1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】コンドルの翼

なかまくらです。

蔵出し公開です。

昨年度、電子書籍を出版しようと思い立ち、書き上げた作品です。

まだ、編集が終わっていないので、いつ出せるか不明ですが、気長にやろうと思います。

それではどうぞ。



「コンドルの翼」
                              作・なかまくら
午後8時を過ぎた頃だというのに、営業用のスマートフォンがアパートでモーニングを要請していた。紺野はケトルが騒々しく、インスタントなお湯を拵え終わるのを見計らって、珈琲の色素がこれでもかと沈着したマグカップに湯を注ぎ込む。飛び切り苦いインスタントの黒い水が紺野を現実世界に引き戻した。
 「おい、いつまで待たせるんだ!!」 電話の向こうから、上司のでかい声が聞こえてきて、音声をスピーカーモードに切り替える。
 「すみません、すぐ向かいますので」 机の上には、ノートPC。それから、まだ半分くらい残っている缶ビールと、つまみのパック寿司。さらには、冷蔵庫にはジャンボプリンが控えていた。くそぅ、ビールは、もうダメだろう・・・。だが、まずはシャワーだ。
 呼び出されることはないことはない。決算が近づけば、売り上げがすべてに優先され、顧客がYESと言ったならば、その瞬間に手続きを完了させることがモットーとされていた。
「だからって、こんな時間に・・・」
カフェインは現実からの引力だ。かの名探偵ホームズは、推理をするとき以外には、コカイン中毒で酩酊状態にあったとか。それも、少しだけわかる気がするのだ。現実が1日24時間も続くことに、なぜ耐え続けなければならないのか。それが、毎日繰り返されていくことに、なぜ耐え続けなければならないのか。熱い温度に設定したシャワーが噴き出す汗に溶け合い、怒りや悲しみをアルコールとともに洗い流していく。それが洗い流されてしまうのは、表層的なものだからなのかもしれない。
いつもは朝のルーティーンである身支度を、夜の8時15分に完了し、いよいよ出かけるばかりとなった。往生際悪く、サランラップで缶ビールに蓋をし、冷蔵庫へと入れる。食べかけの寿司も、だ。好きなものを最後にとっておく主義が、ここでとんでもない裏切りをみせるとは、思わなかった。いくらと炙ったのどぐろが、冷蔵庫に吸い込まれて、消えた。
街に出ると、車はまだひっきりなしに行き交い、高層ビルには明かりが残るオフィスがあちこちに見える。今日の仕事を終えてふらふらとだらしなく歩くサラリーマンたちや、自分の進んでいく道に向き合えないでいる若者たちとすれ違う。電話が来る前の自分はどうだっただろうか。
ノートPCには、書きかけの短編小説が表示されていた。その末尾で、次の入力を待つ、カーソルの明滅・・・いや、黒いほうが光を発していないのだから、滅明、かもしれないな。紺野は、ふっと笑った。その物語には、コンドルが現れる。コンドルは、誰よりも空高い場所から、いち早く、新鮮な死肉を見つけ出す。低いところまで慎重に下りてくると、それを啄(ついば)む。その、空想上の恐竜に似た原始的な顔立ちに、思わず身が竦んでしまう。今夜の商談も、いち早くニーズを見つけた上司の辣腕ぶりには目を見張るものがある。
ジャケットがバサバサと風を受ける。ビル風が吹きつけているのだ。その風を受けてコンドルは、飛び立とうとする。待ってくれ、まだ、先に行かないでくれ。商談が終わって、家に戻って、1本目を苦い顔をして飲んで、それから2本目の缶ビールを新しい音を立てて開けて・・・、それから、短編小説の続きを書くのだ。・・・だが、そんな気力は本当にあるだろうか。コンドルは空を見上げている。ビルに遮られた空は、随分と狭い。社会人になったとき、〆切のない場所へ来てしまったのだと悟った。雑誌に寄稿していたこともあったが、それもいまは、仕事にかまけてすっかりご無沙汰してしまっている。コンドルが新しい肉を見つけるように、新しい物語を探しているのだろうか。コンドルがそれを生きることの一部としてそうするように、自分にとって、それはそういうものだろうか。
そういうものだったらいい。そのほうが、なんだか心地が良いのだ。
あのとき社会人になったのだ。社会人のルールの中で生きなければ、ルールは自分を守ってはくれないだろう。ならば、これこそが、自分にとっての翼なのかもしれない。風がいっそう強く吹いたので、コンドルはその風に乗って、高く高く飛び上がった。翼を広げた雄大な姿が、ビルの向こうに黒く、消えていく。それを見送った紺野は、
「そんな風には、上がれねーって・・・」
呟いてから、ふっと笑う。
翼なのだ、この毎日が。毎日の熱いシャワーで脱皮を繰り返すのだ。爬虫類が脱皮をして大きくなるように。あわよくば恐竜の進化の系譜に倣って、いつかの隕石で滅びる日を回避して。やがて風を読んで空を飛ぶのだ、と笑った。笑ってそれから、そういえば物語は、紺野にとってそういうものだった、と思い出した。
信号が青になって、現実が空想を塗りつぶしていく。紺野はその中に立っていることを確認してみた。大丈夫だ。鞄の中に入れた商談の資料を手で触って、歩き出す。
待ち合わせの場所はもうすぐだった。





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