なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
なかまくらです。
最近では、なんでもかんでも0円というやつが蔓延っていますね。
ゲーム、基本プレイ無料!
漫画1話、試し読み無料!
ニコニコ動画、Youtube、無料!
mixi、Twitter、無料!
なんでも無料じゃないとユーザーが付いてこないらしい。
こいつはよろしくない、と思うのです。
問題は、コンテンツが無料だと思っているユーザーが多すぎる。
ニコニコ動画やYotubeで、新曲が違法にアップロードされたりとかして、
へぇ、とダウンロードしてiPodなんかに入れちゃって、聞いてるってのが多すぎる。
そのコンテンツで誰かは食べていかないといけないのだ。
どれもこれも、そう。良いものを得るには、お金が必要なのだ、
・・・ということを私たちは再認識しないといけないのだと思う。
そんなのめんどくせぇ・・・有料かよ・・・って、ユーザーが離れていく例も少なからずみている。
CASIOのイメージングスクエアや、infoseekのレンタルサーバなんかもそうだろう。
人は安きに流れるのだ。
では、それは無限なのか。安いものが高くなれば、さらに安きに流れる。
それはいったいいつまで続くのか。続けられるのか。
中国の人件費が高騰し、東南アジアに流れる。次は、アフリカか? 南アメリカか?
限界がある。気づかなくてはいけないのだと思う。
ものは、大切にしなくてはいけないし、
サービスは、無償の愛ではないのだと。
質の悪いものは淘汰されればいいけれど、無料という「価値」とはなんなのか、
何を謳(うた)っているのか、考えないといけないと思う。
さて。視点を変えてみる。
無料というやつを減らしてみるとどうなるか? インターネットについてまずは考えてみる。
そもそもインターネットは無料ではない。月額4000円くらいは払ってるわけだ。
だから、中に入ればあとは無料でいいだろ的な動物園的な発想をする人もいるだろう。
それだったら、通信会社がすべてのサービスを提供するべきで、
ほかのコンテンツは得られないという道理だろう。
そもそも動物園に入ったら、動物しか見られないのだ。
ところが、これが、インターネットに繋ぎさえすれば、ネット上のすべてのサービスは使い放題ときた。
この各々のサイトは、無料でいくらでも閲覧でき、利用できる。
動画も見れるし、音楽も聞ける。画像も検索できるし、Wikipediaや、国語辞典まである。
紙の辞書は久しく開いていない。お金はどこに流れていくのか?
こうまで無料だと困ったことが起きる。私が一番気になるのは、
「迷惑メール」だ。インターネットの通信費は定額が当たり前。
メールアカウントも無料でいくらでも入手できるようになっている。
そうなれば、架空アカウントをたくさん作って、いくらでも迷惑メールを送ればいいだろう。
だがもし、メール1通10円だったら? 迷惑メールはこんなに流行るだろうか?
はがきはそんなに勢いよく来ない。
アカウントが1つ100円だったら? そんなにバンバン作らないだろう。
話を変えよう。
0円というやつはコンテンツを作る側が、守られないために始まってしまったと言える。
あるいは、制作者側の怠慢による空売りが増えて、格差が小さくなったためともいえると思う。
インターネットが普及したために、無料でもそこそこ楽しめるゲームがダウンロードできたり、
さまざまな分野でちょっとばかし物知りな人が増えて、それぞれの分野で情報を発信し始める。
それに遥かに勝るものをプロのコンテンツ製作者が生み出せていないということも問題であるのかもしれない。
プロにあるのは、時間である、と思う。
いまや、トラックの長距離運転手やスーパーのレジに留まらず、様々な分野で、時間の差だけが価値を生み出すものとなろうとしていると思う。
0円のものは、所詮、どこまでいっても0円クオリティーである。
その制作につぎ込める予算にも時間にも限度があるし、一日中それをやってるわけでもないから、
知識の量だって、制作に裂ける人数だってプロとは比べ物にならないほど少ないはずだ。
だから、お金のかかったものの方が、0円のものよりも良い、という前提があったのに、
それが崩壊しつつある分野が少なからずある、ということなのだろう。
お金を出すということは、信頼を買うということであると、思うのだ。
私たちは、安いものを恐れたりもするのだ。
10000円の自動車は怖いだろう。1円で売られている野菜も怖い。
100円の包丁も怖いし、100円のラーメンに期待をしない。
100円のラーメンをどう思うだろう。
お腹を満たすだけなら行くかもしれない。だが、友人と食べに行くだろうか?
