なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
真夜中の湖
作・なかまくら
2017.2.22
「勝手にすればいい。それぞれの人生だ」
そう言おうとして、飲み込んで、逃げ帰ってしまったのだ。
それからというもの、どうやら心のどこかに見えない小さなヒビが入っているらしい。
しくしくと夜の帳が降りてくると、少し窪んだところがほんのりと湿りはじめる。
良くしたことにやましい感情はなかったと思う。それは、自分の二の舞になりそうな彼女を守ってあげたいという、自己満足だったのだ。
僕は無理に笑って、呼びかける。
「くれぐれもこちら側へ来てはいけないよ」
それは、川の彼方岸(あちらぎし)から此方岸(こちらぎし)への思いやりのつもりだった。見返りを求めるようなことじゃない。むしろ喜ぶべきことなのだ。彼女はこちら側に来なかったのだから。そうしてぼんやりと眺めていると冷たい水がざばぁざばぁと水が足元を濡らしていくから、たまらず少し後ずさりをする。それで遠くの方に目をやって、思わず静かになってしまう。
遠くから、ぼぉ、ぼぉ、と霧笛のような音が聞こえてくる。
いつの間にか、染み出した水は大きな湖になっていて、向こう岸は見えなくて、彼女はとうに消えている。代わりに首の長い何かの影が霧の中に浮かんでは消える。
首の長い何かの影は、近づいて来ようとしない。
彼女は今頃は・・・、いや、彼女が首の長い何かだったということだってあり得る。
今になって思えば、彼女のことを全く知らないような、そんな風に思えるのだ。
出会いはといえば、夕食に特製のシチューを作っていた僕のログハウスの扉を彼女が不意にノックしたのだ。思わず、はい、と返事をして、扉を開けてしまった。そのとき、どこかへ向けていた望遠カメラが、どこを向いていたのかはもう、忘れてしまった。だが、そのカメラをひっつかみ、思わず彼女の写真を撮った。ぱしゃり。
ブレブレだったそれ1枚だけが最初で最後。一瞬だけ、新聞社に送りつけるほど、舞い上がったのだ。
ログハウスはそのままになっている。
そして、窓の外の、夜になると現れる湖にカメラは向けられたままになっている。
たまにノックの音が聞こえる気がする。
けれども、僕はなぜだか湖から目を離すことが出来ない。
ノックの音が聞こえる気がする。
相手が違うと、耳を塞いで、金切り声で叫んでいる。自分の声が厭によく聞こえていた。
ノックの音が聞こえていた。
それが、小さくなるまで聞いていた。これから誰も来ないログハウスの一室で。
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