物語の話。
最近全然手をつけてもないのですが、たまには話をして、
誰かに火をつけたいし、火を点けられたい。
最近ですね、実は、私のHPの検索がなかなか嬉しいことになっていまして、
「演劇 台本置き場」で google先生で検索すると、
ななななんと、5番目にくるという(!?)。そう、5番目にくるんですよ。
だがしかし、「演劇 台本」だと下のほう過ぎて見つからないからまだまだ。
でもまあ、今のところ、使用したいといってきてくれたのは、1件だけで、(実は声劇としての無断使用が2件と演劇の最終候補に残ったのが1件 by なかまくら調べ)、現状、なかなか使ってもらえてるかといえば、全然な状況なわけです。
で。
巷では、どんな台本が求められているんだ、とニーズを興味本位で調べてみると、yahoo知恵袋とかで、「泣ける台本! 感動できる台本! 探しています!」 というのが多くてちょっとなんか個人的には残念。
偏見かもしれないけれど、演劇を道徳の時間にはしたくない。
いじめを扱ったりだとか、友達と仲良くなれない、とか、戦争の特攻兵だとか、重い病と生きる私、みたいな、そういうのは正直気持ち悪い。観れば良くできてるだろうからどうせ感動させられるんだけど、それは、感動の押し売りだよ。泣けるんだろうなぁ、と思って観始めて、泣けたら、なんもおもしろくないわ。
・・・ごほん。
ええっとね、私は偏屈な人間なので、「等身大の自分」ってやつを描きたくないんですよ。隠して隠して生きてたい。表現者にはあまり向いてないんでしょうね。等身大の自分ってやつとはどうしたって向き合わないといけないんだけれど、例えばそれがあらすじなんかに透けて見えたりしちゃったら、光が強すぎて目を瞑ってしまう。でも、表現者が何も伝えたいことがなくて何かを書けたりはしないと思うので、どこかから漏れ出るんですよ。それが、アニメチックな、ゲームチックな、ハリウッドチックな、SFチックなストーリーに惹かれて、お話の中に溶け込んでいたものが不意に浮かんできたりしたら、なんの構えもない素直な気持ちで感動できると思うんです。でも、他人はどうなんだろうな、と思ったり思ったり。
検索されているということは、多少でも読まれているということなんでしょう。
だったら、私は私なりのやり方で、面白いものを書いていこう、そう思うばかりなのです。
アンテナを高くして、いろいろ吸収していきたいですね。