1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

スランプランプの明かりをそっと消して

なかまくらです。

どうしちゃったんだろう(笑)

ってくらい、物語が書けない。

ストーリーが浮かばない訳じゃない。

あらすじはたくさんある。多分書いたらどれもそれなりに面白いと思う。

ちょっと書いてみる。5000字くらい。

ちょっと休む。

別に続きを書きたい気がしない(笑)

義務でもない。使命感もない。今の私にはそれを書く動機がないんだな。

ドキドキもしていない。予定調和。

待ってる人もいない。むしろ、別の事、授業の準備だとか、研究の成果だとか、そういうことが認められている世界に今私は住んでいるみたいなのです。物語を書くということを誰も待っていない。それがちょっとくらい上手にできたからって、誰もそれを気にしたりしない。ここは行き止まりだ。墓場だ。何か神様みたいな何かが私に物語を授けてくれるのだと私は思っているのですが、ここに来たら物語はその最初に持っていた光を私の暗雲立ちこめた心に喰われてしまう。ここにいちゃいけない。なのに私は手放そうとするのを拒んでいる。無意識みたいに。ここから抜け出さなくちゃ。



先日もらったアンケートを見て思う。

台本を書くにしても、演劇らしさって奴に私は最近すっかり染められてしまったように思う。

演劇独特の人間関係を映し出すストーリー。3年生のときに書いた物語とか、4年生の時に書いた物語って、もっと演劇のエの字も知らずにぺーぺーが好き勝手書いた中二病全開な上演不可能と言わしめたい作品だった気がするし、キャッチーであっさり見れるラノベ設定と、演劇の人間ドラマ性をうまくバランスを保ってかけていた気がする。それが、抽象劇にとらわれて、アホな方へアホな方へ突き進んできてしまった気がする。帰らなきゃ。私はそんなに高尚な人間じゃなくて、ただのオタクでありきたりな台詞にうるっときちゃう人間だったはず。

それがいいものを書かなきゃいいものを書かなきゃって、力みすぎてる気がする。じゃあ、そう思ったらかけるかって? 話は残念ながらそんな簡単じゃないみたい。





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mixiのつぶやきから転載。

アイディア帳を開いて、次どれを書こうか、迷う。

どれも面白そうなんですが、なんとなく今自分の中に葛藤がなくて、書いたらもったいない気がする。

むしろ、その葛藤がないのをせっかくだから書きたいのだけれど。

綺麗な話とか、嫌いなんですよね。誤魔化して実は綺麗なんだよ、ぐらいが精一杯なんですよ、照れ屋だから。

私の持っている物語の箱のカードは

1.ストーリー作。
2.抽象劇。
3.勢いだけ。

3はまったく人気なし。1、2、の中でちょっと顔を出すくら い。

2が好き。でも、人気ない。

1、は、書いてて薄っぺらく感じてしまったら最後までフィルムを巻けない。

1を、2に変換して作るのが、今の私の一番自信 のある作り方。

でも、それはひどく自己満足なんだろうね。ええ。


繰り返すと飽きられる。自分に。だから、もうちょっと引き出しがあるべきだと思う。

分かっているけれど、今できていないのが、設定から広がっていく手法。

世界観の設定であったり、それが単なるルールであってもいいのだけれど、

その設定が あって、人と人が出会ったり、その人が何かに出会ったときに、

どうなるかをシミュレーションする。

それだけで、自動で再構成されていく過程をぽちぽちと打 てば完成する。


矛盾がないように、そう書きたい。

童話とかモチーフを中心に据えて使う方法もあるけれど、今手を出したい方法じゃない。

また、いつか、気が向いたら。


なぜかといえば、扱い方にありきたりしか知らないから。

童話とかモチーフのメッセイジ性に乗っかってるだけって感じで、物語の世界を伝えてないから。

だから、現代社会的な身の回りの卑近なお芝居とかあんまり好きじゃないんでしょうね、私。


おわり。





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なかまくらは充電期間に入ります。しばし筆をおきます^^;

