なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
なかまくらです。
演劇喫茶シナリヲ座 行ってきました。
広島大学演劇団の学祭企画も、7年目なのだそうで。
今年は7本のお芝居でした。
それぞれについて、ごくごく簡単に、見た順に。全体的に辛口と偏見に注意。
といいますか、ちょっと今回自由に書きすぎた感がありますが、面倒も手伝って、もういいや。
※ 続いて注意。この筆者、なかまくら(以下、私(♂))という人物は、どちらかというとちょこっと抽象劇なものが好きであとは、SFチックなものが好きな人間です。
あとね・・・改行サービス有限会社は現在開業しておりませんというわけで、
カイギョウナニソレオイシーノ!ボーノ!!??ボーノ? に、なっていまして、さいきょーに読みにくいですが、もう、
1で割り切ってください。あははh・・・
ピース・ワーカー 作・演出 佐藤伸哉
あらすじ・・・警察官の松田の勤める交番には、鈴木という先輩警官がいた。この鈴木さんは勤務中に音楽は聞くし、たばこは吸うし、ギャンブルもする。豊田は鈴木に言う。どうして松田君の前では不真面目なの?鈴木は応える。「世の中まっすぐにぶつかるばかりでは駄目なんだよなぁ」。チンピラの抗争は発展し、ナイフで刺される事件が発生。3人は交番を飛び出していく。おわり。
というお話。うー・・・ん。起承転で終わった感じ。誰も成長していない。途中が割と面白かっただけに残念。あとひとシーン書けなかったのか・・・。ただし、グループの抗争についてはその中身についてほとんど何も描いていなかったので、無理だったのかもしれませんね。ダンスで始まるなど、動きのあるお芝居でしたが、ダンスしてるメンバーはチンピラで、ちょっとなんだろうなぁ、という感じ。ま、チンピラの抗争は面白かったんですけどね。それから、和俊くん、藤田くん、三浦さんのメンバーはそれぞれ輝いていました。三浦さんはデジャヴュの門脇さんを彷彿とさせる、強い女でした。藤田くんの、察しろよ系の突っ込みも冴えわたり、和俊くんは、ネズミを追いかける猫のように活き活きとしていました。
ハッピーマンデー 作・演出 川村祥太
あらすじ・・・妻は息子を殺してしまった。夫はその時帰ってくる。ふたりは息子を山に埋めた。息子は重い障害を持ち、妻は自責の念を感じていたのだ。夫には愛人がおり、ふたりで息子のために自首しようと妻を誘いだし、殺害する。喜びに狂い笑う夫に、息子の声がどこからか聞こえる。「お父さん、何やってるの?」。男はどこかへ去り、妻が息子と話しているシーンになる。それは、息子を殺す前に妻が息子と約束していた海に行くという約束。息子は妻にありがとう、といい、妻は息子に、ごめんなさいと。
ふむ。正直なところ、苦手なタイプのお話。私はファンタジーのほうが好きだ、という好みの問題。私が物書きさんから聞いた言葉を紹介します。「悲しさもあるのに綺麗なのか、悲しさがあるから綺麗なのか」。人を殺す話は好きになれません。赤子、友人、恋人、親、葬式、どれでもいやだ。ああ、それを後悔する話なんだなぁ、と構えてしまうし、実際その通りのことが多い。
で、長くなりましたが、このお芝居のこと。そう、よくできていたと思います。妻はどうして、何に耐え切れず息子を殺してしまったのか。妻と夫の間の歯車はどこで狂い始めてしまったのか。夫を決定的におかしな人間にしてしまったのは、どの時点だったのか。障害を持つ子供が生まれた時だったのか、子供を妻が手にかけてしまった時だったのか。愛人を作り、夫は逃げようとしていたのではないか。そう、私には夫がそんなに心底悪い人間には思えなかったのです。初めの驚くシーン、妻に甘言を吐かない不器用さ、そして、退場のシーン。夫婦を演じた、木邨さん、白井くん、ともに熱演でした。
ただ、最後にもう一度言うと、やっぱりこういうお芝居は苦手で、目を背けてしまいたい。その感情は知っているけれども、わかることはできない。私にはそれは難しい。というわけで、「演劇は写真か絵画か」という疑問を投げかけたい。おわり。
