1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】知覧卦度


2月ごろに書いたものですが、未発表になっていました、そういえば。

最近更新が少ないので、蔵出しです。どうぞ。


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知覧卦度


 


作・なかまくら


20230226


 


盆地を囲う五行連山には、天狗が住んでいると云う。


天狗は、年がら年中、構わず風を起こす。その風が、盆地に良くない気が滞るのを防ぎ、村はよく栄えているという。


「天狗は、天の狗(いぬ)に由来する凶事の兆しとはよく聞くが、いい天狗もいるものですね」


桃井は行商の馬車に載せてもらい、その村を目指している旅の道中であった。天狗の話を聞き、整った麗しい顔立ちを複雑に歪める。「不愉快」が一番近しいのかもしれなかった。


「いえ、行者(ぎょうじゃ)様。それが、えらいこっちゃ起こってるですよ」


「ほほー。エラいことが・・・」


「行者様、お会いして短いですが、なにやら一番嬉しそうなお顔をされているのは、見間違いでしょうか?」


「そうですね、見間違いです」 桃井は、澄ました顔をしてそう答える。


「それで? エラいことというのは・・・」


「ええ、それはですね・・・」


馬車は、山間(やまあい)を抜けて、盆地に入っていく。村は山に沈む日によって、陰が覆い、少し早く夜が訪れようとしていた。


 



 


「ほう、では私に生贄の身代わりとなれと、仰る」 桃井は、村の年寄衆を前にそう言った。


「いえ、滅相もございません」 年寄衆の一人が、声を挙げる。思わず否定し、次の言葉を続けようとするところを村長(むらおさ)に手で抑えられる。


「行者様、その通りで御座います。この村は、天狗の恩恵を受けて栄えてまいりました。他の地の者は、神の地と呼ぶものさえおります。しかし、その実、人と神・・・いえ、神などとは呼びますまい・・・超常の存在との交流には、古今東西、いかなる時代にも懸け橋が必要なものです」


「生贄ですね」


「ええ、月に一度、生娘を、と・・・」


「月に一度とは、盛んなものだ!」 桃井は思わず、膝を打ってしまう。


「・・・おっと、これは失礼した」


「それが、行者様の思われているようなこととは、趣きが異なると思われまして」


「ほう、攫わぬか」


「その通りで御座います。夜の間、茶の番を務めるのです」


 



 


月が最も明るい夜に、その部屋で待つ取り決めになっていた。桃井は、しなやかで強く美しい光沢がある錦の着物を纏い、佇んでいた。蝋燭の部屋明かりが、風もないのに揺らいで火が弱まり、その輝きを取り戻すと、天狗は部屋の中にいた。


「待たせたようだな。気にすることはない」


「お心遣い、ありがとうございます」 桃井は畳に手をついて挨拶をする。怯えた素振りも加えておく。


「やめだ、やめだ。そういうのは何の腹の足しにもならん」


桃井はそれを聞いて、姿勢を正す。天狗に会うのは初めてだったが、山伏の恰好をしているというのは本当だった。赤い顔や長い鼻は面ではなく、皮膚であるようだ。


「お前のお務めは、これだ」 そういって、天狗が取り出したのは、茶釜だった。鈍く輝くその茶釜の色は移り行く時のようで定まらず、何色、と形容しがたいものであった。


「これを、いかがすればよいので?」


「水を汲み、湯を沸かすのだ」


桃井が言われた通りに、茶釜に水を汲むと、火もないというのに茶釜からはやがて湯気が立ち上り始める。桃井は、その脱力感に驚く。この茶釜は、生気を吸い取り、湯を沸かすのだ。


「おお、今日はずいぶんと早いな・・・。では、一杯目をいただくとしよう」 天狗は、淹れられた茶を盃にてぐいと、飲み干した。それから、2杯、3杯と続けて、飲み干す。


「お前は見込みがある娘だな。ここ最近は、3杯も耐えられずに湯を沸かせなくなる娘も続いたが、お前はいいぞ」 天狗は上気した顔で、機嫌良く笑った。


「畏れ入ります」 天狗は生気に酔うのか。それとも、桃井の生気に中てられたのかもしれなかった。行者は物の怪をその血と呪(まじな)いで調伏する。物の怪は、修験によって磨かれた血を好むのだ。


 


 桃井は、村長との会話を思い出していた。


「村長。この天狗は本当に私が消してしまってよろしいのですか?」 桃井は一通り話し終えた年寄衆と村長を前にして、そう尋ねた。


「よろしいも何も、村民に危害を加えるものを、そのままにはしておけないのですよ」


危害、といった。この村の女が早死になのは、なるほど、確かに天狗の茶番によるものだろう。だが、この盆地から風が失われれば、余計な水分が溜まったり湿気が原因で、作物も人も病気が増えるだろう。それでもいいか、と聞いているつもりだった。


