1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

先を行く人:アクティブラーニングのお話

なかまくらです。

先週は、お勉強&お勉強でした。

木曜日は、理科の研修会で、静岡サレジオ高校へ。

私がアクティブラーニング型授業を始めるきっかけとなった、

産業能率大学の小林昭文先生の講話を聴いてきました。

生徒が主体的で深い学びができるように、教育を改革しなさい。

でも、今まで通り、知識・技能もつけなさい。

・・・というのが、今度から始まる、新しい学習指導要領なのです。

とにかくてんこ盛りなわけです。

さて、主体的で・・・というわけですが、いま、学校の教育は随分と変わってきています。

私が小林先生の方法を学んでやっている授業は、

講義(15~20分) ⇒ グループワークで演習(25~20分)
⇒ 小テスト(6分) ⇒ 答え合わせ&振り返り(4分)

こんな感じの構成です。

そして、演習が始まると、私はほとんど何も教えません。

「小テストまで、あと○○分だよ~~」
「その答え? あー・・・誰誰さんができてたかな」
「あー、ちょっと、○○くん、助けてあげて!」

こんな感じです。

あとは、ときどき、「もっとザワザワしていいよ~~」とまで言います。

私の授業は、たぶん、学校でもっともうるさいと思います(笑)。

けれども、その中で、生徒は問題をガンガン解いています。

わからない生徒も、「わからん!」を連発しています。

「わからんから、教えろ~~!」「え、今のよくわからんわ!」こんな感じです。

わからん! といえるクラスがうまく形成されているのです。

そして、最後に小テストをやるときには、しーんとして、カリカリとペンが動くのです。

そんな教室。

・・・3年前に、そんな授業を始めたときには、うまくいかないことも多々ありましたが、

だいぶ、上手にできるようになったかな、と思ってはいました。

でも、限界・・・というか、壁も感じているのでした。

壁① ・・・ 物理基礎の受講者が、物理を選択しないこと。

 まあ、もともと大学進学する生徒が少ないので、仕方ない部分もあるのでしょうが、
 もっと増えてもいいはずなのです。

壁② ・・・ 成績上位の伸ばし方がいまいち確立していないこと。

 賢い生徒は、開始5分で、解き終わって、残りの時間は教えに回ってくれる子すらいます。
 「ならば・・・」と、難しい問題を一問、用意してみると、「あ、無理っすね」となる。
 どうしたものか。

壁③ ・・・ マンネリ化し始める。

 恐るべき問題は、この方法だと、私があまり授業をしないことなのです。
 意識すべきは、できるだけ簡潔な説明です。余分なことを言わないことが、
 わからない生徒でも、理解できるポイントだと思います。
 なので、説明の時には、「一言一句を聞き漏らすな」と言います。
 聞き逃したら、プリントがわからないことも分かっているので、
 講義中はとても静かです。・・・が、そもそも、物理の面白さを語りたい。
 それをグッとこらえて、毎年同じことをしていると、辛くなるわけです(苦笑)。
 生徒が、「あ、わかったぞ!」と、言っている姿はとても好きなんですけどね。
 それでも。


というわけで、ヒントがほしい・・・と思い、研修会(しかも小林先生が来る!)

に、参加したわけです。

まず、同じ志をもつ先生がたが集まったことに感銘を受けました。

そして、小林先生がいらした学校で、AL型授業が広まったこと、そして、

新しいことを始めた先生が、その新しいことを3年以内にやめたこと

などもおっしゃっていて、内心ドキリとしました(笑)。

小林先生のクラスは、模試の成績も、センター試験の平均点もあがり、

驚いたのは、生徒たちが放課後に自主的に物理室に集まり、

毎日のように、学習会が開かれたということです。

しかも、先生はいなくてもいいということ。

自分たちで、勉強する場があればいいのだ、というのです。

つまり、自ら学ぶところまでもっていけば、あとは勝手に学んで賢くなっていくのです。

主体的で、深い学びとは・・・という答えはとても難しいものです。

けれども、深い学びとは、ただ学ぶだけでなく、

アクティブラーニングによって、高度な対話のできる生徒を育てること、

そうした潜在的カリキュラムをこなすことであり、

それらによって、主体的な生徒を育てることにあるんだな、と思いました。

もっと学びたい・・・という生徒を育ててみたい、と強く思うのでした。

研修会が終わった後に、サインもいただきました。

(「これからが本番です! 一緒に頑張りましょう」といただきました)。

ありがとうございました。


長くなってしまったので、土曜日のことは、次の記事で。先を行く人2:探究とPBLの話





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第42回静岡県高等学校演劇研究大会(2日目)観てきました。