私だったらいかない。もうちょっとおいしいものを・・・と思ってしまう。
なぜなら、楽しい時間を過ごしたいから。
それを期待するのは100円のラーメンや、180円の牛丼屋ではない。
まあ、長くなってきたので、たとえ話はおしまいにして、つまり、要するにだ。
ユーザーは時間を0円のものに費やしてしまっているのだ、ともう少し気づいた方がいいのだと、
気づくと同時に、価値あるものに投資すべきなのだと気づかなければならないのだ。
最後に、
高校無償化がなされておりますが、0円でいいのか? と、一言。
公務員の給与がどんどん下げられておりますが、それでいいのか、と一言。
生徒は今も昔もお金を払いません。払うのは親御さんです。
0円のものには、0円の期待しかしないのです。学校に行け!というのは親御さんです。0円でいいのかな。
給与が下がれば、給与分の仕事しかできなくなるのではないかと危惧。
ない袖は振れないのです。人員が減れば、ひとりひとりの仕事量が増えて、仕事の総量は維持されているように見えて、本当の総量はちょうど減った人員分、減っているはずです。
0円というやつは、そういうものだと思うのです。
なかまくらです。
えー・・・先週ですが、
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」 観ました。
はい。
ちょっとうろ覚えになってきたあらすじ。
14年の歳月が立っていた。NERVによって輸送されていた初号機、その中の昏睡状態のパイロット、碇シンジの奪還作戦が行われていた。アスカ、マリそして、それを指揮するWEELE(ヴィーレ;綴り違うかも)、その艦長、葛城ミサト。
碇シンジは目覚めるとその只中にあり、軽蔑と恐怖の対象として見られていた。
14年の歳月を経て会った、アスカは、そしてシンジ自身も、あの頃と何一つ変わらない姿出会った。
「エヴァの呪い」と、アスカは言っていた。
そんな中急襲するエヴァ0号機(9号機?)、綾波レイ。シンジはレイに連れられ、サードインパクトによってほとんどの施設が破壊されたNERVに戻った。そこで出会った少年、渚カヲルから、14年前に起こった事の顛末を知らされる。
サードインパクトは途中の状態で辛くも止められていたが、その被害は甚大だった。
見渡す限り、赤い海に飲み込まれ、生物の住める場所はほとんど残っていなかった。それを為したのは、碇シンジが乗ったエヴァの引き起こしたサードインパクトだと言うのだ。
NERVの目的を知った葛城ミサト、赤木リツコらは、NERVと敵対する組織、WEELEを結成し、NERV壊滅のために活動していたのだと、シンジは知った。
そして、すべてをもとに戻すためにはもう一度エヴァに乗り、ふたつの槍を手に入れる必要がある、とカヲルは続けた。
二人乗りのエヴァに搭乗するシンジとカヲル。
しかし、それはゲンドウの罠であった。
使徒として取り込まれるカヲル。トリガーを引かれたフォースインパクト。
その発現を食い止めようとするアスカとマリ。
物語は、「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版:‖」へと続く。
と、言う感じ。えー・・・
やってくれましたな、庵野監督。という感じでした。
「序」「破」ときて、「ついに、庵野監督も長い思春期を終えたか・・・笑」と思っていたら、
まだまだ真っ盛りでした。鬱々としたシンジの心象風景。
繰り返される日常の風景の少しずつの変化と繰り返し、その変化。
TVシリーズの後半戦、シンジがどうにもならないことを叫び続けるような、
そんな部分を4話くらい連続で見た感じ(笑)。
画面のセンスはよく、意味不明の感情を塗りたくったような絵が並べられていく。
意味不明(笑)。でも、エヴァって、こういうアニメだった、という気がする。
エンターテイメント超大作で、大スクリーンでバァーンとやるよりも、
小劇場で楽しむような、そんな味の作品という感じ。だから、今回T-JOYで配給すると聞いて、
違和感が拭えなかったのです。ええ。
でもまあ、どちらが面白かったかと言われると、今回はいろいろと消化不良。
つまらんねー^へ^; というほどではなかったものの、
ずっと楽しみにしてきた肩透かし、だったら、もうちょっとしんどかったかな?