椅子のある風景 作・演出 高木綾子
あらすじ・・・椅子がたくさんあるそのお店には、いくつか変わった椅子が置いてある。「旅人が好む椅子」、「人を選ぶ椅子」、「人を待つ椅子」。3つの椅子は思い入れのある椅子になってしまっているんだよ。そう語る先生と呼ばれる女性は、その椅子たちのことをひとつひとつ話す。
というお話。うん、あらすじでは全然うまく説明できないし、面白くなさそうなのですが、これは面白かったです。設定はわりとありそうで、意外とない。ちょっと世にも奇妙な物語みたいな。私が中学生の頃の電撃文庫みたいな感じでした・・・(「しにがみのバラッド」とか「シュプルのおはなし」とか)。で、まあ、こういう場所があって、いろんな人が出入りして、登場人物たちが集まってくるわけでもなく、ばらばらに現れるだけ、という物語はみんな洒落乙で好きなんですが、書きあがらない物語の典型。それを書き上げたのが見事なだけでなく、ちゃんと面白かった。ちくちく心を刺すような物語ではなくて、心の奥のほうを温めてくれたような、原風景、というと違うかな。うまく言えませんが、 ”思い出” というものを大切にしたくなる物語でした。和俊くんと三村さんが出てきた瞬間に笑ってしまったのは、なんかもう面白い雰囲気を感じてしまったから。東田くんも、いいキャラしてまして、英語の先生の川村くんと助手の三浦さんもそれぞれ別方向からキャラが立ち上がってきまして、森鴎外読んでた益田くんも、みんなたのしそうで、私も楽しめました。欲を言えば、そこからもう一ステップ、レクイエムを一曲書いてほしいとあらわれた謎の男のように、一脚の椅子が持ち込まれても面白かったのかな、と。いや、もう少し長い尺があったらの話です。最後に、高木さん、熱心に脚本書きの勉強をしているのを知っておりまして、物語を書くことをどう考えているのかはわからないのですが、もし、新しい物語を書くことがあった時に、これが、足かせにならないことを願います。おわり。
二人の机 作・演出 木邨明恵
あらすじ・・・ワタルは高校生。いじめっ子のケンちゃんとは小学校から同じクラス。小学校の時、サヤカちゃんの絵をケンちゃんに迫られてワタルは気持ち悪いと言ってしまう。高校生のワタルは、ある日、机に残された落書き。そのささやかな他愛もない会話の中で、夜、定時制に通うサヤカのことを知る。彼女は美大を目指していた。ワタルはサヤカに謝ろうと、ケンちゃんに自分の意見を初めてぶつけた。
またきた・・・! 苦手な話(というのは置いといて)。でも、こっちのほうが全然大丈夫な部類。途中からはにやにやしてました。なんだ、この、にやにやは(笑)。ケンちゃんは、1年生の藤田くんで、この前、A・Rで素敵だった子。やっぱりいいっすね。好きです///△//。こほん。お話がきれいに並べられており、構成は基本に忠実で、見やすかったし、自然でした。よくできていました。男優陣が楽しそうでした。ケンちゃんが、なんかそこまでワルじゃない感じに終わったのも、グッド。この物語は、良くも悪くも、このつくりで良かったという感じでした。次回作に期待(って、私がそれを見ることはもうないだろうけれど・・・)。まあ、頑張ってもらいたいものです。おわり。
Girls Got Guns! 作・演出 中野翔平
あらすじ・・・母を殺してしまった少女は刑務所に現れた男に引き取られた。男は万屋、いわゆる暗殺家業であった。万屋のメンバーは少女を歓迎した。翌日、万屋がある武装宗教組織を壊滅する依頼を受けたが、襲撃の情報はどこからか漏れており、待ち伏せを喰らう。なんとか追い詰めた首謀者が吐いた黒幕は、万屋に今回の仕事を依頼した人物・・・母にひどいDVを加えていた少女の父、警視総監であった。少女は、父を殺し、万屋として生きていくのだった。
