1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

デジモンアドベンチャー tri. 第1章「再会」 観てきました。

デジモンアドベンチャー tri. 第1章「再会」 観てきました。



全国10館でのみ、上映、ということで、ん~~~~~~~、と思っていたら、

まさかの一か月ぶりのお休み! これは、見に行く宿命・・・。そう、

宿命と書いて、さだめと読む! そんなわけで、横浜まで観に行ってきました。

どんな話かというと、

選ばれし子どもたちが、17才の高校2年生となった頃の物語。

街に電波障害のニュースが流れ、太一の前にクワガーモンが現れる。

そして、アグモン。グレイモンに進化して、クワガーモンを撃退するも、

太一は、その破壊の跡に、あのころとは違う感情を持った。

デジタルワールドの異変。そして、現れるアルファモン。

これから、どうなっていくのだろう。

そんなところで、1章は終わりです。


感想。

んーーーーー、★★★☆☆ 星3つ ってところです。

すごく面白くはない。あの頃の、デジモンを観ることはもうできないのだろうか、

と改めて、感じる出来でした。監督は、元永 慶太郎という人で、

わりと有名な人みたいですね。ヨルムンガンドのアニメの監督なんだそう。

ヨルムンガンドは、面白かったけどな。これは、違う感。

なんというかな・・・。

たぶん、この監督と私では、

デジモンに対する憧れ方が根本的に違っているんだと思いました。

最初に作られたアニメ・・・グレイモンとコカトリモンが戦う。

背景で流れていたのは、ボレロ。飽きることなく流れ続けるボレロの中で、

怪物同士がたたかっている。

その、デジタル化への見えない不安や社会の閉塞感のようなものが、

延々と繰り返される同じフレーズに表されていたように感じたのです。

そういう、思想というか、伝えたい思いというか・・・

・・・そういうものが伝わってこなかったんですよね。

簡単に進化して、オメガモンになっちゃうけど、選ばれし子どもたちの

それぞれの心の情動が、デジモンを進化させるんじゃなかったのかな??

そういう思いが、奇跡を起こし、デジモンを進化させて、道を切り開く。

それが好きだったのでした。

そういうのとは違うかなぁと。

ただ、デジモンというキャラクターを使って、敵を倒したいなら、観なくてもいいかな。


次を観に行くかはまだもう少し考えることにします。





拍手[0回]

お出掛け


横浜なう









拍手[0回]

そりゃあないぜ、ソニーさん。

なかまくらです。

PSVitaの名作、GRAVITY DAZEというゲームがありましてね。

このゲームのPVを見た瞬間に、心は決まっていました。

PSVitaを買おう。そして、このゲームをやろう・・・!

で、まあ、もう、これが久しぶりに、熱中してやったわけです。

重力を操り、自由に空を飛び、街中を飛び回って、隠されたアイテムやイベントを見つける。

世界観、音楽、キャラクター。どれをとっても面白かったわけです。


そして、続編が出るという話も上がっていて、期待に胸を膨らませていたわけですが・・・



PS4・・・!?

PS・・・フォー!?(レイザーラモンHG風に

マジかよ・・・、PS4で出すのかよ・・・。

・・・うん、正直ないな。そりゃあないぜ、ソニーさん。

残念だけどやらないですね。

PS4をここで4万くらい使って揃えようとは微塵も思わない。


PSVitaでやる面白味を知ってしまったからなぁ・・・。

このゲームは、PSVitaの為に作られたといっても過言ではなかったと思うんですよね。

世界を主人公・キトゥンの視点で覗いている感じ。

ゲーム機を360°ぐるりと回して、空を飛びながら風景を覗き込む感じ・・・。

固定のテレビ画面じゃあ、どんな大画面だってたぶん同じ体験は味わえないよ。

そんな風に思っちゃうんですよね。はーあ。

面白いんだろうけどなーー・・・。まあ、仕方がないね。仕方がない。





拍手[0回]

グリーンだよ~!

疲れた時には、カレーを作る。

スパイスが、ウィルスに負けそうな身体に力を与えてくれる気がするんです。

普通の手順でカレーを作って、ジューサーでドロドロにしたほうれん草を

鍋に投入する。すると、緑色になりますぞ。





拍手[0回]

「何を学ぶのかではなく、どう学ぶのか」

日本の教育は「何を学ぶのかではなく、どう学ぶのか」

これを重視するようになってきているように感じます。

でも、学問の最高機関である大学への入り口はそうなっていない。

センター試験。2次試験。

センター試験は、平成30年に終わりますが、

そのあとを引き継ぐ基礎学力診断テストも、結局、国語、数学、英語とか、

教科の知識を訊くことになるんでしょう、今の感じだと。

大学が求める人材は、ちゃんとした基礎学力がある人間。

これは大きく変わらないと思うんです。

だったら、学校の先生が言う通りに勉強するとバカを見ることになりかねない。

だって、ひたすら講義しても最後まで終わるかどうかの分厚さの教科書なんですよ、

理科や数学の教科書って。

だったら、どう学ぶのかを重視して、学びあいや、アクティブラーニングといった、

生徒が主体的に意見を交換したり、発言することに重きを置いた学習をしていったら、

まあ、学習すべき内容が全部終わらないのはある意味必然。

それでも、全部学習が終わっていないと点が取れないテストを作るんですよね。

・・・・・・分かりますよ。ええ、分かります。

「良い学び方をしていれば、教科書の問題の解説なんてしていなくても、

 生徒は、学ぶ過程で培われた思考力・表現力でもって、スイスイ解けちゃう」

そういうことがしたいんでしょうね。

確かに、教科書の問題の解説をしなければ、終わりますわ。

でも、じゃあ、分数の計算が未熟とか、そういう段階から高校生活をスタートして、

一発逆転を狙っている子どもたちはもう、チャンスがないってことじゃないですか。

ひとつひとつ丁寧に説明をしていってやれば、理解できるけど、

それを許さないということ。人生に逆転なんてありえないってこと。

そういう道を作ろうとしているってことですよね。腹が立ちますね。


もし、この国が今の教育の方針を貫きたいのなら、

やるべきことは、「どう学んだのか」を測るテストを作り出すことだと思うんですよ。

その指針を示して、そのうえで、どのような勉強をさせるべきかを教員に提示しないと

いけないのではないでしょうか。

そうしなければ、教えたように一生懸命活動しても、それが、進路実現に繋がらない。

そんな子ども達の残念な顔を見るために、教員をやっているわけじゃあない。


そして、もう一つのチグハグな点は、

大学を独立行政法人化して、助成を少しずつ減らしていることです。

助成を減らすということは、国の大学への影響力が減るということだと思うんですよね。

だったら、大学は生き残るために、学力の高い学生をとるでしょう。

好奇心を生むのは、知識だと思うんですよね。

知識がない人間は、ただの空っぽの入れ物と一緒だ。

あるいは、ただの電卓みたいなものだ。思考力がいくらあっても、

知識がなければ駄目ですよ。

物質は何からできているのか。なぜ、水よりも食塩水は電流が流れやすいのか。

温度の正体はなんだろうか。化石燃料とは何か、なぜ枯渇するのか。

電流とは何か。風はなぜ吹くのか。飛行機はなぜ飛ぶのか。

なぜ鉄は錆びて、銀は錆びないのか。電池とは何か。バッテリーとは何か。

パソコンはどうやって記録を残しているのか。インターネットとはなにか。

原子力発電とは、どうやって発電しているのか。

知らない大学生を大量に生産して、どうするんだろうね。





拍手[0回]