。

リーガンは、バードマンに別れを告げ、自由になったのだ。


そんなお話でした。


・・・ん? アカデミー賞4部門を受賞した本作ですが、

これって、そんなに一般受けする物語かな?? と思いました。

でも、確かに面白い・・・かもしれない物語でした。

かも・・・というのは、理解できたような理解できなかったような、

というところで、もう一歩踏み出せない感じになっているからです。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

この言葉を、初め、リーガンは全く分かっていなかったように思います。

けれども、舞台を作り上げていく中で、自分という人間が愛されていないことを、

感じるようになっていく。それは同時にバードマンからの離脱を意味している。

バードマンから離れ始めたリーガンが発した言葉は、

ようやく、劇中の言葉を真実味のあるものにした。

だから、その舞台は称賛された。

そういうことなのだと思います。そんなどこかしっくりこない物語が、

私に、うまく言えないこんな思いを抱かせるのだと思います。

そんな映画でした。

そうそう。この映画は、まるで、ワンカットで撮られているようでした。

初めから最後まで、連続した1シーンのように、次々と出来事が起こるのです。

そんな不思議なつくりでした。

そんなところは、ちょっと芝居がかっている面白い挑戦だなぁと思いました。


引越してきて初めて映画館へ行きました^^

これまでと違う映画館。車で30分の場所でした。

もう一館近くにあるので、今度はそちらにも足を延ばしてみようかな。

おわり。





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「幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦/幕が上がる」観ました。

