1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】闇に注ぐ

なかまくらです。

小説を書きたくなったので、2か月ぶりに新作です。

こんな時代ですが、暗闇の中に希望を探したい。

では、どうぞ。


「闇に注ぐ」
                     作・なかまくら
      

1日に夜は2回来るようになった。長い夜と短い夜が1回ずつ。
今の時間は2つの人口太陽が西の空と東の空を飛んでいた。
「ネリキ、お弁当は?」
「そんな時間かー!? 待ってたよ」
ネリキと呼ばれた青年は、パイプをつないでいるボルトの緩みがないか、確認を続ける。
「あーーん」
ネリキは、手を止めずに口を開ける。
「もうっ! 心を込めて食べてよね」 と言いながら、バスケットの中のサンドイッチを口へ運んでいく。もちろん、作業をしながらでも食べやすいように作ってある。
「うましうまし。うっ・・・かたし、」
「えっ、かたい!?」
「むぐむぐ・・・ボルトかたし」
「あーそうですね。もー、そんなにボルトが好きならボルトでも食ってればいいんだわ」
「ご、ごめんって! なぁ、イーサ」 ネリキは慌てて飲み込む。その慌てたままの手に握られたスパナが振り回される。
「あぶなっ!」 イーサと呼ばれた女性が頭を守ってしゃがむ。
「こらぁああっ!」
ごん、と鈍い音が鳴った。
「うごがっ!?」 ネリキは頭を押さえて、土の上をのたうち回る。
「スパぬぁっ!!? 痛った!? 親方それ・・・は・・・(がくっ)」 ネリキは動かなくなった。
「ネリキ!? ネリキ!?」 イーサが揺さぶるが、反応はない。
「それが、おめぇがイーサの嬢ちゃんに向かって振り回したものだってこと、分かんなくちゃなんねえ」 そうやって、厳しい顔をして見せる親方は、それから頭をぼりぼりと書いた。
「・・・とまあ、それにしてもちょっとやりすぎたか。こりゃあ、この後の周回はこいつには無理だな・・・」
「え、じゃあ、」
「しゃーねーな。2週目行ってくるわ。えーっと、整備は終わってんのかな?」
「途中だったと思います」
「やれやれ、まだまだ半人前か。あー、こっからだな」
そういって、てきぱきと親方は作業を終わらせた。
キラキラと七色に光る鉱石を炉にくべると、消えないように最低限燻っていた炎が途端に太陽のように輝きだした。
「何度見ても、綺麗」 イーサがそんな感想をつぶやくと、親方は笑う。
「あまり炎に見とれるな。俺も吸い込まれそうになることがある。けどな、光っているものに照らされているとな、自分の光を忘れちまう。火が消えた途端に、真っ暗になったように勘違いしてしまうんだ。それだけはならねぇ。大変な時代だ。それを乗り越える灯火はいつだって人間の中にあるはずなんだ」
人工太陽は、ガタガタと震え、炎を吐き出すのを今か今かを待っているような様相になってくる。それは、どう猛な龍。あるいは毛を逆立てる虎。あるいは人間の手には負えない何か神々しい存在のようで、襲い掛かるべき獲物を目の前にしているようだった。
「・・・じゃあな」 そう言って親方はその生き物のように震える人工太陽に乗り込む。
「お気をつけて」 イーサはなんとなく怖くなって、そう言った。
「あ、ネリキに虹の鉱石を買い足しておくように伝えといてくんな」
「はいっ!」 イーサは、柵の外に出る。人工太陽は地面を焼きつくしながら、浮上する。突風が吹き、イーサは柵の外側に立ててある支柱につかまる。やがて人工太陽は高度を上げて、西の空へと飛んで行った。遠く、遠くへと飛んで、地平線を覆うように並ぶ真っ黒なビルの後ろに消えた。
それから、どれくらいかわからない時間が経った。
1日に夜は1回来るようになった。長い長い夜が1回。
「忙しい?」 イーサが軽いバスケットを提げて、立っていた。
「忙しいね。もう一基あるといいんだけど」 そうボヤいて立ち上がったネリキはどう見ても忙しそうには見えなかった。
「ううん、今のままでもまあまあやっていけるよ・・・」
「そんなこと言うなよ。俺は嫌だ。こんな世界で生きていくのは嫌だ・・・こんな、暗い世界は・・・未来の見えない世界は、嫌なんだ」
「・・・うん」
ネリキは、あれからずっとそうだった。あの日、親方は帰ってこなかった。どこへ行ったかも分からなかった。暗黒地帯のどこかに落ちたのだろうことは想像できた。そこは計画黄道から外れた場所で、1年中、闇が晴れることはない。人が諦めた、人のものではない土地となっていた。だから、親方の行方も人工太陽の行方も分からないままだった。不作は進み、近くの市場を行き交う人も品物も次第に減っていった。
ネリキは、ずっと悔やんでいた。イーサはそれを知っていた。
「ねえ、松虫が鳴いてるよ」 イーサはそんなことを言ってみる。
工場として建てた小屋の周りの草の物陰にでもいるのだと思う。
「・・・・・・」
