なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
あの日のこと
20230430
作・なかまくら
時計修理技能士という職業に就きたい、と聞いたときに思い出したことがあった。
学校教育の総花的な取り組みに忙殺され、雑多に記憶された音の一部として埋もれていた。その言葉が、進路相談に来た生徒の一言で不意に蘇ったのだ。
「先生?」 怪訝な顔をして、こちらを見つめている顔があった。
「え? あ、ああ・・・。うん」
素直で、真面目な子だった。心から応援してあげたくなるし、幸せを祝福してあげたい子だった。きっと将来は素敵な美人さんになるだろう。
「それで、相談というのは・・・」
「親からは反対されているんです。そんな職業についてちゃんと食べていけるのか、普通の・・・もっとお金が稼げる大企業に就職できる進路を選びなさいって」
「ご両親とは意見が一致していないんだね」
「はい。私の幸せを思って、言ってくれているのは伝わってくるんですけど」
「でも、なりたいんだ」
「はい」 真っ直ぐな瞳が自分の未来を見つめていた。
*
「どうしたもんかな」 キーボードを打鍵して、ディスプレイに検索結果が列挙されていく。
時計修理技能士の収入は、大手メーカーに就職できれば良いが、下請け業者になると自立した生活が難しくなることもあるようだ。いろいろなしがらみがあって、大変そうな仕事ではある。ご両親も同じようなことを調べたのだろう。反対するのも頷ける。まだまだ人格的に完成されていない多感な時期に、将来を大きく絞り込むような選択をさせるのは、身近な大人としては同意しかねる。机の上の置時計に目をやる。盤面の裏に思いを馳せる。歯車やそれを繋ぐ部品が複雑に配置され、発条(ぜんまい)がくるくると回って、几帳面に時を刻んでいく。
「どうしたもんかな・・・」
*
時計修理技能士、と聞いたときに思い出したのは、オフ会で対面した人のことだった。あの人が確か、そんな職業についている、と言っていた。手品の得意な人で、時計を使った手品を見せてくれたのを覚えている。時間を消し飛ばす理屈が分からない手品だった。互いに社会人になってしまい、音沙汰がなくなって久しい。けれども、ダメで元々、と思い、メッセージを送ってみることにした。
思いのほか、簡単に連絡は取れて、トントン拍子のうちに、生徒と3人で会って話ができることになった。待ち合わせの駅の時計台の下で待っていると、声を掛けられる。
「唐揚げ専門店さん?」 自分のペンネームだった。
「えっと・・・カンパンさん」 そう確認すると、
「はい」 屈託なく、にっこりと笑う女性がいた。
生徒との待ち合わせ場所にしてある喫茶店までの道すがら、考え事が止まなかった。
「女の人だったかな・・・」 ひとり、口の中で唱えてみる。
何しろ、10年以上昔の話だったから、インターネット上でのやり取りは覚えているけれど、たった一度、オフ会で会ったことはそんなに明確には覚えていなかった。でも、こんなに綺麗な人だったら、覚えていそうなものだが。今日は東京から来てくれたというカンパンさんは、話した感じもチャットで昔よく語り合ったカンパンさんではあると思う。
そんなことを考えているうちに喫茶店についてしまう。そこからは互いに挨拶をして、仕事のこととか、業界のこととか、いろいろと話してくれた。ぼくと知り合ったきっかけである趣味のこととかは少し困ったし、例によって時計の手品も見せてくれたときはアッと驚いて、あっという間に時間は過ぎた。生徒とは喫茶店でそのまま別れて、カンパンさんを駅まで送った。駅の改札の前で、別れの挨拶になる。
「今日はありがとうございました。きっとあの子にとってかけがえのない経験になったと思います」
「少しでもあの子のお力になれていれば嬉しいです」
「きっとなってますよ。お仕事の魅力、伝わってきましたよ」
「唐揚げ専門店さんは、今でも先生、頑張ってるんですね」
「カンパンさんも、時計修理技能士、大変そうなお仕事ですけどお互い頑張りましょう」
「今日は久しぶりにお会いできてよかったです」 カンパンさんの真っ直ぐな瞳が自分を見つめていた。
「・・・また、サークルに顔、出してくださいよ」 誤魔化すように、そう言ってしまう。
「あー、最近仕事が忙しくて、すっかり書いてないですからね。ちょっと考えてみますね」
「それじゃあ、また」
「また、ですね」
そう言って、彼女は行ってしまった。
どうしても聞けなかった。あのとき、喫茶店のトイレで、スマートフォンに眠っていたあの日の写真を探し当てていた。オフ会に参加したみんなで撮った集合写真。その中に彼女らしき人はいなかった。カンパンさんはおぼろげに覚えていた同じ年くらいの男性だった。何しろ10年以上前の話だから、なんと聞けば良かったかも分からなかったのだ。「性転換したんですか?」とでも聞けば良かったのだろうか。それとも・・・。
あるいは、彼女もそうだったのかもしれない。
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