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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

ウィザーズ・ブレインIX 破滅の星〈中〉読みました。

なかまくらです。

ひきつづき、中巻のレビューです。

上巻で大気制御衛星を奪取した魔法士(生体コンピュータi-ブレインを先天的あるいは後天的に脳に埋め込んだ人間)の国家 賢人会議は、続いて人類の殲滅にフェーズを移行する。その先頭に立つのは2本の騎士剣と2つのi-ブレインをもつ特異な能力を持つ騎士ディー。彼は恋人であるセラの居場所を作るために賢人会議に加わったのだ。
しかし、実際に人類の殲滅へと動き出した賢人会議の内部も一枚岩ではなく、衛星を奪取する際には、攻撃してくる軍人を殺すことができていた賢人会議の魔法士たちも、一般市民の攻撃に対しては躊躇するものも出てくる。さらには、科学技術的なサポートをしていた天城真昼の死によって、次第に魔法士たちは万全の状態で出撃するのが難しくなっていく。そして、賢人会議の代表であるサクラは、大気制御衛星から出てくることができず、通信状況も不安定な状態にあった。これらによって、徐々に不安定さが増していく賢人会議。
一方、人間の側は、大気制御衛星を奪取されたことで、人間が一定数以下になると、賢人会議によって、遮光性の雲の除去システムが起動されて、雲と一緒にi-ブレインを持たない人間は分解されてしまう危機にさらされていた。この状況を打破するべく、大気制御衛星への大規模なハッキングを仕掛けることを決断する。そのためには、現在の人間の拠点(シティ)の要となる生体コンピュータがすべて破損する可能性があり、さらには滅ぼすべき相手である魔法士の力が不可欠という非常にリスクと困難を極める作戦であった。
その作戦の遂行のために、天城錬の恋人で、特異な力をもつフィアが狙われる。賢人会議にも所属せず、人間側として戦うこともしてこなかった天城錬とフィア。フィアの選択は、大気制御衛星へのハッキングに協力するというものだった。天城錬にはその真意が分からなかった。
ハッキングを食い止めようとする賢人会議とハッキングを邪魔させまいとする人間側。魔法士たちは一騎当千の力を奮って、ハッキングをしている中枢の生体コンピュータの前までやってくる。その先頭に立つのは騎士ディー。そこで待ち構えている天城錬と量子力学的制御を操る格闘戦最強の魔法士イル。
この戦いにおいても、上巻と同じ過ちが繰り返される。確固たる意志を持つディーと「何をしたらいいのか、どうしたいのか分からない」天城錬。両者は拮抗した戦いを見せるが、土壇場でその差が表れる。確固たる意志を持つ者たちに引きずられて各方面で戦局はどんどん進んでいき、その局地として、戦いの天秤はふいにディーに大きく振れる。生体コンピュータは破壊されてしまう。
大気制御衛星にハッキングを仕掛けていたフィアは、その内部で賢人会議の代表サクラと対峙する。そして、サクラの誰にも打ち明けていない真意を知ることになる。しかし、あと一歩のところでハッキングの補助機関である生体コンピュータ破壊され、フィアの意識は身体に戻ることができずにどこかへ行ってしまうのだった。
人類は後戻りができないところまで来てしまっていた。世界再生機構は為す術もなく、介入も虚しく、事態は悪化し、それぞれの実力者たちもそれぞれの責務との天秤に動かされ、人間側でも魔法士側でもないという立場をとり続けることができなくなっていった。いずれかが勝ち、他方を滅ぼせば、人類を絶滅の危機に追いやっている大気制御衛星の暴走による難分解性で遮光性のある雲は除去されて、人類は太陽光エネルギーを再び活用することができるようになる。しかし、そもそもこの大気制御衛星の暴走自体が、実は暴走ではなく人類を救うために命を賭して魔法士によってなされたものだというのだから、どちらに義があるとも分からない。ただ、戦争を止めれば、雲は除去されず、人類は近いうちに滅びることは想像に難くなかった。それでも曖昧な立場をとり続けることの困難さを感じていた。
しかし、事態は待ってはくれない。
生体コンピュータを破壊したディーは返す刀で、別のシティを襲撃し、その市民を殲滅する作戦を立案する。それを食い止めるべく、最強の騎士 黒沢祐一が出撃する。黒沢祐一の脳は過去の大戦からの蓄積疲労により、すでに壊死しようとしていた。i-ブレインを起動したら死ぬ、と言われているそんな状況で、新世代の最強の騎士であるディーの前に立ちふさがる。ディーにとっても多くを教えてくれた師である黒沢祐一であったが、対峙する以外の道はすでに残されていなかった。黒沢祐一は死の淵において、ついに騎士の極致に至り、ディーを圧倒し、賢人会議の侵攻を食い止めることに成功するのだった。彼自身の命と引き換えにして・・・。
という中巻でした。
状況はどんどんと取り返しのつかない方向に進んでいき、極端な思想に突き進んでいきます。それについていけないものが出てきたり、逆に立場をあいまいにしておけないものが出てきたりして、実力者たちがあちらこちらに陣営を移っていきます。黒沢祐一が死ぬ展開は、天城真昼のときも思いましたが、まさかこの人物が退場するとは・・・という驚きがありました。黒沢祐一は1巻から度々登場しては、まだ精神的に発達途上である各主人公たちに示唆を与え、成長させてきた人物でした。次第に大局的に世界を見定めている指導者を失っていくこの物語がどこへ進んでいくのか未だ不安の中にあります。





