なかまくらです。
劇団MUSES『赤鬼』観ました。
静岡芸術公園。稽古場BOXシアターにて。
静岡の演劇事情にはまだ慣れませんが、どうも、SPACという県の事業として
お芝居が企画されているものがあるようです。
そのためかはしりませんが、なんか客層がやたらお上品な感じです(笑)。
いや、気のせいかもしれませんが、なんとなく場違い感が。
さて。
野田秀樹の『赤鬼』といえば、演劇を詳しく知らない人でも、
「ああ、野田秀樹ね。『赤鬼』なら観たことあるよ」くらいに有名だと思っている作品なのですが、私は未見でした。そこで、チャンスを逃さず、観てみようかと観てきました。
あらすじ。
ある浜辺に、ある姉弟が住んでいた。
二人は余所から来た一家であったことから、忌み嫌われていた。
そんなとき、真っ赤な顔の怪物が現れる。しゃべっている言葉は唸り声のよう。
大きな体躯で訳の分からないことをしゃべる。
浜の人々は恐れるが、姉のフクが簡単なコミュニケーションをとれるようになり、
赤鬼は退治されずに収まった。フクの弟はバカで、フクのことを好いている水銀(みずかね)は嘘つきで、海の向こうからでっかい何かやってきて、自分が認められることを夢見ていた。
ところが、物事はそううまくはいかない。赤鬼とフクが親密になった頃、水銀は嫉妬に溺れ、赤鬼とフクの中を引き裂こうとする。浜辺には小瓶に揺られて赤鬼への仲間からのメッセージが届いていたのだ。
「自由の鐘を鳴らせ」と。
赤鬼の故郷は既に海の向こうにもなく、海を彷徨う一族だったのだ。
赤鬼は、安住の地を求め、この浜辺に現れ、移住の合図を送ろうとしていたのだ。
フクは言う。「言葉が分かるようになるほど、あなたのことが分からなくなっていく」と。
フクと赤鬼は捕えられるも、
水銀と弟によって助け出され、海に逃げた。
海に逃げた4人は食料もなく衰弱し、やがて嵐にあって元の浜辺に打ち上げられる。
3人だけ。赤鬼はいなかった。
フクはその2日後に自殺した。弟は言う。フクが自殺したのは、フカヒレを食べたからだよと。
弟はその経緯を語った。それがこの、赤鬼と言うお話。
そんなお話。
はい。
メインの4人がなかなか上手で安心してみれました。
ただ、ちょっと最初は入り込みずらいドライさというか、役者のほうだけにある慣れみたいなのがあって、ちょっと入れなかったのですが、途中からは夢中になって観ていました。
話は、そうか、今の高校生のSNSへの依存とかそういうことにも通じるのかなって思ったりしました。
言葉が通じるばっかりに、上手くいかない。
ちょっとした言葉が通じるだけで喜びを感じられる。
コミュニケーションっていうのはそういうことなんだと思う。
それが複雑化して難しくなってしまったのが現代なんだと思います。
だからこそ、ちょっとした言葉でさえきっと伝わっていないのだ。伝わる喜びを感じられないくらいに。
セットも、パネルの一部を取り外して、船に見立てる演出、よかったです。
音楽はちょっと多かったかもしれませんね。
あとは、お尻が痛かったです。
おわり。