なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
「世界教育水準ランキング発表!トップはフィンランド、日本の順位は?」
というニュース記事がありました。
1位はフィンランド、2位は韓国だったそうです。日本は4位。
両極端な教育をしている二国が1、2位であるということが教育というものの奥深さを象徴しているように思います。
やるならとことんやれってことですかね・・・。脱ゆとりとか、ゆとりとか、日和見主義で変えるなよって。
ゆとりといえば、
総合的な学習の時間が改悪の代名詞みたいになっていますよね。
でも、総合科学研究科に在籍している学生としては、すごい面白い思想であったと思うのです。
ただ、現場にそれを求められても、体現できる先生の数が圧倒的に足りなかったんだろう、ということが、
容易に想像できます。だって、大学の、総合科学研究科の先生だって、ほとんどが
そんな理念は理念として、理学部や文学部のような風に個々の専門分野の研究をしている、という印象ですから。
スペシャリストではなく、ジェネラリストを育てる、ということをやろうとしていたのではないかな、と思うんですけどね。
なにせ、総合科学、というやつの研究は進んでいませんから、仕方が無いですね。
今思えば、総合科学という手法の研究を卒論のテーマにすればよかったって、本当に思うんですけどね。
もし、総合的な学習の時間が軌道に乗れば、両極端を超えて新たな世界が見えてくるような、
そんな希望すらあります。なにせ、私は総合科学研究科の学生ですからね(笑)。
以下、本文コピペ
世界的な総合教育企業、英Pearson社が27日、世界の教育水準ランキングを発表した。
トップはフィンランドで、韓国、香港と続いて、日本は4位。英国は6位、米国は17位で、調査40ヵ国中ワースト3は、インドネシア、ブラジル、メキシコだった。
ランキングは、英国の経済雑誌『The Economist』のリサーチ部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニットがまとめたレポート”The Learning Curve(http://thelearningcurve.pearson.com /)”に収められたもので、40ヵ国の教育水準を、質(学校の自治度、選択肢の豊富さ)、量(義務教育の年数、教師1人あたりの生徒数)、知能(国際学力 テストのスコア)、教育成果(卒業率、読み書き能力、雇用)の4分野にわたって精査した。
日本は、OECD(経済協力開発機構)が 2009年に世界の15歳を対象に行った学習到達度調査(PISA)で、香港、フィンランド、シンガポール、韓国に次いで5位に入った実績が評価され、総 合4位だったものの、学校の選択肢の豊富さや、教員の質の指針の一つとなる教員給与水準で他のアジア諸国や欧州各国に比べて遅れが目立った。
レ ポートによると、1位のフィンランドは、子どもの考える力や応用力を伸ばすことに主眼を置いた教育制度で、少人数学級だが授業時間が短く、宿題もなく、放 課後に塾に行く生徒も少ないという。対して、2位の韓国は、ペーパーテストの成績重視の暗記型カリキュラムで、多くの生徒が放課後も夜遅くまで塾で勉強を 続ける。
教育に対するアプローチが正反対に見える2つの国がトップ2を占めたわけだが、専門家は共通項として、学校制度や教育そのものに 対する国を挙げてのサポート体制や、整った教育環境、優れた教員養成課程があることを指摘。国全体の教育水準を引き上げるためには、優れた教員の確保と教 育に価値を置く文化、環境づくりが必須と訴えた。
トップ20は以下の通り
1.フィンランド
2.韓国
3.香港
4.日本
5.シンガポール
6.イギリス
7.オランダ
8.ニュージーランド
9.スイス
10.カナダ
11.アイルランド
12.デンマーク
13.オーストラリア
14.ポーランド
15.ドイツ
16.ベルギー
17.アメリカ
18.ハンガリー
19.スロバキア
20.ロシア
恩田 和(Nagomi Onda) 全国紙記者、アメリカ大学院留学、鉄道会社広報を経て、2010年に長女を出産。国内外の出産、育児、教育分野の取材を主に手掛ける。2012年5月より南アフリカのヨハネスブルグに在住。アフリカで子育て、取材活動を満喫します! |
なかまくらです。
運命、というやつを感じてしまう。
スイミングに、お母さんがちょっとすごい水泳選手だった子どもたちが通っていまして、
子どもたちは、みんなめっちゃ上手。速くなったりするほど、明確に違ってくる。
クロールのエントリー。その入り方は、私には無理。肩関節が以上に柔らかい。
エントリーで、水しぶきが立たない。
エントリーすると、まだ育ちざかりの掌が、泡のない手で水を掴んでいる。
痩せすぎず、水に浮かぶ。
素質が違う・・・・。私なんて足元にも浮かべない。
この子たちが、・・・生まれた場所が違ったら、全く違う人生だったかもしれない。
私の生まれ育った地域は、海に近かったり、川がたくさんあったためか、
50mのプールがそこかしこの中学校にありました。恵まれた環境で、くそみたいな結果しか出せなかった。
でも、ここじゃあ、中学校にプールがなかったり、ということもざら。水泳部なんてなかったりする。
ああ・・・、と思うのです。
もし、教師になったら、自分よりも、才能・素質のある人間と数多く出会うでしょう。
その時に、自分という枠をはるかに超えていくべき彼ら・彼女らにどうやって指導してやったらいいのだろう、と、
強く思わされた出来事でした。
進級テストは、子どもにとってきっと大人が思っている以上に重要な出来事なんだなと思わされることがありました。
第一、幼稚園・小学校で、「不合格」と言われるような挫折って、そんなにない気がします。
