1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

非線形的な逆比例?

反比例の定義がおかしいですかね…。


なにがしかの変数が入るしかないのかもしれないですが、



「ブログの記事の長さ」と「課題の消化率」は割とそういう関係かもしれないですね。


今日はそういうことで……。


って、



まだ終わってないんだけどね!




追記。

発表終わり。原稿なしのスライドオンリーでアドリブでしたが(←こら)。。。

意外とうまく喋れました~~笑

ただ、X線回折の結果がうまく説明できなくて、ちょっと残念でした。


あと、反比例ですが、

よく考えたら、



y = A exp(-x)


みたいなのって、全部、そういう類の関係の2量ですね。

xが増加すると、yが減少するっていう。


これ、一般的に何て言うんだろう。




追追記


「負の相関関係」っていうそうです^^


xが増加すると、yも増加するっていうのは、

「正の相関関係」っていうそうです^^





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オリジナリ茶

なかまくらです。


くまったくまった。たくまった。

オリジナリティというものについて一考。


オリジナリティとはなんぞや。


物語のオリジナリティ。ひいては、芸術のオリジナリティ。

人生のオリジナリティ。

発想のオリジナリティ。

性格のオリジナリティ。


オリジナリティだけが人をきわだたせることを許し、

凡庸という海面からその突端を突き出すことを許される。


数学はそれを妨げるなにがしかです。

数学的に定められたなにがしかは、ある最適を発見してしまう。


水泳において最適化された泳ぎ。

最適化された道順。最適化されたこころ。

コンピュータ。


最適化はネット社会にあふれています。誰もがネット社会にある言葉遣いを選び、

ネット社会を泳ぐ術を検索という統一化された最適に頼る。


最適化が難しい場合もある。

物理的にその変化が無限にゆっくりと進行する場合、

それは最適化される前に、固定化されてしまう。

ガラスなどがそういったものである。


オリジナリティとは何ぞや。


それぞれが個々人の感覚において、最適化しようとした(良く生きようとした)

結果、その変化の過程で、作られているもの。


最適化の基準は、誰か尊敬する人物であり、

その人物に向かって歩いていく。


なんだ。

オリジナリティって、なんだ。



私は、1.5次創作人間に成り下がっています。

たまに1次創作ができる。

誰かからとか、何かからとか、もはや影響を受けたのかどうかも分からない

渾然一体となった創作ができる。

でも、何か、観たり、聞いたり、それで、ぱっと書きたくなって書いた作品は、

だいたい、あとから分かる。やんなる。


ああ、これ、とどのつまり、一番深いところまで潜ってみたら、あれのパクリじゃん。って。

消したくなる。

評価とかしてくれてたりすると、消えたくなる。


今までに、パクリじゃないって、

これに影響受けたって、なしに、

ちゃんと面白い作品は、10もない気がする。


オリジナリティとは何ぞや。


創作はどこから始めないといけないのか。


DNAは5’末端から3’末端へとDNAポリメラーゼの作用で複製していく。

周りには、既にその材料となる分子が無数に浮かんでいる。


DNAは人体を作りつづけているが、世界を創ってはいない。

オリジナリティとはなんぞや。


ほんとうに、ほんとうは、

ほんとうに、

一から、

文化から、

生命から、

なにもかも、創れたら、それがきっとすごいことなんでしょうけれど、


そこを誰かの積み重ねに頼って、

私たちは創作してるんだなぁって、

思うんですよね。

ファンタジーも、ファンタジーの約束の上で生きている。

タイムトラベルもそう。剣も魔法も、現実世界も、そう。

でも、

結局、

その書いた人の、趣味とかが見えるのが、

オリジナリティがあるように見えるのかな、と思ってみたりしています。

あくまで、1.5次創作に収まっているならの話。





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そと

みんなはどんな物語に出会いたいんだろうね。

出かけなくちゃ。

おうちに届く物語は、

パッケージ化された綺麗なものでしかないよ。





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ウソ

全部嘘です。

今まで言ってきた事。やってきた事。感じてきた事。

それでも世界中の、誰も困らないなら、

きっと本当はそういうことなんだろう。





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くだらない価値

最近、こねたばかり思いつく。

小ネタをこねた・・・orz

こねているのが楽しい。

頭の中で勝手に反芻して、楽しんでる。

牛が4つの胃袋で反芻しながら食べ物を食べてるみたい。

生のまんま味わって、消化したけどまだまだ消化不良でリバースして、

またもしゃもしゃと味わう。

悩むことに似ている気がする。

でも、なんとなくそれは架空・虚無・曖昧で、

実は中を覗き込めばからっぽ。

形にしようとしたら、繋ぎとめておくノリになるような主題はなんもない。

なにもない空っぽで生きている感じがする。

なんとなく冷静に生きている気がする。

だから、形にしようとすると、

一番底に沈んでいるものに触れてしまう。


「どうして私は生きているんだろう」


触れて、怖くなっていつもそこで手を引っ込める。

握ったそれがあっけなく潰れる林檎だったら、

そのままどこかに飛び込んでいけてしまいそうだから。



とくに価値のない妄想。比べようのない、生きることにくだらない価値。


ばばーん。





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