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1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

メモスタンド

なかまくらです。

ほしいなーって探していたメモスタンドですが、結局ほしいものが見つからず、

自作しました。

名刺サイズのカードに時間割を書いて、いい感じです。


こういうのでいいんだよこういうので。





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今欲しいもの

なかまくらです。

たまには今欲しいもののことを考えてみます。

■ メモスタンド



職場の机の上に、時間割のカードを置きたいな、と思っています。

というのも、時間割を確認するために、いちいち引き出しから時間割の紙を出すのは、

非効率だからですね。見えるところに置いておくべきです。

初めは自分で作ろうと思っていましたが、美術的な能力が低いなぁと感じるので、

素敵なものを探しています。


■ 椅子



部屋は半畳の畳を置いているのですが、もたれられる椅子が欲しいな、と。

ただ、これは嵩張るので、なかなか踏ん切りがつきません。

これも、素敵なものを探しています。





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「ウエスト・サイド・ストーリー」観ました。

なかまくらです。

2022年にリメイクされたスティーブンスピルバーグ版の

「ウエスト・サイド・ストーリー」を観ました。




仕事で必要になりそうなので、いつもは見ないタイプの映画ですが、視聴。

なぜ、見ないタイプかといえば、構想の下敷きは、シェイクスピアの

「ロミオとジュリエット」にあるそうで、え、じゃあ最後は・・・。

と思っていたからです。

さて。


ポーランド移民のジェッツ団とプエルトリコ移民のシャーク団はギャングである。

スラム街の覇権を巡って抗争を繰り返していた。ジェッツ団のリーダー、リフと

シャーク団のリーダー、ベルナルドはともに、ギャングのボスとして信頼されていた。

ベルナルドは仕事をしており、プロのボクサーとしても働いていた。

一方、ジェッツ団には、過去に相手を半殺しにしたことにより、刑務所に服役した男、

トニーがおり、リフもその強さに一目置いていた。


トニーは、服役を終えて、変わろうとしていた。

自分が何者か考え、生まれ変わろうとしていた。

そこに、リフから、ダンスパーティーへの誘いを受ける。

それはもちろん、決闘の日時を決める機会であったが、そこでトニーは、

一目ぼれをする。その彼女こそ、シャーク団のリーダーの妹、マリアだった。

許されない禁断の恋であったが、二人は惹かれあう。


永遠の愛を誓いあう二人であったが、決闘は迫る。

決闘を止めるために、その場所に駆け付けたトニーは、殺されるリフを目の当たりにして、

ベルナルドを殺してしまう。


追われるギャング達。しかし、復讐は連鎖し、

トニーもまたマリアの腕の中で息を引き取るのであった。


その遺体は、ジェッツ団、シャーク団が互いに協力し、運んでいくのであった。


というお話でした。

さすが名作で、お話としてはよくできているのですが、

不幸な方向に転がりだしたら、悪いことは立て続けに起こって、

どうにもその連鎖を止められず、話がどんどん膨らんでいってしまう、

その恐ろしさを感じる映画でした。さすが、シェイクスピアを下敷きにしただけあります。

ミュージカル映画でしたので、途中の踊りは迫力もあり、踊っているのを見ているだけで、

なかなか楽しいものでした。2時間30分ほどある映画でしたが、

ミュージカルだとダレずに観られますね。


大人になろうとしていた人たちが、ボスとして担ぎ上げられたり、約束を守るために、

罪を犯してしまうという結末へと進んでいってしまいましたが、

人種の違いや、ギャングの抗争グループの争いが、

個人と個人の関係性を妨げ、想いとは別の方向に行動させてしまうのは、

きっと今のこの時代にも共通する儘ならない問題なのだろうな、と感じるのでした。

おわり。





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【小説】先生

小品ですが、どうぞ。



「先生」
                       作・なかまくら
                       2023/08/13

