なかまくらです。
興味のない人が大部分の、私の個人的な物語創作論的な話です。わー8888。
でも、日常埋没日記に最近なりつつあるので、どーんと、柱を立てて、ここに灯台を建てよう。
最近インプットの不足が目立ちます。物語に飢えています。
巷には溢れかえっているのに、なんとなく読みたい気分がしない。
それは忙しいからというのもあるんでしょうけれど、なんとなくマンネリ感を感じてしまっているから、という印象。
私の物語創作は、奇をてらうことから始まりました。文章は中学生にも及ばないけど、誰もみたことのない物語。
高校3年間、そのまま突っ走って、80作ぐらい書いたところで、はたと、気づいた。このまま生涯走り続けられる分けないじゃない。。。
王道も見せ方ひとつで、まるで誰も読んだことのない物語になるんじゃないか。文章でも少しぐらいなら魅せられる段階まで着たんじゃないか。
大学3年間は、王道に走ります。王道ばっか。あらゆる王道を走りました。それで、もう王道はいいや、って。
4年生になって、抽象にはまります。抽象を具象(現実世界)に織り交ぜる。物語を作り出すことは、解釈の迷宮を組み上げること。いろいろ書きました。
いろいろやりましたけど、結局原点は変わってないんだな、と気づいた、今。
奇作を狙って、王道書いて、抽象書いて・・・。
何がしたかったのかって、
結局、読んでるかも分からない誰かと、あと、何よりも、自分自身が自分自身に飽きないために書いてるんだって。
それは奇をてらうとか、そんな難しい話じゃなくて、同じ話を繰り返したって、やっぱり人は飽きてしまうという単純なこと。
なにより、私はそんな風な物語の書き方をしていない・・・。
私にとって、私につながっている問題があって、それを内側に抱えきれなくて、パッと外に逃すような行為であるから、
同じテーマを扱おうとしても、もう、そこは大抵の場合、空っぽになっちゃう。
空っぽにならないとなんだかすごく気持ち悪くて、一生懸命に何度も書くんだけれど、それでも空っぽにならないテーマが今は生まれてきていて、
今は、それを手を尽くして書こうとしてる。スカーリングが下手で掴めない水みたい。
奇をてらってみたり、王道で書いてみたり、邪道で書いてみたり、抽象で書いてみたり。
夢中になっている間だけ、私は飽きないでいられるんだと思う。
大部分のネット作家にとって、読者がほとんどいないんだろう状況なんだろうからこそ、自分の書く物語が、常に世の物語に紛れて消えないように、書いていかなくちゃ。
それから、こんな感動を与えてくれる物語が書きたいな、という物語に出会わなくちゃ。
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次へ、先へ。
大学一年からつけているアイディア帳が進みました。
6冊目さんお疲れさまでした。
7冊目もよい物語で溢れますように。
6冊目のアイディアの中で、完成作は3作/15作。打率は2割。いつか書きたい(書き直したい)は11作。
アイディアはいい。私に力がないだけです。いつか書く...ます。
5冊目から何度もプロットを書き直しまくって、アイディアもちぎっては投げちぎっては投げして、しまくった「アニーモウト」が完成したのが、なにより嬉しい収穫でした^^。 最初の思ってたのとは、全然違う作品になっちゃいましたけどね~。最初は、鴻上尚史の「トランス」みたいな作品を目指していたはずなんだけど・・・笑。最初に書いてみたのが2009年。何度も折に触れては最初から書き直し、できたのは2011年でした。よかったよかった。
以下、6と7の表紙。
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なかまくらです。
ちょっとバタバタしておりました。板キックのことじゃないよ。
ふむ。
大学入ってから参加している小説サイトの話。
最近投稿される方が増えて、投稿欄が賑わっています。まあ、よくあることなんですけどね。
私がその小説サイトに参加している理由は、感想がもらえるから!
プロを目指して凌ぎを削るような感じではなくて、創作を楽しみましょう^^!
というスタンスなのがまた良いのです。*^o^*
でも、じゃあ、何故感想がもらえるのか、と考えてみると、
1. 物語を読みに来ている人(しかも、読んで感想まで書いてくれる人)がたくさんいる。
2. 感想を書いてもらったお礼がわりに、書いてくださった人の作品にも感想をつけている。
この二つだと思うんです。どーっちだ?
