1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】刻を運ぶ

なかまくらです。

そういえば、正月に書いたままになっていました。

新作です。どうぞ。

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「刻を運ぶ」
                             作・なかまくら
ラミジアは怒りに任せて、王の間へと立ち入った。無礼は百も承知だが、たった一人の妹のことなのだ。何かをしなければ、ならぬと思ったのだ。一介の漁師に過ぎないラミジアのその妹が、王子に見初められ婚約を結んだとき、ラミジアはそれを大いに祝福した。しかし、ほどなくして妹は、原因不明の病に臥せった。王子は、星占いに長けており、ラミジアの妹のために古い文献を読み耽り、ついにその治療法を探し当てる。それによれば「辰の刻に咲く『進化の花』」を摘み取り、煎じて飲めばよい、とあった。しかし、王はその希望を撥ね退けた。『進化の花』は、夜にしか咲かず、辰の刻となる朝食の頃合いにはすっかり、蕾に戻ってしまうからだ。
 王は、謁見の間に乗り込んできたラミジアに同じ回答を繰り返した。可哀想ではあるが王としては、後継ぎに病弱なものは認められない。星占いの結果は摩耶訶示(まやかし)であり、存在しないことを示していると王はラミジアに伝えた。ラミジアの無礼な物言いを咎めないところに、王なりの事態への最大限の配慮が汲み取れた。そこに、王子が扉を押し開いて飛び込んでくる。息を整える間も惜しんで言葉を絞り出す王子はひどく憔悴し、肌は浅黒く変色していた。
「王よ! 海の向こうでは、朝が来るのが遅いと聞きます。それも道理。日は我国に先に昇り、それから彼国に昇るのですから。すなわち、辰の刻にまだ日が昇らない場所があるのです。これが、私の占いの示すところだったのです!」
王子の言葉はラミジアの胸に清らかな水のように染み込んでいった。ラミジアの筋骨隆々とした体躯の内側では、まさに静かに心が涸れ果てようとしていたに違いなかった。
「私に行かせてください!」
ラミジアの目は、先刻までの怒りに満ちたものではなかった。
「・・・わかった。だが、この旅の結末が、願ったものにならなかった場合には、お前の妹との婚約は、なかったものとするが良いか」
ラミジアは、ためらうことなく頷くのだった。
航海に必要なものを船に積み終えたラミジアに、王子はもう一度確認をする。
「未来の兄よ。逞しき勇士よ。貴君の妹君であり、私の婚約者である彼女の命を救うという使命を無事に果たされてほしい」
「託された」
「花は確実に、辰の刻に摘んでもらわなければ薬効がない。だが、彼国に刻をいかに運ぶのか。この度、科学顧問と話した結果、これを使うほか、思いつかなかった」
そう言って差し出されたのは、振り子だった。
「我国は、近年になって、時間を計る方法を見出した。振り子はその振れ幅に依らず、ひもの長さによって、一定の時間を刻むことが分かったのだ。しかし、彼国が我国から幾らの刻の差があるかは、明らかになっていない。正午となる刻を待てば、彼国の刻を計ることも、我国の刻を計ることも可能だろう。だが、その2つの刻は、未だまったく別のものとして存在しているのだ。ゆえに、刻を計りながら航海をするしかない。あなたに、3人の私の部下を預ける。彼らとともに、使命を果たしてほしい。妹君の憧れであったあなたなら、必ずや成功させるものと信じている」
手を取り、振り子を渡す王子に向かって、ラミジアは力強く頷いて見せた。
 王子の預けてくれた船乗りたちは、才に秀でた者たちだった。星を読み、天候を読み、船を進めていった。しかし、神は彼らに試練を与える。
「ラミジア。困ったことになった」
「どうした」
振り子から目を離すことなく、ラミジアは応答した。2回の昼と夜を揺れる船の上で、寝ずの番をして過ごしていた。振り子が10回振れると、1刻を120に分けた内の1つとなる。それを、木の板にナイフで刻み付けていく。
「それが、今晩あたり海が荒れそうなんだ。大時化が来るぞ」
小さく開けられた船室の窓から夕方の空を見たラミジアは覚悟した。刻を正確に読み取っていくことは、困難を極めるに違いなかった。船乗りたちは必死に船の揺れを抑える。燈りに揺らめくラミジアの影は身体で揺れを吸収し、振り子への影響を最小限に抑えようとしていた。刻は狂った獣のように秩序を掻き毟り、それは永遠に続くように思われた。すべてが刻に飲み込まれ、すべてが刻となり果てた。
 気が付くと、静かな海に浮かんでいた。そして、霧の立ち込める海上の向こうに陸地が霞んで見えていた。
 海岸に近くに咲くその花は、すぐに見つかった。王子の言った通り、辰の刻に正確に摘み取り、すぐに船は踵を返した。刻を計る必要はもうなかった。浮き出る肋骨を慰めるように、ラミジアは、漁の技術を披露した。だが、先の時化で帆の一部を破損した船は、順調には進まなかった。そこに黒い船が近づいてくる。
「ラミジア。あれは、海の野党だ。何もかもを持って行ってしまう野蛮な奴らだ」
 ひときわ大きな羽根つきの帽子を被った男が、ずい、と前に出てくる。それから人を脅すときの顔をして、すべてのものを置いて今すぐここから去るならば、見逃してやろう、という。ラミジアは、叫んだ。
「俺には使命がある。奇病に臥せっている妹を必ずや救わねばならない。たった一人の家族だ。これまで幸せなど、何一つ与えてやることができなかった妹なのだ。その妹が幸せになろうとしていた。その矢先の奇病だ。天はどこまで妹を試し続けるのか。健気な娘に何を背負わせようというのか。俺は妹のためにならなんだってする。そのために、この道を選んだ。俺も船もそのあとならば、どうなっても構わない。だが、お前たちに、運命に立ち向かうものにかける情けがあるならば、ここを通してはくれないものか!」
水は涸れ、喉が裂けるような叫びだった。
 それを確(しか)と聞き届けた海賊の長は、ひとつ頷いた。
「見ればお前たちは、われらと同じく海を生業とするものに違いない。そして、船は与えられず、王族からの無理な要求に従わざるを得なかったのだろう。ならば、汝らを無事に送り届け、そののちに、その船をもらい受ける、ということで手を打とうではないか」
 その言葉に、一同は静かに頷きあい、ラミジアも最後にはそれを了承した。
 国にたどり着いたラミジアは、王宮へと駆けた。息も尽き果て、呼吸もままならないラミジアを門を守る衛兵が抱え上げる。ラミジアは手に持った花筒を転がり出てきた王子に託すと同時に意識を失った。
 ラミジアが次に目を覚ましたのは、豪奢な寝具の上であった。世話役の下女が、部屋をいそいそと出てゆき、王子がしばらくして姿を現す。王子はラミジアの手を強く強く握りしめた。
「兄よ、よくぞ使命を果たしてくれた。薬は無事に薬効を示し、そなたの妹君は落ち着いている」
そう言う王子に、ラミジアは、しばし沈黙した。
「どうかしたのか・・・」
ラミジアは、ゆっくりと口を開く。
「王子よ。俺はあなたに兄と呼ばれる男にはなれなかった。俺は、この旅の道中で、王国を良しとしない海賊に出会い、その力を借りるために、王族の関係者であることを黙ったままでいることを仕方なし、とした。例え、それが妹の命を救い、使命を果たすために最も幸いな方法であったとしても、それは正しい方法ではなかった」
ラミジアは、そう言い切って、ふらつく足で立ち上がろうとする。王子はそれを押しとどめようとする。
「どこへ行こうというのだ」
「俺は、ここを去る。妹を幸せにしてやってほしい」
王子は縋りつき、ラミジアに懇願する。
「待ってくれ、兄よ。尊敬に値する兄よ。気高きあなたは妹のために、己が義を曲げてでも使命を果たさんとしてくれた。それのどこが、兄と呼ぶにふさわしくないというのか。それに、妹の幸せには、あなたの存在も必要なのだから」
ラミジアは、王子の言葉を受け止め、それからも王国で幸せに暮らした。





