1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

まばたき

明日が来るよ~





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はままつ演劇・人形劇フェスティバル2013「浜松ゲキトツ」「高校演劇選抜公演」の2日目を見てきました。



はままつ演劇・人形劇フェスティバル2013 にて、

高校生の演劇をやるということで、観て参りました。12/22(日)2日目のみ 於:舞阪文化センター。

西部地区の高校の演劇部がお芝居をやってくれるということで。










順に簡単に覚え書き程度に感想。



「僕らのアイデンティティー」

浜北西高校の作品。

あらすじ。

”作者”は友達と何となくうまくいっていない。誕生日なのに、友達には約束をドタキャンされ、気がついてみれば、その友達は別の友達と遊んでいる。そんな折、不思議な空間へと”作者”は誘われる。そこは、自分が書いた物語の主人公たちが集う物語と物語の狭間にある空間であった。ヒーロー、魔王、家政婦見習い、生徒会長、モデル、...主人公たちが楽しく過ごしている姿を見て、”作者”は憧れを抱く。けれども、主人公たちは”作者”にそう思ってほしくて、この世界に呼んだわけではなかったのだ。「作者はなんだって自由にできるんだよ」主人公たちはそんなことを言う。

* * *
生徒が書いた脚本だそうです。なんとこの演劇公演、幕間に講評がありまして、”ターゲット”という話がでていました。誰に、何を伝えたいのか。それを考えた方がよい、と。確かに、このお芝居のターゲットって、一般の大人向けではなかったかもしれません。でも、演劇が好きなくらいな大人だったらその多くは、子供の頃、一度は物語の主人公に救われていると思うんですよね。私はそんな頃を思い出して、なんだか懐かしい思いになれました。欲を言えば、日常的な会話劇から、主人公と共に物語世界に入っていって、主人公たちの辛さを身を持って知るようなシーンがあったりすると、変化があって面白かったかな、とは思いますが。そうそう。主人公の子、大学の3つ下の後輩の山田さんの演技に似てました。なんかちょっと癖があって独特なんだけど、それはそれで演技として成立している感じ。個性があって結構好きです。ただ、叫ぶのはちょっと、、、。ジョーカーさんは、いろいろもったいない感じでした。声(アニメ声ぽくて個性的)が一本調子になりがち。動きが滑らか(でも止めがないからキレがない)、などなど。台本も書いたということで、頑張ってほしいですね。あとは、よく練習されていて、せりふが詰まったりとかはなかったので良かったのではないでしょうか。テンポはもうちょっと良くても良かったと思います。おわり。



 





「広くてすてきな宇宙じゃないか」


磐田東高校の作品。

あらすじ。

少し未来の物語。父子家庭や母子家庭、子供たちに愛情を注いでくれるアンドロイド「おばあちゃん」が貸し出されるようになった時代。アナウンサーの柿本さんの家にも「おばあちゃん」がやってくる。けれども、子供たちはお父さんの決定に大反対。中でも末っ子のクリコは大のお母さんっ子だったから、「おばあちゃん」と全く口をきこうとしない。そんな折、クリコはアンドロイド工場のお兄さんに誘われて、「おばあちゃん」を破壊するために、東京中を停電にするという大事件に巻き込まれていく。「おばあちゃん」は残り少ないバッテリーでクリコを助けに駆けつけるのだった。まもなく家族に春が訪れようとしていた。

* * *

あのですね、磐田東高校。演技上手でした。脚本は演劇集団キャラメルボックスの成井豊の作。3月に磐田南、西、北の合同公演「南へ」を観ましたが、うーん、題材の違いとか、練習期間とか、そもそも合同公演の難しさとかもあるのかも分かりませんが、ひとりひとりの役者のレベルが違うかな?と思いました。特に、家族を演じた5人はホントに上手でした。スギエお姉ちゃんの序盤の足の踏み出し方に、ああ、なんかもうこの子上手ね、って思ったり(笑)。おばあちゃんの肩をすくめる姿だったり、お父さんもうまーく空気を緩める西川さんのキャラクターでした。うん。
ただし、きっと原作をよく観て研究したんだろうな、というのが良くも悪くもの感想。もっとオリジナリティーがあってもよかったのかな、と。全体的に、配役されている人間まで似せてる感じでしょうか。アナウンサーの女性の方、声まで似てる気がしました(笑)。誰がやっても同じじゃなくて、磐田東高校がやるから、こうなるってのを見せてくれたら元の台本を知っている人も楽しめるかな、と思いました。