「チンチロリン・・・とは聞こえないかなぁ」 イーサの言葉は夜の闇の中に吸い込まれていく。それでもイーサは、闇に吸い込まれる言葉の一部でも、ネリキに届いていればと、言葉を注ぎ続けた。
「昔の人は、どんな暮らしをしていたのかな。私たちは、物心ついた頃にはもう、これが当たり前だったから。太陽って明るかったのかな。月って、どんな星だったのかな。ねえ」
「・・・ああ。そうだな」
暗いけれども、辺りは決して静かではなかった。虫たちが鳴いているし、蛙がゲロゲロと鳴いていた。太陽のあったころに比べると雨も減ったらしい。生き物も随分と減ったらしい。けれども、確かに息づいている。イーサたちも生きている。イーサの感じているその今の瞬間を、ネリキとも分かち合いたかった。ここ最近はいつかくるその瞬間をずっと待っている気がしていた。
「これは・・・?」 イーサがネリキの足元で仄かに光を灯す機械の前にしゃがんだ。
「緑色の屑鉱石で作った機灯(ランタン)。暗いけど」
「ねぇ・・・」
「先、帰ってくれよ」
「・・・うん」 イーサは立ち上がる。それは今日じゃなかった、それだけのことだった。
イーサは聞いてしまったことがある。
丘を上がっていくとネリキの小屋が見える。イーサはバスケットを持ち直して、明るい気持ちを引っ張り出して、それからその入り口から、見えるネリキの後ろ姿に声をかけようとした。でも、突然叫び声が聞こえて、イーサは立ち竦んだ。
・・・そう言われた気がして僕は走って逃げた! と聞こえた。続けて、叫ぶような声。
「・・・そう言われた気がして俺は走って逃げた!・・・そう言われた気がして俺は走って逃げた!そう言われた気がして俺は走って逃げた!」
ネリキは3度、続けて叫んで、気づけばイーサは耳を塞いでいた。小屋の壁に寄りかかって、そのままズルズルと背中を寄せたまま座り込んでいた。
混乱。そして、断絶を感じた。自分を傷つけるためだけの悲鳴のようだった。ネリキの闇が流れ込んでくるようで、怖かった。
「ねえ、君は、なにを言われたくないの? なにを言われたくなくて、あなたはそんなに怖がって生きているの・・・」 イーサはその言葉を心で何度も反芻して、それから、静かにその場を離れた。
イーサは聞いてしまった。けれども、それからも時間の許す限り、ネリキのもとを訪れ続けたのだ。
だから、ネリキの作ってくれた機灯(ランタン)は嬉しかった。あなたのせいじゃないんだよ。なんて言葉はきっと意味がないのかもしれないし、その言葉を言ってしまった時のネリキの顔が想像できなくて、イーサには言う勇気がなかった。ただ、親方の作りかけだった人工太陽を完成させるなら、ネリキしかいないと信じていた。世界を救うのはきっとネリキなのだと信じていた。
イーサはネリキを待った。この辺りの寒さは一層厳しくなっていた。辺りは薄暗いか、暗い。作物の収量も次第に少なくなっていた。人類に残された2基だけの人工太陽は、掠めるようにイーサ達の住む地区を通り過ぎていく。太陽を失った地区の民に対しての批難なのは明らかだった。人工黄道も変更を余儀なくされたのだ。それでも、限界が近づいているのは明らかだった。村の人に頼みこまれて、イーサはついにネリキを説得することを約束させられてしまう。
だから、今日のイーサの足取りは重かった。
「ねえ、ネリキ。・・・あのね」 イーサは久しぶりに食べ物がいっぱいに詰め込まれたバスケットを両手で前に持った。
「イーサ、渡したいものがある」 ネリキはなんとなくいつもと違うように見えた。
「・・・うん」
ネリキの小屋に入ると、赤と青の機灯(ランタン)が灯っていて、その下に、緑色の植物が育っていた。
「・・・なにこれ。すごい」 イーサは驚いていた。その植物は人工太陽の光を惜しみなく浴びてきたかのように、生命力にあふれていたからだ。
「いろいろと調べ物をしてて。親方の持っていた文献から見つけたんだ。植物が育つ光の色は決まっているって・・・。それで作ってみたんだ」
「もういいの?」 イーサはハッとして口をふさいだ。しまった、と思った。
ネリキは驚いたようにこちらを見つめるだけだった。それから、少しだけ歪な笑みを浮かべて。
「正直、思い出せば苦しい。でも、まずは今日1日、頑張ってみることにしたんだ」
「そっか・・・何かいいことでもあった?」 イーサは久しぶりに何も考えずにそう聞いて、
「植物はさ、赤と青の光で育つんだって。じゃあ俺たちは? 俺たちは何色の光があれば生きていけるんだろうな。贅沢だから七色、全部の光が必要なのかもしれない。親方を失ったばかりのた俺にとっては夜の闇の光だって必要だったのかもしれない。ただ、イーサがくれたものを、今度は俺があげたいんだ。少しずつでも」
「少しずつでも」
少しずつ・・・少しずつ・・・
小屋の中には、球体の機械がある。部品も足りず、鉱石も足りなかった。
けれども、忙しく動きまわる青年がいて、バスケットを持った女の人がいて。
そこには希望があった。