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【戯曲】海底探検

なかまくらです。

戯曲を書きました。最近そういうのが多いな、と思うのですが、

これも随分と昔に書き始めたお話で、2012年に途中まで書いてそのままに

なっていたのでした。

昔と何も変わっていないように見えて、少しずつ、物語の書き方も変わっていて、

書けるようになったこともあれば、あの時みたいにはもう書けなかったりとか、

そういう変化を感じるのでした。では、長すぎるので、リンクからどうぞ。

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  2024.3.24 海底探検 (60分; 男4 女0)
      *** 小さいころ、潜水帽をかぶったぼくは、本当の君をいつも探していた。
           その頃のぼくにはきっと魂はなかった。でも、今はある。
           与えてもらった。だから、感じるんだ、自分の魂も、湊のも。





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【小説】先生

小品ですが、どうぞ。



「先生」
                       作・なかまくら
                       2023/08/13

先生は私のことを旧姓で呼ぶ。
「先生!」「ああ、古井か。何年ぶりだ・・・?」
「5年ぶりです」
「・・・そうか、就職、決まったのか」
「はい。それで、私、もうすぐ、古井じゃなくなるんです」
「・・・それはおめでたい話ということ?」
「はい」私は薬指に光る指輪を輝かせた。
「そうなんだな、あの、お転婆姫だった古井がな。立派になったものだ」
「もう、あのときの私じゃないんです! 5年も経てば、私だって立派になりますよ!」
「そうだよな、それにますます、美人になった」
「え?」
「君を射止めた男はなかなかの選球眼を持っているな、うん。往年のスラッガーも選球眼がよかったから、あそこまでの活躍をだね・・・」
「なんですか、また野球で例えるんですね」
「好きなんだ」
その言葉は私を少しだけドキリとさせる。そういう意味じゃないことは分かっているけれど。
「・・・今日は、そんな報告をしにきたんです」
「そうか、ありがとう、古井」
「次に会う時には、見世になりますからね!」
「ああ・・・」

それからも、何度か会いに行った。
結婚式が終わったとき。妊娠が分かったとき。子供が生まれたとき。
「先生」「おお、古井か」「だから、『見世』になったんですって」「そうだったな。お前が高校生の時には・・・」
先生の中では私はずっと高校生のときのままなのだ。
けれども、人は変わっていく。大人になっても、ずっと変わり続ける。私だって、変わっていく。

「先生」「おお、古井か」
「・・・はい。お元気そうで」
「古井は、何かあったのか? お転婆娘が、めずらしい」
「私・・・見世じゃなくなっちゃった」
涙が込み上げてきた。先生は、いつもちゃんと私を見ていたのだ。

子供が生まれて、家庭に入って、私は働いていた頃の輝きを少しずつ失っていくのを感じていた。それでも、家族のためにと毎日頑張って。・・・浮気だった。君に魅力がなくなった、と言う夫は申し訳なさそうでもなかった。それでも最早、子供の幸せのために、親権を主張するべきなのかどうかも分からなかった。気が付いたら、先生のところへ足が向いていた。夫の転勤で東京を遠く離れていたから、まるで逃避行のようだった。
「私、どうしたらいいと思います?」
「どうしたんだろうな、高校生だった頃の、お転婆姫の古井なら・・・」
「え?」
「世の中を知って、変わっていくことも大切さ。けれども、あの時、自由だった心は、いまは、世の中というやつに流されて、水面から顔を出すこともできない。それは変わってしまったからなのか、あるいは溺れそうな心はまだそこにあるのか・・・どっちなんだろうね」
先生はゆったりと私を見つめていた。
私が瞳の中に忘れていった本当の自分を。





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【戯曲】アイディアの王国

なかまくらです。

コロナの自宅待機の後半2日は、体調がほぼ回復していて時間もあった・・・

・・・というのも、仕事道具の大半を職場に置きっぱなしで進められない。

ので、戯曲でも書こうかと。以前書き上げた小説「アイディアの王国」を

戯曲版にしてみました。文量が3倍なので、最早別物ですが笑

面白いかどうかは、書き上げた今日の自分では判断がつかない

(今は面白いと思って書き上げたところな)ので、また、

日を空けて読もうと思っています。

それではどうぞ。


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アイディアの王国
                       作・なかまくら
                       2023/07/22
登場人物
佐倉くん ・・・ 使用人
U    ・・・ アパートの管理人。浦島博士。
西塚   ・・・ 書けない作家
黒沢   ・・・ 才能の原石。ハルさん。
刑部   ・・・ 警察
宮瑚田  ・・・ 警察
1.

暗い舞台に人。明かりがつく。

暗い表情の男がいる。

暴動、悲鳴、諦観。そうした音に包まれている。耳をふさぐ。

ふと、気付く。彼は、本を手に取る。一心不乱に何かを調べる。何かを書き写す。それは有機化合物のような何か。

U   おい、だれか! だれか! 早くこっちに来てくれ! これを見てくれ! これが実現されれば・・・人類はきっと平和に・・・。

誰かは、頷き、走り去る。
明転。

U   こうして・・・意識の研究が進んだ時代に、そのサイエンスフィクションのような解決策は生まれた。・・・生まれてしまった。

U、はける。
佐倉、登場する。

佐倉   この国のことは隅から隅まで知っている。知ろうと思ったことは、それを見ている人が無意識に教えてくれるから。だから、まだ、この国にぼくの知らない場所があることを知ったときには驚いた。その場所は、工場の煙に包まれた隣町の外れまで行って、その先に広がる見渡す限りの耕作地帯も何日かかけて通り抜けて、それでもなお自転車を飛ばしていくと、あるらしい。どこか古い洋館のようなそこに行けば、物語に出会えるという。

佐倉   ぼくが、それを地図で見つけた次の日には、もう家を飛び出していた。学校は夏休みで2カ月間の休みに入るところだったし、両親には、サマースクールがあるとかなんとか言って。飛び出した。

佐倉   こんこん。こんにちはー・・・。

返事は帰ってこない。

佐倉   いつの時代の建物なんだろ・・・。

そこに後ろから入ってくる青年(西塚)。

西塚   あ・・・。

佐倉   あ、あのっ。初めまして、ぼくは佐倉といいます。この場所のことを教えてほしくて。

と言っている間に、西塚は二階の自室へと入っていってしまう。
抱えていた書類から、落ちた紙切れを佐倉は拾う。

佐倉   あ・・・落としましたよ。えっと・・・「“わたしの代わりにたわしを置いていくの“」。・・・なんだろう?


物語世界が展開する。(配役は良きように)。飛び出す絵本みたいなイメージで楽しんでやってください。ばたん、と扉が開き、西塚が現れる。そして、堂々とした声で。


西塚   舞台は文明開化の様相。

刑部   女性が独りで生きていくのがまだ難しかったころ。

U   ところが、この旦那様ときたら、とんでもない人で。

佐倉   ・・・えっ!? 誰ですか?

宮瑚田   だから、私は決心しましたの。この家を、出ていくって。

U   でも、元の家にも帰れない。

宮瑚田   だって、帰ったら、お父様にもお母様にも迷惑が掛かってしまうわ!