私の思春期はどうやら終曲に向かっているらしい。庵野監督はそれを教えてくれているのか。
それにしても、これまではある程度、旧のTVシリーズの流れできたものを、
ババっと、完全に別物にしてきたわけで、
世界がグーンと広がった分、説明して欲しいところ、知れたら面白そうなところがたくさんあるのに、
回収されずに終わりそうで、
シンジくん以外の人物への感情移入が難しくなっちゃったなぁ、という印象。
それもネライだったりして^^;
おわり。
なかまくらです。
東広島市民ミュージカルを観てきました。
脚本・演出は、芝居空間侍エレクトリカルパレードでお馴染みの森新太郎さん。
あらすじ。
どんどん淵という淵には、妖怪・バケモノの類が住んでいた。
そこは水の国と土の国の国境にあり、水の国が砦を作ろうとしていた。
妖怪たちは、淵を守ろうと戦っていた。
そんな時、水の国の好奇心旺盛な姫は、どんどん淵で彼らにであう。
そして、仲良くなり、水の国と妖怪たちは同盟を組むことになった。
同盟を組むことを知った土の国のタマゴ御前は、大殿様を説得し、淵に総攻撃を仕掛ける。
妖怪だけを襲う土の国の攻撃に、妖怪たちは水の国の人間たちへの不信を募らせていくが、
それこそが土の国の作戦であったのだ。
妖怪であること、人間であることを超えて、分かり合う事はできないのか。
ただ、幸せに暮らすことはできないのか。
妖怪、人間、双方の死を悼み、彼らは再び結束して土の国に立ち向かう。
・・・・・・それはずっと昔の話。
語り部となっていたその妖怪の生き残りは、水の国の生き残りの子孫である女性に、
その出来事を、その想いを伝え続けることを頼むのであった。
と言う感じでした。
やーー、長かった(笑)。途中休憩を挟んでの、2時間30分くらいの上演でした。
でも、それだけの長さに見合う大作で、なかなかに面白かったです。
ちょっと主要な登場人物が多くて、その見せ場を作ろうとしてか、場転が多かったので集中力が途切れそうになりましたが・・・苦笑。
今年もちっさい子たちが頑張っておりまして、去年に続いて出演していた、スイミングに通ってる教え子も何人か出ておりまして、今年はちょっといい役をもらっていてキラキラと輝いておりました。
歌も去年より聞き取りやすかったです。
去年、声変わりの途中なのか、あんまし声が出てなかった男の子が今年は主役級になっていまして、いい声で歌っていました。マイクの数も多かった気がしますね。
演劇サークルの後輩も2人ほど出ておりまして、
特に押目さんは、お芝居を見るのはこれが最後になるかなぁー・・・と思っていたのですが、
あんまり出て来ませんでした^^;
セリフも二言ぐらい?笑
まあ、なんにせよ、これだけの人数・時間のお芝居を練習し、無事本番までこぎつけるスタッフ・役者の皆さんの熱意は素敵だなぁ、と思いました。
おわり。
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