拍手[0回]

【小説】CBT顕現

なかまくらです。

サークルKの消滅を偲んで書きました(謎。

どうぞ。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++
「おい、CBTについて知っていることをすべて話せ」
突然かかってきた電話に、その後藤の裏返った声に、思わず捻りを加えたファッションの最先端を行くスマートフォンを捻じり返した。
「CBT? 新しいテレビ局の名前みたいだな」
言いながら、その言葉をベッドの横の電話第に置かれたメモ帳に記録する。
「いまどこだ?」「休暇中なんだ、と主張してみる」
せっかくの休暇だった。CBTという文字をぼんやりと眺めながら柏尾はぼやいた。電話越しにしばらくの沈黙。その後、地の奥深くからせりあがってくるような声が響いてきた。
「お前の休暇が終わった瞬間に俺のすべての有給休暇と現代の科学の粋を結集して、お前のすべての仕事をプルプルさせてやろうか?」
「ひえっ・・・!」「今どこだ?」「素元號ホテル」「アパートの近くじゃないか。迎えに行くから待ってろ」
久しぶりの休暇はわずか、自宅から数キロの町で終焉を迎えようとしていた。
「せめてもう一回風呂に入っておこう・・・」
柏尾は、あの風呂場を思い浮かべてニヤニヤする。そう、高級木材を惜しみなく使ったあの風呂にもう一度入っておこう、せめてこの儚く散ることを定められていたであろう休暇の終わりに。
「CBTは、人々の感情とともにあった」
ホテルにやってきた後藤は、そう言ってスマートフォンを机に置いた。画面の表面に貼られたフィルムが気化し、ホログラム生成アプリを通して、動画が三次元に投影されていく。そこに映し出されたのは、いくつかのものだった。
「欠けた石、鍋、乗り物と思われる金属の扉、ぬいぐるみの名前、などが今のところ発見されている。そのうちの一つがこれだ・・・」
そう言って、後藤はCBTと油性マジックで書きなぐってある茶封筒から“欠けた石”を取り出した。
「表面を指でなぞってみろ」
表面には、確かにCBTの文字があった。言われるままに柏尾はその表面をなぞった。
すると突然、視界がぐらりと揺れた。
「安心しろ、夢のようなものだから」
そういう後藤の声が、どこか遠くのほうで聞こえた気がして、それを最後に、どれくらいの時がたったのだろうか。
気が付くと、操縦桿を握っていた。
「先輩! まだやれますか?!!」 声が響いていた。ずっと前から呼ばれていたような、そんな気がして、一気に記憶が戻ってくる。
「すまない! 能動型の攻撃を受けた。再起動をかける。30秒時間を稼いでくれ!」
「言われなくても、さっきからずっとやってんだよ!! 早くしろよ・・・俺は気が短いんだ!」 さっきとは別の声。まだ若い声だった。
カシオは叫ぶと同時に、操縦桿を一度、押し込んでマシンを停止させた。正面のモニターの表示がすべて消える。そして間髪入れずに操縦桿を再び引き戻す。ヒト型のそのマシンのどこかで、灯が灯る音がした。画面に文字が躍る。CBT(Crystal Burn Technology)と表示され、クリスタルが鳴き声を上げるようにして燃え始める。人類が敵性生物に対して生み出した戦うための唯一の手段。クリスタルという鉱物を燃やし、莫大なエネルギーを得て動かす機械の巨人。画面が復旧し、外の風景が映し出される。停止時に凍結された駆動部分が融解し始め、柔らかな人工関節が振動を始める。起動まであと少しだった。あと少しのところで、人類の最後の敵となった能動型エネルギー生命体は、致死量のγ線をぐるりと一周放った。
焼け付いた画面の中で血を吐いて、意識を失った・・・。
「おい、CBTについて知っていることをすべて話せ」
突然の問いかけに、柏尾はしどろもどろになる。
「あ、え、CBT? クリスタル?」
そうか、なるほど・・・後藤はしきりに何かを書き始めた。そうか、自分は柏尾で、この目の前の男は後藤。仕事の同僚だ。後藤は、所謂オーパーツの研究で、オーパーツの作成原理の相談を工学系を囓りながら、工場で働いている自分は引き受けているのだった。
「さて、次、行こうか」
茶封筒から取り出されていたのは、鍋。
「ちょ、ま・・・」
気が付いたら、助手席でぬいぐるみを抱えていた。そこには、検体:V012とあった。
「ねぇ・・・」
泣きそうな顔と目が合った。綺麗な女性で、その女性は、同僚で、おそらく生き残っている人類の中では、世界一の科学者で、カシオの好きな人だった。
「ちょっと、ブレーキ、とれちゃった」
そう言って、ブレーキペダルを拾って見せた。この車は、峠を駆け上がり、人類が生き残っている最後の高地へと向かっている途中だった。隕石を舐めたと思われる鹿と、拾って持って帰った50代の男。2つの感染経路から、始まった感染爆発(パンデミック)は、宿主を見つけた時にはもう手遅れになりつつあった。通常、全人類の2割程度は、ある特定の病気に対して耐性を持っているといわれる。しかし、2系統を通り、多様なウヰルスへと進化したこと、死体を食らう野生動物が次々と感染したことから、収拾がつかなくなっていた。しかし、彼女は諦めなかった。ウヰルスに対抗するナノマシンのデザイン、臨床実験までは終わっていた。あとは、これを高地に避難していると聞く、最後の人類に届けるだけだった。しかし、CBTとかかれたぬいぐるみは、カシオに抱かれたまま、曲がり切れなかった車とともに深い崖の底に落ちていった。
気が付いたら、皿の上にいた。ぼやける視界で周囲を見渡していると、
「ちょっと! 静止質量が知りたいんだ」
目の前には、白衣を着た老人がおり、難しげな顔で、目盛りを読んでいた。
「電気抵抗で測るしかないからねぇ・・・まあ、おおむね65kg。いまは、危ない薬は処方できないのでな。おおむねでよろしい、ほい風邪薬」
「風邪薬・・・どういうことですか?」
柏尾が尋ねると、
「おや、記憶の混乱もあるようじゃな。川を流れていたところを拾ったのさ」
「川に? ・・・ありがとうございます。ところで、質量が・・・といいますのは」
「おや、記憶喪失は数年分かい! 質量を決めていた物理定数の測定技術が落ちてきて、それはニュースになったもんだよ。そこから、慌てて質量を定義する“原器”をその時の最高技術で作り直したが、これが、最近、レプリカとすり替えられてしまったようなのさ」
「・・・はあ」
「事の深刻さが全く分かっていない! 薬はね、人を生かすも殺すも分量次第! ところが、その分量がいい加減とあってはどうなるね? 正しい分量で作らんでどうするね。そこに煮立っている鍋だって同じだ。その鍋ももう、これで最後だ」
鍋が煮立っていた。鍋にはCBTと刻まれていて、おでんが煮立っていた。
気が付くと、誰もいなかった。ホテルの柏尾の部屋に戻ってきていたようだった。
世界中で突然同時に現れた、“CBT”の遺物。脳裏に浮かぶ滅びの映像(ヴィジョン)。CBTとは、なんらかの危険を表す信号なのか、侵略者のトレードマークなのか。
「・・・後藤?」
静かな部屋に、返事はなかった。窓の外、天気は良かった。これからでも、休暇を取り戻せないだろうか。まずは、そうだ。眼下に見える・・・あの、足湯に浸かりながら温泉卵でもどうだろうか。そのガラスに柏尾の背後に迫る影が映る。
とっさに柏尾は、前に転げて、落ちていたライターに火をつける。
「CBT! まじかよ・・・っ!」
そこには、ふやふやと空中に漂う茶封筒が存在していた。表面にはCBTと油性マジックで書きなぐってある。
一瞬の迷いののち、ライターを火が付いたまま、見るからに高級な絨毯に落とした。
ウール100%の絨毯があっという間に火の海になっていく。所詮は茶封筒、とどのつまりは紙でできている。その最後を確認することなく部屋を出た。
この世界にも破滅が近づいている。
柏尾は震えていた。