というお話。復讐劇でした。ふむ。起承転結がちゃんとしていて、構成もよく練られていました。わくわくもしたし、好感が持てました。が、途中の銃撃戦はシューティングゲームのクオリティ。物陰に使った机の裏の「大集会室机」と書かれているのは何とかしてほしかった。
それから、なんというか、遠い世界の物語である感が強かったです。「ファンタジーとは何か」、考えてみてほしいなぁ・・・と、なんか偉そうに言ってみますm(_ _)m。家族のあたりをもうちょっと描いたらよかったね。
さて。役者陣は、なんかアメリカン!? アロハシャツが似合いそうな男ども、そして、ジャックの森くんとアシルの野津さんは、そこから”さらに”ちょっと浮いていてなお、いい感じでした。
おわり。
クリスマスをジャックせよ! 作 益田征哉 演出 佐藤伸哉
あらすじ・・・クリスマスを含む48時間、男たちは一切の外出をしない決死の覚悟を決め込んでいた。そのアパートの一室に、弓矢が置いてあった。それはどうやら恋のキューピッドの弓矢であるらしい。そこに天使が現れ、返せと迫る。ところが、そこに女銀行強盗なんかも現れるものの・・・、事件はいろいろあって無事解決したものの、愛することの悲しみを知った男たちはクリスマスを寛大な心で許容してやろう、と笑うのだった。
というお話。喜劇でした。なんというか、ラストちょっといい話にしてやろう、とか、作者が考えていたかもしれませんが、もはや引き返せない喜劇の罠。男優陣がものっすごいバカやっておりまして(今回そういえば、男優多いイメージ)、次々と繰り出される新しい展開に飽きることなく楽しめました。面白かったです。こういうのは笑えれば良いのです^^!
それにしても、伸哉くんは、今回の学祭ちょっと欲張ってあちこち現れすぎですね(笑)。お疲れ様でした。
カンラク男 作・演出 山田めい
あらすじ・・・男は作家である。作家は、他人から一文字もらって、それをインスピレーションに新しいページを書いていく。男はひたすらに書いたが、やがて言葉に溺れ、濁流の中でペンを放せ! と迫られ、そのペンを放してしまう。波打ち際で目を覚ました男は、言葉が聞こえなくなっていった。
というお話。山田さんの書くお芝居は、よく分からないこともままあるのですが(苦笑)、これも、ふむうう・・・という感じでした。ただ、音、言葉、が大事にされていて、会話から拾った言葉によって思いもよらないところから物語に足が生えてきたり・・・という印象。それでも、男がペンだけは放せない、ともがくシーンは、ちょっぴり感動。前後不覚なのに、いいシーン。なんとなく、天辺塔さんと宴の笹木さんが公演された「座礁」の一シーンに似ていて、おお、と。
これは、A・Rからインスピレーションを受けたんだろうなぁ、という感じの作品でした。センスに溢れる作品でしたが、やっぱり良くも悪くも、この長さがいいですね。
中野くんが、まかいのもんざえもん・・・じゃなくて、ま・・・ま、まなんとかざえもん。あの、侍さんのこないだの、家康公の役のやつにちょっと似ていて、でも、演技が光ってました。ていうか、ミチガエタ? 「ミチマチガエタ?」→「ヨカッタヨ!」。これは、卒公が楽しみだなぁ(チラッ
おわり。
と、
い
う
わけで、
結局長くなりましたが(笑)、
私が観られるのは、おそらく今年が最後なので、終わってから思えば感慨深い学祭だったような。
今回の学祭公演は、どことなく代表の高木さんの色が出ていたかなぁ、と思わせる作品が多かったように私は感じました。
伸哉くんの作品や、中野くんの作品などこれまでなかなか通ってこなかった子らの作品が日の目を浴び、よかったなぁ、と、その成長にも感慨深いものがありました(別に私は何もしてませんが・・・笑)。私が観られるのが今年が最後かなぁ、というのもあるのでしょうけれど・・・苦笑。
学祭で上演する作品が年々増えておりますが(笑)、企画した高木さん、
喫茶企画の三村さん、おつかれさまでした。
喫茶のBGM、良かったですぞ。ふふふ。
なかま<キャラメルボックス! まくら<チゲーヨ!! ボスインザスカイだべ。
なかま<オップス!
