1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

仕事。仕事。仕事。

「辛い時期がない職業なんてありません。

 ですから、あとは、

 屈辱をバネに、どれだけ自分が頑張れるかです。」


『SHIROBAKO』というアニメからです。

そうなんですよね。そうなんだ。どれだけ自分が頑張れるかですよね。



そして、こうなった。






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マスコットガール・マスコットボーイ

なかまくらです。

髪を斬りました。

ざしゅっ! ずばっ! ずびずばっ!

イケメン・イケ子は、いるだけで絵になるんですよね。

そうじゃない人は、なんとか居てもいい人になるように

頑張るんだなぁ。






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「寄生獣」観ました。

なかまくらです。

「寄生獣」観ました。



あらすじ。

人間に寄生する生物が突如、現れた。

その生物は、人間の脳を乗っ取り、人間を人間を食べる怪物へと変貌させる。

その生物は好戦的なものが多く、その生物は高い身体能力を持つ。

その生物は、生殖によって遺伝子を残すことができない。

その生物が、とある高校生の元にも襲いかかってくる。

ところが、その生物は、高校生の予想外の反撃にあい、

脳を乗っ取ることができず、失敗に終わる。

その結果として、その高校生の右腕だけを乗っ取ることになった。

それから、高校生と、寄生生物「ミギー」は、

ミギー自身のことを知るために。あるいは、襲いかかってくる仲間から、

生き延びるために戦うことになる。

そして、命を落としかける。

その中で、最愛の人を失い、恋心をもっている同級生を傷つけるも、

寄生生物の様な、冷酷な心になっていく自分を知る。

高校生・新一は、寄生生物を滅ぼすことを誓う。

一方、多数の寄生生物の中からは、議員になるものが

現れていた。(完結編へ続く)。



そんなお話でした。

とにかく、パクッと食べちゃう怪物が、実写でスクリーンに大写しになるのは、

ショッキングな映像でした。パクッ!だもんね、パクッ!

そして、あー・・・やだなー・・・こうなるなぁーー・・・

というのを見せておいてからの、パクッ! ズシャッ! ガツガツ!

そういう魅せ方が上手くて、ぎゃーーーっす!

という感じでした。

主人公の新一がだんだんと変化していく様子も印象的でした。

普通、少年漫画だったら、主人公が能力を獲得して、

強くなっていくのはワクワクする展開なのですが、

この作品では、強くなると同時に、人間性を失っていくんですよね。

しかも、大事なものを失うまで、その失いつつあるものの大きさに、

主人公もそして観客すらもうっすらとしか気付いていない。だから、

怖い感じがする。

そして、ヒロインの村野里美(橋本愛)は、顔が濃いわ~。

でもって、かわいいわ~。美人美人。

でも、顔が濃いわ~笑

ヒロインだからいいけど、脇役のときに、これだけ顔がインパクトあったら、

困ったりとかしないのでしょうかね?笑



ともかく、生き残ってよかったです。


おわり。





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「子どもを理科系に育てるには?」読みました。

なかまくらです。

「子どもを理科系に育てるには?」読みました。



子どもを理科系に育てるにはどうしたらいいのか?理科系に育てることが、子どもの将来の可能性を広げることになる、というようなことが書いてある本でした。
理科系にかなり偏重した本で、やや公平性が書けている本、という感じがしました。文系の人間を貶し過ぎているように思います。
「理科系の人間は、問題解決にあたって、自分に与えられた条件を生かして解決の筋道を考える態度を持つことができるが、文化系の人間は、気分や感情に任せて判断してしまう傾向がある」と、作者はそんなようなことを言っています。
また、理科系の人間は、就職がよい、ということも繰り返し言っています。

確かに、理系の考え方を持った人間は大切であるとは思いますが、この作者の意見は、ちょっと行き過ぎているようにも思いました。理系の人間が勝ち取った能力については、なるほど、と思う部分も多分にあったわけですが、コミュニケーション能力であるとか、社会全体の仕組みを良い方向に動かしていこうというのは、文系の人間が為してきたことだと思うのでした。


結論としては、いいこともたくさん書いてあるように思うけれども、

偏重して書いているせいで、素直に受け取れない。そんな気分になる本でした。






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必要性としての物語

なかまくらです。

最近は物語を書かないでも大丈夫な生活が続いています。

というのも、別に時間がないなら書かなくてもいいかな?

という心持ちと言うこと。


物語を書くのは、今の自分には実現できないことを物語の主人公に実現させようとする行動

なのだと私は解釈しているのですが、

アンナ・フロイトの提唱した防衛機制は、退行、抑圧、反動形成、分離、打ち消し、投影、取り入れ(摂取)、自己への向き換え(自虐)、逆転、昇華の10種類をあげています。

これらのうちのどれが、私の防衛機制としての物語創作のモチベーションになっていたのでしょうか。


気がかりなのは、必要がないから書かないのか、

必要なときには書けないのか、が、自分にはよく分からないこと。

大丈夫だといいんだけど。





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