なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
「クワガタのトッピングあります」
2017.7.29
作・なかまくら
最後のゾウが苦痛に呻(うめ)きを上げた頃、最初のクワガタが成虫になった。
サクリス研究所では、歓声が上がり、そして、一瞬にして悲鳴に変わった。戦車の砲弾も通さない強化プラスティックでできた壁をあめ玉のようにねじ曲げ、突き上げるアゴ。
空いた隙間からゾロゾロと這い出るクワガタたち。それは見事なニジイロで、人の欲望そのものだった。
*
「なに・・・まだ夜中」 布団ごとひっくり返されて、門部(かとべ)は重い瞼を上げた。
「コール、気付いてよ」 イリノイリは、ふっくらとした胸を強化態スーツに手早く押し込み、腕部の装置のチェックをし、脚を下ろした。布団を足蹴にされたようだ。
「せっかく今日は訓練休みなのに・・・あの鬼軍曹が、さぁ・・・」と言いながら、次第に意識が覚醒し、イリノイリの強化態スーツをマジマジと見る。
「それを着ているってことは・・・」
「これは、訓練ではない・・・ということね」 一度言ってみたかった、そんな顔だった。
扉を開けるとそこはすでに、銃撃音と悲鳴に塗(まみ)れていた。
連続的にリズミカルに撃鉄が弾丸を撃ち出し、次々と打ち込まれていく。ニジイロの壁が衝撃に身体を小刻みに振動させならがらも通路を侵攻してくる。マシンガンの撃ち手が踏み潰されて残り、通路の折れ曲がるところで、ニジイロは壁にぶつかって動かなくなった。
スケールはおかしいが、明らかに・・・
「なによあれ、明らかにクワ・・・」 イリノイリの口がその名前の形に動いて、
ガタッと音がして、次の個体が通路に姿を現した。
「おいおい、マジかよ、何匹居るんだよ! 湧いてんじゃねえよ!」 門部は悪態をつきながら、スーツの腕部から、ブレードを引き出す。そのままの流れで跳躍、一歩の内に、二つのアゴの後ろに跳躍、頭部にブレードを突き立てた。
「まだよ!」 イリノイリが叫ぶが、そのときには、門部のブレードを持っていた右腕は切断されていた。瞬間、痛みはなかった。左腕を振り、遠心力でもう一降りのブレードを引き出す。それをニジイロの身体の中心にそって、後ろまで走らせて、そのまま転げて、落ちた。
「ああっ、くっそ! くっそ! アゴ割れ野郎がよぉ!」 スーツの切断面が、ぎゅっと絞(しぼ)まり、止血を開始していた。
ガタッ、通路の向こうから音がしていた。
感覚が追いついてきて、脳にちりちりと迫ってきていた。切断面が異常に熱く、局所麻酔が分泌されているはずが、効果をなさなかった。自分の呼吸音だけが、妙に大きく聞こえた。
「・・・ぇ、ねぇ!」 耳元へと声が飛んできて、ああ、朝かよ、いつもみたいに大きな声で叫びやがって、と一瞬、惑い、それから、現実が急速に戻ってくる。ようやくスーツから意識を覚醒させる薬剤が適切に投与されたようだ。
「あ、ああ」
「逃げるよ」
ふらふらと立ち上がり、イリノイリの後を追った。イリノイリは最速最適の動きで前方のニジイロを切り開き、進んでいく。門部は、黙ってついて行く。疲れ切った子どものように、母の後ろをついていくように――――。
――――生まれた頃の記憶は最早なかった。最初の記憶は、身体強化のために埋め込まれたチップをボリボリと掻いている自分だ。そのときには、まだ同族も多かった。スクールと呼ばれる場所で、文字を習い、計算を習った。それから、ひたすらの訓練。成長期を迎え、身体の造りが男女ではっきりと分かれてきた頃、ポロポロと同族が欠けだした。「不可逆的破壊」なるものが起こり、細胞組織が置き換わっていかないとかなんとか、よく分からないことを自分たちにはよく分からないに決まっているとばかりに、研究者達は話していた。目の前で。訓練の果てが、これだったとして――――――。
――――――自分たちはなんのために生きてきたのだろうか。
「ねぇ!」 俯いていた自分に声がかかり、前を見ると、初めて見る本当の外の明かりが目に映る。それから、イリノイリの表情が。
「幸せになってやるんだから!」 近頃は至って無表情だったイリノイリの横顔がキラキラとしていた。過去最高に輝いていた。一瞬見取れて、それから門部は失った右腕のあたりを一瞥し、・・・これから得る新世界に目を向けて応えた。
「おう!」
*
その日、数百体のクワガタが空を飛んだ。航空機との衝突がいくつも起こった。個体によっては、数百キロという距離を一晩で飛んだという。
*
研究者は、後にこう証言している。マンモスが滅び、そして、ゾウが滅んだ。ならば、人間が持つ滅びの力に耐えうる生物でなければならない。そう考えた。それは、強さ、頑丈さ、そして、繁殖力である、と。そして我々は成功したのだ。なあに、人を襲って食べるわけじゃない、台風みたいなものだ。
*
テレビのニュースによれば、農村地帯で、食料が食い尽くされたそうだ。未確認ではあるが、初めて人を食べる個体が確認されたとも報じられている。
*
イかれたテロリストが、自分の10年間実行してきた計画を懺悔した。発表ではない、それは懺悔であった。その内容はこうだ。空気中に散布してきた特殊なウイルスは、人間のDNAを組み替え、そして、次第にある変化を引き起こすという。それを言い終わった後、イかれたテロリストは、メタルな音楽と涙を流しながら、旨そうにクワガタのステーキをほおばり、そして、クワガタのアゴで自分の胸を貫いて死んだ。