ということなのです。

まあ、よくある小休止。

別に、どうということもないのですが、今はいろいろな物語に出会ったり、

そこから離れたいろいろに出会ったりしたいな、と。

また、書きたくなったら、書きますよ、物語。

というわけなのです。





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王道と邪道と鬼才の奇作

なかまくらです。

興味のない人が大部分の、私の個人的な物語創作論的な話です。わー8888。

でも、日常埋没日記に最近なりつつあるので、どーんと、柱を立てて、ここに灯台を建てよう。


最近インプットの不足が目立ちます。物語に飢えています。

巷には溢れかえっているのに、なんとなく読みたい気分がしない。

それは忙しいからというのもあるんでしょうけれど、なんとなくマンネリ感を感じてしまっているから、という印象。

私の物語創作は、奇をてらうことから始まりました。文章は中学生にも及ばないけど、誰もみたことのない物語。

高校3年間、そのまま突っ走って、80作ぐらい書いたところで、はたと、気づいた。このまま生涯走り続けられる分けないじゃない。。。

王道も見せ方ひとつで、まるで誰も読んだことのない物語になるんじゃないか。文章でも少しぐらいなら魅せられる段階まで着たんじゃないか。

大学3年間は、王道に走ります。王道ばっか。あらゆる王道を走りました。それで、もう王道はいいや、って。

4年生になって、抽象にはまります。抽象を具象(現実世界)に織り交ぜる。物語を作り出すことは、解釈の迷宮を組み上げること。いろいろ書きました。

いろいろやりましたけど、結局原点は変わってないんだな、と気づいた、今。

奇作を狙って、王道書いて、抽象書いて・・・。

何がしたかったのかって、

結局、読んでるかも分からない誰かと、あと、何よりも、自分自身が自分自身に飽きないために書いてるんだって。

それは奇をてらうとか、そんな難しい話じゃなくて、同じ話を繰り返したって、やっぱり人は飽きてしまうという単純なこと。

なにより、私はそんな風な物語の書き方をしていない・・・。

私にとって、私につながっている問題があって、それを内側に抱えきれなくて、パッと外に逃すような行為であるから、

同じテーマを扱おうとしても、もう、そこは大抵の場合、空っぽになっちゃう。

空っぽにならないとなんだかすごく気持ち悪くて、一生懸命に何度も書くんだけれど、それでも空っぽにならないテーマが今は生まれてきていて、

今は、それを手を尽くして書こうとしてる。スカーリングが下手で掴めない水みたい。

奇をてらってみたり、王道で書いてみたり、邪道で書いてみたり、抽象で書いてみたり。

夢中になっている間だけ、私は飽きないでいられるんだと思う。


大部分のネット作家にとって、読者がほとんどいないんだろう状況なんだろうからこそ、自分の書く物語が、常に世の物語に紛れて消えないように、書いていかなくちゃ。

それから、こんな感動を与えてくれる物語が書きたいな、という物語に出会わなくちゃ。





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6 to 7

次へ、先へ。
大学一年からつけているアイディア帳が進みました。

6冊目さんお疲れさまでした。
7冊目もよい物語で溢れますように。

6冊目のアイディアの中で、完成作は3作/15作。打率は2割。いつか書きたい(書き直したい)は11作。
アイディアはいい。私に力がないだけです。いつか書く...ます。

5冊目から何度もプロットを書き直しまくって、アイディアもちぎっては投げちぎっては投げして、しまくった「アニーモウト」が完成したのが、なにより嬉しい収穫でした^^。 最初の思ってたのとは、全然違う作品になっちゃいましたけどね~。最初は、鴻上尚史の「トランス」みたいな作品を目指していたはずなんだけど・・・笑。最初に書いてみたのが2009年。何度も折に触れては最初から書き直し、できたのは2011年でした。よかったよかった。


以下、6と7の表紙。
120122_1822~02.jpg
 





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