なかまくらです。

第42回静岡県高等学校演劇研究大会(2日目)を観てきました。

伊豆からのお出かけで、寝坊したこともあり、韮山高校の舞台(5分遅刻)からの観劇でした。

ざっと、それぞれの感想を。

韮山高校『遠い声』
家出をして、田舎にやってきた女子高生が、久しぶりに父親の実家で過ごすお話。お盆なので、死んでいた人が帰ってきたり、キツネ(?)の2人組がいたずらに現れたりする。実は主人公の女子高生は、再婚のお母さんとうまくいかず、黙って出てきてしまっていたので、いよいよ見つかってしまう。初めは電話越しにお父さんと口論し、強い口調になってしまったけれども、親戚のさっちゃんにも怒られて、おばあちゃんの死んだ友人とも話して、それで家に帰ろう、と思うお話。

すごい起伏があるわけではなく、なにか、抜群のきっかけがあるわけでもないのですが、なんとなく最後の結末を受け入れられるような気になるお話でした。いい脚本でした。調べてみると、山梨の高校の演劇部の先生でしょうか・・・(?)。役者さんは、メインの人間の2人がちょっと声が小さかったのと、早口で聞き取りにくかったのがもったいなかったかな、と思いました。いい声してるし、小さい声でもいいお芝居は上手なんですが、大きな声のほうがいいところで、大きな声が出てなかったかなぁと。おばあちゃんの友人さんの独白は突然でしたが、あれは、なかなか良かったですね。キツネ二人は、物語の装置ですよねぇ・・・あの雰囲気のなかでどう生きるか、難しい役どころだなって思いました。もうちょっと観客を笑わせられたらよかったのでしょうね。全体。安定していたけれども、パンチに欠けるのかな? という感じでした。まあ、普通に良かったです。


静岡理工科大学星陵高等学校『暮れないマーチ』
最初のシーンのストップモーションの個性の豊かさが素晴らしいと思いました。これは島根の演劇部顧問の先生の作のようです。お盆に、死んでしまったサキオがユキオのもとにやってきて、ユキオの友達と一緒に遊ぶが、子ども特有の無邪気さでカブトムシやアリを殺してしまうことをきっかけに、サキオが、命の大切さについて問いかける。そんなお話でした。最初と最後のシーンと、間の劇がいまいちマッチしていない気がしました。どちらかというと、本編の子供たちのお話は、狂気じみているな、と感じられてしまいました。サキオがなんで?と迫るシーンは、迫真の演技だったと思います。ユキオもいいキャラでした。ただ、個人的な好みの問題なんでしょうね。別れのシーンも、最初と最後のシーンも、とってつけたような感じがして、あまり入り込めませんでした。あ、あとは舞台装置の木がすごかったですね。


静岡城北高等学校『age17@h30.com』
ええっと、すごかったです。ストーリーを説明するのは難しいのですが、平成を振り返る話だったかな、というお話。狭い場所から始まって、だんだんと芝居とともに、フロアが広がっていって、それぞれの人生とか、いま好きなこととか、紹介していく間に、平成が進んで、時代が進んで、自分たちの時間も進んで。それで、平成が終わるまでの話でした。それぞれが独白をしていって、それが見せ場になっていて、どの役も主人公だし、みんな上手だし、魅力的に見えるし、というなかなかに、やられたぁーー! という感じでした。関東大会に出場するようですし、こういうのが、まじめな顔した審査員に、「これだよ、これ」と評価されちゃうところもとても演劇の面白いところだと思います。途中、ちょっと独白がラッシュで来たあたりで若干ダレました・・・。なんだろう、高校生の生活がこれ以上振り切れたりはしないのはわかるのですが、エピソードの類似性が高くなるとしんどいんだな、と思うのでした。あと、時間、ちょっとオーバーしませんでした? 途中から気になってしまいました。なんだか、柴幸男さんのお芝居を見たみたいな気分になりました。とにかく、これは面白かったです。観れてよかったです。ただ、まっとうにストーリー物をやっている高校さんがいるからこそ、栄えるといういうことをお互いに忘れないでいたいな、と思うのです。