漢字テストとか計算テストとか、あったとしても、次の日にはまたテストして、「今度は合格、よく頑張ったね」
というレベルかな。
ところが、2カ月も練習して(と言っても、実質7回ですが・・・)
「ダメだったので、また2カ月練習しよう」 というのは、
実質、「君の頑張りが足りなかった」と言っているようなもので、大変な挫折なのでしょう。
本当は、コーチの腕が足りなかったり、クラス編成に問題があったりもするのに
(いや、これもコーチの問題か・・・)、その辺は棚にあげて不合格をつきつけるわけです。
・・・とはいえ、ダメなものはダメというか、60点で合格なら、60点はとらないといけないわけで。
60点をとらせる指導をするのか、本人が60点をとろうとする指導をするのかというのも、難しいところです。
基準はあるわけです。バタフライだったら、
① 手と足のタイミングがあっていること
② 手が真っ直ぐに後ろから前へ戻ってくること
③ 規程の距離を①②を守って泳ぎきれること
この3つなのですが、どれを重視してその子どもを指導するかは、コーチの裁量みたいになっちゃうわけです。
それがきっとコーチの腕の見せ所で、子どもが悔しい思いをしてしまっているのは、コーチのそれが甘かった所為。だいたいはそう。
上手な子は、ちょっとお手本を見せればそのままひょいっと出来るようになってしまうものです(そこからの微修正も何だかんだこなしてしまう)。そうでない子の身体的・性格的特徴をいかに理解していくか。その大切さを改めて感じました。
おわり。
投稿しようと思って、消しちゃった内容ですが、
「いじめ」と「教員の保障」について、考えていること。
以下。
まだ学生なのですが、思うところがあったので、発言させてください。
「いじめ」の問題はどうにかしていかないといけないと思います。しかし、学校現場だけの問題なのでしょうか。学校以外でいじめはないのでしょうか。今、所属している大学のサークルでも、時々、あ、危ないな・・・。と思うことがあります。社会全体で考えていかないといけないのだと、私は思います。
それから、「保障」のことですが、教員全体に対する、保障のことでしたら、おそらく、給与に関することが主になると思うのですが、身分保障は必要だと思います。
私が好きな言葉に「すぐ役に立つことは すぐ役に立たなくなる」という言葉があります。
学校評価や、教員評価というものがされるようになってきていて、保護者や生徒が先生を評価できる時代がもうそこまで来ていると思いますが、その時、どれだけ謙虚な気持ちで評価するのでしょうか。自分の考えが絶対だという思いで評価してもらってはいけないのではないか、と私は思います。
なぜなら、「先生、それって将来何の役に立つの?」と言うような生徒は、すぐ役に立たないとその先生をきっと評価しないでしょう。評価されずに、保障もなければ、すぐに役に立つことだけを教える教員だけが生き残っていくでしょう。
でも、例えば、国語力、というのは小説や評論文を国語の時間で読む中で培われていくものだと思います。ある小説を題材に読んで、登場人物の気持ちを考えること、ということ自体が、国語教育で伝えたいことではないのかもしれません。そういった教育をするためには、やはり利益優先では困るのではないでしょうか。そして、保障というのは、その利益優先から教員を守るものであるので、必要であると、私は思います。
長文失礼しました。
なかまくらです。ちょっと表題について、考えることがあったので。
先生がつくった同好会って、私の経験の中ではみっつありましたが、
あまりうまくいった試しがないです。
そんな経験を書いてみます。いつか役に立つかも、と思うし。
ひとつめは、
高校の時のオーストラリアとアメリカの姉妹校と国際交流をしようというサークルで、
メールのやりとりなどをしていましたが、
そんなに乗り気ではなかった僕が代表に押し上げられたことと、
立ち上げた先生の後を引き継いだ先生がまったく乗り気でなかったので、2年でつぶれました。
ふたつめは、
やっぱり高校の時に、俳句同好会がありました。
これは、俳句の詠める先生がいらっしゃって、(授業でも俳句を教材に使う先生でした)、
文芸部 のメンバーを中心として、その中のいい人くらいを集めた俳句の会みたいなのを
半年くらい続けました(卒業してしまったので、その後は分かりませんが、結構 楽しかったです)。
みっつめは、
大学に入ってから、科学サークルを先生が企画して立ち上げました。
広島子ども科学館でのイベントの建学に行ったり、ふたつ、みっつと、
小学生の実験集みたいな実験をしましたが、
先生も協力してくださった高速度カメラをつかって、
ミルククラウンや、水風船が割れるのを撮影した実験以外の実験は、
子供だましみたいなものばかりで、3ヶ月くらいで私は脱退してしまいました。
私個人の考えですが、
やっぱり、熱意と経験のある指導者と興味のある学生、
この両方がいないと、どうにもならない気がします。
例えば、演劇だったら、
ゲーム感覚の体を動 かして楽しむようなワークショップを定期的に開いたりするために指導者が必要かな、と思います。
それから、義務感でやってたら、間違いなく楽しくないの で、少しでも興味があったりして、学生がわいわいと楽しく出来ることが大切だと思います。
最初から台本読んでみたりしても、
楽しみ方が分からなくてくそ真 面目にやってたら演劇の魅力には気づけないんじゃないかな、と思います。
経験者がいると全然スタートラインが違ってくると思うんですけどね。
あまり参加し てなかった自分のせいですが、
自分が1、2年生の時は、それでもったいない時間を過ごしたなって、今は思っています。
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