私は、基本、2.です。
自分が投稿したときに、感想をつけてもらえるのを期待して、誰かの作品に感想を書いてる感があります。もちろんそれがすべてじゃなくて、サイトに参加している一人として、サイトが盛り上がるのは良いことだと思うのです。
初めて投稿される人とかに、感想を書いて、その人が、「ああ、感想を書いてもらうのって素敵だな。自分も書いてみようかなー」って、人が増えたらそれは素敵なことです。
でも、ちょっと最近バランスが崩れてしまっている気がします。
明らかに供給過多状態です。まあ、感想を書きましょう、というルールはないんですよ。だから、別に悪いことはしていないですし、感想は欲しい。でも、誰かのをわざわざ読むなんて面倒だ。という人もいるでしょう。ですが、でも、それじゃあ、きっとサイトの良さは失われていってしまう気がします。
小説投稿サイトにどういう人が辿り着くかって考えたら、どう考えたって、投稿しに来ている人が多いでしょう(笑)。
そりゃあ、一日何万件もヒットする連載小説を抱えるネット作家さんもいるんでしょうが、ほんの一部です。
私のHPなんて、小説で検索されたことがない(笑)。
私がここ(HP、ブログ)に物語を上げ続けているのはまあ、いわゆるただの自己満足です^^; はい。
今読んでくださっている人、下手すると一人もいない気がするしww(←ぇ)
でも、おー、頑張ってるな。拍手ぐらいしてやるか。読んでないけどなww
ぐらいで書き続けられるのは、単純に書くのが好きなのと、投稿サイトで感想もらえたりしてるからなんですよね。
結局、私が、私の物語が好きなんですよ。
すこし、話がずれました。。。
けっきょく何が言いたいかというと、
システムを享受するだけじゃあ、そのシステムはだんだん摩耗するばかりだということ。
めぐりめぐって、システムは成り立っているってこと。
私が公演を観に行って感想を書いて、よく知らない、知っている人がこっそり覗いていくのを嫌がるみたいなこと。感想がどこにでも転がってるわけじゃなくて、感想を書いたら、演劇が盛り上がるかな、という打算があるわけ。リアクションも反省もなかったらなんも変わっていかないだけです。まあ、私はあと1年もしたらもう広島を離れちゃいますから、それだけのことですけど。
社会も、きっとそう。なんかよく分からない社会のシステムの中で、私たちは生きていますが、例えば大学の学費が国公立は50万くらいですが、これは、国から補助が出てるんですよね。でも、税金払いたくねーなー。とか、年金? 払ったら損損。 とかいう人いますけど、でも、社会のシステムを使うばかりでそれを維持していこうと思わなければやがて破綻してしまうでしょう。
ネットに音楽とか、いろんなコンテンツが無料みたいにばらまかれているのも、クリックしたこともないような広告が並んでいるから。このブログも無料でサーバーをお借りしてるんですよ、下の広告のおかげで。そういうの、ちょっと意識して生きていかないといけないところに社会が来ているんじゃないかって、思うんです。
無から有は生まれない。
結局のところ、ちょっと感想書くのに、疲れたな・・・って、言うだけの話です。
おやすみなさい。
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この1cm3惑星にもだいぶいろんな元素が集まってきましたね。
戯曲・小説カテゴリーを探索していたら、「抱えてる」という作品を見つけまして、
当時は、そんなでもなかったんですが、今日読み返したら、なんだかとても素敵な気がしたので、
HPに上げようと思います。ただ、タイトルがなんとなく凡庸で(いや、凡庸は悪いことではないんですけどね)、目を引かないので、「スキップする靴」に変えました。
というわけなのです。
2011.7.21 スキップする靴 (15分; 男1 女1 不定1)
*** 勇者はNEET。魔法使いはフリーのター。僧侶は店に収まっている。
自由の羽は折りたたんで、社会に飛び出したつもりが外は狭い。
なのに何も考えてない彼だけが先に行ってしまう気がして私は。
よかったら拍手でもください^皿^
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なかまくらです。
今年も終わりですね。
今年書いたもの。
「アイーダ」
「風になる」
「猫と暮らせば」
「私が羊です」
『抱えてる』
『永久はフラスコの向こう側』
「マンモスが食べたい」
『TAKE37』
「テレパシー地球論」
「名前のない世界から」
「ポテンシャルさん、勇者さん」
「煙突からの手紙」
「密室の謎Ⅱ(回答編)」
「ワニは庭に」
「夜を超えて」
「離れに勇者が住んでいる」
(『』は戯曲、「」は小説)
今年は16本ですか。
今年は、全体的に小物だったなぁ、と言う印象が強いです。
魂をがしがし削って書いてるという感じがしなかった。模索し続けた一年という感じでした。
その中でありながら、『永久はフラスコの向こう側』と「マンモスが食べたい」は結構好きな作品になりました。
今年はとりつかれた様に「生きる」ということについて考えていて、答えは出なくて、
その間に過ぎてしまった印象でした。
悪いことじゃない。そういう思考の試行のためにきっと私は物語を生み出し続けているんだから。
今年はイチローが200本安打を達成できませんでしたが、私自身の環境の変化もあり、
生活が忙しくなったこと、演劇のサークルを引退してしまったこと、ブログをリニューアルしたこと
など、様々な変化の中で、
書き続けていくことの難しさを感じました。
でも、いつも思っています。
あと10年書き続けられたら、私はそれなりのいっぱしになれるんじゃないかと。
来年でものかきをはじめて9年目になります。
でも、ひとつ。
演劇があってその時だけ台本書いてみようなんていうなんちゃってものかきみたいなことをしていたらそれは続いたことにはならない。そのときだけ物語についても、それはものかきが続いたことにはならない。常に物語との出会いを探す人間。来年もそんななかまくらでいたいな。よろしくお願いします ^=^/
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