拍手[0回]

【小説】その後

なかまくらです。

今日は小説を投稿しておきます。

久しぶりですね。

最近考えている、生き方についての物語です。どうぞ。


==================================

「花道というのは、その人の功績を称えたり、祝福するために、用意するものなんだ。」
ある冬のことだった。小さな村。村から役人(元号と呼ばれる)が出ることに決まり、盛大に送り出すことになった。モモタは村の子供たちに、説明をしながら花向けの儀式作業を進めた。道に沿ってシャベルで土をひっくり返す。プルプルとした虫たちが顔をのぞかせる。その後、ふかふかになった土に小さく穴をあけると、花の苗を植えた。目線を上げると、村を出ていくケヤキが苗を持って忙しく動き回っていた。準備をしている村の人に声をかけては、にこりと笑う。モモタはそれを眺めていた。
彼女は塾でモモタの一つ下の学生だった。よく遊び、よく笑う学生だった。モモタははじめ、気にもかけなかった。いつか、この寂れた村を出ようと付き合いもほどほどに、勉強に励んでいた。彼が彼女を意識せざる負えなくなったのは、彼女が塾長の推薦で飛び級して同じ学年になったからだ。飛び級なんてものがあることをモモタは知らなかったし、遊ぶことにも夢中な堕落を内包する彼女に、一意専心に励む自分が劣るとは思えなかったし、努力は必ず報われると信じて励み続けた。
同じ教室で学ぶうち、彼女が才気にあふれ、愛されており、それを自分は多くは持たないこともよく分かった。けれども、先輩としてのささやかならぬ意地があった。
あるとき、花売りを名乗る男が、村に立ち寄った。モモタは、薬草学の知識を期待して、1晩の逡巡ののち、宿に借りている家を思い切って訪ねた。
「その、」
と、モモタは口の中で、朝から練習していた言葉を言ってしまい、扉の前で呆然と立ち尽くした。
「なにかな?」
部屋には、いくつかの植物が飾られており、寂れた村に似つかわしくない風景だとモモタは思った。
「わぁ、きれーい!!」
そのとき、後ろから花の香が風に乗って過ぎた。ケヤキだった。彼女は花で飾られた部屋の中へ入っていく。
「ほんとに綺麗ですね。私、お花を見るの大好きなんです! 色々教えてもらってもいいですか?」
「こんにちは、花が好きな人に悪い人はいない、というのが私の持論だ。そっちの君も・・・お友達かい?」
モモタは、どう答えたらよいのか迷った。しかし、ケヤキはにこりと笑い、
「ええ、おなじ塾で勉強している友人です」
そう答えて、モモタを招くような視線を送った。モモタはそれで初めて、敷居をまたいで、中に入ることができたのだった。その時間は楽しかった。花売りの男は知らない子供であるモモタたちにも親切だった。行商の中で出会った様々な人、文化、それを話してくれた。詩人としても食べていけそうな語りだった。
「おじさんは、これからどこへいくの?」
「首都に行こうと思っている。」
「首都はどんなところですか?」
モモタは聞いた。
「首長がな、花に溢れた都市にしたいっていうんだよ。問題もたくさんある。だが、夢のある人は良い。君たちもそんな大人になるといい」
花売りの男は、そんな話をしてくれた。
あくる日、モモタは荷車の手入れをしている男を見かけた。
「いつまでいるんですか?」
モモタはうまい言葉を知らなかった。
「花の種をね、仕入れていたんだ。」
そう言って見せてくれた。形の違う様々な種類の種が袋の中に詰まっていた。
「こんなにたくさん、どうするんですか?」
聞くと、
「海外のお客さんが、首都に訪ねてくるんだ。それに向けて、海岸から首都まで花の道を作る。それが今の私の仕事なんだ。」
水につけ、硬く捻りあげた布で荷車を拭いていく。荷車は土に汚れ、ところどころが欠けたりへこんだりしていた。それは、村の荷車と変わらない、けれども特別な車に見えた。首都への道を知っている車。
「モモタくんも首都へ行きたいんだったね」
「はい。この何もない街から出て、才能のある人たちと競い合って生きていきたいんです。」
モモタはそう答えた。
「なるほどね・・・」
花売りの男は、少し考えてこう言った。
「私がこうやって仕事に出かけるとき、皆がたくさんの種を持たせてくれる。私が首都に戻って、次の春には、花が咲くだろうね。外国のお客さんが、花の道を通ってこの村にも立ち寄るだろう。人も一緒さ。君は私のことをいずれ忘れる・・・。」
「そんなことはないです。」
モモタは否定する。
「ありがとう。そうしたら、いつか私は君の助けになれるかもしれない。君の友人や家族だってそうさ。君の心が蒔いてきた種が花を咲かせるんだ。でも、君の生き方ひとつで、君が去ったその地は荒れ野になるのだろうね。覚えておくといい。」
花売りの男はその次の日、村を後にした。
ひとり、新しい役人を追加で募集すると御触れがあったとき、学長にはモモタが呼ばれた。塾の成績のトップはモモタだった。学長は「ケヤキを推薦をしようと思う。」と言った。そして、モモタは「それがいいでしょう。」と答えたのだった。
「モモタくん。」
「おめでとう。俺もいずれ追いつくから。」
そう言って祝福の言葉と花束を贈った。
道には花が咲き、首都へと続いていた。





拍手[0回]

【小説】現代プルプル

なかまくらです。

タイトルは同タイトルというお題を決めて、みんなで書き合おう!

