1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

分離していくわたしとわたし

なかまくらです。

今ですね、界面活性剤の話を勉強しているんですが、

界面活性剤は、親水基(水に溶ける部分)と疎水基(水以外のものに溶ける部分)がくっついた状態(ミセルと言う)

からなるんです。

洗い物で使われている時には、油脂などをその疎水基の部分で取り囲んで、外側の親水基で、溶けてる状態にしてしまうっていうわけ。


その、水と界面活性剤を混ぜてみると、ある温度では、綺麗に混ざりあっているんですけど、

ある温度を越えると、途端に2つの相に分離してしまいます。

一体、溶液の中では何が起こってるんでしょうね。たぶん、その辺までは先行研究で分かってる。やりたいのはその先なんですけどね。



なにって、

最近の私の芸術に対するスタンスに悩む。



スタンスなんて、なんか、軽くて嫌だな。

最近の私の芸術に対する向き合い方に悩む。


最近すっかり、いろんなところの繋がりが薄れて切り離されだして、

切り出されて、やっと、ちょっと一人に戻った気がします。

それが良いことなのか、悪いことなのかは分かりませんが、


無駄に焦ってみて、あの頃の誰かに媚びて喜ばせようとして書かなくなってきたという点で、

私の中では進歩しているつもりです。今が面白くなくなってても、それでいい。

継続していくために必要な息継ぎだと自然に思う。

好きなものを好きなように書いているつもり。


けれども、


それでも、

最近、すっかり書いていることと、思っていることが合ってない。

まるでゲームでマルチエンディングを観るために、思ってもない選択肢を選んでいるみたい。


温度が高すぎるのかしら。低すぎるのかしら。



面白いことはある。面白い。このアイディアは面白い。絶対傑作になる。


でも、心の底で醒めた目で観る自分がいて、



いつも観られているみたい。




あなたをかきたい。かかせてください。







追記


別に一作ずつが最高傑作になれなくても良い(たとえ、そのつもりで書いているとしても)。たまに素敵な作品が私の中から出てくればそれはとても幸いなことだ。最近のわたしは一体なにを気負っているのだ。いつまでも、ただの凡人なのだに。下手な鉄砲打つしかないだに。





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オリジナリ茶

なかまくらです。


くまったくまった。たくまった。

オリジナリティというものについて一考。


オリジナリティとはなんぞや。


物語のオリジナリティ。ひいては、芸術のオリジナリティ。

人生のオリジナリティ。

発想のオリジナリティ。

性格のオリジナリティ。


オリジナリティだけが人をきわだたせることを許し、

凡庸という海面からその突端を突き出すことを許される。


数学はそれを妨げるなにがしかです。

数学的に定められたなにがしかは、ある最適を発見してしまう。


水泳において最適化された泳ぎ。

最適化された道順。最適化されたこころ。

コンピュータ。


最適化はネット社会にあふれています。誰もがネット社会にある言葉遣いを選び、

ネット社会を泳ぐ術を検索という統一化された最適に頼る。


最適化が難しい場合もある。

物理的にその変化が無限にゆっくりと進行する場合、

それは最適化される前に、固定化されてしまう。

ガラスなどがそういったものである。


オリジナリティとは何ぞや。


それぞれが個々人の感覚において、最適化しようとした(良く生きようとした)

結果、その変化の過程で、作られているもの。


最適化の基準は、誰か尊敬する人物であり、

その人物に向かって歩いていく。


なんだ。

オリジナリティって、なんだ。



私は、1.5次創作人間に成り下がっています。

たまに1次創作ができる。

誰かからとか、何かからとか、もはや影響を受けたのかどうかも分からない

渾然一体となった創作ができる。

でも、何か、観たり、聞いたり、それで、ぱっと書きたくなって書いた作品は、

だいたい、あとから分かる。やんなる。


ああ、これ、とどのつまり、一番深いところまで潜ってみたら、あれのパクリじゃん。って。

消したくなる。

評価とかしてくれてたりすると、消えたくなる。


今までに、パクリじゃないって、

これに影響受けたって、なしに、

ちゃんと面白い作品は、10もない気がする。


オリジナリティとは何ぞや。


創作はどこから始めないといけないのか。


DNAは5’末端から3’末端へとDNAポリメラーゼの作用で複製していく。

周りには、既にその材料となる分子が無数に浮かんでいる。


DNAは人体を作りつづけているが、世界を創ってはいない。

オリジナリティとはなんぞや。


ほんとうに、ほんとうは、

ほんとうに、

一から、

文化から、

生命から、

なにもかも、創れたら、それがきっとすごいことなんでしょうけれど、


そこを誰かの積み重ねに頼って、

私たちは創作してるんだなぁって、

思うんですよね。

ファンタジーも、ファンタジーの約束の上で生きている。

タイムトラベルもそう。剣も魔法も、現実世界も、そう。

でも、

結局、

その書いた人の、趣味とかが見えるのが、

オリジナリティがあるように見えるのかな、と思ってみたりしています。

あくまで、1.5次創作に収まっているならの話。





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そと

みんなはどんな物語に出会いたいんだろうね。

出かけなくちゃ。

おうちに届く物語は、

パッケージ化された綺麗なものでしかないよ。





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ウソ

全部嘘です。

今まで言ってきた事。やってきた事。感じてきた事。

それでも世界中の、誰も困らないなら、

きっと本当はそういうことなんだろう。





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昨日の私は既にフィクションの私。

きのうの、取り消し。

ジャンルとか小さい。

ジャンルを感じさせない物語がかけたら秀逸。





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