刑部   ああっ! いったい! いったい、どうしたらいいの!?

U   そっと姿を隠すしかないのではなくて?

刑部   誰も知らない街から街へ!

宮瑚田   でも、私だけが、我慢をしなければならないの?

刑部   なぜなんだ・・・?

U   それは、あなたがこの時代に生まれてしまったから、仕方がないことなの。

宮瑚田   でも、だったら、私は、私にできる、ほんの一握りの意地悪を残すのだわ。

西塚   “わたしの代わりにたわしを置いていくの“

刑部   たわし? なぜ“たわし”なのかしら?

U   無粋なやつだな。退場~~!

刑部   あ~~れ~~

宮瑚田   私のことなんて、毎日の家事をするお掃除婦くらいにしか思っていなかったんでしょう? だから、会いに来てもくれなくて。私は、このまま、古くなって、捨てられてしまうのだわ。

西塚   だから、たわしを身代わりに置いて行ったって、あなたはきっとしばらく私のいないことになんて、気付きはしないのだわ、きっと・・・。

U   そう言って去っていく彼女の顔は、けれども・・・。

西塚   ずいぶんと晴れ晴れとして、ニッ、と年相応に幼く笑って見えたのだった。

U   これにて、終幕! 解散!


ぞろぞろと解散していく。


佐倉   あ・・・これが、物語なんだ・・・。

U   ん? 解散だといったはずだが・・・君はそういえば、見かけない顔だね。

佐倉   あっ・・・えっと・・・すみませんでした!


U   ああー・・・そういうことですか。

佐倉   大変申し訳ございませんでした!


U   その紙を、見てしまったわけですね。この若葉荘の住人の書いたそのメモを。

佐倉   物語がこんなにも、こんなにも愛おしいものだとは知らなくて。でも、この物語はもう・・・。

U   なるほど、あなたもその世代ということですね?

佐倉   はい・・・。

U   それで、先ほどの想像力。なるほどなるほど・・・。はい。この件については、不可抗力ということにしておきましょう。

佐倉   えっ、でも、せっかく世の中に新しい物語が生まれようとしていたのをぼくのこの手で・・・。


U   ああ、あれは大した物語にはなりませんよ。もっと大きな果実が実らせるために、早めに摘み取ってしまうつもりでした。

佐倉   でも・・・。

U   ああ、まるで物語の主人公のようではありませんか。あなたは偶然訪れた古い洋館で、物語の一端に触れてしまう。その落ちてきた紙はさながらあなた宛ての切符のようです。その紙は、あなたがその手で西塚くんに渡しますか? ・・・宜しい。見たところ、あなたはまだ学生のようだ。あなたはひと夏の間、この若葉荘で使用人として働くことにする。その中で、多くの出会いがあるでしょう。それが、あなたの物語となるかどうかは、見極めさせてもらいましょう。


佐倉   ここで、働かせてください。

U   部屋は空いている部屋をひとつ、お貸ししましょう。何か質問は?


佐倉   あの、あなたのことを教えてもらってもいいですか?

U   おっと、そうですか。私は、Uと申します。例えるなら、物語の道先案内人。住人達には、鬼畜編集者と呼ばれたり、生卵を握りつぶすものと言われたり、ああ、あとは普通に大家さんと、呼んでくれる人もいますねぇ・・・。

佐倉   大家さんですね。ぼくは佐倉です。

U   おお、チェリーブロッサム?

佐倉   いえ、西洋医学で栄えた佐倉藩のほうです。

U   ふむ・・・まあ、いいでしょう。それでは佐倉くん、ここでのルールを一つだけ伝えておきましょう。

佐倉   はい。

U   私のいる小屋には、私に言いつけられない限り、決して近寄らないこと。

佐倉   それだけですか?

U   そう、簡単なことです。・・・守れますね?



2.
佐倉、エントランスの掃除をしていると、西塚が部屋から出てくる。


西塚   あ・・・。

佐倉   西塚さん! 先日はすみませんでした、あの、これ・・・。


西塚、紙を受け取る。


佐倉   あの、本当に、物語ってぼく、初めて読んで、感動しました。でも、すみません。物語に出会えるのは、1つにつき、1人だけなのに、そんな貴重なものをぼくは開いてしまった・・・。本当に申し訳なくて、それで・・・。

西塚   あの。

佐倉   はい?
西塚   な、
佐倉   え?
西塚   名前。
佐倉   あ、佐倉といいます。昨日からここで働いてます・・・。
西塚   そうじゃなくて。
佐倉   あ、・・・ええと、すみません。はい。


U   あっはっは・・・。ダメダメだね、佐倉くん。
佐倉   駄目駄目でした。
U   君、あれでしょ。喋れるタイプの人間関係苦手なタイプでしょ。
佐倉   苦手なタイプでした。
U   いやまあ、そうなるのも無理はない、か。
佐倉   フォローになってません。
U   だって、君、言葉で人とコミュニケーションとるの初めてでしょう?
佐倉   コミュニケーション?
U   そうだろう? だって、この国の人間はみんな、人造テレパスなんだから。思ったことはそのまま、伝わるんだよ。コミュニケーションなんて遠回りな意思伝達手段はもうすっかり失われてしまっているんだ。
佐倉   コミュニケーションって何ですか?
U   言葉や物のやり取りをして、相手と意思疎通を図る技術のことだよ。例えば、会話だ。
佐倉   会話・・・。
U   いいかね、会話っていうのはキャッチボールなんだ。
佐倉   キャッチボールでした。
U   会話っていうのは、相手の話をまず聞くことなんだ。
佐倉   はい。
U   それから、相手と話のペースを合わせないといけない。
佐倉   ペースを合わせる。
U   そうだ。そして、共通の話題を見つけるんだ。気になるあの子の場合にはこれが特に重
要だから、覚えておくように。
佐倉   気になるあの子って、なんですか!?
U   いまにできるさ、若人よ。よしっ! 行ってこい!


西塚   どうしたの?
佐倉   えっ!? あっ! はい! え、いま、ぼく、ずっとここに居ました?
西塚   不可思議なことを言う人なんだね、君は。
佐倉   佐倉です。
西塚   佐倉くんか。
佐倉   はい。
西塚   なぜ私の名を?
佐倉   あ、それは、管理人のUさんに教えてもらいました。
西塚   あの生卵を握りつぶす人か。
佐倉   ・・・本当にそう呼んでるんですね?
西塚   え?
佐倉   いえ。Uさんは生卵を握りつぶすんですか?
西塚   ああ。
佐倉   え?
西塚   この若葉荘には、作家になろうという人たちが住んでいる・・・。それをあの人ときたら、ヤレこの登場人物はなんだ、ヤレこの話の展開は無理があるだの、いちいち、卵から生まれようとする雛たちを握りつぶしてくる。

佐倉   へ、へぇ・・・そうなんですか。
西塚   そうなんですよ、だ。
佐倉   ははは・・・。


西塚   それで、君はどうしたんだ?
佐倉   紙を返そうと思って・・・。
西塚   返したじゃないか。
佐倉   しばらくここで働くことになりまして。
西塚   どうしてそうなる。
佐倉   実はよくわかりません。成り行きといいますか、罪悪感だったんでしょうか。罪滅ぼ
しに、と思ったからでしょうか。Uさんに、ここで働きなさいと言われたときに、うまく断れなかったんですよ。
西塚   なるほどな
佐倉   なるほどですか。
西塚   それが動機だ。
佐倉   動機・・・。
西塚   ミステリだとよくある。
佐倉   これは物語なんですか。
西塚   犯人はなぜ、そんな行動に出てしまったのか。
佐倉   それが動機ですね。
西塚   大家は、この動機を巧みに操り、人心を惑わす。
佐倉   そんなまさか。
西塚   佐倉くんは悪い人間ではなさそうだから気を付けて。
佐倉   ありがとうございます。
西塚   え?
佐倉   楽しかったです。
西塚   あ、うん。

西塚はける。

佐倉   よし!