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ウィザーズ・ブレインIX 破滅の星〈上〉読みました。

なかまくらです。

これは、感想を書かねば・・・! というわけで、久しぶりに感想記事です。


人類と魔法士の共存を望んだ青年 天城真昼が前の巻(Ⅷ巻下)で一般市民に殺されてしまって、退場。Ⅸ巻の上巻だけは驚くべき早さで刊行されましたが、下巻が出るまでは、読むまいぞ、と思っていたら、9年の歳月が流れたのでした。

さて。
天城真昼の死と大気制御衛星による雲除去方法の発見を駆動力にして物語は進んでいきます。遮光性の高い人工雲を除去するには、i-ブレイン(生体コンピュータ)をもたない普通の人間を大幅に減らし、i-ブレインをもつ魔法士の脳をリンクして大気制御衛星から雲の構造に対して、大規模な演算を仕掛ける必要がある。
そのために、魔法士の国家である賢人会議は、南極上空に浮かぶ大気制御衛星の奪取と、核戦争の末に総人口2億人まで数を減らしていた人間側の拠点である6つのシティへの破壊工作を繰り返していた。天城真昼を失った賢人会議の作戦は、人類殲滅へ向けて合理化されていく。
天城真昼の死は、世界中の世界を憂う実力者たちを動かす。世界各国で人間と魔法士の最終戦争を止めるために密やかに動いていた人々が、世界再生機構なる第三者勢力となっていく。
上巻の終わりには、賢人会議の長サクラが大気制御衛星に乗り込み、1巻の主人公天城錬と量子力学的制御を操るイルを圧倒し、衛星を掌握するところで終わります。
どんどんと極端な方向に進んでいってしまい、サブタイトルの通り、「破滅」を強く感じる上巻でした。現在の私たちの世界でのロシアとウクライナの戦争の情勢を思うと2015年に始まった物語がこのタイミングで続きを刊行されたことは、大きなメッセージとなっているように思います。
戦争の状況も確固たる意志を持って突き進む、賢人会議が数で圧倒的に勝る人間側の猛攻を巧みにかいくぐって大気制御衛星を奪取する展開は爽快感がありますし、外的な要因によって動かされているように見える天城錬の優柔不断さにいら立ちもあり、なおさら、賢人会議の正当性を感じるのでした。ラストシーンでサクラが天城錬に「私の道を否定する貴方だったらどうするのだ」と問うたときに、天城錬は何も答えられずに、衛星から排除されてしまいますが、それも当然の結果のように思います。ここからの天城錬の奮起があるのかないのか・・・。天城錬に対してはストレスの増す上巻でした。





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「数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ」読みました。

