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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

【小説】ふつうではない

なかまくらです。

ドラマチックな話が書きたいのですが、これがなかなか難しい。

どうぞ~~。

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「ふつうではない」

                   作・なかまくら



「なんかさあ、わかる? 普通なんだよね」 エラそうにそう言って、原稿を置いた。藤野は、置かれた原稿をじっと見て、相手の顔を見ていなかった。八島は、その様子を見て、はぁ、と分かりやすくため息をついた。
「最初はさ、光るものがあると思ったんだよね。」 藤野の反応を伺っているようだった。相手の心の隙間を探そうとしていた。たいていの諦められない人間がそうであるように、夢を追いかけている人間は積み上げてきたものがある。それは荒々しく重ねられた岩壁であったり、美しく塗り固められた漆喰の壁であったり。はたまた、それは弾力に富んだ風船か何かで出来ているときもある。それを壊すことに、八島は長けていた。
「藤野先生、聞きましたよ」
「え? なんですか、洗石先生」 藤野は、Tシャツのしわを擦(なぞ)りながら、洗石先生に聞き返した。
「もと、先生ですよ。私は、筆を置いてしまった」 幾分か肩を落とし、目の前に運ばれてきた珈琲を寂しそうに啜った。
「いえ、私にとって、先生はいつになっても先生ですよ」 藤野は、敷かれたテーブルクロスにしわを作りながら、言った。
「いや、私は普通のサラリーマンになってしまった。サラリーマンの〆切は、根本的に違うものだとつくづく感じますよ」
「そうですか」
「〆切を守るには、心を置き去りにしていくしかないんだ。心は重くて、持っていたらとても辿り着けない。捨てられるものを次々と船から降ろして、私は今までいろいろなものをことを体験し、そのたびに船に載せてきた。それが私の使命とまで、驕っていたかもしれない。私こそがノアの箱舟となるのだと。けれども、違った! おもい船はなんの役にも立たなかった! なんの・・・役にも・・・っ! いや、失礼。少々感情的になってしまいました」
「いえ」 藤野は、二つに分かれたしわの片方を指の腹で進んでいく。
「藤野先生は、もともとは会社員だったと聞いていましたが」
「ええ、両親が、就職するつもりもない私を見かねて、親戚の経営する工場に缶詰にしたんです」 しわは、珈琲カップの受け皿に辿り着いて、珈琲の水面を少しだけ揺らした。
「そのときの体験を元に書いたのが、『缶詰の』ですか。あれは、とんでもない新人がでてきたもんだ、と。どきどきと、あとは、わくわくでした」 洗石先生は、懐かしむように両の手を組んだ。
「わくわくでしたか」 藤野は少し微笑んだ。
「ええ、わくわくでした。この人には、私たちには想像もつかない想像をしているに違いないって。普通ではないって」
「ふつうではない・・・」
「あ、褒め言葉ですよ」 洗石先生が手を振って慌てて釈明をする。
「そうですか」 藤野はそれに頷いた。
「藤野先生・・・」 急に洗石先生は、声を潜め、それから、その瞬間にもまだ言うか迷っている様子であったが、話し出す。
「・・・今度担当になった八島、気をつけた方が良いです。降ろしの八島って呼ばれているらしくて」
「降ろしの八島」
「八島が担当編集になってから、次々と作家先生が筆を置いている・・・なのに、八島はお咎め無しときたものです。これは、なにか理由がありますからね。くれぐれも気をつけて」 そう言うと、洗石先生は珈琲にシロップを入れて、ぐるぐるとかき混ぜた。
「ご忠告ありがとうございます」 藤野は最初から甘いラテをくっ、と飲んだ。それを見て、洗石先生は、何故か薄く笑ったのだった。
「いいなあ、普通になりたくないなぁ・・・」 洗石先生は、何故か薄く笑ったのだった。
「八島さん、例の作家先生、しぶとくて。頼みます」
「あー、うん」 八島は、朝からの打ち合わせのスケジュールを確認しながら生返事をした。
「あざっす。資料置いときますんで」 元気の良い若い社員が、置いていった封筒には、藤野先生、と書いてあった。その横には、連載数0が半年間続いていること、本人から新作に対する具体的な進展が見られないことが走り書きされていた。
封筒を開くと、原稿が入っていた。何度か読んでみたことはあるが、八島には、どうやら文の善し悪しを判断する力は無いらしい。どれも、等しく面白く思えてしまうのだった。だからこそ、贔屓をしなかった。八島が面白いと思っても、売れないのならば不幸な人生を増やすだけだ。幸いにも八島には得意なことがあった。人の心の隙間に入り込むことだった。編集にならなかったら、取調室の魔術師などと呼ばれ、警察で活躍していたかもしれない。小さい頃は、刑事物や探偵の活躍するミステリーを好んで読んでいた。自分が小説家になりたいと思うこともあった。そして、その積み重ねの上に、八島はここにいることに納得をしているつもりだった。
「今日も、一つの物語を終わらせてくるか」 八島は自分のデスクで呟いた。現実世界という物語を終わらせる仕事に就いたと、自分を納得させることに決めたのだ。
八島は、藤野をじっと見ていた。藤野から感じるそれは、契約を切られる恐怖でもなければ、生活に対する困窮でもなかった。その、積み上げられたものを探り、崩そうとする切り口が八島には見えていなかった。きっと根本的に違うのだ。八島なぞの想像の付かない想像をしているに違いないと思った。普通では無いと思った。
八島の中で、何かが音を立てていた。





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