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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】ステゴサウルス・バイバイ

少し前に書いたものですが、そういえば、発表していなかったので。

どうぞ。

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ステゴサウルス・バイバイ

                      作・なかまくら



――ステゴとは、屋根に覆われたを意味する言葉である。
「暮らすところから、自分で何とかしろっていうんだから、お役人さんも無責任な話さ」
腹掛けを外して、股引の濡れた裾を絞ると、独り言ちながら小屋の柱を杭で打っていく。川から少し離れた土手の中腹にいつものように捨丸はしばらくの住まいを拵える。羽織った半被には、「橋」の文字。勢いのある若い青年は、お役目で来ていた。
そこをふと通りかかる娘があり、捨丸は思わず手を止める。それに気づいた娘の足が止まったのを見て、捨丸は手を振ってみる。娘はパッと駆け出して、夕暮れが落ちる村のほうへと駆けて行ってしまった。
「捨丸さん、ごきげんよう。お弁当を作ってきましたの」
 娘は、とき子と名乗った。川の渡し守の子で、歳は捨丸よりも少し下だった。渡し守の子だと聞いて、捨丸は心底残念な思いをした。美人で器量もよい。けれども、渡し守の子なのだ。
「とき子さん、親父さんはこのことを知ってるかい?」
「どうして?」
「あまりいい顔をしないだろうに」
「どうして?」 そう聞くとき子は、いつも綺麗な小袖に包まれている。大切に育てられてきたのだろう。
「そうだな。……おれはお役目で、この川に橋を架けようとしている」
「ええ」
「あんたの親父さんは、渡し守なんだろう? 橋が架かったら、仕事がなくなるじゃないか」
「まあ、それは大変」
「そうなんだ、だから、とき子さん。あんたはおれとは親しくしてはいけないよ」
とき子は、しばらく考えた後に、
「どうして?」 と繰り返した。
「私が人を好いたりするのに、どうして周りのいろいろな人のことを考えないといけないの?」 その目がとても真っすぐで、捨丸は困りながらも照れて目をそらす。
「いや……どうしてって、世の中ってのはそうやって回ってるからで……」
「捨丸も、その世の中っていうのと一緒に回っているの?」
捨丸は、少し驚いた。捨丸が橋職人になったのは、彗星が空を流れて、渇水が国を襲ったからだ。幼い頃に天涯孤独となり、橋の下に寝床を求めた。作りかけだったその橋が完成したとき、お世話になっていた職人さんたちが、次の橋を作りに行くことを聞き、そこで「一緒に連れてってほしい」と言えたから、今の捨丸がある。あのとき、確かに、捨丸は世の中と一緒に回っていなかった。蜥蜴が尻尾を切るように、脱兎のごとく逃げ出すように、捨丸は置いて行かれたのだ。
「……馬鹿を言っちゃいけない。三月もすればおれはここからいなくなる。とき子さんのそれは、一時の甘い恋の夢さ。世の中と一緒に回っていられるなら、気付かないふりをしていたほうが賢いことだってある」
それから二月が経とうとしていた。橋の基礎は組みあがり、柱も立てた。渡し守からの嫌がらせもあったが、役人がお侍を連れて調査に来ているのを見ると、次第に止んだ。今日の水面はいつもよりなお静かで、作業は順調に進んでいた。水に浸かり、川の丁度中間地点で作業をしていた捨丸に頭上から声が掛けられる。見上げれば、目元に見覚えのある顔立ちをした渡し守が手を伸ばしていた。
箱からは徳利と御猪口が出てきたから捨丸は驚く。その様子に、渡し守は少しほほえましく笑って見せた。
「君かね……とき子を振った職人というのは」
そう切り出されて、口からお酒の霧雨が噴出する。
「えっ、あっ、いや、お父さん」
「お父さん、ときたもんだ!」
「あっ! すいませ……えっ!?」 しどろもどろになる捨丸に渡し守は徳利をすすめる。それから、自分の御猪口にも注ぐと一気に飲み干した。
「あんなにいい子を……勿体ない!」
「そうですね、自分なんかには勿体ない娘さんです」
「じゃあ……」
「でも、おれは、その娘さんを不幸にしてしまう。橋屋だから……橋を架けたら、親父さんの仕事はなくなるから」
「では、渡し守になるというのは?」
「……渡し守は……好きになれません」 捨丸はボソリとそう言った。
「どうして?」 渡し守は穏やかにそう聞いた。
「川に橋を架けないのは、戦で使われないためです。だけど、それじゃあ戦がなくなって橋が架かれば、渡し守は商売あがったりだ。だから、渡し守になったら……天下泰平の世の中を心の底から喜べないと思うんです」 戦がなければ、飢饉だって、乗り越えられたはずだった。だがしかし、捨丸は一人ぼっちになったのだ。
「とき子のことは嫌いかい?」
「いえ……そんなことはありません」
「……とき子はもう19になる。親の元から離れていく時が来たのだよ。少し前まで、あんなに小さかったのに。親離れしていく子どもは、だんだん遠くまで行くんだよ。振り返り、振り返り、しながらさ。ただ、親はにっこりと笑って、手を振っていれば、遠くへ、遠くへと進んで行けるんだ。どこまで行けるんだろうね。信じるってすごい力だと思うよ」
「おれにも、そうやって信じてくれる人が……」
「居たんじゃないかね? 君を立派な職人に育ててくれた人が」
あの時、「一緒に連れてってほしい」と言えたから、今の捨丸がある。笑って頷いてくれた職人さんたちを思い出す。
「私は、君を信じようと思う。君の言う通り、太平の世が来るだろう。渡し守より、橋屋のほうが儲かる時代が。世の中は同じところをぐるぐる回っているわけではないのだろうね。少しずつ良くなるほうに回ることもあれば、悪いほうに回りだすこともある。大抵のことは選べないのだが、選べることは選ばないとね」
「はい……」
「さて」
渡し守の親父さんはすっくと立ちあがると、船を急いで岸に向かって漕ぎつける。
「先刻から、水が白いのに気付いているかい?」 船着き場に着くと急かすように桟橋へと捨丸を押し上げる。
「え?」 確かに白い筋がいくつも川底から湧き出していた。
「この一帯は、時折、川底から熱水が噴出するんだ。それゆえ、橋が架かっていないのだよ」
その瞬間、恐ろしい一撃が、さっきまで捨丸がいた辺りの川の水を押し上げ、橋の土台を吹き飛ばした。
「あの…ありがとうございます」
呆気にとられている捨丸に渡し守の親父さんは笑いかけてくる。
「選べることは選ばないとね」
それから捨丸は、とき子さんの待つ家を訪ねた。





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