というところからの出自なので、なんかファンシーですが、

中身は、可愛くはないです(笑

最近、ずいぶんと哲学的である私です。どうぞ。


「現代プルプル」


                   さく・なかまくら
ゴミ捨て場でな、やり合ったんじゃに。
ひどくしわがれた声だった。鉄筋コンクリートの、優しさのないビルとビルの擦れそうな、隙間の奥のほう。室外機の上に彼は座っていた。
お前の祖父(じい)さんはな、そりゃあもう、ずる賢かった。
フッフッフ・・・、と笑うとそのすっかり老いた唇から、恐ろしく艶のある歯茎と年季の入った鋭い歯がのぞいた。
老猫は未だに爛々とした目をして、こちらを見ていた。
ゴミ捨て場でな、やり合ったんじゃに。祖父さんは、空も飛ぶじゃにゃか? あと額(ひたい)1つ分くらいで、ひゅっと、空に舞い上がるのが、得意じゃったに。でもにゃあ、あいつは、死んじまった。
ある日のことだ。いつものようにゴミ捨て場に行くと、あいつは、様子がおかしかったに。俺の姿を見ると、あいつは少し安心した顔をしたに。その意味が、当時の俺にはわからなかったに。あいつは、ゴミ袋にその体を横たえたまま、こう言ったに。
「これで、ようやく向こう側へ渡っていける・・・」
お前の祖父さんは、もともと渡鴉だったんだに。それは知っていた。だから、あいつに俺は洒落たつもりでこう言ったんだに。
「おう、後のゴミ捨て場はまかせろに!」
あいつは、笑って逝った。身体には焼け焦げた跡があって、雷に打たれたようだったに。
俺は、あいつを食った。
その味が、美味かったかと言われると、分からない。経験があるだろう、味のしない食事だった。味覚という感覚は、感情と結びついているのだと初めて知ったに。生き残るために、あいつの分も生き延びるために、食ったんだに。
老猫の顔は見えなかったが、その話し振りは、なぜか終わりが近づいていることを予感させた。
「今ならわかるに」
老猫は立ち上がっていた。その四つ足は震え、もはや野生としての終わりを迎えていた。
「先に死んだものが、後に生きるものの助けになることは、何も可笑しいことではないんだに」
命はそうやって巡るものだとようやく分かった。
もうすぐ、俺も渡るんだに。お前の祖父さんと同じように・・・。
しかし、若鴉には、意味が分からなかった。
ただ、このプルプルと震えている生き物が死んだら、食べてしまおうとは自然と考えていた。





拍手[0回]

【小説】駆除

なかまくらです。

久しぶりに新しく書きました。

戯曲は、いつになったら完成するんでしょうね(笑)。

まあ、気長に。

本日は、ちょっと暗めのSF風ファンタジーをお送りします。どうぞ~。



「駆除」


さく・なかまくら


 


あの頃の記憶がよみがえる。ざらざらとした白っぽい金属の床、壁。その壁に灰色をした蜘蛛がジッと止まっていた。


「うわわぁあっ!!」 少年の声が響いた。


「きもっ!」「誰か、殺して!」 何人かが固まる。手には、どこから拾ってきたのか、鉄のパイプを持っている。一人が息を浅く吸って、それをゆっくりと振り上げる。


やめたらどうかな? と、その様子をなぜか上から俯瞰的に眺めている自分が言おうと、口を動かそうとする。動かないから、これが現実でないことになんとなく気づき始める。


何度目かわからない嘆息をして、身体の力を抜いた。


もはや、どうしようもないのだ。


 


この後、この蜘蛛は信じられないほど素早い動きを見せて、逃亡を図る。「うわああっ」と少年少女たちは叫び、鉄パイプを振り回す。そのうちの一つが直撃し、ぐしゃりと潰れる。金属と金属がぶつかって響きあっている。そして、その少ない体液が目に留まることもなく、蜘蛛は再び動かなくなるのだ。そうして、この夢は終わる。


 


梅坂(うめさか)は自分の呻いた声で目が覚めた。ゆっくりと時計を見て、急いで支度を始める。極軽量の合金を編んだ防刃の下着を着込み、その上から、シャツを着る。買いだめしてあった携行食料をポケットに突っ込み、脛まであるブーツを履いてアパートの玄関を出る。「行ってきます・・・あ、」 扉を閉めようとして、奥の部屋から覗く、緑の影に気づく。「悪かったよ・・・ミルバス」 鳶蜥蜴のミルバスが、舌をチロチロとさせて抗議の目を向けていた。携行食料をもう一つ、袋から取り出して放って投げる。「これで勘弁してくれ、遅刻なんだ」 不満顔のミルバスを扉の向こうに残し、会社への道を急ぐ。


