なかまくらです。
イキウメ 「太陽」 観てきました。
去年、
広島で、「図書館的人生vol.3 食べ物連鎖」を観て、
めっちゃ衝撃を受けたので、観に行きましためっちゃ。@大阪ABCホール。
はい。
弱さという価値観をめぐるお芝居でした。
あらすじ。
ある病が流行った。
病にかかると大半は死んだが、抗体を持った人間は生き残った。
生き残った人間は力が強くなり、老化も起こらない、人間以上の能力をもつ存在、ノクスとなった。しかし、ただひとつ…彼らは太陽の光を浴びると死んでしまう肉体になっていた。
ノクスになれる条件が判明すると、人々は次々とノクスになるようになる。ただし、30才を過ぎるとその適性は失われ、感染すれば、死に至る病になる。
世界の政治、経済の中心はノクスに移り、ノクスでないヒト(キュリオ)の大半は四国に。残りは各地に点在する集落にノクスを避けてひっそりと住んでいた。そんなある集落の物語。
ノクスに憧れる少年はノクスの門番と友達になる。2人はノクスであることキュリオであることを超えて、友達になる。
しかし、ノクスに対する恐怖に似た感情をもつ養父、養母に咎められる。
少年が早くノクスになりたいというが、ノクスの友達はキュリオであることは素晴らしい。少年は自分にないものをたくさん持っている、という。
少年はいう。
全部持っているからそんなことがいえるんだ。そんなに素晴らしいなら僕は、どうして君よりも豊かな暮らしができないのか?
20年前、ノクスとなった男は往診医としてかつての友人に出会う。
病気にかからない彼の仕事は、キュリオの病気を診ること。それから、ヒトをノクスにすることであった。
医者はかつての友人に出会い気付いてしまう。キュリオの弱さこそが、ヒトの強さであると。悩み、苦しむことで人は様々な優れた芸術を生み出すし、他人の弱さを認めて共に生きることができる、と。
ノクスに子は出来にくく、しかもその99%はキュリオとして産まれる。そんなノクスの、種族としての弱さも明らかになっていく中、
少年の友人のノクスはキュリオに殺されそうになり、
少年の村で家族のように暮らしていた少女がノクスになる。少女はノクスになるか、悩み悩み悩み抜いた末にそう決めたのだった。
ノクスになった少女は村の住人に会いに来た、
悩まず、真っ直ぐに立ち向かう強さを得た少女の姿を観て少年は、
ノクスにならず、キュリオとして生きることを決めたのだった。
というお話でした。
SFな、複雑な設定を上手く観ているほうに伝えることができるかが、SFの肝だと思うのですが、説明っぽいせりふも交えつつ、序盤で設定は分かりました。チラシに書いてあったあらすじも、一役買ってると思いますけど。その設定された世界・価値観で自然に生きてる役者さんがとても上手でした。まあ、プロだもんね(笑)
なにより、SFはその設定で、何が起きるのかシミュレーションするのが面白いんですよね!
ただ、ノクスの設定は一部よくわからないところも。年をとらないノクスなのに、生まれたときからノクスというのはよく分からないです。15才でノクスになったなら、15才の姿のままになるんじゃないの?ある姿まで成長して、その後年をとらなくなるの?というところはよく分からなかったです。
というわけで、ちょっと情報量に圧倒されつつも、演技の巧みさでとても魅せられました。特に少女がノクスになるときに苦しむ演技が凄かったです。生を手放すまいともがいているようで、凄かったです。
それから音楽がすごくよかった!
あと、舞台がシンプルで、穴に棒を差し込むことで、テーブルができたり、椅子ができたり、扉ができたり、と変幻自在でした。
全体としては、とにかく観てよかったです。
おわり。