舞台暗くなって、佐倉のところにだけ明かり。

佐倉   日記をつけることにした。今日は201号室の西塚さんと話ができた。どんな人だろ
う、と思ったけれど、話し出してみると、いい人そうだった。そうそう、両親には、サマースクールでしばらく家を空けると言ってあったから、大丈夫だろう。サマースクールは実際にあって、そこに参加していないことも知ろうと思えば、知れるけど、うちはやりたいことをとことんやりなさいという主義だし、両親は中央の仕事で忙しいから、すぐにはバレない。そのはずだ。

3.
刑部   なんかヤバい事件、起こらないかなー・・・。
宮瑚田   刑部さん、なんかすごいこと言ってますね。それでも警察ですか。
刑部   宮瑚田よ。
宮瑚田   はい、宮瑚田です。
刑部   ああ宮瑚田よ、宮瑚田よ。5,7,5。
宮瑚田   刑部さん、いまちょっと、ヤバいことが起こりましたよ。
刑部   起こってはいるんだよ、起こっては。
宮瑚田   これ、今月の我々の給料、先月の食事代で半分消えてます。
刑部   それもやべぇな! 経費で落とせって言ったろ!
宮瑚田   いや、だって落とせないお店とかあるでしょ! 刑部さんそういうとこばっか行く
んですから!
刑部   そりゃあ、趣味と実益を兼ねてだな・・・。
宮瑚田   言っちゃったよ、この人。趣味って言っちゃったよ!

刑部   まあ、そういうヤバいヤマはさ、闇から闇へと流れていくもんでしょ。そういうアン
ダーグラウンドには不思議な魅力とかがあってさ。
宮瑚田   ヤンキーに惹かれる女学生の気持ちは理解しかねますが。
刑部   そういうんじゃないよ。ただなぁ、確かにあるんだよ。分からないものに惹かれるっ
ていうのは人の本来の性としてはさ。
宮瑚田   うーん、残念ながら、ジェネレーションギャップ感じてます!
刑部   ああ、そうだよな。お前らは生まれた時からテレパスだもんなぁ。思いは伝わっちゃ
うもんなぁ。つまんねえもんなぁ。(顔をつまむ)
宮瑚田   摘ままれても、面白い顔じゃなくてすみません。
刑部   そういうところまで、面白くなくなるなよなぁ・・・。
宮瑚田   でも、当時は必要だったって、聞いてます。
刑部   ・・・ああ、必要だったさ。食料もエネルギーもいつ途絶えてもおかしくなかった。
でも、ないわけじゃなかったんだよ・・・。
宮瑚田   フードロスとか、省エネとか、習いましたよ。
刑部   ああ。だから、科学の発展か、文化の変革かを選ばなければならなかった。


刑部   浦島博士。
浦島   刑部くんか。外の様子はどうかね。
刑部   静かなもんです。今から起こることに、誰も気づいてはいない。
浦島   そんなものか。ほかの国の状況は。
刑部   情報が流れた国もあるようですが、封じ込めに成功したと聞いています。
浦島   では、ホモサピエンスのすべては掌握されてしまったということだ。
刑部   いま、人類を根底から変えてしまおうとしているというのに、それを踏みとどまらせ
る力も最早人類には残されていないということです。
浦島   いいや、刑部くん。意識とはそもそも何かということに我々は立ち返らなければならないのだよ。
刑部   あれですね。「われ思うゆえに我あり」デカルトです。
浦島   ああ。だが、もっと根源的な話だ。そこを飛んでいるハエに意識はあるのだろうか。
刑部   ハエに意識ですか? いや、そんなたいそうなものを持っているようには思えません
が。
浦島   では、魚は? 鳥は? 猫は?
刑部   鳥や猫は、子育てしますし、なんらかの意識があるんじゃないですかね。
浦島   その子育てっていうのは、どうしてできるようになるんだろうね。我々人間は、どう
して言葉を話せるようになるんだろうね。
刑部   むかし、オオカミに育てられたヒトが人語を話せなかったとか。
浦島   その通り。つまり、我々の中にあらかじめ備わっているだけのものでは、不足しているんだよ。我々一人一人が、外部刺激に対して、それを内部の意識に参照して統合して判断しているように、我々一人一人の経験が、どこかにある大いなるヒトの無意識に統合されて、意識を成長させていくものではないかと我々は考えたんだ。ヒトの歴史のどこかのタイミングでその主導権は各個人に委ねられることになった。
刑部   俺には、理屈だけでもさっぱりです。
浦島   そんな時代ももうすぐ終わるのだよ。私の無意識と刑部くんの無意識は、大いなるヒトの集合無意識を介して共有されることになるのだから。・・・だが、本当にこれで・・・いいのだろうか。
刑部   博士? 大統領も了承済みの計画です。
浦島   いや、忘れてくれ。失うものを数えるよりも、残されたものを大事にしていくべきなんだろう。そういうところまで、人類は来てしまったのだと割り切ることにしたはずなんだ・・・。
刑部   最終準備に入ります。



宮瑚田   なんだか、恐ろしい話ですね。
刑部   そう、恐ろしい話だったのさ。水にナノマシンを混ぜて流してよ、世界中の人の脳に定着させるんだ。それから、集合無意識の側から、「我慢」ってやつを人類全体に、命令のように送信して、抑制をかけたんだ。
宮瑚田   それで、人類は現代まで生き延びた。
刑部   確かにそうなんだよ。だけどなぁ、黒い煙を吐き出して、油を垂れ流すように走っていた自動車も個人では手に入らなくなってしまったし、霜降りのA5の牛ステーキだって、飼料を考えると効率が悪いのなんだのって、ことで全部人口肉と大豆のステーキに代わってしまった。
宮瑚田   刑部さんがそういうんだから、さぞかし美味しかったんだろうなぁ。
刑部   そりゃあもう、ウマいなんてもんじゃねえ。でかいヤマが片付いたりしたらよ、みんなで食べに行ったもんさ。おっと、想像しただけで・・・無意識さんから食欲減退のホルモンが分泌されてきやがる。
宮瑚田   無意識さん、機械みたいに正確ですね。
刑部   ああ・・・そうだな。実際、そうなんだよ。


