なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
なかまくらです。
面白い話を見つけたので、ちょっと考え事。
(抜粋1:http://ncode.syosetu.com/n0091v/)
『……よって、死刑を言い渡す。死刑は来週の1週間のうちのいずれかの曜日に執行する。ただし、前もって執行日を予告することはせず、死刑囚が前日に死刑が行われることを予測することが出来ない曜日に執行するものとする』
すると弁護士は被告に向かってこう言うんだ。
『おめでとう。死刑を執行することは不可能だ』
ってね」
「なぜですか?」
「うむ、弁護士の話はこうだ。あ、一応1週間の始めは日曜日にしておこう。
『もし、死刑が1週間の6日目である金曜日まで行われなかったとしよう。死刑は1週間以内に行われる訳だから、明日、死刑が行われると分かってしまう。つまり、土曜日に死刑を行うことはできない』」
「なるほど、そうですね」
「『では、死刑の執行が5日目の木曜日まで行われなかったとしよう。ここで、死刑は土曜日には執行できないことを思い出してくれ。となれば、金曜日に死刑を行うしかなくなるが、それでは、前日に死刑執行を予測できたことになってしまう』」
「なるほど、ややこしいけど、確かにそうですね。あれっ、でも、それじゃあ……」
「おっ、さすが、察しが良いな。話を続けるよ。
『では、死刑の執行が4日目の水曜日まで行われなかったとしよう。ここで、死刑は金曜日と土曜日には執行できないことを思い出してくれ。となれば、木曜日に死刑を行うしかなくなるが、それでは、前日に死刑執行を予測できたことになってしまう。
同様に考えていけば、月曜日にも火曜日にも水曜日にも死刑は執行できないことになる。
じゃあ、日曜日に出来るのかと言えば、他の曜日に死刑が執行できないのだから、それも、予測できる。
つまり、死刑の執行は不可能だ』」
という問題。
(抜粋2:http://stardustcrown.com/reading/prisoners-paradox.html)
もともとはスウェーデンにおいて国防訓練の実施日を巡る実話から来ているという話らしいです。下記は「死刑囚のパラドックス」というお話になりますが、不 謹慎を感じる人が多いせいか「抜き打ちテストのパラドックス」のような変形も見かけます。この問題はパラドックスといえます。
私なりの解答は以下。
翌日、死んでしまう確率を考えるとどうでしょう。
死刑執行のルールは、前日、残りの曜日が配されたサイコロを振って決めるとして、
1.金曜日まで生き残っていれば、土曜日であることは予測できてしまうので、金曜日まで生き残っている場合は殺されない。
2.もし、木曜日までに死刑が行われなかった場合、金曜日に処刑される確率は、木曜日の時点では予測できない。
金曜日か土曜日で、金曜日に死ぬ確率は1/2である。金曜日に執行されなかった場合は、土曜日には執行されないので、死刑は執行されない。
3.同様に水曜日までに死刑が行われなかった場合、翌日死ぬ確率は1/3
4.火曜⇒1/4
5.月曜⇒1/5
6.日曜⇒1/6
というわけで、(5/6)*(4/5)*(3/4)*(2/3)*(1/2) = (1/6) の確率で生き残る結果になりました。
つまり、追加で、
・ 死刑は絶対に執行しなければならない。
・ その日程は前日にサイコロで決定する。
とすれば、”絶対に”予測不可能な死刑は執行できなくなる気がします。
その場合、執行する側も予測できないわけですがww
ポイントは、死人は予想できない、ということなのかなぁ、と。
それに、今の話は、死刑執行のルールを知っている場合の確率で、どの日に死ぬ確率も確率論的には宝くじと一緒で一様であるので、まあ、予測はできないはずですよね^^;
なかまくらです。
今年の仕事納めでした。アルバイトですが。
やー・・・。今日は2クラス担当なのですが、2クラス目はなんと、全員休み(笑)。
おいおい・・・苦笑。
さて。年末がやってきますが、やることが盛りだくさん。
イベントごとにも顔を出したいですが、そんなに首が伸びるかは疑問符が絶えない。
アルバイトもあと12日。現在、週に8本担当なので、
あと32回レッスンしたらお仕舞い。
うう~~ん。さびしい。
思い返せば、何人かを、先輩コーチに、
「お前のクラスに居たらいつまでも上手にならないではないか。俺が上手にするから、おとなしくその子を渡せ」などと、教えていた子を手放したりとか、できないままだけれど停滞を気にして先送りにして、合格にしてしまったりなどと、
本当にダメダメなところから、なんとかかんとか頑張って続けてきたのです。
感慨深い、、。
現在、一同が後進の育成に躍起になっておりますが、
難しい・・・。
今ドキの子と私たちの世代では、すでに違うのか・・・。
などという話が飲みに行ったりすると盛りあがったり。
ちらほらと思うのは、私たちの世代も少なからず含まれておりますが、
対応が器用。
器用というのは、悪いことではないと思うのですが、なんか好感触じゃない。
言い換えれば、無難になってしまう器用さ。
謝るのも上手。だから、そこまで突っ込んで怒られない。
やることもまあまあ上手。だから、そこまで責められない。
けれども、「想い」が感じられない子が多いというか、
「冷静」と「情熱」の間で教えていかないと、なんだか魅力がないレッスンの粗製乱造。
不器用だけど下手だけど、下手なりに子どもを上手にしようとしてもいいのではないか。
なんとなくだけれど、失敗しそうなことには初めから手を出さない子が多いかな、と
思うのです。
それは、学校の授業で、
「じゃあ、まず自分で計算してごらん?」
と計算をして、そのあと、先生が黒板に解答を書く。
ノートをきれいに取りたいから、先生が正答を書くまでは、待ってる。
私もそういうところが多分に漏れずありました。
それって、どこか、通じるものがあるような、
そんな気がしています。
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