なかまくらです。
12日付けで、29才になりました。
あっという間に誕生日は過ぎてしまいました(笑
誕生日に間に合わせようと、戯曲を書いておりました。
2015年12月以来の(完成しそうな)作品。
概ね完成して、ちょっと読んでもらったりとかして、
どうやら、ラストシーンにつなげるためには、もうちょっとシーンを追加して、
二人の関係性を深めておいた方が良さそうだ、とか、そういうアドバイスをもらって、
あとは、一度印刷したもので、言葉選びをもう一度全部見直して、修正して・・・
とやれば完成かなぁ。
なんだか昔は戯曲を書くのが、すごく簡単だったのに、
だんだんと書くのが難しくなってきました(苦笑
戯曲のほうではなく、もちろん私のほうの変化でしょうね。
いろいろなことを難しく考えてしまうし、
ついつい大きなテーマと壮大なストーリーに挑戦したくなる。
そうすると、大きなテーマはそれだけ、答えが出なくて、
物語の中で主人公達が迷走してしまう。すると、その世界は取り壊しと言うことになる。
いま書きかけの物語を見ても、「平等とは?」「貿易の自由とは?」なんて、考えている。
今回書いた「自由」と「責任」をテーマにした戯曲も、実はじゃあ、それが描ききれたか、
と言われると、答えはノーです。
ある兄弟の物語なのですが、物語としては、ふたりを描ききり、
登場人物達は完走しましたが、私のテーマに対する回答はでないまま。
また、いずれ形を変えて、「自由」「責任」について描いてみたいなぁと思っています。
さて、だいぶ脱線しましたが、
記事のタイトルの話。
私が見様見真似で物語を書き始めたのが15才のとき。
高校生になり、かなり消極的な部活勧誘を行っていた文芸部に足を踏み入れたことが
きっかけでした。入部してみたら、
「じゃ、文化祭あるから、何か作品、出してね」
と、まるで国語の宿題のように最初は書いたのでした^^;
ところが、いつの間にか、書くことが楽しくなって、
高校3年生の頃には、ただ自分が楽しいだけじゃダメなんだ! と思うようになって・・・
いろいろと書き方や物語の構成を勉強したり、研究したりして・・・
大学ではT原なる人物に誘われるままに演劇を始め、
1年の2月頃には、「俺たちどうやら新入生歓迎を取り持たねばならないらしい・・・」
と、同輩の(実はこのときまだあまり面識はなかった)M部なる人物に誘われるがままに、
活動し、K藤さんなる先輩に戯曲を書くチャンスをもらって、
そして、創作が続いてきたのでした。
その裏では、「超短編小説会」なる小説サイトがありまして、
高坂さんという方が運営されていたサイトで、(今はけにおさん、爪楊枝さん、私で運営)
そこで、ときどき物語を書いては感想をもらったり、感想を書いたりしていました。
このどれかひとつでもなかったら・・・
きっと、今の私が物語を書いていることはなかったんじゃないかなぁ。なんて。
いま、超短編小説会には新しい波が来ています。
twitterで宣伝したところ、新しいユーザーが日々増え続けているんですね。
これは諸刃の剣なんですね。
ユーザー数が多くなるということは、同時にいろんな考え方の人を受け入れるということ。
今までのような、作品をサイトのユーザーが互いに読みあって、
感想をつけたりしながら、のんびりと創作していく空間をどうやって維持していくか。
また、今いる新しい10代の物書きさん達が、書き続けていく空間をどう作り出していくか。
私があのころやってもらったことを、今度は私がやっていかないといけない・・・。
そんな風に思う、29才の夏でした。