なかまくらです。




2本立てで観てきましたよ。

まずは、「幕が上がる、その前に。」

映画「幕が上がる」の製作ドキュメンタリー的な内容です。



例えるなら、プロジェクトXとか、プロフェッショナルとか、

そういういわゆるテレビでやるようなものを映画館で1800円とって

見せようというものです。

演技は素人のももクロメンバーの演技指導をするのは、平田オリザさん。

演劇界ではかなり有名な方ですね。

そのワークショップから始まります。

まずは、会話のキャッチボール→見えないボールでキャッチボールと進んでいきます。

演劇をやったことのある人ならば、ああ、一度はやったことあるなぁ、というあれです。

私も昔やりましたよ。

それから、いろいろな練習をしています。

中でも、演技を自然に見せるための練習は、印象に残りましたね。

私、自然じゃない代表みたいな人間だったので(笑)。

テキストのセリフの合間に、あいさつをしてみたり、時間を気にしてみたりと、

役者に負荷をかけると、余分な力が抜けて自然に見えるんだそうです。ははー。

プロはすごい。この一言に尽きます。

さて。

このあと、みるみる上達していくももクロメンバー。

まるで、映画のよう。劇中劇の一人芝居を実際に演じたりしながら、

成長していきます。そして、映画は、あっという間に、クランクアップ。

ここまでが、「幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦」


そして、そのまま梯子して、「幕が上がる」を観てきましたよ。



あらすじ。

弱小の演劇部・富士ヶ丘高校の新しい部長になった高橋さおりは、

来年こそは、勝ちたいと思っていた。顧問の溝口は、当てにならない。

そんなこんなで4月になって、新人美術教師・吉岡が赴任してくる。

吉岡は、演劇部にちょっとおせっかいをする。

気になった一同は、名前をインターネットで検索に掛ける。

すると、「高校演劇の女王」といった見出しが飛び込んできた。

高橋は、吉岡に顧問を依頼する。高橋の熱意に、吉岡は、手伝うことを約束する。

そして、彼女らは、一人芝居「肖像画」を上演するなど、力を着実につけていく。

それから、名門演劇部からの転校生も仲間に加わり、

秋の大会に向けて、苦心して台本を書く。

「銀河鉄道の夜」

宮沢賢治の名作だ。

どこでもないどこかへ向かって、歩き続けている自分達を表しているような

そんな作品だと思った。

合宿を乗り越え、地区大会を勝ち抜く。

そんなとき、演劇部は吉岡がからの手紙を受け取った。

吉岡は、演劇部の姿を見て、もう一度、役者を目指すことを決めたのだという。

ショックを隠せない演劇部一同。

しかし、彼女らはまた、最後に幕が上がるところまでたどり着くのだった。




そんなお話でした。

ももクロが・・・というのとかは関係なく、これは、青春映画の1ページとなる映画だった

そう思います。

ウォーターボーイズとか、スイングガールズとか、ロボコンとかね、

青春映画はいろいろありますが、恋が全然ないながらも、

この「幕が上がる」は、仲間入りしてもいいんじゃあないかと思う。

演劇を一度はやったことのある人だったら、きっと楽しめるのではないかと思います。

そして、ももクロ、けっこう、演技普通でした。

後ろのオーディションの子らがちょっと逆に気になっちゃうくらい。

女優・黒木華(はる)が、重要なキャラクターである吉岡先生を演じていますが、



もう、彼女の存在感は、凄まじかったですね。この映画の演劇に対する魅力を

体現する存在と言うか、とにかく、これは、すごい人がいたもんだ。

という感じでした。

あとは、転校生が、「人はみんなひとりぼっちなんだよ」って言うシーン、

感動しました。うん。

なかなか良い映画でしたよ。



おわり。







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「劇場版シドニアの騎士」観ました。


なかまくらです。

「劇場版シドニアの騎士」観ました。



TVシリーズが面白かったので、観に行きましたが、端的に言うと、総集編でした。
でも、映像がもともと良いので、劇場版でも迫力ある映像でした。

あらすじ

人類は、奇居子(ガウナ)なる未知の生命体と遭遇し、そして、宇宙をさまよう種族となっていた。

そんな人類の拠点のひとつ、巨大船シドニアを舞台とした物語。

主人公は、地下で極秘裏に育てられた子供、谷風長道(たにかぜながて)。

彼は、かつてシドニアの危機を救ったヒロキの息子であり、ヒロキの操縦技術を受け継いでいた。

奇居子との戦いは苛烈を極め、仲間たちが次々と命を落としていく。

奇居子との対話を夢見た星白もその一人であった。

ところが、直後、星白を模した3体の奇居子が現れる。

そして、その一体を回収することに成功する。

しかし、奇居子の襲撃はさらにさらに苛烈になっていく。

科学者落合の作った奇居子と人間の融合体から作り出される人工のカビザシ兵器を持って、

人類は、シドニアの8000倍の大きさの奇居子に戦いを挑むのだった。


そんな感じでした。

TVシリーズとちょうど同じところまででした。完全に総集編でした。

ただ、改めてみて思いましたが、

これは、面白い物語だし、面白い世界観です。

漢字を上手にステータス画面に使っているのがいいんですよね。

変に英語にしないところがいいのです。

なんとなく、サクラ大戦の雰囲気を醸し出している気がしますね。

そして、謎めいた物語。


あとは、このアニメの一番驚くのは、CGなんですよね。

ぬるぬる動くんです。

でも、ちゃんと面白い。

これまで、CGでぬるぬる動くアニメって、基本的に面白くなかったんですよね。

連続的に動くからこそ、違和感を強く感じてしまう。

それをうまーく避けながら作られています。新しいアニメの可能性を感じますね。

二期も4月から始まるそうなので、楽しみにしています^^!








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映画「アニー」観てきました。


なかまくらです。



映画「アニー」観てきました。

ミュージカルとして人気のアニーをミュージカル映画に仕上げたものです。

あらすじ。

アニーは、ひねくれた里親ハニガンのもとで、5人で暮らしていた。

アニーには、日課があった。昔、両親が自分を捨てたという喫茶店。

その店では、金曜日の限定メニューがあった。そのメニューを注文するために、

両親がまた訪れるかも知れない。顔も覚えていない両親だけれども、

会ったらきっと分かる。そう信じて、金曜日は、喫茶店の終わる時間まで外で待つのだ。


里親の女ハニガンは、歌手になりたかった。しかし、夢叶わず飲んだくれとなり、市からの補助金ほしさに、里親を引き受けているのだった。子供たちへの扱いは決していいものではなかった。


スタックス社の社長・スタックスは、市長選に出馬していた。その目的は、自らの会社の発展。ところが、スタックスは、大の潔癖性。貧しい人間と触れあうことに嫌悪を抱き、支持が全くのびない。

そんなある日、ひょんな事から、スタックスはアニーを助け、

支持率UPの為に、アニーを6週間の間里親として預かることになった。

そんな中で、スタックスとアニーは互いに心を開いていく。

そして、互いにかけがえのない存在になっていく。

市長選の支持率もぐんぐんと伸びていた。

そんなとき、スタックスの雇われコンサルタントは、アニーの本当の両親をでっちあげ、

支持率をさらにあげる作戦を思いついた。そして、それには、ハニガンも絡んでいた。

感動の再会。しかし、スタックスもアニーも、どこか本当には喜べずにいた。

自分が本当にほしかったものって何だったんだろう。本当の両親?それとも・・・。

アニーが両親と行くときがやってくる。
そのとき、

スタックスの言葉に、ハニガンは、ひねくれてしまった心の奥底にある優しさに気付く。

ハニガンは、偽物であることをスタックスに伝え、スタックスは間一髪でアニーを取り返す。


そんなお話でした。

子供だった頃は、こういう貧しい子が幸せになろうともがく話に自身びっくりするほど、

心を揺り動かされたものですが、案外冷静に見れる歳になったようですね、私も。

まだ小さなアニーが明日はきっといいことがあるさと歌って、毎日希望を捨てずに生きている姿が健気で良かったです。

そんな姿に、大人たちは心を動かされてしまうのですね。

お金はあるけど、心は貧しい大人と、

お金はないけど、心は豊かな子供というのは、よく使われる対比ですね。

王道ですが、まっすぐな言葉にドキッとするよいお話でした。

おわり。






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