三島南高等学校『天国(うえ)を向いて歩こう』
はい、きましたよ、問題作。自殺をしようという呼びかけで集まった5人だったが、ひとり、またひとりとやっぱり今日は死にたくないかなぁ、と思った矢先に、一人は首つりをし、残りは拳銃で撃ち殺されて終わり、という話でした。なんというか、辛い・・・。これ、前にも見たんですが、演劇だからと言って、人を簡単に殺さないでほしいな、と思います。どの脚本にしようか悩んで、それでどうしてもこれだったというのが、これを選びたくなる心情というものを感じてしまい、とても苦しいな、と思います。演技は結構上手だと思いますし、セットもよくできていましたが、結末を知っているせいか、あまり集中できずに観てました。ごめんなさい。



磐田東高等学校『硬貨が落ちた隙間の向こう』
すごく素直に心に入ってくるお話でした。自販機の下の隙間に落とした500円玉を拾おうとしているうちに、廃部の決まった演劇部部長といじめられてサッカー部をやめてそれでもいじめられ続けている男の子が、ちょっと学校生活で支えとなる友人を見つける話でした。まず、こんなに後姿をお芝居で見る日が来るとは・・・!! という感じでした。1/4くらいは、後姿を見ていたんじゃなかろうか・・・(笑)。生徒創作の戯曲ということでしたが、伝えたいことをうまく台詞にできているんだろうな、と思う出来でした。前半ちょっと物語が進まな過ぎて辛かったのが、もうちょっとかな、というのと、もう少し動きがあると良かったのかな、というくらいで、個人的にはすごく好きな作品でした。


はい。

来年も観に行きたいですが、来年は転勤かなぁ・・・?

とりあえず、今度はうちの部活動の県大会です! 頑張ります~。おわり。





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入管法が成立しそうですが・・・

なかまくらです。

外国人に家族を含めて無期限に日本に住む権利を与える制度になっているそうです。

私は、個人的にはいまの国際化の流れはあまりいい方向じゃないなと思っています。

互いの国は基本的には訪れるもので、住むものじゃないと思ってしまいます。

いや、住んでもいいんですよ。

けれども、なんというか、国際情勢を見ると、どこも自分勝手だな、と思います。

日本には、「郷に入っては郷に従え」という言葉があります。

でも、どちらかというと、今の国際化というのは、

郷に入ってきたが、うちはうちでやらせてもらう、って感じで、

それが正しい国際理解なんだー!ってやつになっているように思います。

隣に外国人が住んでいたりして、もし嫌だな、と思うのは、どんなときかな、

と思うのです。

おそらく、何をし始めるかわからないときに、人は人を怖いと思うのだと思います。

どこに行っても私は私だ! ・・・という、個人が強すぎるのは、

いまの時代のすごく悪いところだと思います。

個人個人がしっかりとしていて、それを支えに、国というものがあって、

その国の形を決めているのが我々国民一人一人だということ、

そういう意味で、日本にいて、住んで、働いてくれるなら、何も問題がないと思うのです。

日本人をやっている私たちだってそうです。

日本の学校教育では、よく教えることですが、

「あなたがた一人一人が、学校の代表として見られているんですよ」ということ。

国でも同じです。

「この国に住まう一人一人が、国民の代表として見られています」

同じ、日本のことを思える人たちに日本に住んでほしい。

・・・というか、国民とはそういうものであるべきだし、

利益のためとか、そういう理由だったりとかで、例えば、

お金が稼げなくなったら、別の国に行くとか、

そういう人を引き入れる法案にならないようにしてもらいたいな、と思いますね。

そのための、社会制度が多分、何よりも大事なんでしょうけど、

それって、すごく時間がかかることだとわかってほしいですね。





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犠牲になったのだ

なかまくらです。

お料理中の私でした。



炒めて一度ボウルに開けた野菜などの具材をもう一度混ぜて炒めようとしたところ・・・

ボワッと来ました!

