1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

第57回 静岡県西部高等学校演劇協議会発表会 観てきました。

なかまくらです。

本当は朝から行こうと思っていたのですが、寝坊したために、

午後から、3校だけ観られました。
県立浜名高校「五人目」
浜松湖東高校「Break the bird cage」
浜松工業高校「天国(うえ)を向いて歩こう」

を観ました。
県立浜名高校「五人目」
・・・学校の教室のような所に集まった5人は、ふと、時間が進んでいないことに気付く。そして、その建物には職員室も、下の階に降りる階段すらもなく、どこまでも続く廊下があるだけだった。そこに置かれる、「WHO IS 5th?(5人目は誰だ?)」というメモ。実は自分たちは4人で、知らない誰かが入り込んでいるのではないか、という疑心暗鬼に駆られる中、ひとり、またひとりと、6人目の人物に消されていく。彼らが集まったきっかけはなんだったのか。彼らはそれぞれ、自分が生きていることが上手くいかなくて、ここに集まってきていたのだ。それを話せたとき、彼らは、忘れられていた5つめのルールを思い出す。それは、6人目を受け入れることのできる優しいルールだった。・・・というお話でした。あらすじとしては結構良く出来ていると思うんですが、これを物語として展開するための、言葉の選び方とか、緊迫感の表現とかが、ちょっと難しいなぁ、と思うお芝居でした。全体的に、現況を把握するための確認という感じの台詞が多くて、ちょっと観ていて退屈しちゃう感じでした。初めの入ってくるところでアドリブっぽく喋ったりするところとかは、すごく良いのですが、そのあと、演技で和気藹々としようとするところが、すごく不自然。食べるマイムとか、全員、いただきますってわざわざ言うところとかも。ただ、このストーリーだと、この不自然な和気藹々は、後半の、実はうわべだけの付き合いだったんじゃないかっていうところの、伏線? なんて思えてくるから面白いです。途中で、極端に不安になる登場人物がちらほら出るわけですが、それに対して、周りはちょっと落ち着きすぎだったかなぁとも思います。もっと、何、こいつ・・・みたいな険悪なムードになったり、ちょっと近づくの怖いなぁ、みたいな距離感を表せたら良かったかもしれないですね。それから、独白のシーンとその内容・・・。独白のシーンって高校演劇を観ると、どこかがやってるやつですねって感じですが、それを聞いているほかの登場人物ってなんだろうって思っちゃうので、なんか、うまく自分の背景を伝える方法ってないですかね、なんて毎回思うのですね。全体としては、役者さんはよく練習されていて、声が通っていたし、動きもそれぞれの違いがある動きであって良かったです。


浜松湖東高校「Break the bird cage」
・・・王女の元に、婚約の話が来る。王女は拒否するが、政略結婚やむなしということで、王様は両国の長年の戦争が終わると喜んでいた。ところが王女は、城内でばったり出会った盗賊シリルにくっついて、家出をしてしまうのだった。盗賊のシリルのアジトへ行くと、王国の大臣の悪事を知らされるのであった。王女はシリルと協力して王家の不正を暴き、大臣に良い国を作ると約束する。そして、なんと、シリルは隣国の王子だったのだ! ふたりは2つの国を繁栄させていくことを約束するのだった。めでたし。・・・というお話でした。えーっと、とにかくわかりやすく面白い出来でした! 役者さんもよく練習されていましたが、演出も良かったんだと思いますね。シリルが王子だとバレるところなど、とにかく分かりやすくできていてよかったです。王子の部下はどこかドライな感じがあって、フィーチャーされすぎなくて主役達がはえるのも良かったです。転換がちょっと長かったので、キャスターをつけるなどして、転がせるようにするといいかもしれなかったですね、あと、王宮の人たちはもうちょっと演技頑張った方が良かったかなぁと。料理長は、年相応さが欲しいですね。王様もしかり。王女は、もうちょっと元気さ。大臣は結構良かったですね。あとは、滑舌が全体的に苦手な人が多かったみたいなので、尺的にも時間があったので、0.9倍速くらいで、気持ちゆっくり、しゃべれるスピードで台詞を言ったら良かったんじゃないかなぁと思います。あっという間の1時間でした。楽しいお芝居でした。