さて。
全体を見て、
男キャス多いですな~・・・これは、男性陣は倍率高いべ(笑)。楽しみな子もたくさんいるのです。
やっぱり、こうやってオリジナル作品を発表できるチャンスの間口の広い学祭は素敵な企画だと私は思っています。そのうえで、ちょっと気になるのは、みんな、ストーリーに征服されてやしないか、ということ。書いてて、どこかで見たありきたりを結末に据えていないかな、ということ。「自分」が、悩んでいること、悩んだこと。そういうことをもっとぶつけてもいいんじゃないかなぁ、と思うのです。いや、私の感覚が大学生とずれてきてるせいなのかもしれないんですが、今、表現したいことは、それなの? って思うのです。それが本当に表現したいこと? 心の底からチロチロと漏れ出る炎の叫びなの? なんて、ちょっと思ってしまうのです。「等身大」というやつに対決を挑んでみてほしい、と思うのです。
とまあ、長々、ホントに長々書きましたが、7本ものお芝居を作るのは大変でしたでしょう。
お疲れ様でした。
おわり。
ネットで誰かが言ってた言葉たち。印象に残ったもの。人の言葉というのは、記事になっているものよりもリアリティがある。そういうことなんですね。
>日本人は「みんなで楽をしよう」じゃなくて、「みんなで苦労しよう」っていう、ネガティブな方向の横並びが大好きだって。
この負の感情を取っ払わない限り、未来は無いんじゃないかと思う。
>壁に直面してる時は分からなくても、後で振り返れば、もしくは周りの人からすれば、「別に大した壁じゃないじゃん」ということは多いでしょう。で、周りの上司や先輩、親とかは壁を越してきた人達でもあるし、目の前の壁しか見えない自分を、俯瞰して見てくれる存在でもあるのです。ただ、人の意見を聞くってのも、そんな簡単なことじゃないんですけどね なんにせよ、ある程度自分自身を俯瞰できるように、そして意見を求められる大人に成り得る人間でありたいですね。そのためには、40も近づいた人間が、自分が選んだ道を人のせいにしてる暇はないのです。
>かつて、「教育者」というものは一種の「聖職者」的な扱いを受けていました。少なくとも私が小学校中学校時代のときはそんな感じを持っていました。しか し、今現在その「聖職者」は「生徒の保護者」よりも下の立場になっている状態です。学校の先生なんか役に立たない、といった声が出てくるのも現実です。
>これからはプロ野球のように人は「チームのため」と思いつつもいらなくなったら解雇されることを考えつつ会社に忠誠を尽くさなければならない 変な時代になった
>誰にでもあてはまるようなものを作る、「言説」の力はすごいとしかいいようがありません!
compizconfig-settings-managerをインストール。
sudo apt-get install compizconfig-settings-manager
なかまくらです。
『009 RE:CYBORG』 観ました。ネタバレ注意。
ふむ。
あらすじ。
爆弾テロが世界中で多発する中、
高校生の島村ジョーは、『彼の声』に感化され、爆弾テロを起こそうと計画していた。
その姿を見ているふたりのゼロゼロナンバーのサイボーグがいた。
003 フランソワーズ 005 ジェロニモ であった。
彼女らは、再び彼らの力が必要なときのために、
009である島村ジョーの記憶を呼び覚ましに来たのであった。
009として復活した島村ジョーは、爆破テロを起こそうとしていたことから、
ゼロゼロナンバーサイボーグの生みの親にして、指揮を執っていたギルモア博士から疑われる。
さらに、博士が、爆破テロの黒幕と睨んだ組織NSAには、002 ジェット・リンク が所属しているのだった。
世界中から集まってくるゼロゼロナンバーサイボーグの何人かは、『彼の声』に近づき、
消息を絶ってしまっていた。007 グレート・ブリテン 008 ピュンマ らであった。
彼らの残した情報の中に、『彼の声』に関する記述と、『天使の化石』があった。
『彼の声』を聴いたものは、頭の中にそれが聞こえたといい、世界をやり直すのだと言う。
そんな中、事件は起こる。アメリカ空軍の戦闘機が消息を絶ったという。
爆撃を阻止するべく、博士の静止を振り切り、止めに向かう009、そこには、002の姿もあった。
しかし、核ミサイルは都市を破壊し、衛星画像に捉えられた二人の姿から、
その濡れ衣を着せられることになってしまう。攻撃を受けるギルモア博士の基地となっている邸宅。
ゼロゼロナンバーサイボーグたちは、基地を死守し、さらに、消息を絶った原子力潜水艦の核ミサイルを止めるため、二手に分かれ、戦いに挑むのであった。
**
というようなお話でした。
ふむ。5点満点でいったら、4点 というところでした。
まず、最初の009の復活のシーンがめちゃめちゃかっこいい。加速装置の描写が素晴らしい。
で、展開もなかなかに面白い。
テーマはやたらと壮大で、
『神』 という存在、『人類の起源』 をとらえようとする宗教的・思想的な側面が強い作品でした。
それに対しては、考察がわりと丁寧に描かれているように感じました。でも、尺足らず?
