1cm3惑星

なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

話しかけられにくい先生の私。

なるほど、なかまくらです。

もーね、最近、これは向いてないなーって。

そう、先生という職業のことです。・・・なんて向いていないんだ!


何かと言いますと、

私って、昔から話しかけられるほうじゃあなくて、

話しかけるほうなんですね。

まあ、なんで話しかけるのかといいますと、

寂しがり屋なんですね。誰かと話していたいけど、

話しかけてもらえない・・・そういうことなんですね。


で、じゃあ、学校という場所に行くとそれはどんな風になるかといえば、

生徒が話しかけてくれないんですね~。

うわぁ~、最悪だ。困ったなー。どーすんのよ。

別に普段は困らないんですよね。

でも、なにかあったときとか、ホントに困る。

言わなくちゃいけないことがあるんだよ。守らなくちゃいけないことがあるんだよ。

でも、聞いてもらうには、お互いに少しくらいの信頼がないといけない。

そのためには、それまでの関わり方が大事なんですよ、間違いなく。


そういうの、ちゃんと上手な先生が多いんですよね。

同年齢の先生に相談してみたら、「もっと子どもの話を聞いてやればいい」

という、最も参考にならない意見をいただきました!涙

それができるんだったら、とっくにやってる。

一緒にいても、大多数の生徒には話しかけてもらえないのだよ、これが。

・・・分からないかもしれないけれど。



先生に向いている人、向いていない人って採用試験で聞かれたりするんですよね。

「子どものことがわりと好きだ。その夢を応援したい」という人。

「(自分の)教科をどうしても教えたい」という人。

高校の先生は、そんな人であればいいと思っていたんです。思っているんです。


たぶん、それは間違っていないはず。じゃあ、どうするか。

話しかけられやすい先生になる努力をしないといけない。

それが、自分のためだけに留まらずに、

子ども達の為になるはずです。だって、私はもう先生として彼らと関わっているのだから。

どうでもよければ、なにもしない。そうじゃないから、なんとかしようとする。

インターネットで調べ物をすると、

「ひらいた身体」というものを持っている人は、話しかけられやすいのではないかって

そんなことが書いてありまして、妙に納得。(参照:https://www.1101.com/essay/2010-08-04.html


「ひらいた身体」を持つには、誰かと一緒に暮らしたりして、

思い通りにならない経験が重要なんじゃあないかって、そんなことが書いてありました。

あっ・・・なるほどね(察し

恋人がいたりして、お互いに悪いところに目をつむったり、我慢して譲り合ったりしながら

生きている人は、きっとそれができるんだ。そして、私はそれができないんだ( ̄▽ ̄;)