刑部   そうだ、宮瑚田。明日も暇か?
宮瑚田   御覧の通りですよ。
刑部   少し、調べたいことがあったんだ。付き合えよ。
宮瑚田   はい、仰せのままに。


4.
佐倉、何やら本を読んでいる。

佐倉   意識の研究が進んだ現代において、そのサイエンスフィクションのような解決手段が考えられました。全体の意識を深層において中枢につなぐことによって、人々を一つの目標に向かわせようとする力学が生じるようになりました、かぁ・・・。
西塚   それで、物語は、初めの一人しか体験できなくなった。
佐倉   一人が読んだら、二番目に読んだ人は、なんか読んだことあるっていう感覚が邪魔をして純粋に感動できないんですよね。分かります。
西塚   それが、人類が犠牲にしたものだから。
佐倉   この感動を犠牲にしたなんて・・・。間違ってます!
西塚   間違っていても、間違いでなかったことにするしかない。
佐倉   そうですね。物語を書くのも、生活に余裕がないとできないですよね。
西塚   それは少し違う。
佐倉   そうなんですか。
西塚   どこか、その人の欠けた部分から、物語は生まれてくる。全く満ち足りた人から生まれてくる物語は、一瞬で崩れて消える。
佐倉   そういえば、ここには変わった人が多いですよね。203号室の黒田さんは、この前、落ち葉の並びが、ぼくが掃いて集めたために失われてしまったと、ひどく嘆き悲しんでいました。あれは悪いことをしました。
西塚   そんなことが。黒田さんの物語は、知っているか?
佐倉   ええ。群像劇ですよね。
西塚   思いもよらぬ、つながりを見出して、
佐倉   それが全体の物語をぐいぐいと進めていく。すごいなぁ。
西塚   ああ。
佐倉   そういうことなんですかね。
西塚   ああ。
佐倉   ところで、西塚さんは、どんなお話を書くんですか?
西塚   私か・・・。私は・・・いまは、書けないんだ。
佐倉   そう・・・ですか。すみません、悪いことを聞いてしまいましたか。
西塚   いや・・・。
佐倉   ・・・。
西塚   私はまだ一作しか、書き上げたことがないんだ。
佐倉   いやいや、それでもすごいですよ。Uさんに認められたってことですよね。
西塚   半年前に書き上げたその一作が、頭から離れなくて、どうしても二番煎じにしか過ぎない気がして・・・。
佐倉   ・・・西塚さん。
西塚   ああ・・・すまない。
佐倉   楽しみにしていますね。何か手伝えることがあったら、何でも言ってください。
西塚   あ、ああ・・・。


Uが入ってくる。少し遅れて少女が現れる。15歳~17歳くらいだろうか。

U   ただいま戻ったよ。
佐倉   Uさん、お帰りなさい。
U   ああ・・・。ちょうど良かった、西塚くんも一緒じゃないか。
佐倉   そちらの方は?
U   紹介しよう。黒沢くんだ。
黒沢   ・・・こんにちは。
U   諸事情あってね、うちに住んでもらうことになった。
西塚   そうですか。
U   ああー! 君の言いたいことはわかるよ、西塚くん。もちろん、彼女には作家として、活動してもらうつもりだ。
西塚   そうですか。
U   佐倉くん、彼女に205号室を案内してあげなさい。それから、夕食後に私の部屋に来るように。
佐倉   はい。
U   それと、西塚くん、最近、原稿を見せに来ないようだけど・・・。半年に一回の〆切・・・忘れたわけじゃないんだよね。今回も期待しているよ。
西塚   はい・・・。ご期待ください。

U、はける。

佐倉   西塚さん
西塚   すまない・・・一人にしてくれないか。
佐倉   あの・・・書けますよ。
西塚   ここに居られなくなるかもしれないんだ!
佐倉   すみません・・・。

黒沢   あの・・・。
佐倉   はい。
黒沢   この床のシミのことなんですけど・・・。
佐倉   シミ・・・?


物語世界が展開する。(配役は良きように)。飛び出す絵本みたいなイメージで楽しんでやってください。イメージはシンデレラの継母たちにいじめられている感じ。
ばたん、と扉が開き、Uが現れる。そして、堂々とした声で。
U   あら、どうしたの! ハルさん!
刑部   どうしましたの! お母さま!
宮瑚田   お母さま!
刑部   あら、そこにいらしたのね、妹。
宮瑚田   お姉さま、調べ物をしていたら、いつの間にかいらっしゃらなくなるんですもの!
刑部   あら、ごめんなさいねぇ、妹。
U   それよりも御覧なさいな! この・・・シミを!

刑部   お料理の時につけたのかしら?
宮瑚田   誰かさんの泣き顔にそっくりじゃないかしら!?
刑部   あら、妹。それは素敵な思い付きじゃありませんの!
宮瑚田   いえいえ、率直に思ったことを述べたまでですわよ!

黒沢   ごめんなさい・・・。もうしません・・・。

U   しっかりしなさい! 拾ってあげた恩くらい感じて働きなさい!
刑部   そうよ、感謝の心ってのが足りないんだわ!
宮瑚田   謙虚な心もおまけしておきますわ!
3人、去っていく。

黒沢   ごめんなさい・・・。

黒沢   私は、こうして生きていくのでしょうか。いいえ。きっと成人したら、こんな家は出ていってやるんだわ。それで、素敵な王子様に巡り合って、素敵な恋をするんだわ。でも、今は、・・・このシミが私だというのなら、私は擦り続けよう。いつの日か、このシミが私に見えなくなったときが、私はこの家を出ていく時なのだ。

U   以上、解散!

3人、はけていく。

黒沢   あ・・・。すみません。勝手に、出てきちゃうんです。それでいつも怒られて。
佐倉   素晴らしい才能ですよ。ぼくもその床を何十回も見てきたのに!

西塚   佐倉くん。
佐倉   西塚さんもなにか・・・
西塚   私は失礼するよ。
佐倉   あ、はい。
西塚   遊んでいる暇はないんだ。なかったんだ・・・! それと! これは君に対する微かな友好の証に忠告しておく。「Uをあまり信用しすぎないほうがいい」

西塚、はける。

佐倉   あ、ごめんなさい。
黒沢   いえ・・・。
佐倉   西塚さん、口数は多くないけど・・・。普段はもっと優しい人なんです。
黒沢   はい。
佐倉   今度また良かったら3人でお話しましょう。
黒沢   はい。

佐倉   じゃあ、黒沢さんのお部屋はこちらです。鍵もお渡ししておきますね。何かあれば、1階の守衛室にぼく、いますので、呼んでくださいね。
黒沢   はい。
佐倉   あの・・・。
黒沢   はい?
佐倉   ここの人は皆さん、優しい人たちですから、大丈夫ですよ。
黒沢   ええ、ありがとうございます。

黒沢、はける。

佐倉   ・・・その人の欠けた部分から、物語は生まれてくる、か。


5.
蝋燭のちらつく小屋のイメージ。
佐倉   佐倉です。
U   ああ、佐倉くん、よく来てくれたね。帽子、似合っているじゃないか。
佐倉   ありがとうございます。テレパス対策ってこんな簡単にできるんですね。
U   まあ、私の手にかかれば、御覧の通り。
佐倉   ありがとうございます。
U   紅茶でいいかね?
佐倉   はい。・・・それで、今日は・・・。
U   佐倉くんから見て、今の西塚くんはどうだい?
佐倉   西塚さんですか・・・?
U   おっと。待ちたまえ、そういう意味じゃない。ははあ、さては何か言われたな。
佐倉   いえ、ぼくは何も。
U   いいんだいいんだ、作家の中の怪物はそうやって育てていくものだからね。
佐倉   怪物・・・?
U   うん、いいんだ。黒沢くんも天才だろう。彼女はアーティストだよ。互いにいい刺激になるといいんだけど。

ここから、同時進行で2つのシーンが進んでいく。
刑部と宮瑚田が話している。

宮瑚田   刑部さん、調べたいことがあるって言ってましたよね。
刑部   そうだ。先日、ちょっとした事故があったの、知ってるだろう?
宮瑚田   事故? 物語の暴発事故ですか?
刑部   そうだよ。未発表の物語を訓練を受けていないものが偶然開いてしまった。
宮瑚田   たまにある話じゃないですか。子どもが話した空想話をまともに受け取って本気にしちゃうやつ。困ったもんですよねぇ。
刑部   さて、これは困ったもんだで済むのかどうか、というところに事件の糸口があると思わないかね、ワトソン君。