キャラクターは9人のサイボーグを活躍させようと頑張っていましたが、予備知識があったほうが楽しめそうです。
で、しかし、ラストシーンはいただけない。。ラストがちょっと、台無し、ってぐらいにひどい。
『犠牲』 という思想はなかったのか。『善』 は報われなければならないのか。
モーゼは預言者として生涯を終えることはなく、旅の途中でその任を解かれ、置いて行かれたはずです。
なんというか、サイボーグの活躍を楽しみにしている人間に、理屈のない奇跡ほど浅はかに見えるものはないのだと思う。その点をもうちょっと考えてほしかった。
ちょっと浅はかで、キャラクターを殺せないとか、そういう類の大人の事情を感じました。
(追記:肯定的にとらえているコメントと、監督のtwitterでのコメントをネット上で拾ったので転載)
※
「あれは奇跡を描いたのではなく、死にかけた278
どう解釈するかは各人にお任せします。
うーむ、なんか納得できない・・・笑。
ガンダムSEEDで、爆発しちゃったけど、コックピット頑丈で生きてたよ! とか、
ロックマンX5で、スペースシャトルで激突したけど、直前で脱出して、地球に落下して、傷を癒したよ!
の方が、まだ説得力がある・・・笑。
でもおそらく、監督は、あのラストシーンは本当に起こったことかどうかはわからないですよ、
ということだから、納得はしなくていいんでしょう、きっと。
ただ、どうとらえるか、という、ことなのかな。ふう・・・ん。
とはいえ、全編を通じて、スタイリッシュな出来の作品でした。アクションがいいね!
なんと、全編CGで作られているということで、CGアニメというやつの挑戦が行われているわけですが、
まだまだだな・・・・・・という感じでした。
ゲームのように、リアルな映画のような感じにしたいのか、それともアニメのようにしたいのか
課題と感じたのは、以下の点。
・ ぬるぬる動く・・・ぬるぬる動きます。演劇的な動き。オーバーに動きすぎ。特にキャラクターのアップになるといけない。アニメって、製作費を削るために少ない動き(コマ)でいかに躍動的に見せるかというところを大切にしていると思うのです。また、漫画的な表現・視点をうまく取り入れていると思うのですが、連続的に動くのに、最初すごい違和感。だんだん慣れましたが・・・まあ。歩くのだけは、なぜか際立って自然なアニメ。
・ カメラ位置に違和感・・・アニメだと撮らない角度から撮るのは、CGの良さでもあり悪さでもあるとは思うのですが、顔を前方斜め上から見下ろす角度は不自然すぎる。CG造形の顔が意識されてしまう。演出の問題なのかも。
なお、幻の押井守監督versionである、「ReOpening」というのがあるそうで、
Panasonic の 展示会(?)だか、なんだかで発表されたもののようなのですが(この時点で、脚本は神山健治)、
http://anime.modtv1337.com/?p=2809
キャラクター造形は、出来上がった作品のほうが良いですが、カメラ位置、カメラワークに関しては、こっちの方が断然いい・・・!!
その点に関して言えば、うーん、残念かなぁ、と。押井守、やはり巨匠ですね・・・。
とまあ、ぐだぐだと書きましたが、結構わくわくドキドキないい出来でしたよ。
でも、なんというか・・・・・最初の実写で作られた予告がちょっとよく出来すぎていて・・・
・・・・・・期待が大きくなりすぎてしまった感はぬぐえなかったかな、という感じでした。
あの予告が見せてくれた重厚な渋い世界を全編通じて体現してくれることはなかった。
とも言っておきます。
おわり。
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