1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

「紙」観ました。

なかまくらです。

MUNA-POCKET COFFEEHOUSEさんの第26回公演「紙」を観てきました。

抽象的なお芝居だったので、あらすじというほど、粗くでも、掴むのは難しいのですが、

うーーん、文明の発展と現在の世界情勢、みたいなお話でした。

最初にマッチングアプリで出会った2人の言い合いから始まります。

2人は、意見が合わない様子。別れ話みたいな感じ。

なんと10分くらい、別れ話をしている笑


そのあと、人がドバドバーっと増えて、みんな個性的。

彼らは会社を作って、偉くなったり、いろいろする。

後から思うと、ここのところは、文明の発展を描いているのかな、と思えて、

面白いのですが、この時点だと意味不明。それぞれの顔見せみたいな感じ。

ところが、ここで、既に30分くらいが経過しています。

ちょっと苦しい展開が続きます。最初の2人はどこへ行った・・・?


そして、選挙活動が始まります。政党を作り、選挙演説をする2つのグループ。

けれども、最終的にそれに打ち勝ったグループとは別の集団が結局は現れる。

このあたりも、あとから思うと、中東の人たちを何も考えていない西側諸国の

勝手な争いで面白いのですが、この時点では意味不明で、コミカルに描かれるけど、

ちょっと苦しい感じでした。最初の2人は、別の勢力に飲み込まれていきます。


そして、一方の勢力が勝ち、世界に布教を始めます。

この辺から、ようやく、何が言いたいのか分かってきて、だんだん展開が読めてきます。

シルクロードに見立てた、ロール紙が舞台を覆いつくして、そこに、中東の宗教が

生まれます。それに集まる人々を、協調性がないとして、隔離して、閉じ込める。

彼らは、見えないものを信じる、白紙の紙のような純粋さで、

それと同時に、西側諸国の契約社会と一線を画する、世界観で生きていて、

それと相いれない西側諸国が武力攻撃に打って出ます。ところが、この航空機は、

観客に配られた紙なのです。そこでようやく再会を果たす最初の2人。

2人は2つの勢力に分断されていて、その中で翻弄されていたのです。

2人は逃げようとしますが、私たち観客が投げつける航空機による爆撃が、

それを阻みます。これはかなり、いたたまれない展開でした。

そして、人間がどうにかすることのできない、雄大な自然を見に行こう、という、

誘い文句で、2人は逃亡します。3割の生存確率を必死に手繰り寄せようとしますが、

希望は片方だけ、少しだけ残されて終わります。


ラストシーン直前のシーンでは、中東出身の設定の女の子のほうが、

もうずっと泣きそうな感じで走っていて、

こっちにもその感情が伝わってきて、迫真の演技でした。



全体の感想としては、前半でもうちょっと視点をもつ人物を決めてもらって、

誰かの体験として、劇に伴走していくことができれば、苦しくなかったのにな、

という思いと、4幕目の色々なこれまでのことがすべてつながってくるシーンの、

その視界の開ける体験の圧倒される感じが、ありまして、

うーーーん! 面白かった!!!

とは言いづらいけれど、もう一度見たら、面白いだろうなー!

というお芝居でした。おわり!





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大道具:階段の作り方

なかまくらです。



部活動の関係でホールに行くことがありまして、

その準備の際に、ひっくり返っている階段を見つけたので、思わずパシャリ。

なるほど、こうやって階段は作ればいいのね。

とお勉強になったというお話。





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「人魂を届けに」観ました

なかまくらです。

イキウメ「人魂を届けに」観ました。



ずっと追いかけている劇団イキウメさんの新作です。

東京まで行きたかったのですが、今回も配信で観ました。

まだコロナは怖い。


あらすじ

絞首刑になった受刑者が確実に死ぬかを見届ける仕事をしている男は、

あるとき、受刑者の足元に何か黒いぶよぶよとしたものが落ちたのを見た。

男は、それが魂なのではないかという妄想に取りつかれる。

そして、それを、森の奥で現代とかけ離れた生活をしている受刑者の母のもとに

届けに行く。

そこでは、現代社会で傷つき、逃げてきたもの、死のうとしていたもの等が、

寄り添うように暮らしている家があった。

公安の男は、その家から街へと戻っていったものが犯罪者となることの多さから、

テロリストの養成機関があるのではないかと踏んでやってくるが、

その場所から社会への帰り道が分からずにいた。

男もまた、届けに来たと思っていたが、導かれるように、この場所へやってきていたのだった。

息子を傷つけ、妻を傷つけ、男は魂がないように感じるときがある、と元妻に言われたことを

ひどく気にしていた。魂を込めたものを売ったり買ったりできるのか・・・。


というようなお話。

脚本・演出はいつもの前川さん。

この人はどうしてこんなに人の心を揺さぶるお話がかけるんだろう、と

いつも感心します。

息子を亡くした妻の心境をつづった日記を、

妻は嫌だといったが、賞に応募してしまった男。入選した作品の副賞として送られてきた

3万円。それは、魂を3万円で売ったことに他ならないのだ。

震えるほどに、生々しい。魂なんていうあるかどうかも分からないものが、

急に実体に閉じ込められてしまって、生々しいものに思えてくる。

お話としては、壮大ではなくて、こじんまりとした印象のある本作品でしたが、

センスオブワンダーを十分に味わうことのできた、素敵な物語でした。

おわり。





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「オルフェウスと影の一座」観てきました

なかまくらです。

SCAPシアタースクール2024

「オルフェウスと影の一座」観てきました。
(写真はSPACのX(旧Twitter)アカウントより)