佐倉   西塚さんの中の・・・怪物、ですか。
U   作家には2種類いる。外にいる怪物を描くことができる作家と、外に怪物を見つけられ
ず、己の中に怪物を育てることで物語を生み出していく作家。
佐倉   そんな・・・西塚さんは言っていました。「どこか、その人の欠けた部分から、物語は生まれてくる。全く満ち足りた人から生まれてくる物語は、一瞬で崩れて消える」って。
U   なるほど、達者なことを言う。その欠けた部分から生まれた怪物は、それを物語に書き出すことで、心の外に一時的に追い出すことだってできる。だが、次に生まれる怪物はもっと恐ろしいものになることもある。西塚くんを食らいつくしてしまうかもしれない。
佐倉   そんな・・・。
U   私はそれを心配しているんだ。


刑部   まあ、十中八九大丈夫なんだろうな。
宮瑚田   調べたいことって、その1か、2の部分ってことですか。
刑部   そうだよ、暇なんだよ、悪いか?
宮瑚田   ヤベー事件かもしれないってことっすか・・・?
刑部   いや、十中八九違うだろうさ。
宮瑚田   なんでですかー、モチベーション上げていきましょうよー。
刑部   例えばだよ? 例えばの話だ。
宮瑚田   うっす。
刑部   物語の中で、主人公に目も眩むような幸せが訪れたとして、お前ならどうする?
宮瑚田   いや、俺あんまし本を読んだ経験ないですけど、きっと、嬉しいんじゃないですか?
刑部   そうだよな。テレパス世代のお前たちは他人の喜びが過剰に伝わってきてしまうんだからな。
宮瑚田   そういうことになりますかね。
刑部   ただ、それだけじゃない。物語に出会うということは、自分ではない誰かに出会い、自分を見つける体験なんだよ。実体験として、お前を揺さぶってくるんだよ。幼いころ、初めて本を読んだ時の感動は忘れられない。その耐性がお前たちテレパス世代には足りてない。
宮瑚田   ・・・何、言ってんすか。

U   だからこその君だ。君の無意識とのつながりは強い。ここでの生活の中で、ほとんど、脳のナノマシンを取り除いた西塚くんとでさえ、交信できるだろう。彼の物語を読み、彼を救ってやることができるのは、君しかいない。
Uのこれは、催眠術のようなものなのだ。働き始めた時もそうであったが。
佐倉   ぼく、しか、いない・・・。
U   そうだ。来週は、半年に一回の原稿〆切がある。彼の物語は、愛情の欠如と逃避の物語だ。君が西塚くんの作品を読み、彼の思いを・・・彼の怪物を受け止めてあげてほしい。
佐倉   ・・・わかりました。できる限りやってみます。
刑部   いや、そうなんだけどさ。これは全面的に俺の妄想だ。
宮瑚田   でも、刑事の勘が・・・いうんすよね。
刑部   馬鹿にしてるだろ。
宮瑚田   無意識領域はかなり研究されてるんですよー。それを刑事の勘って・・・。
刑部   信じてないだろ。
宮瑚田   いや、・・・信じてはいるんですよ。その勘に命救われたこともあるんで。
刑部   ならいい。俺のこの馬鹿げた妄想を実行するには、器が必要なんだ。
宮瑚田   器・・・?
刑部   そうだ。感受性が高くて、読んだ物語をまっすぐに受け止めてしまう恐ろしくよく響く鐘みたいなやつだ。
宮瑚田   まさか、それが、この前の物語の暴発事故の?
刑部   昔、ある人がその危険の存在について、話していたことがあったのを思い出しちまったんだよ。
宮瑚田   まさか。
刑部   まあ、十中八九、なんでもねえ。だから、意識観察局に連絡して、意識の伝達経路を追ってくれ。
宮瑚田   了解っす。
刑部   頼んだぞ。

宮瑚田、はける。

刑部   ・・・。

刑部、はける。


6.
佐倉がエントランスの掃除をしていると、宮瑚田が扮する出版社の男が訪ねてくる。サングラス。
佐倉   あ、こんにちは。
宮瑚田   こんにちは。

間。

佐倉   あの、何か用ですか?
宮瑚田   あー、君は?
佐倉   佐倉です。ここの使用人のアルバイトで・・・。
宮瑚田   あー、バイトくんかー。なるほどねー。ここ長いの?
佐倉   いえ、半月くらいです。学生なので、夏休み限定で。
宮瑚田   そうなんだー。
佐倉   あの、あなたは?
宮瑚田   ああ、うん。出版社、って言ったらわかるかな。
佐倉   物語を発表するところですよね。
宮瑚田   おおっ、君、賢いね。でもね、待ってほしい。ここのアパートは、お抱えの作家さんがいるんだろう?
佐倉   まさか、ヘッドハンティングとか?
宮瑚田   しっ、声が大きい! これから始めるんだよ、出版社。そしたら、作家さんにうちの出版社からも出してもらわないと、本にならないだろう・・・?
佐倉   すみません・・・じゃないですよ。そんな簡単なものじゃないと思うんですけど。
宮瑚田   作家さん、貴重だからねー。あらゆる物語の型はすでにやりつくされたと言われているし、皆が無意識で繋がっている今、その、これ読んだことあるっていう感覚は顕著でしょう? だから、物語、かける人、一目だけでも、見てみたいじゃない。
佐倉   えー、ちょっと、大家さん呼んできますね。
宮瑚田   ウェイト!
佐倉   えっ?
宮瑚田   まだ、心と体の準備がっ! ね・・・。
佐倉   いろいろと準備大変なんですね。
宮瑚田   そうなの。もう一人くるはずの人もちょっと、前の打ち合わせが押してるみたいで。はい、ストレーッチ・・・3,2,1・・・OK。
佐倉   そうですか。
宮瑚田   ところで、君は、作家じゃないのだね。
佐倉   はい。
宮瑚田   作家さんって、隔離されてそこだけ、テレパスを遮断された環境になっているって聞くけど、君は問題ないのかい?
佐倉   あ、はい。大家さんには特別に許可をもらってて・・・初めて来たときには、失敗もしちゃったんですけどね・・・。
宮瑚田   その失敗・・・聞いちゃってもいい?
佐倉   え?
宮瑚田   これから、作家さんに会う時の参考のためよ。
佐倉   それなら・・・まあ。そうですね。未発表の作品のメモを見ちゃったんです。それが原因かわからないですけど、その作家さん、今、スランプで・・・何とか力になってあげたいんですけど・・・って、あれ?
宮瑚田   ごめんね、相方が急用で来れないっていうから、今度また来るね! いろいろありがとう。さよなら!

佐倉   さようなら。


宮瑚田はける。
佐倉はける。

宮瑚田出てきて、電話。

宮瑚田   刑部さん、見つけましたよ。


音楽。

7.
エントランスにU、佐倉、西塚、黒沢の4人が集まっている。


U   さて、いよいよ、〆切の日だ。今回は君たち2人の新作を読ませてもらうよ。

それぞれに、原稿を置く。

U   佐倉くん。
佐倉   はい。
U   君には、西塚くんの作品を読んでもらおう。私は、黒沢くんの作品を。
佐倉   読んでいいんですか?
U   この場所で、その帽子をしていれば、大丈夫。読者は遠すぎてテレパスは届かない。
佐倉   わかりました。

U   まあ、そういうわけで、作家諸君は、しばらくは自室に戻るなり、出かけるなりして、ゆっくりしていてくれたまえ。

はける佐倉、西塚。
時間がぐんぐん進む照明か何か。夕方になる。

椅子に座って読んでいるUと佐倉。
そこに入ってくる宮瑚田。

宮瑚田   おっと、そこまでだ!

