1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

きゅふっ

なかまくらです。

アニメ、
「輪(まわ)るピングドラム」の最終話を観ました。

「輪(まわ)るピングドラム」は少女革命ウテナ(観てないけど)の監督、幾原邦彦 の作品。

これまでの大体のあらすじ。





「僕は運命という言葉が嫌いだ。」

二人の兄と一人の妹は3人で幸せに暮らしていたが、妹の陽毬は不治の病気に冒されていて、死亡。

ところが、不思議なペンギンの帽子によって奇跡の生還を遂げる。

ペンギンのいうことには、今は一時的に余命を延ばしているだけであり、

「ピングドラム」を見つけなければ、この娘の命はやがて尽きてしまうであろう。

ということ。

二人の兄は妹の陽毬を救うために、ピングドラムを求めてある女の子に出会う。


「私は運命という言葉が好き。」

女の子は小さい頃になくしてしまった姉の残した日記をその通りに遂行することで、姉になろうとしていた。

姉がいたころの家族はとても幸せだったから。

兄弟は、女の子の日記をピングドラムだと思い、それを奪おうとする。

女の子は萃果(りんご)


時を同じくして、妹の陽毬の担当医に"ときざね"という男が現れる。

ときざねは、高価な薬があるんだけど、と、長兄・冠葉に持ちかける。

冠葉はどこからともなくその大金を仕入れ、陽毬は再び命を長らえる。


弟の晶馬は、これは僕たち兄妹に与えられた罰なんだ、と萃果に話す。

萃果の姉の死んだ事件の首謀者は、兄妹の両親だった。

兄妹は義兄妹であり、彼らはみんな生きる価値を求められていなかった。

誰かに「愛してる」って、ただ一言言ってもらいたかった。

兄の冠葉はその光を義妹の陽毬に見つけ、両親の組織を継ぎ、大金を手に入れていた。

担当医のときざねはそれを見ていた。


ときざねが畏れるのはピングドラム。それは運命を変える呪文の乗った本の名前。

ピングドラムは燃えてしまうけれど、萃果は呪文・・・一番大切な言葉だけは知っていた。


最終話、冠葉と晶馬は対峙する。

萃果は運命をその身と引き換えにして乗り換える。

晶馬は言う。「愛してる」 そして、これは僕たちの受ける罰だから。

萃果と陽毬は運命の乗り換えられた世界で何事もなかったかのように幸せに暮らす。

兄妹なんて、初めからなかった世界で。

ただひとつ、昔あった世界にあったぬいぐるみの中から、

「大スキ!」という手紙にわけもなく涙するくらいで。

おわり。






でしたー^^


もうね、なんどかぶわっと、来ました。

良かった TωT b

演出が素敵で、暗いお話なのに、暗く見せず、あくまで明るく。

大切なところは包み隠して、

優しいけれど、本当は悲しい。

思いと思いが交錯して、どれかは正しくてどれかは正しくなくないといけなくなって。

今私たちが生きてきた平穏が一番の幸せなのだなあって、

思いました。


名前とか、世界観とか、銀河鉄道の夜がモチーフになってるみたいですね^^。


小説版、読みたくなっちゃった。今度買ってこよう。





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締まらんなぁ…(笑)

ベルト忘れたww

何となく頼りない腰回り。

3年生は最後の授業なんだけどなぁ(笑

まあ、いい思い出に?





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焼き肉食べたよ

充電しました、

おしゃべりとコレステロール。


でも、捨てられないものが多すぎるもの!! なあんてな。








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4番君

4「ふはは、もはや貴様のストレイトにドキドキする時代は終わったのだ。フォークを投げて来たまえ」


p「鋭く抉る、ケーキフォーク!」

ぶおん!

p「回転力で絡め取る、スパゲティフォーク!」

ぶおん!

4「はっはっは! 特訓の成果、オレンジ打法だ!」


p「果物にはこれ! 先割れスプーーン!!」


4「う、うわーーー…」


ストライク、バッターアウト!
ゲームセッ


オチなどない(笑)





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王道と邪道と鬼才の奇作

なかまくらです。

興味のない人が大部分の、私の個人的な物語創作論的な話です。わー8888。

でも、日常埋没日記に最近なりつつあるので、どーんと、柱を立てて、ここに灯台を建てよう。


最近インプットの不足が目立ちます。物語に飢えています。

巷には溢れかえっているのに、なんとなく読みたい気分がしない。

それは忙しいからというのもあるんでしょうけれど、なんとなくマンネリ感を感じてしまっているから、という印象。

私の物語創作は、奇をてらうことから始まりました。文章は中学生にも及ばないけど、誰もみたことのない物語。

高校3年間、そのまま突っ走って、80作ぐらい書いたところで、はたと、気づいた。このまま生涯走り続けられる分けないじゃない。。。

王道も見せ方ひとつで、まるで誰も読んだことのない物語になるんじゃないか。文章でも少しぐらいなら魅せられる段階まで着たんじゃないか。

大学3年間は、王道に走ります。王道ばっか。あらゆる王道を走りました。それで、もう王道はいいや、って。

4年生になって、抽象にはまります。抽象を具象(現実世界)に織り交ぜる。物語を作り出すことは、解釈の迷宮を組み上げること。いろいろ書きました。

いろいろやりましたけど、結局原点は変わってないんだな、と気づいた、今。

奇作を狙って、王道書いて、抽象書いて・・・。

何がしたかったのかって、

結局、読んでるかも分からない誰かと、あと、何よりも、自分自身が自分自身に飽きないために書いてるんだって。

それは奇をてらうとか、そんな難しい話じゃなくて、同じ話を繰り返したって、やっぱり人は飽きてしまうという単純なこと。

なにより、私はそんな風な物語の書き方をしていない・・・。

私にとって、私につながっている問題があって、それを内側に抱えきれなくて、パッと外に逃すような行為であるから、

同じテーマを扱おうとしても、もう、そこは大抵の場合、空っぽになっちゃう。

空っぽにならないとなんだかすごく気持ち悪くて、一生懸命に何度も書くんだけれど、それでも空っぽにならないテーマが今は生まれてきていて、

今は、それを手を尽くして書こうとしてる。スカーリングが下手で掴めない水みたい。

奇をてらってみたり、王道で書いてみたり、邪道で書いてみたり、抽象で書いてみたり。

夢中になっている間だけ、私は飽きないでいられるんだと思う。


大部分のネット作家にとって、読者がほとんどいないんだろう状況なんだろうからこそ、自分の書く物語が、常に世の物語に紛れて消えないように、書いていかなくちゃ。

それから、こんな感動を与えてくれる物語が書きたいな、という物語に出会わなくちゃ。





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