上層へと向かって積み上げられた建物。その外壁に据え付けられた階段を登っていく。


「梅坂!」 19階層で同僚の戸栗(とぐり)が合流してくる。


「今日は起きたか。今日の暦屋の予測情報、見たか?」 横に並んだまま、上層への階段を駆け上がっていく。


「まだ」 手を差し出す。


「忙しくなるぞ」 受け取ったチップを右腕のデバイスに差し込むと、情報がダウンロードされる。あと20秒。


上空には、人工太陽が青白い発光を伴って浮かんでいる。暦屋からの情報は、その運航予定に関するものだ。


「今月、日照量、少なすぎないか・・・?」 梅坂は今月何回目かのボヤキを漏らす。


「去年、博波地区の現職議員が負けたからなぁ・・・」 戸栗が同じ問答を繰り返す。


「汚職議員だった」 上層部分の増築資金を横領していたのだ。


「確かにしょうもない男だった。ただ、見えない役割を果たしていた、ということなんだろうな」 自分たちで選んだ道なのだから、仕方がない。そう言って、戸栗は話を区切った。会社のある上層階へのゲートが見えてきていた。


 


会社で、仕事道具を受け取ると、高速昇降装置で地面に降り立った。金属とは違う、土の踏み心地。人工太陽の光が遥か遠くに見える、薄暗い世界だった。


「相変わらず、くっせーな」 戸栗が毒づいて、


「マスク、してるだろ」 梅坂は冷静なコメントを返す。


「気分だよ、気分!」 カビとコケに覆われた世界。大昔に作られた建物の大半が背の低い植物に覆われているが、一部は、未だに住民がいる。窓に火の明かりが揺れているのが映っていた。IDを持たない、旧市民と呼ばれる住民たちだが、実際には犯罪者や流れ者が多かった。


「さて、と。早速お出ましだ」 奇妙な生物だった。黒い胴体は殻のように固い。ところが蜥蜴のように滑らかな動きをする。その胴体を被るようにして、仄かに発光する本体が中に見えていた。


 


「リドカリ」 その生物の名前を梅坂は気が付けば呼んでいた。


 


「ヤドカリみたいだろう?」 初めて連れられてここに来た時に、戸栗にそう言われた。臆病にも見える、発光する本体。あの頃の記憶が何故かよみがえっていた。白い壁にジッと止まっているあの蜘蛛の姿だった。


「こいつらが集まってくると、災害が起こる。こいつらな、身を守るときに酸を出すんだよ。それで、上層都市を支える柱が腐食しちまう。災害を呼ぶ生き物なんだ。駆除しなくちゃな」 戸栗は慣れた手つきで、道具を構えた。


 


やめたらどうかな? とはそのときは言わなかった。それを仕事に選んだのだから。実務的に処理をしていく、仕事に心やその優しさは求められていないことは分かっていた。


 


ところが、何故だろう、今日は目の前の「リドカリ」から目が離せなかった。今頃、朝ご飯の携行食料を食べ終え、物足りない顔をしている鳶蜥蜴のミルバスの顔が浮かんだ。今まで積もった雪をただ崩すようにその命を壊していたというのに、初めてリドカリに個性を感じてしまったのだ。


「危ないぞ!」 戸栗がリドカリの甲殻を強くたたいた。ぎぃぃん、と金属同士がぶつかったような音が響いて、近くの建物の窓ガラスが割れた。梅坂はハッとする。蜘蛛は潰れたが、リドカリは潰れることなく、そこに未だドウといるのだ。


「ボーっとするな。人が襲われた例もあるんだ」 戸栗が痺れる手を振っている。


リドカリは、手足を縮め、甲殻の内側に閉じこもっていた。人を襲う? 人が襲っているの間違いではないか。襲うから、身を守るために酸を出す。酸を出しているのは、自分と違うものを排斥しようとするからではないか。その、人間の臆病さからではないのか。


梅坂は、手を伸ばして、甲殻に触れていた。奇妙な感触だった。たくさんの銀を縫い付けた中世の鎧のような、滑らかなのに、手を切りそうな鋭利さを隠し持っている。生き物という感触だった。


「おい、梅坂? お前一体どうしたんだ・・・」


「連れて帰らないか?」 梅坂はそう言った。


「はぁ!?」 戸栗が呆気にとられた顔をしている。


「連れて帰りたい」 梅坂の心はゆっくりとだが、確実に決まっていた。あの頃言えなかった言葉を、言うのであれば今だと思えた。


 



 


暦屋は、40階層にある。1階層は10階前後の高さの建物からなり、居住区として提供されているのは、40階層までだった。その上は、オフィス街と、地区の統治機構が占めている。統治機構は、政府、裁判所、占星の三権からなっていた。暦屋はそのうちの占星、すなわち天候や天災、天や地から放出される氣の流れを読む人たちの集団であった。


「安芸(あき)様」 梅坂と戸栗は、暦屋の安芸の元を訪ねていた。


市井(しせい)との関係を大切にし、その意を汲む暦屋は、直接選挙で選ばれる政府の人間へと助言を行う組織であった。そのため、市民であれば、訪れれば話を聞いてもらえた。


「難しい顔をして、来られましたね。梅坂と戸栗」 安芸は、二人を抑揚の少し乏しい声で出迎えた。手元のタペストリーを編みながら、その糸目を観ているのだ。


「仕事・・・のことですね。二人は害獣駆除の仕事」


「その通りです」 梅坂が答える。


「そして、問題の本質を抱えているのは・・・」


「梅坂です」 戸栗が答えた。


「聞いてくださいよ、まったくこいつというやつは・・・」 そう毒づいて続けるので、梅坂は首をすくめて見せた。


 


「・・・なるほど、複雑な事情があるようですね」 安芸はそう言って、グラスの液体を飲み干した。


流石に、居住区にもって上がることは思いとどまった。そもそも、高速昇降装置を使う以上、一度会社へ戻らなければならないから、どうしたって発覚してしまう。そこで、少しだけ階層を登った旧3階層の一室に置いてきたのだった。一応、食べてくれた携行食料の残りを全部置いて。


「複雑も何もありませんよ、安芸様。単純にこの馬鹿野郎は、情が湧いたんですよ。災害の対象だってのに。バレたら間違いなくクビですよ、まったく・・・」


と言いつつも、戸栗も最後まで手伝ってくれた。リドカリは思ったよりもずっと軽く、大きな蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のようだった。それでも両腕を占領する大きさがあり、角を曲がるたびに、他の駆除員がいないか戸栗が周囲の安全を確認してくれたのだった。