「神代下 異聞 国譲【完全版】」

浜松開誠館高校の作品。

あらすじ。

かつてあった八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と素戔嗚(すさのお)の戦い。八岐大蛇の一族の生き残りオロイチ率いる暗殺一家と、素戔嗚の孫娘スサナオが出会ったからさあ大変。復讐の火花が散る・・・が、どうも様子がおかしい。それぞれに伝えられていた真実。その祖語の裏には時代の裏に暗躍する神、月読(ツクヨミ)の影があったのだ。オロイチとスサナオは襲撃を受けた出雲の国を取り戻すべく、神の軍勢に戦いを挑むのであった。



* * *

浜松開誠館高校は、アクション凄かったです。若い・・・! これは実によく殺陣が訓練されていまして、いやあ、これはすごい! という出来でした。ただね、ちょっと、危ない気もしました。いつか怪我しそう・・・。階段を駆け上がったり、1mくらいの台の上から切られて飛び降りたりするの。観ていてちょっとハラハラしました。台、固定してなかった気がするし・・・。でも、とにかくアクション凄かったです。人数も多くて、それで動き回ってもちゃんと役者一人一人が立ち回れて、迫力があって。一方で演技のほうは、なんとなくテンポが一定だったりして、緊張感がなくてダレてしまった感じでした。20分くらいでちょうどいいかな、という作品でした。クライマックスみたいな盛り上がりが多すぎて、疲れました。






「案山子とゼンマイ」

浜松工業高校の作品。

あらすじ。

案山子が立っている山の麓の田んぼ。案山子の傍にはゼンマイ。ゼンマイの花言葉は「夢想」。後輩ちゃんは、でくのぼうの先輩に山菜を取る手伝いをさせられる。案山子はつぶやく。でくのぼう。適当とテキトーは会話をする。間にいる男は適宜となった。案山子は後輩ちゃんが山菜の代わりに間違えて毒草ばかりをとってくるのを見ていた。案山子は後輩ちゃんに恋をしていた。にんげんでもないのに。農家のおじさんが訪ねてくると、ゼンマイがなくなっていて、案山子は幸せそうな顔をして佇んでいた。

* * *

あらすじを説明するのは難しい作品でした。作者は生徒だそうで、こういうのは演劇やってる中でなんか書けそうと思って書いた人には書けない作品でしょうね。言葉遊びがすごい楽しくて、たぶんそれが見せたかったんだろうな、というのが感想です。今、ツイッターとかで、面白いことを発信している・受信している世代ですよね、きっと。その面白い考えをうまく形にまとめて見せてくれた感じ。その対象が案山子で、なかなか普段案山子についてそんなに考えたりしないから、作者の案山子に対する深い造詣に驚く。命に絡んできて、奥行きもあるような気がする。そういう仕掛けの物語であったんだと私は理解しました。伝えられることに慣れていたら、きっと何の意味も分からないんだと思いますが、んーなんだろう。コント的に楽しんだほうがいいのかな、という作品でした。とにかく一番シュールで一番笑えました。案山子が、おしろいで真っ白の顔の子が、「案山子です・・・」と自己紹介するところとか、口元をヒクヒクさせて喋るところとか、芸が細かくてGOOD。テキトーも適当もキャラにはまっていてGOOD。んー、あて書きなのかもしれないですねぇ。楽しいことをやっています。どんどんいろんな題材にチャレンジしてほしいな、と思います。






全体。

高校生の演劇、面白かったです。

いろいろな作品が見れたのもGOOD。

テンポとか、オリジナリティーという面では、課題のある学校もあるのかな、と偉そうにも思いましたが、頑張って練習してまた魅せてくれたりするといいなぁと思いますね。

おしまい。







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劇場版SPEC ~結(クローズ)~ 漸(ゼン)ノ篇/爻(コウ)ノ篇 観ました。

