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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

劇場版SPEC ~結(クローズ)~ 漸(ゼン)ノ篇/爻(コウ)ノ篇 観ました。

劇場版SPEC ~結(クローズ)~ 漸(ゼン)ノ篇/爻(コウ)ノ篇 観ました。
前編後編ってことなんですね。
あらすじ
世界には、SPECと呼ばれる科学ではとうてい説明のできない能力を持った人類が誕生しつつあった。その能力を持つ人間をスペックホルダーと呼んだ。スペックホルダーたちはその力を正しく使うことができず、多くの犯罪を起こしていた。そんな犯罪者たちを捕まえるために結成されたのが、「未詳」と呼ばれる警察組織。野々村係長が、そこに集めたのは、天才的な頭脳を持つ当麻と頑丈で行動力が取り柄の瀬文。彼らは警察の中で胡散臭いと言われながらも、事件を解決していく。その中で、死んだはずの当麻の弟が現れる。弟はニノマエと名乗った。ニノマエはスペックホルダーのための世界を目指し、その最強のスペック「時間を止める能力」をふるったが、当麻の頭脳的な攻撃によって辛くも打ち破ったのだった。(ここまでがドラマと劇場版第一作)
ニノマエを倒した当麻と瀬文であったが、ニノマエはクローンによって大量に生産されていた。しかし、クローンニノマエは”セカイ”と呼ばれる男に消滅させられてしまう。ニノマエのクローンを作ったのは誰なのか。人類は、スペックホルダーを殲滅させるべく、シンプルプランと称したウイルスをばらまこうとしていた。
先人類は地球(ガイア)と会話のできる人間であったが、隕石によってもたらされたタンパク質から生まれた人類に滅ぼされた。そして、復讐の時は迫っていたのであった。それは「ファティマ第三の予言」に記されていることそのままなのだという。運命は決まっている。しかし、人はそれを知らないからあらがうのだと、セカイは言った。
当麻の右手の死者を呼び出すSPECはその力を次第に制御できなくなり、使えなくなっていた。その力を使うことをおそれもしていた。声が聞こえるのだ、力を使え、使えと。当麻は瀬文にひとつのことを頼む。もし、自分を見失ったら、そのときは、自分を撃ち殺すようにと。
野々村係長は、シンプルプランで使われるウイルスを入手すべく、最前線に潜入し、帰らぬ人となる。野々村係長は、「だめもと」という言葉が好きだと言った。
当麻は、人間世界を滅ぼし、神の世界を再興しようとするセカイからの刺客によって、シンプルプラン(ウイルス)に感染してしまう。(ここまでが、前編)
そのウイルスとは、実はただのインフルエンザウイルスだったのだが・・・、シンプルプランは広がりを見せ、匿われていたSPECホルダーの子供たちがインフルエンザにかかり、治療の甲斐もなく死んでいった。そして、当麻も倒れてしまう。ただのインフルエンザであったが、SPECホルダーにはその治療薬が効かなかったのだ。その事実を敵は突いてきたのだ。当麻はついに死者を喚びだすSPECを使う決意をする。冥界との扉をつなぐ能力。生と死を逆転する能力。それが当麻の力であり、霊体でしかなかった敵の狙いであった。門からは八咫烏が飛び出し、人間の文明を破壊していった。テロを疑った各国が核兵器を一斉に発射する・・・時間の一旦停止。滅び行く世界の中で、当麻と当麻の喚びだしたスペックホルダーたちが人類最後の抵抗を見せ、セカイの圧倒的力の前に敗れ去っていく。しかし当麻は諦めなかった。生を得るために一旦体内に潜り込んだ神々をすべて引き連れて冥界へと連れて行こうというのだ。決死の覚悟で戦う当麻のもとに、ボロボロにやられた瀬文が駆けつける・・・。
と言うようなお話。
まず、打ち切りまっしぐらのジャンプのマンガみたいな展開でした。しかもダメな方に。引き際を間違えた感じ。ニノマエを倒したところで、終わっておけば良かったのに・・・ときっと多くのファンは思ったんじゃないのかな。私はそう思いました。

惰性で最後まで観てしまった感じでしたが、もともとグダグダなところが持ち味みたいな作品だったんだから、その心を失わずに劇場版を作ったほうがおもしろかったんじゃないと思いました。意味深な伏線はずっと貼られてきましたが、正直、劇場版だからということで突然出てきた感が否めないし、かなり知識がないと分からないようなものが多い気がしました。
まあ、キャラクターは最後まで面白い人たちが次々と出てきて、それがきっとこの悪品の面白いところであったんだろうけれども、むりやりストーリーを付けちゃった感じ。ちょっと残念な出来でした。おわり。





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