U   なんだね、君は。
佐倉   えっと、宮瑚田さん。

宮瑚田   おっと、覚えてもらっていたとは・・・光栄だね。
佐倉   Uさん。こちら、新しい出版社を立ち上げようとしている宮瑚田さんです。

U   佐倉くん、君はどうやら人が良すぎるようだ。
佐倉   えっ?
宮瑚田   へへっ、すまないね、佐倉くん。
U   悪い人にはお帰りいただきたいのですが。
宮瑚田   だけどな、利用したのは、お互い様だろ!

佐倉   そういえば、宮瑚田さん、今日はもう一人も来てるんですよね? この前、二人で会いにくるって。
U   もう一人!?
宮瑚田   おっとっと・・・。
U   佐倉くん、彼の言葉に耳を貸してはいけないからねっ!

そういって、U、はける。

宮瑚田   佐倉くん、そりゃあないって。参ったね、こりゃあ。
佐倉   宮瑚田さん、あなたは何者なんですか?
宮瑚田   警察さ。物語の暴発を止めに来たんだ。
佐倉   ・・・っ。

佐倉、走り出す。

宮瑚田   あれっ? 佐倉くんも黒ってことなのか!?


場面変わって。

U   誰だ!?
刑部   やっぱり、博士でしたか・・・。
U   その声は・・・刑部くんか。
刑部   お久しぶりです。電波塔は、機能停止させていただきましたよ。
U   私の目論見は・・・すっかり、バレていたということか。
刑部   いえ、俺も・・・もういい加減、嫌気がさしていたんですよ。そんなとき、あの暴発事故が起こった。新しい物語に出会うというのは、すべての人にとってとても大切なことだって、気付いちまった。
U   そうか・・・ならば、
刑部   だけど、あんたのやろうとしていることはそれとは、きっと違うんでしょう。
U   違わないさ。
刑部   いいや、あんたはいまそういう顔をしていない。
U   違わないさ! 人間がいまの半分くらいにでもなれば、テレパスなんてものは必要なくなる! 食料もエネルギーも心配しないで、芸術を自由に楽しめる時代が来る! それが、なぜわからないのだ・・・!
刑部   命には代えられない・・・。そう思ったから、あんたもあの時、こうしたんでしょうよ。・・・いずれにせよ、これがいまの俺の仕事なんで。悪く思わないでください。


佐倉   待ってください!!

U   佐倉くん、よく来た。さあ、今こそその帽子を外して、西塚くんに、君の感情を伝えてあげるんだ。西塚くんは生み出してしまったんだろう・・・死を司る怪物を。
刑部   博士、電波塔は止めてあるんですよ!
U   だからなんだというんだ。
刑部   まさか、ほかにあるのか!
U   これくらいの想像力は持ち合わせているわ!


佐倉   だから、待ってください!!
西塚   あんまりだ・・・。あんまりですよ・・・。

佐倉   西塚さんがあんなにも苦しんで、書き上げた物語は、兵器なんですか。この感情が怪物だって? この感情が伝わった人が苦しむことが一体、誰のためになるんですか。

U   黒沢くん、君の怪物を使わせてもらう!

Uが、帽子をとると、刑部と宮瑚田が崩れ落ちる。

黒沢が舞台の袖から出てくる。

黒沢   これが・・・私の感情・・・?

U   黒沢くんはアーティストだから、世界に新しい味を加えることができる。彼女の悲しみの感情を味わうといい!

黒沢   私の感情・・・。私の・・・。

U   さあ、佐倉くん、今のうちに。

佐倉   Uさん、もう終わりにしましょう。

U   ・・・え?

佐倉   Uさんの野望は叶わなかったんですよ。

U   どういうことだ。

佐倉   西塚さんの新作の原稿は、面白くなかったです。

U   つまり・・・

佐倉   怪物は生まれてません。ただ、西塚さんが生み出せないはずのものを生み出そうとする苦しみが滲んでいるだけでした。

U、がっくりとうなだれ、

U   急ぎすぎたのか・・・。私は・・・。私の物語はこんな、バッドエンドだったのか!?
刑部   博士・・・。あんたの物語はまだまだ続くんだ・・・諦めなければバッドエンドなんてあり得ない。だけど今度は・・・悪役じゃなくて・・・俺たちの世界を救うヒーローのような発明をまた、・・・お願いします。


暗転。
いろいろと片付いている。


刑部   えっと、佐倉くん、だったか。
佐倉   はい。
刑部   いろいろと世話になってしまったな。
佐倉   若葉莊はどうなるんですか?
刑部   物語を楽しみに待っている人はいるんだ。
佐倉   はい・・・といってもぼくはバイトなんですけどね。
刑部   次の大家は手配をしておく。それから、博士は・・・博士は最後まで反対していたんだ。あの人が前を向けるような物語ができたら、教えてくれ。
佐倉   はい。宮瑚田さんにもよろしくお伝えください。
刑部   ああ。


刑部はける。

佐倉、一人残される。
そこに、西塚が出てくる。

佐倉   西塚さん。
西塚   面白くなくて悪かったな。
佐倉   すみません。おかげで世界は救われました。
西塚   喜んでいいのか、悲しんだらいいのか。
佐倉   そうですね・・・。でも、ぼく、思ったんですよ。たくさんの物語を生み出さなくてもいいんじゃないかって。
西塚   え?
佐倉   西塚さんの最初の作品・・・読んでみたんです。もちろん、すでに世に発表されていましたから、読んだことあるなーって思いました。
西塚   うん。
佐倉   だけど、ちゃんと良かったんですよ。読んだことあるけど、もう一度読んでよかった。
西塚   うん。
佐倉   だから、その物語をずっと見つめながら、少しずつ変わっていって、それが後世に残るような、そんな作家の在り方もあるんじゃないかって、思えたんです。それで、不意に新しいものが書きたくなるなら、それでもいいじゃないですか。

西塚   ・・・うん。
佐倉   どうですかね? 
西塚   いや、いいと思う。


西塚   ありがとう。

西塚、はける。


佐倉   これは、ぼくのひと夏の思い出だ。けれども、これはUさんがきっかけをくれた、ぼくだけの物語。物語の始まりに出会った夏だった。


これにて閉幕。





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【小説】知覧卦度


2月ごろに書いたものですが、未発表になっていました、そういえば。

最近更新が少ないので、蔵出しです。どうぞ。


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知覧卦度


 


作・なかまくら


20230226


 


盆地を囲う五行連山には、天狗が住んでいると云う。


天狗は、年がら年中、構わず風を起こす。その風が、盆地に良くない気が滞るのを防ぎ、村はよく栄えているという。


「天狗は、天の狗(いぬ)に由来する凶事の兆しとはよく聞くが、いい天狗もいるものですね」


桃井は行商の馬車に載せてもらい、その村を目指している旅の道中であった。天狗の話を聞き、整った麗しい顔立ちを複雑に歪める。「不愉快」が一番近しいのかもしれなかった。


「いえ、行者(ぎょうじゃ)様。それが、えらいこっちゃ起こってるですよ」


「ほほー。エラいことが・・・」


「行者様、お会いして短いですが、なにやら一番嬉しそうなお顔をされているのは、見間違いでしょうか?」


「そうですね、見間違いです」 桃井は、澄ました顔をしてそう答える。


「それで? エラいことというのは・・・」


「ええ、それはですね・・・」


馬車は、山間(やまあい)を抜けて、盆地に入っていく。村は山に沈む日によって、陰が覆い、少し早く夜が訪れようとしていた。


 



 


