なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)
「時間がある」
作・なかまくら
昨日採集したアリの毛ほども働き者ではない時計の針とにらめっこをしていた。いわゆる秒針のないデザインの腕時計であった。
4月に16才になったばかりの私には希望に満ち溢れた毎日が必然的に待ち受けているとばかり思っていたけれども、実際のところ一ヶ月もすればバラ色の横断幕は次々とはがれ落ちて、やってもできない勉強と、目立とうと声を張り上げるクラスメイトに倦んだ視線を送るばかりになっていた。
そうそう、暇が興じると人間どうやらどうでもいい妄想をするようになる。水をたたえたプールの方を眺める。陸地のなくなった世界で70才オーバーキル(越えるか越えないか)のジジイは眼帯を斜めに掛ける。俺は海賊になってやる!拳を固く握り込む。ちょ、ちょっとお義父さん。ジャスト32才にしか見えない且つ公務員にしか見えない男がもちろんメガネを掛けながら、コップを膝立ちで持っている。握りしめた拳から水がぽたぽたとコップに注がれていた。ほら、お義父さん。こんなに冷たい水が。ジジイはそれをごくごくと飲み干す。うむ。
と、時計を見ると、進んでいなかった。
あれ?
と思わず立ち上がるものの、というかいつの間にか先生が張り上げる声もなかった。というか、止まっていた。いや、若干・・・? いや、いま止まった。完全に止まってしまっていた。アリの毛ほども動いているかも分からない。
私は気がつくと飛び出していた。
自由を手に入れてしまったのだ。
毎日通ってるくせに勇気がなくて一度も入らなかった可愛い女の子向けのファッション雑貨のお店。止まっている警備員の間をすり抜けて、手に取る。使ってみる。着飾ってみる。本屋に行くと、自動ドアが止まっていたから、隙間に手を突っ込んで強引にこじ開ける、ガニマタ。
おっと。
ドアが動いている間、時間も少しだけゴゴゴ・・・と音を立てるみたいに進んだ。
少し空いた隙間に体をねじ込んで店内へと入った。読みたかったマンガを1巻から残らず読んで、ゲームセンターでプリクラも撮って。音楽も全部聴きながら、いろんな楽器を試し弾きする。自動車は事故ったら怖かったから乗るのはやめといた。それから、ようやく時計をみると、時間が10秒ほど進んでいた。
通りの激しい国道の直線をダッシュしてみて、息が切れる。頭を冷やそうと飛び込んだプールの水は凍ったように動かなかった。激痛。水のない世界で、ジジイは眼帯をつけて言う。俺はこれまでいろんな悪さをしてきたが、どうやら最後まで海賊にはなれないようだ。山があれば山賊になり、正義が蔓延れば義賊になった。ところがどうだ。最早海賊になるだけの時間がないという。せいぜい、あとはスルメ烏賊(いか)がいいとこだ。絞っても、もう冷たい水すら出てきませんものね。ジャスト32才公務員の息子。
じゃあ、時間があったらどうします? やり直すことができたら。もう一度。
ジジイは、烏賊墨のような黒い煙を吐き出して萎み始めながら笑う。それはたいそう幸せなことだろうなぁ。
私の視界が思わずぼやける。
ぼやけた視界の先に、一人の男が立っていた。さっきまでは確実にいなかった男だ。あなたも妄想なのか。
「いいえ、私は時間を管理する機関の人間でして。あなたが偶然にも不当に得てしまった時間を返してもらいに参りました」
男は言って、時計の針をぐるぐると回す。
「お気の毒ですが、これだけの時間を」
よく分からない額面であったが、何か言おうとする前にまぶしい光に包まれる。ああ、夏の匂い。
気がつくと、目の前から横断幕は取り払われていた。
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