なかまくらです。
「ゴジラ -1.0」観ました。
山崎貴監督作品。ゴジラ70周年の記念作品とのことです。
山崎貴監督の作品って多彩だけど、どこか器用貧乏な感じがあって、
思想を感じなくて、あまり好きじゃないかなあという印象があるのですが、
今作はかなり楽しめました。
太平洋戦争末期、特攻隊員であった敷島は、特攻の恐怖から、
整備不良を理由に逃げ出してしまう。
その島の整備員たちは、その夜、ゴジラと呼ばれる謎の生物に殺されてしまう。
生き残った敷島は、東京に戻ってくる。
家族はみな死んでいた。そこで生き残ってしまった罪を味わいながら、
日々を過ごしていた。そこに、若い女・典子と、典子が拾ってきた幼子・明子が
転がり込んでくる。血のつながっていない3人の奇妙な生活が始まる。
その生活を支えるために、敷島は、機雷の撤去という危険な仕事を始める。
そこで良い仲間たちに恵まれ、やがて、敷島は、生き残った自分も、
もう一度、幸せになっても良いのではないかと、死んだ整備兵たちに問いかける。
そこに、ゴジラが現れる。
そして、典子は、ゴジラの熱線の余波に巻き込まれ、消失してしまう。
失意に暮れた敷島には、もはやゴジラに対する復讐心しか残されていなかった。
かつて、逃げてしまったために、特攻できなかった自分。
かつて、機銃を打つことができず、ゴジラに整備兵たちをむざむざと殺させてしまった自分。
整備兵の生き残りである橘に、今度こそ特攻をする決意を見せる敷島。
その意気をくみ取り、開発中だった戦闘機「震電」を飛べるようにする橘。
そして、元・海軍の兵士だった男たちがゴジラを殺すために集まってくる。
死ぬ危険が高い。殺せるかどうかは分からない。
けれども、「誰かが貧乏くじを引かないといけないんだ」
そういって、自虐的に。けれども、勇ましく戦いに向かっていく男たちがいた。
海溝の水圧を利用したゴジラ抹殺作戦。
その作戦は失敗ではなかった。けれどもとどめを刺すところまではいかなかった。
弱ったゴジラに特攻する敷島。
最後に、橘は敷島に生き残る道を残し、ゴジラは倒される。
そこに、典子が生きているという電報が届く。
典子は近くの病院に搬送されていた。
典子を抱きしめる敷島。けれども、そのうなじには、不気味なあざが浮かび上がっていた。
というところで終わりです。
ゴジラが恐怖の対象として現れます。
いい奴ではありません。人類の過ちから別の怪獣が現れて、それを退治とかもしません。
ただただ、軍艦をバクリと齧り取ったり、
街を破壊して歩くばかりです。だが、そこがいい。
いっそ清々しい気分です。
そして、男たちが、家族を守るために、命を懸けてゴジラに挑む姿も良いです。
今、仕事をしている身として、「誰かが貧乏くじを引かなければならない」という
言葉も胸を打つ言葉でした。
私が勤める学校も、いま、働き方改革の時流に乗ろうとしています。
けれども、じゃあ、文化祭も体育祭も辞めてしまえばいいじゃない。
進学のための模試なんて、辞めてしまえばいいじゃない。
部活動も辞めてしまえばいいじゃない。修学旅行も辞めてしまえばいいじゃない。
担任がいると、学校での問題は担任のせいになるから、
担任制度を辞めてしまえばいいじゃない。そういう意見がバンバン出てきます。
生徒に考えさせると、手間がかかるから、学校は、勉強だけして、それで
家に帰る場所にすればいいじゃない。
たしかに、その通り。そうすれば、たしかに早く帰れる。面倒なことは嫌だ。
でも、本当にそれでいいのか。
「大切なことはたいていめんどくさい」ものだと、言っていたのは、
誰だっけ。
勝手にそんな励ましをもらった気がしました。
話は変わりますが、ゴジラの造形のバランスがよく、
そこもまた、本作が楽しめた要因でもありました。
もう少し特撮感があっても良かったかなとも思いましたが、
それは監督の個性として、発揮されることもあるものとしておくのが
良いのかな、と思うのでした。
というわけで、たいへん楽しめました。おわり。