なるほど、なかまくらです。
もーね、最近、これは向いてないなーって。
そう、先生という職業のことです。・・・なんて向いていないんだ!
何かと言いますと、
私って、昔から話しかけられるほうじゃあなくて、
話しかけるほうなんですね。
まあ、なんで話しかけるのかといいますと、
寂しがり屋なんですね。誰かと話していたいけど、
話しかけてもらえない・・・そういうことなんですね。
で、じゃあ、学校という場所に行くとそれはどんな風になるかといえば、
生徒が話しかけてくれないんですね~。
うわぁ~、最悪だ。困ったなー。どーすんのよ。
別に普段は困らないんですよね。
でも、なにかあったときとか、ホントに困る。
言わなくちゃいけないことがあるんだよ。守らなくちゃいけないことがあるんだよ。
でも、聞いてもらうには、お互いに少しくらいの信頼がないといけない。
そのためには、それまでの関わり方が大事なんですよ、間違いなく。
そういうの、ちゃんと上手な先生が多いんですよね。
同年齢の先生に相談してみたら、
「もっと子どもの話を聞いてやればいい」という、最も参考にならない意見をいただきました!涙
それができるんだったら、とっくにやってる。
一緒にいても、大多数の生徒には話しかけてもらえないのだよ、これが。
・・・分からないかもしれないけれど。
先生に向いている人、向いていない人って採用試験で聞かれたりするんですよね。
「子どものことがわりと好きだ。その夢を応援したい」という人。
「(自分の)教科をどうしても教えたい」という人。
高校の先生は、そんな人であればいいと思っていたんです。思っているんです。
たぶん、それは間違っていないはず。じゃあ、どうするか。
話しかけられやすい先生になる努力をしないといけない。それが、自分のためだけに留まらずに、
子ども達の為になるはずです。だって、私はもう先生として彼らと関わっているのだから。
どうでもよければ、なにもしない。そうじゃないから、なんとかしようとする。
インターネットで調べ物をすると、
「ひらいた身体」というものを持っている人は、話しかけられやすいのではないかって
そんなことが書いてありまして、妙に納得。
(参照:https://www.1101.com/essay/2010-08-04.html)「ひらいた身体」を持つには、誰かと一緒に暮らしたりして、
思い通りにならない経験が重要なんじゃあないかって、そんなことが書いてありました。
あっ・・・なるほどね(察し
恋人がいたりして、お互いに悪いところに目をつむったり、我慢して譲り合ったりしながら
生きている人は、きっとそれができるんだ。そして、私はそれができないんだ( ̄▽ ̄;)
希望を感じられるのは、それは、できるようになるかもしれないということ。
もちろん、間違いなく難しい。
人物として自分はこういうもんだというアイデンティティーは年を取るほど、
動かしにくいものになっていくはず。すでにそうだ。
とにかく、明日どうするか、といえば、
これまで通り、
「忙しくても、子どものために時間をできるだけ割いてやること」
「子どものためになる仕事をひとつひとつしっかりやっていくこと」
・・・これをやっていくしかないね。
仕事ができる人、頼れる人って、こういう人のことだと思う。
すごく当たり前だけれども、大事なことです。
でも、まだ、出来ることがあるならば、やりたいね。