なかまくらです。
本が・・・。

ぐっちゃぐちゃ。
人は言います。
「本は、本棚に入らなくなった分は売り払う非情さを持つべき」だと。
でも、私がかつてどうなったか・・・そう、
本棚を増やしました。
それはだめだ。いずれ、私は引っ越す身。。
だから、本棚は大荷物になってしまう。
そこで、こうなるわけです。
・・・背表紙を上に向ける作戦!
・・・うん。本、買い過ぎないように気を付けます。
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なかまくらです。
私ね、100円ショップ好きなんですよね。
なんでって、こういうおもちゃがあるから。

縦笛の中に水がためられるようになっていて、この水を抜いていくと、
次第に音が低くなっていくというおもちゃですね。
音の高さは、その音の振動数によって決まっています。
振動数が高ければ、音は高く聞こえ、低ければ音は低く聞こえます。
人間の可聴域は20Hz~20000Hzだったかな。
この、振動数というやつは、(音の速さ)/(音の波長)で求めることが出来ます。
そこで、音の波長を求めたいわけですが、通常、高校物理では、
以下のように求めます。
水面が下がっていくと、あるところで、定常波(時間が経過しても進行しない波)
が出来ます。このとき、音は大きくなるのです。
次に、水面をさらに下げていくと、再び音が大きくなる場所があります。
このふたつの音が大きくなる位置の差は、1波長(λ)のちょうど半分に等しいのです。
そこで、ふたつの位置の差をLとすると、波長λ = 2L と求めることが出来ます。
しかし、実際はどうでしょうか。
本当に、リコーダーで音は大きくなったり小さくなったりするのかな?
やってみると、まったくもって、そんな風ではないのです。
これは、単純に、上の説明は、音源が単一の振動数の音のみを出してくれるからでしょうね。
そうではない場合には、振動数は、様々な音が含まれていて、
そのうちから、もっとも、筒の音が大きくなる振動数(固有振動数)に一致している
音だけが生き残るんじゃないかなと、予想できますね。合っている・・・かな。
ああ、やっぱり物理は面白いものです。
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なかまくらです。
電気鍋、超便利。でも、そろそろ今年は納め時かなぁ。
すき焼きうまうま。

汁も勿体ないので、おじやにでもするのです。
冷凍しておけば、うどんも食えるしね。
棄てる手はない。
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なかまくらです。
ポテトチップスに、抹茶・・・?

無類の抹茶好きとしては、見逃せなかった。
そんなわけで、購入&開封!
ふむふむ、なるほど。
ポテトチップスに、抹茶チョコレートをアレしてるわけだ。
掛けちゃってるわけ。
うーーーんーーー、これはな~~~
量も滅茶すくないしなぁ・・・(うまいことを言おうとしている
あ、でも美味しい。あれ、なんだか妙においしいぞ・・・!
そんな感じのポテチでした。
でも、ポテチはしょっぱいほうがおいしいかな(笑
ポテチコーナーを覗くとき、私はすべからく、しょっぱいものを求めているのよね。
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なかまくらです。
野田地図第20回公演「逆鱗」を観てきました。ネタバレ注意。

ある男が、電報を届けに来る。
水上水族館では、見つからない人魚の代わりに、人間の人魚を募集していた。
そこに、人魚だと名乗り出るおかしな女が現れる。
ところが、電報を届けに来たはずの男は、本物の人魚を見つけるために、
潜水士としての訓練をすることに。訓練の最中、男は人魚の世界に紛れ込む。
人魚は、人間が勝手に作ったものであり、人魚の生態と言うものは、
親より先に子が死ぬ、というものであり、死生観が違うのだ。
やがて、人魚を見つけだした人間であったが、水族館は寂れるばかり。
そこで、今度は、47人の潜水士を募集するという。
電報を届けた男は、流されてきてしまったのだ。
潜水士には、酸素を送る管が付いている。それは、川鵜のようであった。
その綱を握っている男達は、人魚を見つけたとき、恐ろしい行動に出る。
というお話。
端的に言いますと、「キル」みたいなお芝居でした。
ちょうど、これにまつわる小説は読んだことがあったので、
それにまつわる物語であることがわかったときに、すっと溶け込んできて、
それまでのいろいろなパーツがすごい勢いで組み合わさりはじめました。
楽しい体験でした。
最初に届けに来た電報、あれはきっと届かなかったんでしょうね。
はじめのほうで、海の底に消えてなくなってしまったのだから。
ふと、思うのは私たちというのは、国というものに繋がれていて、
でも、好きなように魚を食べているように思われますが、
税金を払って、消費をして、社会の中で良いように一員となっていて、
一匹の鵜に過ぎないのではないか、なんて、考えちゃいますよね。
自分一人で考えて、私は答えを出しているのだろうか。
たくらんだ人が、最後に出てこないのも後から思うと、印象的ですね。
タイトルにもなっている逆鱗とは一体なんだろうな、と考えてみたものの、
これについては、なんだろうな、うまく表現する言葉が見つかりません。
逆鱗は、人間の遡ろうとする時間が塩になったもの、、、と作中では
そんなふうに言っていますが、人魚は逆鱗を食べるとも言っていますが、
ここに、すっぽりとおさまる言葉がうまく見つからないのです。
死んでしまった哀しみ、いや、死んでしまうという哀しみや、無念、、
うーん、そんな言葉なら思いつくのですが。
他に観た人は、どんな印象を持ったのでしょうか。
さてさて。
役者さんは、もちろん上手だったわけですが(笑)、
松たか子うまいです。瑛太もめっちゃうまい。この二人を中心に据えるわけだ。
印象に残る演技でした。身体の使い方もだと思いますし、
ちょっと長い台詞もうまーく会話のようにしゃべるし、
なんなんでしょうね、これ。
終盤に気づいたのが、井上真央と野田秀樹。
あれ、そういえば、ふたり、出てるって書いて無かったっけ??
と思って、意識して観てみると、ああ、この役の人かと。
まあ、化粧とか衣装で分からないってのはあったかな、と思いますが、
ものすごくすごいのかどうかはよくわかりませんでした。
他の人でもよかったのかな、って。
あ、野田秀樹が、一旦、すっと下がって距離をとるところの演技はすごい好きでした(どこだよ)。
舞台美術は、はじめはほとんど何もなし。
後ろが、スケートボードのコースみたいに、なめらかに湾曲しているくらい。
その広い舞台に、ものを運び込んで、
きらびやかなセットが目まぐるしく変わり、現れてくる。
いやあ、すごいものでした。
泡の表現、人魚の幻想的な表現は、初めてみるものでした。
きっと、これから、誰かが真似していくんでしょうね。
そういう、表現の最初の最初を生み出す人たちがいるってこと、
それに感嘆するしかありませんでした。
絶対また見に行きたいですね。
おわり。
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