「戸栗」 安芸が話の途切れない戸栗に声をかける。


「はい」 戸栗が返事をする。


「その子を大切にすると吉報有り、と出ています」 安芸は微笑んでそう言った。


「あなたたちのやったことは何か救いになるのかもしれないわ。これから起こる大きな出来事に対して、何か・・・」 そう言って安芸はタペストリーを編み続けていた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・あの、安芸様、何か起こるのですか?」


「おい失礼だぞ」 戸栗がたしなめる。暦屋は聞いてもらう場所であり、話をしてもらう場所ではない。それが暦屋を訪れる者のルールだった。それでも、


「あの・・・」 梅坂の不安はそれを振り切ろうとした。


「まだわからないのよ」 安芸はそう窘(たしな)めた。「このタペストリーは、大きすぎるの」


暦屋の占い師たちは、手の赴くままにタペストリーを編んでいく。そこには必然的に未来の出来事が編みあがっていくのだ。規模が大きければ大きなタペストリーになる、と聞いたことがある。実際、博波地区創立を予言したタペストリーは統治機構の建物のロビーにほかのものと並んで掲げられている。


「雨が降っていることだけは分かっているのだけど・・・。いいえ、もうお仕舞いにしましょうね」 安芸は手を止めて、そう言った。それが終わりの合図だった。


「また来て頂戴」


 


雨が降り始めていた。長い、長い雨が。


 



 


それからは、仕事はサッと片づけ、旧3階層のリドカリに会いに行くのが梅坂と戸栗の習慣となった。そもそも、止まない雨で地面はぐしゃぐしゃになっていて、作業がはかどらないことは、会社側も承知しているようで、リドカリの殻の回収の成果がやや少ない本当の理由には気づかれていないようだった。


「人工太陽をなぁ、こっちに迂回して寄っていってもらわないとこれはもうどうしようもないな」 戸栗がぼやく。


「隣の地区の増築で工事が集中するから、そっちに回っているらしいけど」 梅坂も聞きかじった話を挙げる。


「そういう順番なんだろうな・・・ああっ、それにしても、見つからないな、リドカリっ!」


「あんなにいたのに、どこに潜んでいるんだろう」


この日の成果も少なかった。もちろん、昼過ぎには旧3階層に移動を始めたためであったが、ただ、このとき、その本当の理由に気づいていなかったのは梅坂たちも同じだった。


 



 


そして、あの事件が起こる。


初めに、奇妙な風邪が流行っている、という噂のようなものが流れた。体温が保てなくなる低体温状態になってしまう風邪だった。それは低温火傷をするように恐ろしいもので、少し寒いな、と思っているうちに症状が進行し、身体が動かなくなってしまっているというものだった。次に、同じ症状の電脳風邪が流行った。電脳風邪は、脳に有機演算素子を埋め込んだ富裕層を狙ったコンピュータウイルスによるものであった。


「せめて、人工太陽で日照量が増えれば、症状の進行を抑えられるって、医者の先生が」


「風邪の設計者がいるはずさ・・・早く捕まるといいんだが」 その頃にはリドカリはすっかり捕獲できなくなっており、休職状態だった梅坂は、高いアパートを引き払って、5階層まで降りてきていた。鳶蜥蜴のミルバスの体温はなるべく頻繁に計るようにしていた。新種の風邪が人間以外に感染することだってあるだろう。


いったい誰が、何の目的で破壊行為を始めたのだろうか。免疫を攻撃するウイルスと、電脳ウイルスが同じ症状だということは、デザインされたウイルスに違いなかった。不満はある。一向に航路が変わらない人工太陽。最近乾いた地面を見たことがない。それに加えて、上昇する物価、仕事の減少、作業員の滑落事故の増加。暦屋は人で溢れ、安芸様にも会えていなかった。話しておかなければならないことがあったのだが。


 


政府の発表によると、この電脳ウイルスのワクチンプログラムを構成するカギとなるプラットホームは、“リドカリ”という生物にある、と思われる描写がタペストリーに出たというのだ。リドカリから抽出される光。それをビンに詰め、発症者を照らすと症状が改善すると思われた。政府はただちに100体の“リドカリ”の回収を各回収業者に命じた。


 


もちろん梅坂のところにもその知らせは来ていたが、応じるつもりはなかった。最早、リドカリがこの地区に生息していないことは知っていたし、人間の都合に嫌気がさしていたとも言えた。ただ、梅坂は、旧3階層に残されてしまった・・・いや、残してしまった、一匹のリドカリをどうするべきか、悩んでいたのだ。


 


梅坂は思案を巡らしていた。リドカリの存在を知るのは、戸栗と安芸様と自分だけである。


安芸様は何も話されないだろう。暦屋は何かを聞くものであり、話すものではないから。では、戸栗は。居を移してしまってからは、一度、訪ねてきただけで、その後は一度も会っていない。戸栗も妙に忙しそうにしていて、それっきりになってしまっていた。戸栗のことだ。別の仕事を見つけてうまいことやっているのだろう。だが、どうだろう。リドカリに懸賞金が付いたとして。それが喉から手が出るほど欲しい金額だったとして。秘密は守られるだろうか・・・。


 



 


梅坂は、下層へと下っていた。日の光は遠く、コケに覆われた足場を慎重に進んでいった。その一部が踏みしめられていて、それは誰かが自分よりも先に通っていることを表していた。梅坂の歩調は自然と早くなっていた。


 


「待てっ!」 建物に入った瞬間、梅坂は叫んでいた。


「武器を捨てろ! それからゆっくりと離れるんだ」 人工太陽の光も届かない薄暗闇の中、両手を肩の高さまで上げた影が、弱く発光するリドカリの隣でのろのろと動いた。そして、雲の一瞬の切れ間から零れた光が顔を照らして、すぐに消えた。