希望を感じられるのは、それは、できるようになるかもしれないということ。

もちろん、間違いなく難しい。

人物として自分はこういうもんだというアイデンティティーは年を取るほど、

動かしにくいものになっていくはず。すでにそうだ。

とにかく、明日どうするか、といえば、

これまで通り、

「忙しくても、子どものために時間をできるだけ割いてやること」
「子どものためになる仕事をひとつひとつしっかりやっていくこと」

・・・これをやっていくしかないね。

仕事ができる人、頼れる人って、こういう人のことだと思う。

すごく当たり前だけれども、大事なことです。


でも、まだ、出来ることがあるならば、やりたいね。


参照元のページが消えると悲しいので、記録です。
(参照:https://www.1101.com/essay/2010-08-04.html
Lesson502
  ひらいた身体 3 ――からだの教養を増す
他人に、声をかけられやすい人と、
かけられない人の差は、なんだろう?
同じように歩いていても、
見知らぬ人から、「よく道を聞かれる人」がいる。
旅先で、「ご旅行ですか?」などと、
話しかけられやすい人もいれば、
ぜんぜん話しかけられない人もいる。
大学の先生に、この話をしたら、
知り合いの「男の子」が、
よく、道を聞かれたり、
話しかけられたりするそうだ。
たとえば、その男の子は、ある日
旅行中、おばあさんに話しかけられる。
いまの時代、知らない人に話しかけるということは、
かなり少ないとおもうのだが。
男の子は、話しかけられて、
気持ちよくおしゃべりしていると、
おばあさんが、感動して、
「あなた、いい子ね。」と、
みかんをくれたそうだ。
これが、なんと、修学旅行のひとコマだという。
つまり、その場には、百何十人と、
同じ年恰好の、男の子、女の子がいるというのに、
ほかの子は、ぜんぜん、話しかけられない。
その男の子だけ、まるでピンスポットでも
あったっているかのように、
ひとりだけ、話しかけられ、
ひとりだけ、みかんをもらった。
そういうことがしょっちゅうだそうだ。
他者がコミットしたくなる人と、
する気がおきない人、
どこがちがうのだろうか?
昔、私が、泊りがけでスキーに行ったときのことだ。
女子大浴場の、のれんをくぐって、
すぐの脱衣所で、
私は、服を脱いでいた。
そのとき、のれんの向こうから、
太い、「男」の声がした。
「あのー、すいません! すいません!!」
半裸の私は、ぎょっとして、
声も上げられず、のれんを見つめた。
次の瞬間、のれんをくぐって入ってきたのは、
ちいさい「女の子」だった。
「すいません。娘をだれか、
 風呂にいれてやってくれませんか?」
のれんの向こうから、また、太い、男の声だけがした。
どうやら、その声の主は、
女の子の、おとうさんのようだ。
母親が連れて行けない状況で、男親が、
小さい女の子をつれて、男湯に行くとき、
ふつうは、何歳まで、男湯につれていくものなのだろうか?
女の子は、まだ小学校には行ってないかんじだが、
どんなに無理をしても、もう、
赤ちゃんとは呼べない年齢だった。
思うに、このお父さんは、
娘のはだかを、男湯で見られることや、
ものごころついた娘の気持ちをおもいやって、
こうして、女湯の入り口でだれかに託そうと
したのだろう。
私は、半裸のまま、返事ができずに固まっていた。
入り口付近にいる女性は私ひとりだった。
「え? ええっと、ちいさい子を、
 お風呂にいれるって、えっと、どうするんだっけ???」
と私は、おたおた、頭のなかでうろたえた。
ちいさな女の子は、
心配そうに、私を見上げている。
気まずい沈黙‥‥。
そのとき、私の後ろから、
複数の女性の声がした。
「ああ、いいですよ~」
「おとうさん、安心してくださーい、わたしたち、
 おふろいれてあげますから~」
数人の女の人が、善意でさっと、寄ってきて、
すかさず女の子に、なにか話しかけた。
硬い表情だった女の子は、
そのなげかけに、ほわっと、表情をやわらげ、
もう、その女の人たちに手をひかれている。
女の人たちは、女の子が緊張しないように、
つぎつぎと話しかけ、心をやわらげながら、
こともなげに、女の子の服をぬがしていく。
たやすく、慣れたようすで、女の子の髪を洗い、
身体を洗い、自分の身も洗い、
湯船にじっくりつからせるために、
女の子があきないように、
湯船のなかでも、ずっと、女の子に話しかけていた。
女の子は、泣くことも、一瞬もグズることなく、
いい子にして、たのしくお風呂からあがった。
同じ女湯につかりながら、私のなかに、
なんとも言えない敗北感がただよっていた。
読者のひとり暮らしの女性は言う。
<知らずに他人の入る余地を狭めて‥‥>
私は今37歳で、
大学入学と同時に1人暮らしをはじめました。
時々ふと思います。
もう人生の半分1人で過ごしてきたんだなぁって。
元々1人でいることが苦にならなくて
それをずっと謳歌してきました。
でも「ラクをしよう」とかではなかったんです。
自分の空間をもっと良くしようとか、
過ごしやすくしようとか、
何か目的みたいのがありました。