浜松工業高校「天国(うえ)を向いて歩こう」
・・・あらすじ。自殺サイトの呼びかけで集まった男女5人が、自殺をしようとするのだが、途中で現金2億円が見つかったりして、死ぬのか死なないのか、みたいな話をしているところで、本気で死にたかった人は自殺して、もう1人が、残りの全員を皆殺しにして終わり、という衝撃的なお話でした。既成の脚本、これを選んだか~~という作品でした。タイムリーと言えばタイムリーだったんですよね。このほんの少し前に、座間の事件が起こったりしているわけで。逆に言うと、ちょっと不謹慎にも感じてしまうし、怖くもある・・・本当は、昔はそういう役割のものでもあったはずなんですよね、演劇って。さて、ダレることなく、新しい展開が出てくるので、飽きずに最後まで観られました。演技にエネルギーが溢れていて、聞き取りやすいので観やすかったです。初音さんのぼそっと言う台詞は面白かったですね。おじさんは、ちょっと動きに切れがあり過ぎて歳を感じませんね、もったいない。あとは、ちょっと動きのパターンを増やした方が良かったかなぁ。声の大きさとエネルギーと憎らしさみたいなのは、すごく良かったです。良くあれだけ1時間頑張りました。テンポ良く話が進んで、楽しく観られましたが、最後はどう解釈したら良いのでしょうね。上を向いて歩こうを歌うみんなと、司馬くんの間の溝は結末を予感させる伏線だったんだなぁ、と後から思いましたねぇ・・・。よく分からない人が本当は一番一途にそれを思い込んでしまっている・・・そんな風に思いましたが、どう受け取ってもらいたかったのかなぁ、誰に受け取ってもらいたかったのかなぁ、というのは、ちょっとショックが残るタイプのお芝居でした。あとね、記者の人、めっちゃ美人さんでした。そして、性格がよろしくないのが実に、よろしい感じでした^^笑 面白かったです。



というわけで、遅くなりましたが、やっと書きました。

今年の観た作品・・・3本しか観られなかったけども、どれも面白かったです。

11月に県大会があるそうなので、そっちも1日だけ観られるかなぁ・・・と思っています。

観に行こうかな~。楽しみですね。





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いういうあおあお

なかまくらです。

ガッキー可愛いですね(藪から棒に何を!?
はい、写真。

修正がどうとか、そういうのはさておき、

同い年なんですよね~・・・見えない。

私が年相応に老けているのに、何故老けない(笑

で、持論があるんですよ、私には。

なんか、20代後半になると、頬の上の当たりの肉が頬と分離するんですよね、

下の絵みたいに。


こうなると、たぶん小学生とかにおばさんと言われるやつですよ(ひぃ・・・!


