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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」観ました。

なかまくらです。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」観ました。



あらすじ。

リーガン・トムソンは、今はすっかり落ちぶれてしまったが、

20年前は、ハリウッド超大作「バードマン3」で主役をしていた。

そのリーガンはレイモンド・カーヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」

のブロードウェイでの上演に役者人生にかけていた。

その上演の直前、役者が1人、怪我で降板する。

かわりに見つけてきたマイク・シャイナーはとんでもない男。

役者としては一流だが、性格は最悪。空気ってものが読めない。

あるいは、読めないふりをしている。自分のことしか考えていない。

そんなまま、プレビュー公演を迎えてしまう。

この芝居のラストシーンは、リーガン扮する男が、

妻を寝取られ、自殺するシーンで終わる。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

そう言い残して。

プレビュー公演は回数を繰り返していく。

リーガンは妻に見捨てられていた。

リーガンの娘は、ドラッグ中毒のリハビリをしていた。

リーガンは、娘とうまく話せないでいた。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

リーガンの奥に潜むバードマンが囁く。

「お前がバードマン4をやれば、大ヒット間違いない」

リーガンの娘は、自分勝手なマイク・シャイナーとキスをしていた。

リーガンは、ネットをやらない。

だから、インターネットの普及した現代において、

彼は、とっくに忘れ去られた存在となってしまっていたのだ。

ところが、トラブルで街をパンツ一丁で闊歩したリーガンは動画サイトに登場する。

そんな中、プレビュー公演が終わり、初日を迎える。

初日。

1幕の評判は上々。

それを知らずに最後の幕の出番を待つリーガンの元に、別れた妻が訪ねてくる。

リーガンは、妻と別れた後に入水自殺をしようとしていたことを元妻に打ち明ける。

そして、リーガンは、銃を手に、最後の幕を引きに舞台へと上がる。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

そう言って、銃の引き金を引く。

その銃は本物であり、リーガンは鼻を吹き飛ばされる。

そして、世間の話題をかっさらうことになる。

リーガンは、バードマンに別れを告げ、自由になったのだ。


そんなお話でした。


・・・ん? アカデミー賞4部門を受賞した本作ですが、

これって、そんなに一般受けする物語かな?? と思いました。

でも、確かに面白い・・・かもしれない物語でした。

かも・・・というのは、理解できたような理解できなかったような、

というところで、もう一歩踏み出せない感じになっているからです。

「もう自分は愛されていないのだ。なら、俺はもう存在しないも同じだ」

この言葉を、初め、リーガンは全く分かっていなかったように思います。

けれども、舞台を作り上げていく中で、自分という人間が愛されていないことを、

感じるようになっていく。それは同時にバードマンからの離脱を意味している。

バードマンから離れ始めたリーガンが発した言葉は、

ようやく、劇中の言葉を真実味のあるものにした。

だから、その舞台は称賛された。

そういうことなのだと思います。そんなどこかしっくりこない物語が、

私に、うまく言えないこんな思いを抱かせるのだと思います。

そんな映画でした。

そうそう。この映画は、まるで、ワンカットで撮られているようでした。

初めから最後まで、連続した1シーンのように、次々と出来事が起こるのです。

そんな不思議なつくりでした。

そんなところは、ちょっと芝居がかっている面白い挑戦だなぁと思いました。


引越してきて初めて映画館へ行きました^^

これまでと違う映画館。車で30分の場所でした。

もう一館近くにあるので、今度はそちらにも足を延ばしてみようかな。

おわり。





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