でも自分の世界を少しずつ押し広げていくうちに
ズーニーさんの言っていた
「自分のキャパの狭さに衝撃を受けた」
に繋がると、自分のことのように思いました。
気づかない内に他人の入る余地を狭めていってると、
危機を感じています。
去年、海外で初めてユースホステルに泊まりました。
今までの旅行は全て個室の安宿でしたが、
今回は約1ヵ月半、どの場所でも全て相部屋に。
泊まる前は人に対し煩わしいと思ったりしないか、
自分の空間がないことに不安はないか、と考えましたが、
旅の最後に思ったことは
「私も人と暮らせる」
でした。
少し自信がついたし、こんな感想が持てた自分が
正直嬉しかったです。
これは小さな1歩かもしれません。
でもこういうのから徐々に鍛えるのもいいなと思いました。
余談ですが、
よく思い出すことで、
消防士さんを父に持つある方が
「人が見てないからと言って、恥ずかしい格好で寝るな」
と幼い頃から言われてきたそうです。
というのも、消防士として仕事で駆けつけると
みなとてもひどい格好で家から出てくるみたいなんです。
この話はいつまでも私の中に残っています。
(人生半分1人暮らし)
この読者が言うように、
まったく自分で気づかぬうちに、
「他人の入る余地」を狭めていっているのではないか、
という危機感、私も強くある。
また、この読者が、旅先の1ヵ月半の経験でも、
自分の感覚がグングンひらいていったように、
「他人の入る余地」は、
日々鍛えれば、育っていく。
女湯の一件でも、
女の子をお風呂につれていった女性たちは、
あきらかに育児経験がありそうだった。
最初は、私と同じ、どうしていいかわからない状態から、
育児を通して、毎日、毎日、
自分とは、年も、好みも、人格も、全く違う子どもの
世話をしているうちに、
しかも、言語表現だけでない、
だっこする、食事をさせる、オムツをかえるなどの、
身体表現で触れ合ううちに、
いつのまにか絶妙の距離感でこどもとやっていける、
「からだの教養」を身につけていた。
結果、自分の子どもだけではない、
よその子どもにも広く通じる、
ひらいた身体になっていったのだ。
「からだの教養を増す。」
母親の介護をしていた知人の男性は、
こんなことを言った。
「自分と、弟と、交替で、
 母の介護に行っているのだけど、
 自分が行った日は、母が機嫌がいい。
 ところが、弟が行くと、母は嫌がるんだ。
 母は、弟より、僕がいい、僕に来てくれという」と。
別に、このお母さまは、弟より兄がかわいいとか、
弟とケンカしたとか、
全然そんなことはないのだ。
なのに、介護のシーンになると、
弟さんをいやがる、
なぜだろうか?
「どうも、自分には、こどもがいる、
 弟はこどもがいない、
 それが関係しているんじゃないか」
と知人は言う。
「子どもを育てるうえで、おむつをかえたり、
 おふろにいれたり、食事をさせたり、
 他者を世話をする身体性が、知らず知らずに
 備わってきたんじゃないか」、
「育児と介護はちがうだろうが、
 育児経験のない弟が世話するよりは、
 母はラクなのではないか」、と知人男性は言う。
これも、訓練で、身体にそなわった教養だと思う。
冒頭で、他に誰がいても、どこに行っても、
自分だけが、いつも声をかけられる、という男の子は、
おばあさんに育てられたそうだ。
本を読んでも、セミナーに行っても
自己教育はできるわけだが、
生活のなかで、日々、コツコツと身についたものは、
日々の生活でこそモノを言うし、
とっさのときに、無意識ににじみ出ると思う。
声がかけられやすい人には、
容姿であるとか、いろんな要因があるのだけれど、
ひとつには、なにかしらの訓練によって、
他者を受容する身体性が備わっている、つまり、
「他者に対して、からだがひらいている」
ということも、ひとつの理由として
あげられるのではないかと私は思う。
いまの若い人が、シェアハウスで、
あえて他人と、しかも、大勢で住もうとするのも、
無意識に、からだの教養を増すことを
求めているからではないだろうか?
日本が豊かになって、
こどもは小さいうちから個室が与えられ、
学生でも一人暮らしをさせてもらえるようになり、
学生寮は人気がなくなり、次々と廃止され、
個へ、個へ、
生活のスタイルがふりきれた結果、
若い人は、
「これ(誰にも邪魔されず自分だけで住む)って、
 そんなに面白いことじゃないな」
「このまんまじゃ、愛する人とも住めなくなるかもな」
と気づきはじめた。
その反動なんじゃないかと。
他者を受け入れたり、他者とかかわったり、
他者と何かを生み出す、「からだの教養」を増したくて、
あえて大勢の他人と住むことに挑戦しているんじゃないか
と私は思う。
最後に、他者と住むことで、
日々、からだの教養を増している、
2人の読者のおたよりを紹介して、
きょうはおわりたい。
<他人と住んでみて> 
私はまさにその「他人と住むシェアハウス」に
現在住んでいます。
住み始めてもうすぐ4カ月になります。
私の場合は当初の目的は「安く済ませる」事でした。
一般的な賃貸を借りる時と違って、
シェアは敷金・礼金がかからないんです。