・・・で、最近、私、ガッキーがYahooニュースとかで出ていると、

「いういう運動」と「あおあお運動」をやる癖が出来ました。

「い」と「う」の口を繰返しやるのが、「いういう運動」


「あ」と「お」の口を繰返しやるのが、「あおあお運動」
 

顔の筋肉鍛えるのって多分すごく大事ですよね~~。

若い顔でありたいですわ。

なあんて、思うような年齢になってきたんだなぁ(苦笑





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「私が悲しくないのは、あなたが遠いから」観ました。

なかまくらです。

10月14日、東京芸術劇場シアターイーストにて観ました。

「私が悲しくないのは、あなたが遠いから」

脚本・演出:柴幸男さんですね。柴さんのお芝居は、2本目。

1本目は「わが星」

圧倒的な衝撃をもたらした作品でした。全編がリズムに合わせて進んでいく。

真似できない独特の世界観でした。

その後、高校演劇で「あたらしい憲法のはなし」を観たんですね。

これが、高校演劇ながら、かなり良く出来ていまして、

脚本の面白さがちゃんと伝わってきたのです。

ならば、やっぱり柴さん、面白そうだと、観てきたわけです。


あらすじ

東子(とうこ)は、よくわからない悲しみと同時に生まれた。

生まれる直前に誰かが話しかけてくれていた。

隣で生まれようとしている妊婦さんの子ども西子(せいこ)ちゃんだ。

西子ちゃんは、逆子で生まれてくるかどうかも分からなかったけど、

先に生まれる東子を心配してきてくれたのだ。

東子は成長して、高校生になる。隣のクラスには西子ちゃんがいた。

西子ちゃんはいつも隣にいた。

高校生の途中で、西子ちゃんは、遠くの町に引っ越し、地震に巻き込まれる。

東子ちゃんは、高校を卒業し、大学へ向かう・・・その電車の中、

これまで通ってきた町、川を越えて通っていた高校、その町の風景を見て、

東子「いちいち共感していたら疲れてしまうから、共感しない」

なんて言うのだ。

それからまた西子から連絡があって、西子は西の国にいるという。

西の国では、テロが起こって、沢山の人が死んだ。

東子は大人になって、子どもと一緒に西の国を訪れる。

けれども、西子はいつも隣にいるのだ。

いつも、悲しいことは、東子の隣で起こって、

東子はいつでも、悲劇の外側にいるのだった。

そうした人生の終わり、それから始まり、東子は、わけもなく悲しい気持ちで、

おぎゃあと生まれるのだった。


そんなお話でした。

ちょっと、難しかったです(笑)。

物語の一番、訴えたい部分を捉えられたのかは分かりませんが、

感動はしました。

人が生きていく中で、自分はたまたまその一人ではなくて、生き残って。

それに共感してたら疲れちゃう。でも、本当は、そんな風には生まれてこなかったし、

自分に共感してくれる人がいたから、自分はこれまで生きてこられたんじゃないかって、

そんな風に思いました。もらい泣きをするのはきっとそんな理由なのだ。


舞台には、何一つ置いていなくて、二人の距離を表したり、川になったりとする

一枚の長い帯状の紙と、役者の芝居、後ろのパネルに映し出す映像だけで

世界を作り出していきました。

主演の森岡光さんは、キラキラしていましたね~。

年齢は一個下ですって。

感情がギュッと詰まった感じがして、楽しく、悲しく、

一緒に人生を旅させてもらえました。



やっぱりお芝居はいいですね。

本物の、そこにある感情に感動する。なんて素敵な体験なんだろうって、

そう思うのでした。

また観に行きたいな。






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伊豆市民ミュージカル

なかまくらです。

伊豆市民ミュージカルに出演してきました!

30分くらいの短いお芝居ですが、久しぶりの演技にドキドキでした。

「吾輩たちは猫である」という作品で、

夏目漱石が静養も兼ねて伊豆修善寺を訪れたところ、猫たちの逞しく生きる姿を見て、

猫の視点で小説を書いたらいいんじゃないかってことを思いつく。というストーリーです。

12月くらいに応募して、1月に役のオーディションがあり、

2月に入ってから、毎週金・土曜日に、東京からスーパーエキセントリックシアターの

田上先生が演出をつけに来てくださいました。

そして、なんとまあ、主役の漱石役をいただきまして、責任重大(!)でしたが、

一生懸命練習しました。久しぶりにこんな一生懸命やったなぁ。

もともと演技は上手ではなかったのですが、ますます出来なくなっていまして(笑)、

ボロクソにいわれましたが、それでも頑張って頑張って上手になる・・・。

ああ、楽しいなぁ、演劇って楽しいんだ! って、そんな1か月でした。

学生でやっていた時は、滑舌が悪くて、早口言葉の練習をしていましたが、

それでも、何言ってるか分からないって、よく書かれていました。

でも、今思うと、分からなかったら、なんも伝わらないんですよね。

噛み噛みになってしまうんだったら、ゆっくり喋ればいいんです。

気持ちを少しゆっくり動かしてやればいいんですよね。この年齢になったから、

分かることってあるんだなぁ。

演劇という楽しいものを途中で手放してしまったんだなあって。

田上先生に言葉をいただきました。「始めるのに遅いことなんてないって」

一緒にお芝居が出来たメンバーもいろいろな人がいて、いい刺激が得られました。

きっと同じメンバーが揃うことはない、一期一会というやつですね。

うん。また、チャンスがあったらやりたいですねぇ。



追記:伊豆日日新聞に載りました。http://izu-np.co.jp/nakaizu/news/20170227iz3000000004000c.html







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劇団群青復活第3回公演『ゴドーは待たれながら』 観ました。