「・・・やっぱりそうなるのか、戸栗」 梅坂はうめいた。


「悪いな・・・、政府は血相変えて探してやがる」 戸栗が静かに佇んでいた。


「お前、どうした・・・?」 梅坂は思わずそう聞いていた。


「知ってるか? リドカリはな、もうずっと前から、この博波地区にしか出てなかったらしいぜ」


「・・・そうじゃないだろう!」 梅坂は思わず怒鳴った。声が反響し、建物を出たところで、外の雨に溶けて消えた。


「お見通しかよ・・・」


「捕まえてお金にするつもりじゃないんだろう」


「ああ」


「なぜ、テロなんて始めたんだ・・・」 梅坂には理解できなかった。


「なぜ、気づいたんだ?」 戸栗はそうやって薄く笑った。


「質問しているのはこっちだ」


「質問しているのはこっちもだ」 戸栗はからかうようにそう言った。


「・・・安芸様を訪ねた時に、問題の本質は俺にある、とお前は言ったな」 梅坂は、リドカリの姿を探していた。見当たらないのだ。


「ああ・・・」


「それがな、あとから思い直せば、わざわざ安芸様の言葉をさえぎってまで、そう言って、思えば思うほど不自然に思えてきたんだよ」 梅坂は、階段を目線の先にとらえていた。


「・・・それは、そうだろうな。あれは、失敗だったよ。せっかく、うまくやれてたのにな」


そう言うが早いか、戸栗は缶を放って駆け出していた。


「戸栗!」


缶は猛烈な勢いで煙を噴出させて、視界を奪っていく。梅坂も、戸栗の消えた階段へと向かった。銃声。立ち止まる梅坂。


「人類は、かつて作った建物を次々と放棄し、壊すこともせず、上へ上へと作り続けた」


声がした。戸栗の声だった。


「人口が増えたんだ、仕方がなかった!」 梅坂は会話をつないだ。


「一度壊し、片づけ、見直し、改めて作る、というプロセスを怠った」 声は、らせん状になっている階段に反響し、ずっと上のほうから、あるいは下のほうから聞こえるようで、どこにいるのか見当はつかなかった。


「それは、そうだ・・・」 梅坂は、戸栗が何を言いたいのか、なぜこんなことをしているのか、図りあぐねていた。この仕事を始めた時には先輩で、今では良い相棒だと思っていた。そんな男が何故、こんな恐ろしいことをしているのか。


「先生は、それではいけないと、再開発の資金をやりくりしようとしたんだ!」


「先生・・・?」


「そうだ、先生は横領して、私腹を肥やそうなんて考えていなかった。それが何故わからない!」


「先生とは、・・・戸栗、あんたは議員さんの支援者だったのか。だったら、もう一度、次の選挙で・・・!」


「先生は・・・死んだよ。だから、我々は、一度壊すことにしたんだ。このリドカリを一匹殺せば、それで可能性は消える。先生を破滅に追いやった世の中が生き残る可能性が」


銃声。


「やめろ・・・」 梅坂は銃を撃っていた。


「次弾も引き金を引くだけで撃てる」 構える手は汗で濡れ、おぼつかなかった。


「やめとけよ、そんな無責任な」 戸栗は少し馬鹿にするように、どこからかそう言った。


「無責任・・・?」 梅坂はその意味を図りかねて聞き返す。


「お前には決められないだろう? 俺を殺したところで、このリドカリを助けて人類を滅ぼすのか、このリドカリを殺して人類を救うのか、お前にそれが選べるのか?」


なるほど、そういうことになるのだ。梅坂は混乱していた。


梅坂は混乱した頭で、思いついた言葉を口にしていた。


「俺はな、時々、思い出すんだ。蜘蛛のことだ。デカい蜘蛛だ。みんなで囲んでる。デカいといっても、俺たちよりはずっと小さい。やめたらどうかな? という言葉が喉の奥までこみあげてきているんだが、混乱でうまく出てこないんだ。もはやどうしようもないのだという言葉も」


「何を言っているんだ・・・」 梅坂には、3つ上の階の居住施設のベランダに戸栗の姿がうっすらと見えた気がした。隣には、リドカリの姿も。ひとつ息をのんだ。


「あの時の蜘蛛は自分とは違う異質な存在で、気味が悪くないといえば嘘だった。ただ、どうだろうか。もし仮に、蜘蛛が飛びかかってきたら。迷わず攻撃するだろうさ。そんな想像をするくらいには、飛びかかってくる恐怖を理性で押さえつけているんだよ。理性的であろうとすればするほど、おかしなことになってくる。それが人間というものだとも思う。けれども! ぐしゃりと潰れた蜘蛛から少ない体液がにじんでこなくて、ホッとしてはいなかったか! 自分の魂を汚さずに危険を払ったことに安堵する心はなかったか!」


「梅坂、お前はずっとそんなことを考えていたのか」 小さな声が聞こえた気がした。


叫んで、銃を構えた。居住施設のベランダだ。煙の切れ間に見えたら撃つのだ。自分の魂を汚して、欲しいものを手に入れるのだ。いいや、欲しいものを手放すために、手に入れるのだから、梅坂の手元には何も残らないのだが・・・。


梅坂にはもはや、分からなくなっていた。ただ、自分の身体がさっきから妙に冷たく、妙にぼうっとするのを感じ、反対に何とか生きなければならないという衝動を心臓が絶え間なく送りだしていた。


 


そして、迷わず撃った。


空薬莢(からやっきょう)が、金属の床に落ちて響いた。







拍手[0回]

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

アーカイブ

フリーエリア

ブクログ



ブログ内検索

コメント

[11/24 なかまくら]
[11/18 きょうとのせんぱい]
[04/07 なかまくら]