それに、家具家電もある程度揃っているので
自分で用意する必要がなく、
実家を初めて出る事になった私にとっては
とても合理的で好都合でもありました。
ところが住んでみたら、そういう経済的な部分よりも
それ以外の部分でとても得る物が多くて、
自分でも予想外でちょっとびっくりしています。
それまでの私はかなりワガママで、
家の中で自分が思うように事が進められないと
とたんに不機嫌になり、最悪の場合両親に八つ当たりする、
という今思えば最低な娘でした。
しかもその「自分が思うように進めたい事」というのは、
例えばお風呂の順番だったり、食事のタイミングだったり、
ほんとに取るに足らない些細な事ばかりだったんです。
それが、シェアに住み始めてからは
そんなワガママ言ってられなくなりまして。
私が住んでいるシェアは私を含めて女性8人で、
一般家庭くらいの設備のキッチンに、
シャワールーム&洗濯機が2つずつ、
という設備なんですが、
ごくたまに「お風呂入ろうかな」と思って
シャワールームに行くと
2つとも使用中だったり、
「ご飯作ろう」と思ってキッチンに行くと
誰かが使っていて思うように使えなかったり、と
100%自分のペースで生活出来ないんです。
もちろん、シェアに住むという選択をした時点で
分かっていた事なのですが、
住み始めるまでは「大丈夫かな」と不安に思っていた
それらの事が、思っていたほど苦痛ではなく、
むしろ「常に自分のペースで動けないとムリと
思っていたけど、実はそうでもないのかも」と
自分自身に新たな発見をしたりして、
最近は自分の変化というか
そういう新たな部分を発見する事が
楽しくなっていたりもします。
それだけではなくて、全く新しい人と結構なスピードで
親しくなっていくというのも楽しい事の1つです。
今までの自分の交友関係になかった人と
日常の事やら何やらをほぼ毎日話していると、
それがとても刺激になり、
また自分の事を振り返るいいきっかけになったりもします。
ズーニーさんのお知り合いがシェアに住み始めた事で結婚、
というようなお話を書かれていましたが、
それも今なら分かる気がします。
物の考え方とか見方がすごく広がるんですよね。
まさに先週のたとえ話にあった
「タオルのかけ方」もそうで、
自分が正しいとか問題ないと思っていた事も
全くの他人を見ていると「もしかしたら違う?」
と気付かされる事が多々あります。
しかも「毎日の生活」を共有する訳ですから、
気付き方のレベルが違います。
(nats)
<自分の意志で同居を選びました>
今、生後4ヵ月の息子をもつ専業主婦です。
ひらいた身体をよんで、そうだ、そうだ、と納得しました。
日々、自分の中でその必要性を感じていたからです。
本文のハウスシェアとはちがい、家族のお話ですが、
近い気持ちがあったので送らせていただきます。
私は授かり婚でした。
一年前に私の妊娠がわかり、
結婚式などはあれよあれよというまに終わりました。
そしてそれと同時に、
主人の家族とは同居か? 別居か?
という選択を、迫られました。
主人は3人兄弟の次男なのですが、障害をもった兄がおり、
彼の将来の為にも一緒に暮らして欲しいと、
主人と主人の両親からお願いをされました。
だけど、最終的に決めるのは、あなたでいいと
選択肢をくれました。
お義兄さんの為にしてあげる同居とは
思いたくなかったので、
自分とよく相談しました。
まわりの友人や、会社の上司は
『同居は嫁がかわいそう。
 ましてやお兄さんのお世話まで‥‥』
『99%同居はうまくいかない』
などとみんな同居に大反対でした。
なんとなく、現在の核家族化の流れにのっかって、
別居がいいかなぁと思ったり、
学生の頃から一人暮らしをしてきたし、
みんなと合わせる自信ないなぁと思うこともありました。
でも考えるうちに、自分の気持ちの片隅から、じわじわと、
『同居したい』という思いが湧き出てきました。
今一番必要なことは、
産まれてくる赤ちゃんが育つ環境だなと感じたからです。
たくさんの人がいる家庭で、たくさんの考え方、
性格があります。それに触れてほしい。
そんな環境に歓迎してくれているのは、
ありがたい事だ、と。
私自身、祖父母がいる家庭で育った、
暖かさを知っています。
もちろん、ひとり嫁として家庭に入った母の苦労も。
今、赤ちゃんを含め9人家族です。
もちろん、義父母兄弟とぶつかることもあります。
思い通りにならないこともあります。
特に私は神経質なところがあり、
赤ちゃんの育て方だったり、食事のマナーだったり、
気になるところも多々あります。
しかし、それも、許して行ければと思っています。
人とのふれあいは、尊いものだと思います。
それが大きくなって、社会になるのですから。
夫婦2人だけでは教えきれない色んなことを学んで、
社会へ出て欲しいなぁと思う毎日です。
(カズママ)
「いまの暮らし方」について、
あなたが思うことを、自由にどんどん
お知らせください。
2010-08-04-WED





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