なかまくらです。

劇団群青復活第3回公演『ゴドーは待たれながら』 観ました。

作・いとうせいこう 演出・三村友理 出演・藤田徹

@東広島芸術文化ホールくらら




「ゴドーを待ちながら」といえば、サミュエル・ベケットの傑作・・・

と言っても、ほとんどの人はおそらくどんな話かは知らなくて、

とにかく、ゴドーを待ち続ける男たちがいるが、結局最後までゴドーは現れない

という、それくらいのあらすじしか知らないのではないでしょうか?

そして、「ゴドーは待たれながら」。

その、待たれているゴドーのことを描いているのです。

1幕だけは、インターネットに訳編があり、それをさらっと読んでおいてありました。

その紹介をすると、

2人の老人がゴドーを待ちながら、他愛のない話をしているのですが、

何せ老人なので、目的をすぐに忘れたり、待ち合わせの目印の樹に首を括って

自殺しようとするくらい。

あとは、老いた召使を首にしようとしている老いた主人と、

お使いを頼まれた子供がちらりと出てくるくらい。



さて、それを踏まえての観劇。

2時間のお芝居ですが、ストーリーのようなストーリーはないので、

あらすじは割愛。

1幕は、

靴が脱げない老人との対比で、靴が履けないゴドーの苦悩からのスタート。

他人を待たせていることで優越感を持っているつもりなのに、

気が付いたら、待たせているという拘束感を感じている。

自由でいるはずなのに、自由になれない。

行く行かないの自由がないのだ。

しかし、右足の靴を履けず、家を出ていけないゴドーは、

待っている人間が、どうしたら、自分を好意的に出迎えてくれるか、

ということばかりを考える。

淡い期待を繰り返しては、自分を奮い立たせるが、

気持ちとは裏腹に、最後の一歩の象徴たる、右足の靴がどうしても履けなくて、

出掛けられないのだ。


2幕。

神様の孤独について考えるところからスタート。

神様なる存在がいたとして、その存在は、宇宙の外にいるはずで、

誰かに見られることもなく、いる。それは、バカなんじゃないか・・・と

ゴドーはそう感じる。

小さなことを大騒ぎにする様子は、他人とうまく関係を気づけない人の特徴、

象徴のような行動だと感じました。

胎児が母の腹の中で手術をして母を助けようとする妄想。

崩れそうな生活や、安心できる部屋を守ろうとする。この場所は安心できるが、

「起きろー! 目を覚ませー! お前は眠り込んでいるんだぞ!」

気持ちは、この場所を出ていこうとするのだ。

ところが、身体は、ついには椅子から立ち上がることもできなくなる。

そして、自分のことをバカなんじゃないかって、そういうところでお芝居は終わる。





**

ゴドーを待つ2人の老人は、ゴドーに何か大きな期待をしているわけです。

じゃあ、そのゴドーはどんな人物なんだというと、

ゴドーは、そんなに期待をされるような人物ではないんだという、

そういう話だったように思います。

あいつさえ来てくれれば、というその人物はどんな思いなんだろう。

孤独なのではないか。勝手な期待なのではないか。

待たれている男も自分ひとりの力では、何かを変えることが出来ない。

幻想かもしれない少年が来るのを待っている。何かが起こるのを待っている。






**


さて、

日本全国から懐かしい演劇団時代の仲間たちが集まって参りまして、

随分と楽しい時間が過ごせました。

出演した藤田くんは、まあ、よくぞ、2時間、ひとりで舞台上を駆け回りました^^!

三村さんも社会人として働きながら、ここまで作り上げたことに拍手ですし、

舞台監督の和俊くんも、あんたさんどこにいたのさ!笑

え、何、舞台だけ建てに来たの?笑

という感じで、すごく懐かしいメンバーの活躍に、元気とエネルギーを貰いました。

お疲れ様でした。


またね。





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