なかまくらです。



「数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ」
イーヴァル・エクランド著  南條 郁子 訳 読みました。

光の反射と屈折の法則について、理解を深めたくて行き当たった最小作用の原理(停留作用の原理)を読み解くために、手に取りました。

自然は、作用(m∫v ds)を最小化するように運動を決定しているのではないか、と考えたモーペルテュイから始まる壮大な科学の取り組みを記述した本。自然界を統一的に表すことのできる究極の理論があるのではないか、と理系で学んだ私ももちろん思っていたし、いまでもワクワクするテーマで、それに挑んだ科学者、数学者たちの軌跡にワクワクしました。

解析力学をもっとちゃんと学んでからもう一度読んだら、理解が深まるような気がしていて、それが残念でした。
そのほかの残念な部分としては、著者がモーペルテュイのことが嫌いなのか、結局、最小作用の原理は何の役にも立たないかの如く扱い続けるために、最小作用の原理は結局正しいのか正しくないのかよくわからないまま最後の最後まで進んでいってしまうことです。最後の結論で一言触れられなければ、最小作用の原理などというものは結局存在しなかったんだな、と読者は結論付けてもおかしくないな、ということと、後半、社会の最適化についての議論へと進んでいきますが、数学的な議論から離れてしまい、哲学的な何かになってしまうため、著者の考えを聞かされているだけになっている気分で読み進めることになったのが、惜しいな、というところでした。
ガリレオの振り子の等時性の話といい、興味を途切れさせないで中盤まで読めただけに、終わり方は少し残念でした。





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「砂漠」読みました。

なかまくらです。

久しぶりに小説を読もうと思いまして。

友人から面白いよ、と勧められた伊坂幸太郎の「砂漠」を読んでいました。



・・・あらすじを書こうと思ったのですが、彼らの麻雀をしたり、面白いところに突っ込んでいく大学生活を順番に追って行っても、この本の魅力は全然伝わらないな、と思うので今回はなし。
主人公は北村という男で、国立大学の法学部に入学した。彼はどこか冷めたところがあって、周りの行動を冷静に見ていた。そんな彼は、学部の歓迎会でギャハハと笑う鳥井、スプーン曲げができる南、クールビューティー東堂、そして遅れ馳せて空気を読まない平和の演説をかました西嶋と出会う。彼らとの日々はくだらなく、でもドラマチックで、北村は少しずつ変わっていく。そんな彼らの大学生活を描いた本でした。

この本は、なんといっても、西嶋がかっこいい。

彼はカッコよくないけれど、堂々としていて、

言ったことはやるけれど、べつにカッコよくはない。

けれど、それがすごくいい。

目の前に困っている人がいたら、助けるけれど、それだったら全部の人を助けないと偽善じゃないか・・・なんて考えない。それは目の前に困っている人を助けない理由にはならないのだ。

彼の言葉には嘘がなくて、まっすぐで前進あるのみなのだけど、その生き様はヒーローのようでした。

小ネタがちりばめられていてそれを回収するのも飽きさせない構成になっていました。

彼らの青春をどっぷりと味合わせてもらえて、満足でした。

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

という言葉が出てくるのですが、サン=テグジュペリからだと思うのですが、

この小説にぴったりな締めくくりと感じました。面白かったです。





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「これからの「正義」の話をしよう」を読みました。

なかまくらです。

「これからの「正義」の話をしよう」を読みました。

NHKのハーバード白熱教室でも放送された講義でした。

非常によく練られていて、難解な本でした。

意味がないことをいっているわけではないことは、わかるのですが、

意味をつかみきれないという体験でした。
この本では、正義に対する3つの考え方が出てきます。
① 正義は功利姓や福利を最大にするものである。
② 正義は選択の自由の尊重を意味するものである。
③ 正義は美徳を涵養することと共通善について判断することが含まれているものである。
筆者の主張は①と②には欠点があり、③を支持したいというものでした。
平等とは何か、正義とは何かということについて考えさせられる本でした。
正義は、法や政治に反映されており、その哲学に基づいているのだと知ることができました。

人の上に立つ方には、哲学ある政治をお願いしたい、と思うのでした。
おわり。





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