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なかまくらのものがたり開拓日誌(since 2011)

                      
なかまくらです。

月曜日は、研究授業です。

研究授業とは、授業をいろんな先生に観に来てもらって、

授業をどのようにやると、さらに良くなるのか、問題点を

洗い出してもらうためにやる授業のことです。

すなわち、フルボッコされる授業のことなのです。

しかし、まあ、フルボッコはいやだ・・・

だから、準備をなるべくするわけです。

「どうのつるぎ」と「なべのふた」の装備じゃあ、おっかなくて、いかん。

そんなわけで準備、準備の一週間でした(まだやってるけど・・・。

まずは、題材はコンデンサーの直列つなぎと並列つなぎです。

公式があるわけですが、これをどう調理するか。

1)公式を提示して問題演習をやり、さらなる発展問題を考えさせるのが良いのか。

2)公式がどのような理屈から導き出されるのか、証明していくのが良いのか。

3)実験を通して、実際に性質がどうなっているのか、調べて納得させるのが良いのか。

こういったことを、毎時間の授業で悩むわけです。

すべては、それを通して、子ども達を賢くするためなのです。
どのような力をつけたいのか、この内容がこの前後の学習内容にどのように繋がるのか。

しかしまあ、普段、何を考えるかといえば、

(授業までの残り時間)-{(残っている他の仕事)+(確保すべき睡眠時間)}

これを算出して、出来うる最良の(最も準備に時間のかかる)選択肢を選ぶわけです。



今回は研究授業ですから、時間はある意味いろいろ度外視してかけるべきなわけです。

じゃあ、実験すればいいじゃないっていうのは、そうではない。

実験すればいいってもんじゃあない。

実験をしても、問題が解けるようになるかといえばそうじゃない。

実験を通して、何を学べるかということが大事なんです。

子ども達が、それを意識することはないから、「楽しい実験やりたい」

と言うのは分かる。けれども、実験の裏には理論的裏付けがある。

高校生の内容ともなれば、理論的裏付けを理解してから、実験するべきだと思うのです。


そんなわけで、今回は実験にはしませんでした。(前回は実験でしたが…)

選んだのは、

2)公式がどのような理屈から導き出されるのか、証明していく。

コンデンサーのモデルを使って、回路を流れる電子がどのように移動するのか考える

ような内容にしました。

それから、授業の流れを紙に書いてパワーポイントのスライドを作って、

電子のモデルを工作して、予想を記入するプリントを作って・・・

ここまでで、だいたい10時間。

あと、もうちょっと。

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なかまくらです。

シラバスをまあ、だいたい、とりあえず、全部勉強する感じで、授業をしてきました。

でも、ちょっと工夫とかできないものかと、最近考えているわけです。

つまり、今やっている授業って、定期テストありきなんですよね。

テストで点が取れるように、って、それを中心に授業をしている。

テストまでの計画を立てて、授業をする。

「なんだ、当り前じゃないか。」

本当にそうなんでしょうか。

そもそも、定期テストって、どういう趣旨で作っているものなんでしょうか。

受験で使えるレベルにするため?
勉強したことを確実に定着させるため?
テスト勉強で力をつけるため?