劇場版SPEC ~結(クローズ)~ 漸(ゼン)ノ篇/爻(コウ)ノ篇 観ました。
前編後編ってことなんですね。
あらすじ
世界には、SPECと呼ばれる科学ではとうてい説明のできない能力を持った人類が誕生しつつあった。その能力を持つ人間をスペックホルダーと呼んだ。スペックホルダーたちはその力を正しく使うことができず、多くの犯罪を起こしていた。そんな犯罪者たちを捕まえるために結成されたのが、「未詳」と呼ばれる警察組織。野々村係長が、そこに集めたのは、天才的な頭脳を持つ当麻と頑丈で行動力が取り柄の瀬文。彼らは警察の中で胡散臭いと言われながらも、事件を解決していく。その中で、死んだはずの当麻の弟が現れる。弟はニノマエと名乗った。ニノマエはスペックホルダーのための世界を目指し、その最強のスペック「時間を止める能力」をふるったが、当麻の頭脳的な攻撃によって辛くも打ち破ったのだった。(ここまでがドラマと劇場版第一作)
ニノマエを倒した当麻と瀬文であったが、ニノマエはクローンによって大量に生産されていた。しかし、クローンニノマエは”セカイ”と呼ばれる男に消滅させられてしまう。ニノマエのクローンを作ったのは誰なのか。人類は、スペックホルダーを殲滅させるべく、シンプルプランと称したウイルスをばらまこうとしていた。
先人類は地球(ガイア)と会話のできる人間であったが、隕石によってもたらされたタンパク質から生まれた人類に滅ぼされた。そして、復讐の時は迫っていたのであった。それは「ファティマ第三の予言」に記されていることそのままなのだという。運命は決まっている。しかし、人はそれを知らないからあらがうのだと、セカイは言った。
当麻の右手の死者を呼び出すSPECはその力を次第に制御できなくなり、使えなくなっていた。その力を使うことをおそれもしていた。声が聞こえるのだ、力を使え、使えと。当麻は瀬文にひとつのことを頼む。もし、自分を見失ったら、そのときは、自分を撃ち殺すようにと。
野々村係長は、シンプルプランで使われるウイルスを入手すべく、最前線に潜入し、帰らぬ人となる。野々村係長は、「だめもと」という言葉が好きだと言った。
当麻は、人間世界を滅ぼし、神の世界を再興しようとするセカイからの刺客によって、シンプルプラン(ウイルス)に感染してしまう。(ここまでが、前編)
そのウイルスとは、実はただのインフルエンザウイルスだったのだが・・・、シンプルプランは広がりを見せ、匿われていたSPECホルダーの子供たちがインフルエンザにかかり、治療の甲斐もなく死んでいった。そして、当麻も倒れてしまう。ただのインフルエンザであったが、SPECホルダーにはその治療薬が効かなかったのだ。その事実を敵は突いてきたのだ。当麻はついに死者を喚びだすSPECを使う決意をする。冥界との扉をつなぐ能力。生と死を逆転する能力。それが当麻の力であり、霊体でしかなかった敵の狙いであった。門からは八咫烏が飛び出し、人間の文明を破壊していった。テロを疑った各国が核兵器を一斉に発射する・・・時間の一旦停止。滅び行く世界の中で、当麻と当麻の喚びだしたスペックホルダーたちが人類最後の抵抗を見せ、セカイの圧倒的力の前に敗れ去っていく。しかし当麻は諦めなかった。生を得るために一旦体内に潜り込んだ神々をすべて引き連れて冥界へと連れて行こうというのだ。決死の覚悟で戦う当麻のもとに、ボロボロにやられた瀬文が駆けつける・・・。
と言うようなお話。
まず、打ち切りまっしぐらのジャンプのマンガみたいな展開でした。しかもダメな方に。引き際を間違えた感じ。ニノマエを倒したところで、終わっておけば良かったのに・・・ときっと多くのファンは思ったんじゃないのかな。私はそう思いました。

惰性で最後まで観てしまった感じでしたが、もともとグダグダなところが持ち味みたいな作品だったんだから、その心を失わずに劇場版を作ったほうがおもしろかったんじゃないと思いました。意味深な伏線はずっと貼られてきましたが、正直、劇場版だからということで突然出てきた感が否めないし、かなり知識がないと分からないようなものが多い気がしました。
まあ、キャラクターは最後まで面白い人たちが次々と出てきて、それがきっとこの悪品の面白いところであったんだろうけれども、むりやりストーリーを付けちゃった感じ。ちょっと残念な出来でした。おわり。





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無感情の檻の中で。

ともすれば、かんたんに失くしてしまいそうな、

日々、奔流の中で、

しっかりとちてんを定めるみをつくしのように、

努々(ゆめゆめ)忘るることなく、

みつめかえしていたいものです。





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口ずさんでは


歌になる人
恋になる人
夢になる人
誰かになる人

自分になっていく。





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