「行者様。重々、分かっているつもりです。何度も話し合ったことです。けれども、見て見ぬふりは辛いのですよ。苦しくて、耐えられんのですよ。若い者の身代わりになって上げられたらと思わんこともないのです。けれども、それは叶わない願いで、我らはいま、頼むしかない立場なのです。それがわかったうえで、じゃあ、誰に何を頼むかを決められるとすれば、私たちは、これを頼もうと、決めたんですよ」


 


 


 桃井は、天狗に声をかける。


「天狗様、ひとつ、ご用意してきたものがあります」


「なんだ? 見せてみろ」 小娘一人。天狗に警戒心はない。


「はい」 桃井は頷いて、懐から小さな袋を取り出す。


「これは茶占いで御座います」


「茶占い? 聞いたことがない」


「僭越ながら、ご存じないのも仕方がありません。大陸から入ってきたものを今日の為に譲り受けたのです」


「ほう、大陸からの」


「新しいものは、好まれませんか?」 桃井は天狗の気配が少し変わったことを敏感に感じ取る。


「いや、土地を守るということが何よりも難しいのは、交易による文化の側面が・・・と、こんな話をしても仕方あるまい。見せてみよ」


「はい・・・」 桃井は閉じた口の中で舌を巻いた。天狗とは斯様に聡明な物の怪であったか。複雑な感情が渦巻き、取り払う。迷いは結果に影響を及ぼす。すでに始めてしまったことだ。


「知覧卦度(ちらんけど)と言うそうで、湯を注いで開いた形から、その者の運勢を占うことができるそうです」


「『知らんけど』か。異国の言葉なのだろうが、どこか無責任な響きを感じるな」


「私もそれは感じております。だからでしょうか、別名『茶華』とも呼ばれているそうです」


そう言いながら、袋からその乾燥した実のようなものを取り出す。滾々(こんこん)と湯が沸き続け、桃井といえども息苦しさを感じていた。それでも、笑顔で湯を注ぐ。


湯に綻んで、乾燥した葉で作られた実が複雑な形を作り出していく。それを桃井は霞む視界の中で読んでいく。艮(うしとら)、山、手、そして犬・・・。


「ほほう、これは見事なものだ。して、どう読めばいいのだ?」 天狗が身を乗り出して様子を観察している。桃井は微笑んで、


「・・・申し訳御座いません、説明はしてもらったのですが、想像よりも難しくて・・・。雰囲気だけ感じていただけますか?」 そう言って、杓子を取り出す。


「僭越ながら、毒見を・・・」 天狗が頷くのを確認して、掬って口に運ぶ。それを見届けて、天狗もぐいと飲み干した。


――同意。それから、互いに盃を交わす。


桃井はそれから、部屋の中で方位を意識する。艮(うしとら)は、北東・・・鬼の出入りする鬼門の方向である。その方向に、門を開けば、この天狗は調伏される。条件は整っている・・・。だが、


「天狗様・・・」 桃井は声をかけていた。


「なんだ?」 生き物たちの気配は、陽へと移り変わり、黎明の時は近づいていた。


「なぜ、この村の私達に良くしてくださるのですか?」 桃井自身にも限界が近づいていた。湯が沸いている。


「人の為ではない」 天狗は嗤(わら)った。


「人がいなくても、俺は同じことをする。自然こそが俺を生かしているのだ。人はそのついでだ。人も自然の中に生きているのだから」


その声は、鬼門の向こうに吸い込まれていった。桃井は合わせていた掌をゆっくりと開いて礼をする。大きな赤い門だった。物の怪と対峙し、何度もこの門の前に立った。桃井は、唇を噛みしめる。桃井にはここが鬼門の外側なのか内側なのか分からなくなる時がある。鬼門は変化を司るという。変わるべきは、人のほうではないか・・・。そんな思いが、桃井の胸の内に去来する・・・。


桃井は、茶釜が湯の沸く音でハッとして、急いで湯の始末をする。


 


「精魂尽き果てる・・・とはこのことだな」 ぐっしょりと汗で濡れた体を労わり、今日は、村にあるという名湯を訪れることになっていた。桃井は、幼少から老師(せんせい)に「人の為に力を使いなさい」と教えられてきた。だから、天狗を調伏した。


けれども、老師がなぜそう言うのかは分からないままだ。ただ、教えが局面を乗り越えさせてくれただけであることが分かっていて、桃井はそれを忘れないでいようと思った。







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