なかまくらです。
最近あまりにも更新していないので、
前に書いたやつを掲載するわけです。
ある企画で書いたやつです。
***
「遭遇」
作・なかまくら
「隣、いいですか?」
私がうとうと読んでいた本から目を離すと、その人は立っていた。
背中には小振りなデイバッグを背負い込み、赤紫のチェック柄のシャツを着込んでいた。
いつの間にか次の駅に到着していたのだと思い、窓の外を見ると、すでに列車は速度を上げて山の風景を後方に送り出している。
私は内心少し苦笑してから、
「どうぞ」とその人に言った。
「ありがとう」席に座ると、その人はペットボトルのウローン茶を取り出して一口、
口に含むと急に固まる。
「どうぞ、そのままいてください」その人はそう言う。
そして、もう一口、口に含んでから、ゴクリと飲みくだす。
「・・・え?」
新幹線の走行音が一瞬、私たち二人の間に流れ、それから店内販売のカートが入ってくる。
武器にもなりそうな鋭利な若さを秘めて、
しとやかな振る舞いを表面の服に繕って歩いてくる。そちらに目をやろうとすると、
「自然体で」その人からまた押し殺した声がかかる。
「あたかも、旅行にきたカップルのように振る舞ってほしい。
私の存在を、彼らに気づかれてはならないんです」
どういう意味なのだろうか。まず真っ先に思い浮かんだのは、犯罪者であるということ。
指名手配されている強盗犯が、あるいはなんならその業界では有名な怪盗なんかでもいい。
そういう警察組織に追われる人間であるということ。
想像が逞しすぎるだろうか・・・。
私はまた、内心自分に苦笑して、今度は別の可能性を考える。
・・・そうだ。単に、キセル(無賃乗車)だ。
意味の分からないことなんて起こりはしないのだ。
これまで生きてきて、大抵のことは経験したから分かる。
人生とは80年一本勝負とはいうものの、実はある周期が年輪を伴って繰り返されているだけなのだ。だから、これはそのなかでは少しだけ今日が揺れるくらいの出来事で、もちろん人生を揺り動かすようなことではないのだ。
私は、そうやって嘆息しながら、分かったような気になって、
とりあえず店内販売のカートをやり過ごした。
さて、どうするか。
突き出すこともないだろう。
あとから色々と聞かれて面倒だし、
私は思い出してみれば、久しぶりの休暇に、旧友と約束をしていたのだ。
その時間をその人の不幸に費やすこともないだろう。
そういう、社会生活で身につけてきた処世術でもって、そういう判断を下した。
ただ、ああ、面倒な他人に隣に座られてしまった、と私は再び嘆息した。
「ねぇ、聞いてください」その面倒な人が声を掛けてくる。
「私があなたの隣に座ったのは偶然ですが、この偶然を必然と私は受け取りたい」
面倒な人は、なにやら面倒そうなことを言ってくる。
それは、なんですか、ナンパですか。私、今、ナンパ受けてるんですか?
「はぁ」私は、曖昧な返事を返す。
「あのですね、切符、持っていますよね」その面倒な人は、切符を取り出す。
ああ、なんだ、持ってるんだ。キセルじゃないんだ。
・・・ということは、もしかして前者なのかも?
私の中に再び好奇心と想像力が首をもたげてくる。
「あなたはどこまでですか?」
「○○までです」そう答えると、
「それね、是非交換していただきたいんです」その人はそう言った。
「どうして」私はすかさず、つっこんだ。それは扉をノックする感覚に似ていたのかもしれない。扉の向こう側の情報が知りたくて、叩いてみる。
彼はその好奇心に気づいたのか、少し逡巡した後、こう切り出した。
「あなたは、この国に張り巡らされている牢獄をご存じではない。それは幸せなことだ。一歩、改札を通れば切符の番号によって管理され、監視カメラの情報によって管理される。どこからどこまで乗っていて、どの列車で今どこに移動中であるか。乗り口の改札口から降り口の改札口まで、我々は線路という細長い牢獄の中にいるんですよ。私はそこから自由になりたい」
世界の向こうを垣間見せられた私から、
彼は奪うように切符をもぎ取ると、駅のホームに降り立っていった。
それからおそらくは私の知らない改札の向こう側へ。
私は、といえば、目的地までは十分な距離を乗れる切符だったけれども、「失くしました」と駅員さんに言って通してもらった。その切符は今も定期券と一緒に入れて、肌身はなさず持っている。
いつかその切符の秘密を知る人物が接触してきて、またその世界への扉をノックする機会がくるかもしれないのだ。
・・・それ自体が俗物的な考え方なのかもしれないが。
おわり。