一瞬! ボウルを持っていた手が炎に包まれました・・・(怖

こういうときって、思った以上に動けないですね~~

炎を見ていました。案外、熱くなかったです。

で、一瞬だったので、特にやけどにもならず。よかったよかった。

・・・と思っていたのですが、出来上がったご飯を食べながら、

あ、と気づく。

指の背に生えていた毛がチリチリになっていました。

うん、守られたのだ。

ありがとう。





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「ゲゲゲの先生へ」観てきました。

なかまくらです。

「ゲゲゲの先生へ」を観てきました。



東京芸術劇場での公演でした。

どうしよーかなー、仕事あるし、観に行けるかなぁ~~としばらくの逡巡の間に、

土日のチケットは売り切れ! 平日に早退して観に行きました!!

主演は佐々木蔵之介。周りも豪華な俳優陣と、イキウメのおなじみのメンバー。

さて、どうかな~~、とわくわくしながら観に行きました。

あらすじ

根津という男は、ある時を境に、スリや詐欺をして、

生計を立てるようになっていた。あるとき、へまをやらかして、

田舎にやってくる。そこでおばあさんを騙そうとしたところ、

魂下しを食わされ、魂を食われそうになってしまう。

幸運が重なり、生き永らえたが、

ひとならざるものが見えるようになってしまい、

本人も半分ひとではなくなってしまった。

それから随分と時間がたって、

都会では、子供が生まれなくなっていた。

少ないながら生まれないことはないのだが、

生まれたときから、ふがふがというばかりで、

まるで魂が入っていないかのようであった。

そんな都会から逃げてきた若い夫婦は根津に出会う。

根津は、自分の半生を語るのだった。

妖怪たちがいた日々、田舎から人が減り、

妖怪たちが姿を消していったこと。たった一人、残されたこと。

やがて追手がやってくる。

都会では、コケカキイキイという怪物が暴れているらしい。

銃で撃っても死なないばかりか、地面を揺らし、とんでもない力を持っている。

どうしてこんなことになってしまっているのか。

市長と医者と警察は、自分たちの地位と利益を守るために、

結託していたが、コケカキイキイと根津に懲らしめられてしまう。

若い夫婦は、その、田舎のボロ屋に住むことにする。

根津たち妖怪は、いつの間にか消えていた。


そんなお話でした。

佐々木蔵之介、すごい役者さんでした!

空気感が素晴らしい。肩ひじを張らず、風格がありどっしりと構えている。

あとは、白石加代子さんが素晴らしい!

他の役者さんもうまいのですが、最初の登場シーン、

今にも死にそうなおばばとして登場する白石さん。

ところが、底知れない何かを滲み出し始めたあたりから、もう、そのシーンは、

全部持っていきましたよね。

芝居を長く続けるってたぶんこうなるってことなんだと思いました。


タイトルにある通り、この物語は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるの

ことを題材にしたお芝居でした。

そのため、ストーリーの中で、水木しげるの作品がいくつか登場しました。

「コケカキイキイ」「錬金術」「丸い輪の世界」の3編だったようです。

すると、今まで前川さんの作品ではなかったような展開が起こって、

驚いたり、それが真新しくて面白かったりするのでした。

それと同時に、どこかほの暗いといいますか、

どこからでも妖怪が出てきそうな、そんな雰囲気が舞台にありました。

さらに、この空気感というやつがすごく作られていて、

根津の語り口を中心に、役者全員で作っていたな、と思います。

妖怪が出るパート、若い夫婦を中心とした人間のパート。

始めはこの2つのパートで始まるのですが、

ところが、だんだんこの二つが、近づいてきて、

後半は混然一体となって、妖怪の世界に引き込まれてしまいそうな、

あるいは、妖怪というのは実在するんじゃないかって、

そんな錯覚に陥るような、

そんな素敵な体験ができました。

演劇っていいなぁ、と改めて面白さを実感するお芝居でした。

おわり。





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