なかまくらです。
アイデンティティーの話。
アイデンティティーの確立なんて、
10代が悩むべき問題に、いつまでも掴まっている私がいます。
自分がやってきたことはなんだろう。
自分がこの社会のためにやるべきことは・・・、
なんていうとおこがましいかもしれないけれど、
そういう傲慢な気持ちではなくて、
自己犠牲の精神としての、社会に対する奉仕の気持ちが必要なのか。
そういうやるべきことは、アイデンティティーになるのかな?
そうやって確立されたアイデンティティーを私は愛せるのかな?
そんな気分の問題。
ある、特定の分野について、
その中にいる人の部分集合に私みたいな人がいて、
その部分集合を構成する要素に私がいて。
例えば、それは演劇の中の創作をする私。
そこにしかアイデンティティーが見つからないのかもしれない。
誰かに認められたものじゃないと、アイデンティティーにはきっとなりえないんだ。
そこにしかないとして、
劇作をするための遠回りであったあれこれが、
逃げ道になりだして、
いずれ、そちらにアイデンティティーを見つけようと逃げ出すけれども、
それでいいのかと、
問わなければならない。
それは、これまでのいろんな人と決別する道だ。