☆★こういうのはどうでしょう。

”実験ありき”という発想。

定期テストの代わりに、実験を年に5回やる。そのレポートで評価する。

実験に必要な知識を学習していき、学習が終わったら、実験を行う。

レポートは、目的、原理、手法、結果、考察をそれぞれ記述するようにする。


・・・新しい時代の学習って感じがします。面白いんだろうなぁ~、やってみたい。

ただまあ、学習指導要領との対応で、どこまで許されるかですねぇ。。

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日本の教育は「何を学ぶのかではなく、どう学ぶのか」

これを重視するようになってきているように感じます。

でも、学問の最高機関である大学への入り口はそうなっていない。

センター試験。2次試験。

センター試験は、平成30年に終わりますが、

そのあとを引き継ぐ基礎学力診断テストも、結局、国語、数学、英語とか、

教科の知識を訊くことになるんでしょう、今の感じだと。

大学が求める人材は、ちゃんとした基礎学力がある人間。

これは大きく変わらないと思うんです。

だったら、学校の先生が言う通りに勉強するとバカを見ることになりかねない。

だって、ひたすら講義しても最後まで終わるかどうかの分厚さの教科書なんですよ、

理科や数学の教科書って。

だったら、どう学ぶのかを重視して、学びあいや、アクティブラーニングといった、

生徒が主体的に意見を交換したり、発言することに重きを置いた学習をしていったら、

まあ、学習すべき内容が全部終わらないのはある意味必然。

それでも、全部学習が終わっていないと点が取れないテストを作るんですよね。

・・・・・・分かりますよ。ええ、分かります。

「良い学び方をしていれば、教科書の問題の解説なんてしていなくても、

 生徒は、学ぶ過程で培われた思考力・表現力でもって、スイスイ解けちゃう」

そういうことがしたいんでしょうね。

確かに、教科書の問題の解説をしなければ、終わりますわ。

でも、じゃあ、分数の計算が未熟とか、そういう段階から高校生活をスタートして、

一発逆転を狙っている子どもたちはもう、チャンスがないってことじゃないですか。

ひとつひとつ丁寧に説明をしていってやれば、理解できるけど、

それを許さないということ。人生に逆転なんてありえないってこと。

そういう道を作ろうとしているってことですよね。腹が立ちますね。


もし、この国が今の教育の方針を貫きたいのなら、

やるべきことは、「どう学んだのか」を測るテストを作り出すことだと思うんですよ。

その指針を示して、そのうえで、どのような勉強をさせるべきかを教員に提示しないと

いけないのではないでしょうか。

そうしなければ、教えたように一生懸命活動しても、それが、進路実現に繋がらない。

そんな子ども達の残念な顔を見るために、教員をやっているわけじゃあない。


そして、もう一つのチグハグな点は、

大学を独立行政法人化して、助成を少しずつ減らしていることです。

助成を減らすということは、国の大学への影響力が減るということだと思うんですよね。

だったら、大学は生き残るために、学力の高い学生をとるでしょう。

好奇心を生むのは、知識だと思うんですよね。

知識がない人間は、ただの空っぽの入れ物と一緒だ。

あるいは、ただの電卓みたいなものだ。思考力がいくらあっても、

知識がなければ駄目ですよ。

物質は何からできているのか。なぜ、水よりも食塩水は電流が流れやすいのか。

温度の正体はなんだろうか。化石燃料とは何か、なぜ枯渇するのか。

電流とは何か。風はなぜ吹くのか。飛行機はなぜ飛ぶのか。

なぜ鉄は錆びて、銀は錆びないのか。電池とは何か。バッテリーとは何か。

パソコンはどうやって記録を残しているのか。インターネットとはなにか。

原子力発電とは、どうやって発電しているのか。

知らない大学生を大量に生産して、どうするんだろうね。

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なるほど、なかまくらです。

もーね、最近、これは向いてないなーって。

そう、先生という職業のことです。・・・なんて向いていないんだ!


何かと言いますと、

私って、昔から話しかけられるほうじゃあなくて、

話しかけるほうなんですね。

まあ、なんで話しかけるのかといいますと、

寂しがり屋なんですね。誰かと話していたいけど、

話しかけてもらえない・・・そういうことなんですね。


で、じゃあ、学校という場所に行くとそれはどんな風になるかといえば、

生徒が話しかけてくれないんですね~。

うわぁ~、最悪だ。困ったなー。どーすんのよ。

別に普段は困らないんですよね。

でも、なにかあったときとか、ホントに困る。

言わなくちゃいけないことがあるんだよ。守らなくちゃいけないことがあるんだよ。

でも、聞いてもらうには、お互いに少しくらいの信頼がないといけない。

そのためには、それまでの関わり方が大事なんですよ、間違いなく。


そういうの、ちゃんと上手な先生が多いんですよね。

同年齢の先生に相談してみたら、「もっと子どもの話を聞いてやればいい」

という、最も参考にならない意見をいただきました!涙

それができるんだったら、とっくにやってる。

一緒にいても、大多数の生徒には話しかけてもらえないのだよ、これが。

・・・分からないかもしれないけれど。



先生に向いている人、向いていない人って採用試験で聞かれたりするんですよね。

「子どものことがわりと好きだ。その夢を応援したい」という人。

「(自分の)教科をどうしても教えたい」という人。

高校の先生は、そんな人であればいいと思っていたんです。思っているんです。


たぶん、それは間違っていないはず。じゃあ、どうするか。

話しかけられやすい先生になる努力をしないといけない。

それが、自分のためだけに留まらずに、

子ども達の為になるはずです。だって、私はもう先生として彼らと関わっているのだから。

どうでもよければ、なにもしない。そうじゃないから、なんとかしようとする。

インターネットで調べ物をすると、

「ひらいた身体」というものを持っている人は、話しかけられやすいのではないかって

そんなことが書いてありまして、妙に納得。(参照:https://www.1101.com/essay/2010-08-04.html


「ひらいた身体」を持つには、誰かと一緒に暮らしたりして、

思い通りにならない経験が重要なんじゃあないかって、そんなことが書いてありました。

あっ・・・なるほどね(察し

恋人がいたりして、お互いに悪いところに目をつむったり、我慢して譲り合ったりしながら

生きている人は、きっとそれができるんだ。そして、私はそれができないんだ( ̄▽ ̄;)


希望を感じられるのは、それは、できるようになるかもしれないということ。

もちろん、間違いなく難しい。

人物として自分はこういうもんだというアイデンティティーは年を取るほど、

動かしにくいものになっていくはず。すでにそうだ。

とにかく、明日どうするか、といえば、

これまで通り、

「忙しくても、子どものために時間をできるだけ割いてやること」
「子どものためになる仕事をひとつひとつしっかりやっていくこと」

・・・これをやっていくしかないね。

仕事ができる人、頼れる人って、こういう人のことだと思う。

すごく当たり前だけれども、大事なことです。


でも、まだ、出来ることがあるならば、やりたいね。

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なかまくらです。

物理基礎の授業で、分力(力の分解)を教えているんです。


θの向かいにくる辺が、(斜辺)× サイン
そうでないほうの辺が、(斜辺)× コサイン

まあ、理屈はさておき、こうやって覚えろよ~と、教えてきたのですが、

4時間かけても、クラスの1/4くらいしかできず。。教え方が悪いのか・・・。

だいぶ苦しんだのち、

まあ、こういう方法もあるんだよ、

と、30°だったら「1:2:√3」の三角形の辺の比であることから求める

限定的な方法を教えてみる。


すると、・・・全員そっちに流れました(涙

まあ、30°と45°と60°はそれでいいけど、θのときどうすんの!?

それじゃあ、この先やっていけないよ。全員理系だよ!


そんなわけで、自分が、堰の役割を果たしていたことに今更ながら気づきました。

まあ、今回のテストは思ったよりも点が取れるかもしれませんが、

それでよかったのか?? という、疑問が残る結果になりました。

うん。一度やってしまったことは取り返しがつかないものだね。

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