*
某所にて。
「遅いから心配した」 イリノイリは、カウンターの向こうからおかえり、と言った。
「思いのほか、しぶとくて」 門部が、まずドアを開け、それから切り出したクワガタのアゴを自慢げに見せた。
「状態がいいのね。高く売れるかしら」 イリノイリが家計を守る顔をし始める。
「ちょっと、待った! その前に、お客さんだ」 ドアを軽く2回ノックする。
「ほら・・・」
促されて一歩、二歩と踏み出した男。その脚の後ろに隠れる、小さな女の子。男のボロボロの服はクワガタとの戦いの後のようだった。
「あ、あのっ!」 男が、意を決したように言う。
「こちらの料理、クワガタのトッピングはありますか?」 後ろで女の子のおなかがキュウと鳴っていた。
人類は、クワガタにしか味を感じなくなっていた。
小さな人
2017.6.7
空はどこまでも青かった。
マヨシは、手に持っていた布袋を振り回し、走っていた。真っ直ぐに空を見ていた。青い空、何層もの雲、その雲の向こうにうっすらと光る銀色の影、聞こえるはずもない機関音を聞いていた。
政府は必死に隠すが、その存在は多くの星の、多くの人間達が知っていた。エグリオ。巨悪を徹底的に削り取り、世界を真球のごとく、平らかな世界にする義賊の名だ。その船は、銀色の卵形だと聞いたことがあった。
その船が、いま、この星に来ているのだ。
マヨシは、やがて立ち尽くし、速い呼吸を繰り返しながら、見えない水平線、遠く建物の影に消えていく船を見送った。
星に降りるときには、補給と人員の募集だという。だが、どこに降りるかは、誰にも分からない。光学迷彩の装甲板がその姿を包み隠してしまうからだ。
マヨシは、今のこの星の政府のやり方に最早我慢がならなかった。人民は働く場所を失い、飢え、そして生きるために盗みを働き、そして殺されていく。豊かなるものはそれを豊かなるもののために使う。マヨシはこれまで仲間を集め、レジスタンスを幾度となく結成したが、学生が終わり、大人になると、皆、離れていく。その繰り返しだった。
最早、これまで・・・と思ったところに、船がやってきたのだった。いまが決行の時だと思った。
マヨシは、ある早朝、何かを探すように周回を繰り返す船がやってくるのを待った。船が低い軌道を飛んでいた。タイミングを見計らって、政府施設に火をつけた。爆発が起こり、大きな狼煙が上がる。自分たちはここに居るんだ、貴方がたの同士となるべき男が、此処に。大声で笑いながら、大きく手を振って、銀色の卵形の船を見上げる。その表面に、マヨシの顔がいびつにうつっていた。止まることなく通り過ぎた船から、落下傘で何かが落ちてくる。その箱を開けると、その星の地図の上で、小さく爆発が起きて、消えた。
真夜中の湖
作・なかまくら
2017.2.22
「勝手にすればいい。それぞれの人生だ」
そう言おうとして、飲み込んで、逃げ帰ってしまったのだ。
それからというもの、どうやら心のどこかに見えない小さなヒビが入っているらしい。
しくしくと夜の帳が降りてくると、少し窪んだところがほんのりと湿りはじめる。
良くしたことにやましい感情はなかったと思う。それは、自分の二の舞になりそうな彼女を守ってあげたいという、自己満足だったのだ。
僕は無理に笑って、呼びかける。
「くれぐれもこちら側へ来てはいけないよ」
それは、川の彼方岸(あちらぎし)から此方岸(こちらぎし)への思いやりのつもりだった。見返りを求めるようなことじゃない。むしろ喜ぶべきことなのだ。彼女はこちら側に来なかったのだから。そうしてぼんやりと眺めていると冷たい水がざばぁざばぁと水が足元を濡らしていくから、たまらず少し後ずさりをする。それで遠くの方に目をやって、思わず静かになってしまう。
遠くから、ぼぉ、ぼぉ、と霧笛のような音が聞こえてくる。
いつの間にか、染み出した水は大きな湖になっていて、向こう岸は見えなくて、彼女はとうに消えている。代わりに首の長い何かの影が霧の中に浮かんでは消える。
首の長い何かの影は、近づいて来ようとしない。
彼女は今頃は・・・、いや、彼女が首の長い何かだったということだってあり得る。
今になって思えば、彼女のことを全く知らないような、そんな風に思えるのだ。
出会いはといえば、夕食に特製のシチューを作っていた僕のログハウスの扉を彼女が不意にノックしたのだ。思わず、はい、と返事をして、扉を開けてしまった。そのとき、どこかへ向けていた望遠カメラが、どこを向いていたのかはもう、忘れてしまった。だが、そのカメラをひっつかみ、思わず彼女の写真を撮った。ぱしゃり。
ブレブレだったそれ1枚だけが最初で最後。一瞬だけ、新聞社に送りつけるほど、舞い上がったのだ。
ログハウスはそのままになっている。
そして、窓の外の、夜になると現れる湖にカメラは向けられたままになっている。
たまにノックの音が聞こえる気がする。
けれども、僕はなぜだか湖から目を離すことが出来ない。
ノックの音が聞こえる気がする。
相手が違うと、耳を塞いで、金切り声で叫んでいる。自分の声が厭によく聞こえていた。
ノックの音が聞こえていた。
それが、小さくなるまで聞いていた。これから誰も来ないログハウスの一室で。
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