「ほう、では私に生贄の身代わりとなれと、仰る」 桃井は、村の年寄衆を前にそう言った。


「いえ、滅相もございません」 年寄衆の一人が、声を挙げる。思わず否定し、次の言葉を続けようとするところを村長(むらおさ)に手で抑えられる。


「行者様、その通りで御座います。この村は、天狗の恩恵を受けて栄えてまいりました。他の地の者は、神の地と呼ぶものさえおります。しかし、その実、人と神・・・いえ、神などとは呼びますまい・・・超常の存在との交流には、古今東西、いかなる時代にも懸け橋が必要なものです」


「生贄ですね」


「ええ、月に一度、生娘を、と・・・」


「月に一度とは、盛んなものだ!」 桃井は思わず、膝を打ってしまう。


「・・・おっと、これは失礼した」


「それが、行者様の思われているようなこととは、趣きが異なると思われまして」


「ほう、攫わぬか」


「その通りで御座います。夜の間、茶の番を務めるのです」


 



 


月が最も明るい夜に、その部屋で待つ取り決めになっていた。桃井は、しなやかで強く美しい光沢がある錦の着物を纏い、佇んでいた。蝋燭の部屋明かりが、風もないのに揺らいで火が弱まり、その輝きを取り戻すと、天狗は部屋の中にいた。


「待たせたようだな。気にすることはない」


「お心遣い、ありがとうございます」 桃井は畳に手をついて挨拶をする。怯えた素振りも加えておく。


「やめだ、やめだ。そういうのは何の腹の足しにもならん」


桃井はそれを聞いて、姿勢を正す。天狗に会うのは初めてだったが、山伏の恰好をしているというのは本当だった。赤い顔や長い鼻は面ではなく、皮膚であるようだ。


「お前のお務めは、これだ」 そういって、天狗が取り出したのは、茶釜だった。鈍く輝くその茶釜の色は移り行く時のようで定まらず、何色、と形容しがたいものであった。


「これを、いかがすればよいので?」


「水を汲み、湯を沸かすのだ」


桃井が言われた通りに、茶釜に水を汲むと、火もないというのに茶釜からはやがて湯気が立ち上り始める。桃井は、その脱力感に驚く。この茶釜は、生気を吸い取り、湯を沸かすのだ。


「おお、今日はずいぶんと早いな・・・。では、一杯目をいただくとしよう」 天狗は、淹れられた茶を盃にてぐいと、飲み干した。それから、2杯、3杯と続けて、飲み干す。


「お前は見込みがある娘だな。ここ最近は、3杯も耐えられずに湯を沸かせなくなる娘も続いたが、お前はいいぞ」 天狗は上気した顔で、機嫌良く笑った。


「畏れ入ります」 天狗は生気に酔うのか。それとも、桃井の生気に中てられたのかもしれなかった。行者は物の怪をその血と呪(まじな)いで調伏する。物の怪は、修験によって磨かれた血を好むのだ。


 


 桃井は、村長との会話を思い出していた。


「村長。この天狗は本当に私が消してしまってよろしいのですか?」 桃井は一通り話し終えた年寄衆と村長を前にして、そう尋ねた。


「よろしいも何も、村民に危害を加えるものを、そのままにはしておけないのですよ」


危害、といった。この村の女が早死になのは、なるほど、確かに天狗の茶番によるものだろう。だが、この盆地から風が失われれば、余計な水分が溜まったり湿気が原因で、作物も人も病気が増えるだろう。それでもいいか、と聞いているつもりだった。


「行者様。重々、分かっているつもりです。何度も話し合ったことです。けれども、見て見ぬふりは辛いのですよ。苦しくて、耐えられんのですよ。若い者の身代わりになって上げられたらと思わんこともないのです。けれども、それは叶わない願いで、我らはいま、頼むしかない立場なのです。それがわかったうえで、じゃあ、誰に何を頼むかを決められるとすれば、私たちは、これを頼もうと、決めたんですよ」


 


 


 桃井は、天狗に声をかける。


「天狗様、ひとつ、ご用意してきたものがあります」


「なんだ? 見せてみろ」 小娘一人。天狗に警戒心はない。


「はい」 桃井は頷いて、懐から小さな袋を取り出す。


「これは茶占いで御座います」


「茶占い? 聞いたことがない」


「僭越ながら、ご存じないのも仕方がありません。大陸から入ってきたものを今日の為に譲り受けたのです」


「ほう、大陸からの」


「新しいものは、好まれませんか?」 桃井は天狗の気配が少し変わったことを敏感に感じ取る。


「いや、土地を守るということが何よりも難しいのは、交易による文化の側面が・・・と、こんな話をしても仕方あるまい。見せてみよ」


「はい・・・」 桃井は閉じた口の中で舌を巻いた。天狗とは斯様に聡明な物の怪であったか。複雑な感情が渦巻き、取り払う。迷いは結果に影響を及ぼす。すでに始めてしまったことだ。


「知覧卦度(ちらんけど)と言うそうで、湯を注いで開いた形から、その者の運勢を占うことができるそうです」


「『知らんけど』か。異国の言葉なのだろうが、どこか無責任な響きを感じるな」


「私もそれは感じております。だからでしょうか、別名『茶華』とも呼ばれているそうです」


そう言いながら、袋からその乾燥した実のようなものを取り出す。滾々(こんこん)と湯が沸き続け、桃井といえども息苦しさを感じていた。それでも、笑顔で湯を注ぐ。


湯に綻んで、乾燥した葉で作られた実が複雑な形を作り出していく。それを桃井は霞む視界の中で読んでいく。艮(うしとら)、山、手、そして犬・・・。


「ほほう、これは見事なものだ。して、どう読めばいいのだ?」 天狗が身を乗り出して様子を観察している。桃井は微笑んで、


「・・・申し訳御座いません、説明はしてもらったのですが、想像よりも難しくて・・・。雰囲気だけ感じていただけますか?」 そう言って、杓子を取り出す。


「僭越ながら、毒見を・・・」 天狗が頷くのを確認して、掬って口に運ぶ。それを見届けて、天狗もぐいと飲み干した。


――同意。それから、互いに盃を交わす。


桃井はそれから、部屋の中で方位を意識する。艮(うしとら)は、北東・・・鬼の出入りする鬼門の方向である。その方向に、門を開けば、この天狗は調伏される。条件は整っている・・・。だが、


「天狗様・・・」 桃井は声をかけていた。


「なんだ?」 生き物たちの気配は、陽へと移り変わり、黎明の時は近づいていた。


「なぜ、この村の私達に良くしてくださるのですか?」 桃井自身にも限界が近づいていた。湯が沸いている。


「人の為ではない」 天狗は嗤(わら)った。


「人がいなくても、俺は同じことをする。自然こそが俺を生かしているのだ。人はそのついでだ。人も自然の中に生きているのだから」


その声は、鬼門の向こうに吸い込まれていった。桃井は合わせていた掌をゆっくりと開いて礼をする。大きな赤い門だった。物の怪と対峙し、何度もこの門の前に立った。桃井は、唇を噛みしめる。桃井にはここが鬼門の外側なのか内側なのか分からなくなる時がある。鬼門は変化を司るという。変わるべきは、人のほうではないか・・・。そんな思いが、桃井の胸の内に去来する・・・。


桃井は、茶釜が湯の沸く音でハッとして、急いで湯の始末をする。


 


「精魂尽き果てる・・・とはこのことだな」 ぐっしょりと汗で濡れた体を労わり、今日は、村にあるという名湯を訪れることになっていた。桃井は、幼少から老師(せんせい)に「人の為に力を使いなさい」と教えられてきた。だから、天狗を調伏した。


けれども、老師がなぜそう言うのかは分からないままだ。ただ、教えが局面を乗り越えさせてくれただけであることが分かっていて、桃井はそれを忘れないでいようと思った。







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