先生は私のことを旧姓で呼ぶ。
「先生!」「ああ、古井か。何年ぶりだ・・・?」
「5年ぶりです」
「・・・そうか、就職、決まったのか」
「はい。それで、私、もうすぐ、古井じゃなくなるんです」
「・・・それはおめでたい話ということ?」
「はい」私は薬指に光る指輪を輝かせた。
「そうなんだな、あの、お転婆姫だった古井がな。立派になったものだ」
「もう、あのときの私じゃないんです! 5年も経てば、私だって立派になりますよ!」
「そうだよな、それにますます、美人になった」
「え?」
「君を射止めた男はなかなかの選球眼を持っているな、うん。往年のスラッガーも選球眼がよかったから、あそこまでの活躍をだね・・・」
「なんですか、また野球で例えるんですね」
「好きなんだ」
その言葉は私を少しだけドキリとさせる。そういう意味じゃないことは分かっているけれど。
「・・・今日は、そんな報告をしにきたんです」
「そうか、ありがとう、古井」
「次に会う時には、見世になりますからね!」
「ああ・・・」

それからも、何度か会いに行った。
結婚式が終わったとき。妊娠が分かったとき。子供が生まれたとき。
「先生」「おお、古井か」「だから、『見世』になったんですって」「そうだったな。お前が高校生の時には・・・」
先生の中では私はずっと高校生のときのままなのだ。
けれども、人は変わっていく。大人になっても、ずっと変わり続ける。私だって、変わっていく。

「先生」「おお、古井か」
「・・・はい。お元気そうで」
「古井は、何かあったのか? お転婆娘が、めずらしい」
「私・・・見世じゃなくなっちゃった」
涙が込み上げてきた。先生は、いつもちゃんと私を見ていたのだ。

子供が生まれて、家庭に入って、私は働いていた頃の輝きを少しずつ失っていくのを感じていた。それでも、家族のためにと毎日頑張って。・・・浮気だった。君に魅力がなくなった、と言う夫は申し訳なさそうでもなかった。それでも最早、子供の幸せのために、親権を主張するべきなのかどうかも分からなかった。気が付いたら、先生のところへ足が向いていた。夫の転勤で東京を遠く離れていたから、まるで逃避行のようだった。
「私、どうしたらいいと思います?」
「どうしたんだろうな、高校生だった頃の、お転婆姫の古井なら・・・」
「え?」
「世の中を知って、変わっていくことも大切さ。けれども、あの時、自由だった心は、いまは、世の中というやつに流されて、水面から顔を出すこともできない。それは変わってしまったからなのか、あるいは溺れそうな心はまだそこにあるのか・・・どっちなんだろうね」
先生はゆったりと私を見つめていた。
私が瞳の中に忘れていった本当の自分を。





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ハッピーエンドに変えようか

なかまくらです。

夏休みも後半戦に入り、あまり時間はなさそうではあるのですが、

戯曲ブームが来ています。

新しいのを書くのもよいのですが、大学の学部を卒業してから書いた戯曲が、

あんまりハッピーエンドじゃない作品が多いのですよ。


物語としては、そのときどきの私自身を映し出していると思うし、

好きなんですけど、最後、手放しでハッピーに終われない話ばかりに。

そんな、ひどいバッドエンドではないけれど、・・・という感じ。


読み返せば面白いし、当時はそれでもいいと思いましたが、

実は、この夏に、

「はりこの虎の穴」という戯曲投稿サイトに投稿してあった作品を、

愛知県と滋賀県の高校の演劇部が上演してくれました。


それで、思ったのは、「なぜ、そのお芝居を選んで上演してくれたのか」

ということ。


とはいえ、思ったことを、簡単に一言で言えないから、物語なんてものを書いて、

1万文字も2万文字も書いて、その想いの輪郭を描写することで、

それを間接的に表そうとするわけです。

けれども、伝えたいことは何か? そのお芝居を通して何を学んでいくのか?

・・・職業病ですね。


演劇は、効率の悪い表現方法だと思います。

1つの舞台を、作り上げるのに何か月もかけて、練習して作り上げて、

1回~3回くらい上演したらお別れです。

ましてや高校生は、その短い部活生活の期間を費やすのですから、

もし、上演してくれるなら、楽しくてハッピーで、だけど、

考えれば考えるほど、想いに溢れた・・・

そんなお芝居を渡せたらいいな、と。





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