「>|<」観ました。
MUNA-POCKET COFFEEHOUSE「>|<(水)」観ました。
あらすじ
無色透明な水が観測できなくなってしまった世界。
水の研究者のドンペリは、最も優れた研究者アメとその旦那テルとも
親交のある仲であった。
水のある場所・・・川や湖を巡って、人々は争ったが、やがてその場所でも
水は観測できなくなり、枯渇して、争いは収束していった。
そして、水を巡る100年の物語が始まるのだった・・・。
天才科学者のアメは、エコエコシステムなるものを開発する。
それは、生物をその中に入れると、水が出てくるという装置。
それは、水がそうであるように、生物をそのエコエコシステムの中に入れると、
・・・観測できなくなるだけで、死んでいるかどうかはわからない。
だから、それは問題のない行為だということ・・・。
初めは動物を入れていく予定であったエコエコシステムだが、
やがて、人間を入れることになる。
ドンペリは、平等にくじで対象者を決めることを主張する。
人類が長い歴史の中で培ってきた平等や、尊厳や、愛を大切に思っていた。
エコエコシステムは一時しのぎのもので、この水問題を根本的に解決する方法は、
誰かが再び、無色透明である水を観測することであるという。
その観測の方法は、だるまさんがころんだ、であった。
人口が減っていく中、毎日、観測に挑戦し、失敗し続けていた。
そんな中、アメがくじに当たる。アメには雫という名前の子供ができていた。
テルはもういなかった。
アメはドンペリに雫を託す。
ドンペリは、1歳に満たない幼い子の子育てに奔走した。
その中で、これまで主張していた平等を曲げ、雫の生存のために、
騙し、エコエコシステムに投入していった。
やがて、2人だけになって、それでも水が不足することを知ったドンペリは、
自らもエコエコシステムへと身を投じていくのだった。
それから、長い長い時間が流れたある日、
雫はついに水を観測することに成功するのだった。
というお話でした。
なるほどーーーーーーーー。
ムナポケさんのお芝居は、「紙」で初めて見て、本作は2作目でした。
前半の謎のお笑い場面は、前作で少し耐性があったのと、
今回のほうが見やすくて笑えました。
物語としては、前作の完成度が恐ろしく高くて、最後のカタルシスは、
前作のほうが大きかったですが、今作は、そこに至る部分の満足感が高い作品でした。
ドンペリというキャラクターの心境の変化が非常に面白くて、
ドンペリは、前半、みんなのため、のように平等や人類の尊厳や愛を主張していて、
それはもっともな言葉に聞こえるのですが、後半になると、
雫へ愛情を注いでいるとき、その信念はすっかり何処かへ行ってしまうのです。
それに気付いたのは、水原さん(だったかな?)が、変な踊りを踊りながら、
皆の為と言いながら、結局自分の為だったんじゃないの? と言いながら、
エコエコシステムへ入っていく独白のシーンでした。
子どもがいる人の価値観と、いない人の価値観の対立が暗喩されているように感じて、
これをこうやって表しているのか、という部分は、痺れました。
また、水がだんだん赤くなっていくのも、生物の内部でも、水が不足して、
血が濃縮されて行っている感じが、実に気持ち悪い演出でした(誉め言葉)。
気付かないふりをして、生きていくのは苦しいのでしょうね。
私たちは、きっと、まだ気づいていないのだろうな、と思いました。
さて。最後は、雫さんに託されて、最後に水を観測します。
息も絶え絶えになりながら・・・。
命を繋いだ、というメッセージを感じるとともに、その一方で、
人間はもう他にはいないような感じがして、なんのために・・・、
という思いもある、終わり方だったな、と感じたのでした。
総じていうと、今回も面白い作品でした。
そういえば、タイトルの「>|<」は、量子力学のハイゼンベルグ表示で用いられる記法であるブラケットベクトルを意識しているのかな? とか思いました。
ただ、どちらかというと波動関数に作用する側になるので、どうなのかな、と思いましたが、もしかすると、人間は作用される側だったのかも、なんて思ったりしましたが、そのあたりは、勝手な妄想にとどめておこうと思います。
おわり。