児童文学作家ミヒャエル・エンデさんの絵本を戯曲化したものです。

静岡県の中高生が、お芝居をするために集まってきて、上演する

SPACの企画でした。

あらすじ。

オルフェウスは、声が小さくて、女優になることはできなかった。

その小さい声を生かして、役者が台詞を忘れたときのために、

舞台のそばにある箱から小声で台詞を全部言うという仕事をしていた。

時代は変わり、劇場に人が集まらなくなっていった。

オルフェウスはすっかりおばあちゃんになっていた。

そして、あるとき、街の劇場はついに閉鎖されることになった。

オルフェウスおばあちゃんは、閉鎖された劇場に、ひとり名残惜しく、

佇んでいた。すると、居場所をなくした影と出会う。

オルフェウスおばあちゃんは、その影を受け入れて、2つの影をもつようになった。

うわさを聞き付けた影たちが、オルフェウスおばあちゃんを訪ねてくるようになり、

たくさんの影をオルフェウスおばあちゃんは受け入れた。

オルフェウスおばあちゃんは、騒ぎ立てる影たちに、

お芝居を覚えさせることにした。

やがて、仕事もない住まいを追い出されたオルフェウスおばあちゃんは、

影たちと村々を周り、劇を披露して、見物料をもらうようになる。

「オルフェウスと影の一座」は次第に有名になっていく。

そして、あるとき、大きな、深い、影に出会う。

影は「死」の影であると名乗る。

オルフェウスおばあちゃんは、その影をも受け入れた。

気が付くとオルフェウスは、天国にいた。

影たちも一緒だ。

オルフェウスは劇場に案内され、そこで、天使たちにお芝居を見せることになったとさ。めでたしめでたし。

というお話でした。


すごくいやな登場人物が出てこなくても、

お芝居がちゃんと進んでいって、

音楽を生で演奏したり、踊ってみたり、

劇中劇でマクベスやオズの魔法使いの名シーンを演じてみたり、

なんだかすごく満足感のある1時間でした。

役者さんはエネルギーに満ち溢れていて、

舞台の照明や人の集まり方や動き方など、

6~8人くらいが一般的なプロのお芝居や、

高校生のお芝居では見られない、演出も見どころでした。

こういうの、できたらすごいなあって思いますが、

こういうのは、もっと、世界で芸術と呼ばれているお芝居を

観ないと演出方法が浮かび上がってこないんだろうな、と、

自分の表現方法の浅薄さを感じるのでした。観れてよかったです。

おわり。





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演劇ユニットせのび「夏に冬は思い出せない」観ました(配信)

なかまくらです。

演劇ユニットせのび「夏に冬は思い出せない」が配信されていたものを観ました。

最近、有料で配信してくれるお芝居が増えて、現地に出かけるパワーがなくても

見られるようになったのは良いことですね。ただ、これは生で見たかった・・・!

というお芝居が増えるのも、事実・・・!

さて。

今回観たお芝居は「冬忘れ」という、冬を忘れてしまう病気が蔓延する日本社会のお話です。






このお話は、難解で、ちょっと全体像をつかみ切れていない感じが強いのですが、

不思議な魅力のある作品でした。


冬を忘れてしまったことで、冬に新しく友人と出会ったことまで忘れてしまった人。

その一方でそれを覚え続けている人がいるということ。

小学校の校舎が建て替えられて、小学校の思い出を思い出さなくなってしまった人。

祖母が認知症で、次第に孫を忘れて行ってしまうことに悲しんでいる人。

祖母に逢う頻度が下がって、祖母の存在が薄れて行ってしまう人。

小学校のことであった出来事をすべて覚えているのは二宮金次郎像。

冬に仲直りした夫婦はなぜ、一緒にいるのかを忘れてしまう。

山で遭難するカップル・・・互いを探しあう。

それは、互いになぜあったのかを思い出そうとすることの暗喩のようであり、

二人は再び出会えた。足跡を増やしていく。

人間は、辛いことを忘れることのできる生き物であり、冬忘れによって、

雪国に住む人たちの自殺率は減少した。

二宮金次郎は、語る。すごく昔には、地球の自転は今よりも早く、すごく未来には、

地球の自転は今よりも遅くなる。勉強しているから、そうなることを知っている。

覚えている。

けれども、人間は、恋人たちや夫婦たちがそうであったように、

友人がそこにいるように、

理由は忘れてしまっても、そこに相手がいることに順応しようとしている。

それは覚えているからではなく、存在することが大切なのかもしれない。

春が来ることが恐ろしい。死んでいた生き物がよみがえるようであるからだ。

冬を忘れたら、きっとそんな風に思うのだろう。


けれども、このお芝居は、冬を忘れても、たくましく足跡を増やしていこうとする

人々を肯定的に描こうとしているように感じました。


冬を忘れない人はその思い出を自分は覚えておこうとするし、

忘れてしまう人は、その思い出を忘れませんように、と願う。

「金次郎さん、もう、誰もあなたの話を聞いていませんよ」

と、最後に言われる二宮金次郎像。彼の悲哀をすごく感じた。


忘れてしまうことができない彼と、忘れたくないと願いつつも忘れていく人たち。

その対比が後半、際立ち、そして、人間の足跡だけが残る形で終演を迎えました。


金次郎の「勉強していてよかった」は、忘れられない金次郎なりの、

生きていく術であるのかもしれず、なんかうまくまとめられずにこのまま終わりますが、


それでもいいよね、と終わる、このお芝居の主張しすぎない感じが、不思議な魅力でした。

おわり。





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